第25話 花屋
朝食を終えて食堂でいつものように読書に勤しんでいた。デイサービスにでかけた利用者を見送った清子と新名が伸びをしながら用意された朝食に箸をつけ始めている。インターホンが鳴った。見に行こうとした新名を清子は自分が見に行くと止めた。清子は「はいはいはーい」と足を滑らせるようにエレベーターに乗り込む。新名はもそもそとご飯を食べ始めた。
窓を開けていると一階の声がわずかに聞こえてくる。特に清子の笑い声は二階に届いてきた。
間もなくちーんと音を鳴らして二階にエレベーターが到着し、清子と後ろに金色と焦げ茶の混ざったセミロングの小柄な若い女性が一緒に降りてくる。女性は誰にとも言わず高らかに「おはようございまーす」と挨拶した。新名は「あ」と声をあげ持っていた箸と茶碗を置いて出迎えた。
「瀬戸さん、わざわざ来てくれたんですか」
「配達のついでや。注文通りやと思うけれど確認してくれへん?」
瀬戸は抱えていた大きな花束をテーブルに置いた。ピンク、オレンジ、黄色、白色といった淡い色のガーベラや薔薇などの花束をピンク色と黄色のセロハンや布でくるんでいる。可愛らしい印象である。利一も久しく見ていない花束を近くで見ようと近づいた。
「その花束誰かに贈るものだろう?恋人か?」
「僕も妻にです。今日は結婚記念日なんで」
「結婚していたのか」
「もう四年だったかしらね」
清子が尋ねると新名は肯定した。
「毎年お誕生日と結婚記念日にはこうして花を用意するのよ。」
新名は「大丈夫です」と確認と礼を言おうとしたときに、
「えー!」
突如声を黄色い声をあげて一同が驚いた。
「やっば。よく見たらいけおじやん!」
それが何を指す言葉なのかわからなかった。瀬戸は一人「いけおじ?おじいちゃんならいけじじい?」とはしゃいでいる。
「それは流石に言葉遣いがよろしくないかと思うけど…」
気まずそうに新名が窘めると瀬戸は「いけね」と舌を出して利一に向かって頭を下げて謝罪した。
「あーごめんなさい。あんま見ぃひんタイプの綺麗めのおじいさんやったから、つい」
何に対して謝られているのかも理解していないが、とにかく褒められていたのかと利一は「はあ…」と返事をする。
「それにしてもほんま綺麗やなぁ。しゅっとしてはるっつーか…近藤正臣の顔と草刈正雄の身長をあわせたみたいな?」
「全然タイプが違う俳優じゃない」
清子がころころと笑うと瀬戸も「とにかくしゅっとしてるって言いたいんや」と笑い返す。ドラマを見ない利一には何の話かさっぱりだ。しかし女性の黄色い声には慣れている。智子が若い時にはアイドルに夢中になっていたし、晴子もテレビの顔の綺麗な俳優には興味を示していた。利一は無関心だったが、楽しそうにしている様子は、こちらも嬉しくなるものだ。
話の内容はともかく利一には花束に興味が注がれていた。
「それはお嬢さんが?」
「お嬢さんなんて言われたん初めてやわぁ…なんか気恥ずかしいけどええもんやね。これは旦那がやってくれた分やで。めっちゃセンスええねんで」
きらきらとした目で臆面もなく身内を褒めちぎる。利一は謙虚のなさに驚いたが、不思議と嫌な感じは受けない。最近の若い子はこんなものかと受け入れる。
「おじいちゃんお花に興味があるん?」
「いや、花のことはあまり知らないんだが、供える花が欲しくてね」
「供える?」
「う、む。その…妻に…家にいる頃は妻が残した庭の花を供えていたけれど、今はそういうわけにはいかないので…」
人前で口にすると面はゆい。
「え、めっちゃええやん。きゅんってした」
変らず利一には瀬戸の言葉が理解できない。愛想笑いをするのが精いっぱいである。
「年とっても花を送るって浪漫があるよなぁ…おじいちゃん格好ええし、似合うわ。うちの旦那もこんなおじいちゃんになって欲しいわぁ」
「そちらで購入できますか?」
「勿論やで。一輪から花束までなんでも言うて?こうやって持ってくることも出来るけど、うちそんな遠くないから店においでぇな」
近くの商店街に店を構えているという。散歩がてらに丁度いいと利一は「是非に」と言いかけたところで新名が口を挟んだ。
「利一さん、奥様に供える花ならうちの花壇から分けて貰ったらどうですか?」
清子が「それはいいわね」と賛同する。
「ちょっと新名くん!営業妨害しないでくださいー」
「いやでも花屋で買い続けると、それだとかなりお金がかかっちゃうでしょう。特別な時には花屋にして、普段は花壇のお花と分けた方がいいかなと思って」
「花壇というのは?」
「女性陣が作っている花壇です。利一さんのように、亡くなった旦那さんに供えたりしていますよ」
花の値段なんて碌に知らないが、分けてもらえるなら確かに助かる。
「それなら、言葉に甘えさせてもらうかな。でもお店でも買わせて貰うよ」
「ほんま?嬉しいわぁ。是非ご贔屓に…っと、そろそろ配達に行かなあかんわ」
瀬戸は軽くお辞儀をした後手を振って清子と共にエレベーターに乗り込んだ。嵐が去ったように食堂は静けさが戻る。
「良かったら花壇見に行きますか?」
新名が問いかける。利一は部屋に飾った和江の写真を思い浮かべた。まだ一度も花を供えてやっていない写真はどこか物悲しく見えた。しかしかぶりを振る。
「いや、皆が帰ってきた後にでも見に行くとするよ。君は夜勤だったのだろう。すぐに奥さんの元に帰っておやりなさい」
新名は照れたのか耳を赤く染め、目を細めてほほ笑んだ。
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