第37話 生きる意味

 最後に梶山と家で話した後、志津子の荷物を全て引き上げて行った。故郷を出るときに持って来た大きな旅行鞄に私物を詰め込んでも隙間が空くほど少ない荷物だった。梶山は「これで」と短く挨拶をして、振り返ることなくアパートを後にする。一人残された利一はいつまでも梶山の背中を見届けていた。


 それから何週間かした後に一通の手紙が郵便受けに投函されていた。越してきて初めての手紙だった。白い洋封筒に縦書きで角ばった文字が綴られている。裏返すと久しぶりに見る故郷の住所に懐かしい香りがする。差出人は梶山種雄と書かれていた。 梶山のフルネームを初めて知る。今後一切関りがなくなる名前は将来には綺麗に忘れるのだろう。

 薄暗い部屋に入り、肩掛け鞄をちゃぶ台の傍に乱雑に扱い置く。一式になった敷きっぱなしの布団の上に座り、糊付けされていない隙間に指先を差し込み無理矢理開いた。

 なんの柄もない白い手紙には表書きと同じ文字で季節の挨拶もなく、用件からまり、たった三行半の短い文章だった。千世は無事に家に帰り今は静養していることと、以前渡した小野寺の連絡先は処分するようにと書かれていた。最後に体に気を付けるようにと利一の行く末を案じる一文で締められている。もう一枚重ねた紙を捲るが、そこには何も書かれていなかった。

 封筒に仕舞ってちゃぶ台に放るとつるんと滑って床に落ちた。拾うのも面倒くさくてそのままにし布団に寝転がる。外から聞こえる人の声や、他所の家の夕飯の匂いが部屋の物悲しさを助長する。

 この家を早く出ないと頭がおかしくなりそうだった。起き上がり鍵だけ持って家を出る。不動産屋へとまっすぐ早足で向かった。


「そう…あなたには黙って出て行ったの」

「それが約束ですから」


 佐渡川は不満げに歪ませていた口をため息と共に元に戻す。


「なんか薄情な気もするけれど、親御さんが一人娘が連れて行かれたと思ったなら仕方のないことなのかねえ。それで、これからどうするの?話によれば故郷に帰ることも出来ないんだろう」

「…いいんです。元々帰る場所もなかったので」


 家族もつきあいのある親族もいない利一は、これで正真正銘の天涯孤独の身となった。


「心配しないでください。新しい就職先も決まったし、また気持ち新たにいきますよ」


 キャバレーのキャストが繋いでくれた仕事は、一か月程過ぎたころに紹介してもらった。本来は志津子と子供のために探していた職だったが、この町を出るきっかけになると思い受けることにした。キャストには止められたが、社長にこれまでの事情を正直に話すと大変だったなと憐憫の情をみせた。


「それで、アパートの違約金の件で相談に来たんです。具体的な金額を教えていただければと思い…」

「それなら必要ないよ。梶山さんだっけ?挨拶のついでに迷惑料と称してかなりの額を払ってくれたからね。律儀にも大家だけじゃなく、うちにもね」


 おつりがくるくらいさと苦笑した。


「だから気にせず好きに生きなさい」

「…はい」

「でもね。いつでも此処に帰ってきたらいいよ」

「え?」

「そりゃ家族にはなれないし、付き合いだって長いわけじゃないけれど、あなたたちが良い子だったってわかってるよ。若い子からすると面倒くさいかもしれないし、鬱陶しいかもしれないけれえど、私はね、あなたたちを子供のように思ってるんだよ。勝手で一方的な思いだけれどさ」


勢い余って声を荒げた。


「戦争でなくなったものが多いでしょう。私ら夫婦もそうだった。あなたをみてると他人事とは思えないんだよねえ。どうしても」


 佐渡川は目を伏せて肩を震わす。誰とは言わなかったけれど子供を亡くしているんだと理解した。


「でも私たちのことを忘れて、帰る必要がなければ、それに越したことはないさ。これからの出会いに、内田君が一人じゃない未来があるって祈ってるよ」


 佐渡川は利一を引き寄せて力強く抱きしめた。利一は何も言えなかった。佐渡川のいう未来は生まれてこれなかった子供への贖罪だと思っていたからである。生きる為だけの未来に希望は見えなかった。

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