第24話 駆け落ちをする夜

 店の鍵と鏡さん宛ての手紙を郵便受けに投函する。

 時間は二十時前、この町から列車で大きな街へ出る。黒いコートで身を包み暗闇に紛れるように志津子との待ち合わせ場所へ急いだ。

 木造の駅舎は閑散としている。改札口で若い駅員が欠伸をしていた。志津子から事前に受け取っていたチケットを駅員に切ってもらいホームへ駆け上がる。


「こっちよ」


 志津子は先につき電灯を避けるように少し暗がりのと事で待っていた。水色のコートと帽子がぼんやりと浮かび上がっている。手にはハンドバッグと大きな荷物があった。いつも持っていたバイオリンケースはなかった。


「遅くなってすみません」

「間に合ってよかったわ」


 遠く光った列車のライトが少しずつ近づいてくる。ほんのり赤く染まった志津子の頬が照らされた。ぷしゅんと空気が抜けたような音がしてドアが開く。育った町を出る第一歩が重かった。ドアが閉まり振り返るとドアの窓ガラスに映る自分の目とあう。胸中は不安で一杯だった。それなのにそこにある顔は口元に笑みがあった。今後の期待が顔に出ていたのかもしれない。

 利一は座りましょうかと声をかけようとしたが同じく窓に映った志津子の顔を見てやめた。志津子は自分で決めたこととはいえ、悲哀が目に宿っていた。後悔を残すことなく旅立つなんて無理だった。ドアの前でじっと立ち二人で外を眺めた。町の少ない明かりがあっという間に視界から遠ざかる。それでもずっと惜しむように眺め続けた。


 乗車した鈍行列車は五つの駅を過ぎれば乗り換えだ。もう二人の顔に惜別の色はなかった。育った町を一度も出たことがなかった利一は慣れておらず志津子が率先して進み着いていく形になった。エスコートする立場にあるべきだと考えていた利一は情けない気持ちになった。

 無事に目的の列車に乗り込み予約していたボックス席につく。向かい合わせの席には誰も居いない。奥の席に千世を座らせる。志津子から受け取った荷物と自分の荷物を持ち上げ荷台に置いた。


「ありがとう」


 席についた利一が漸く落ち着いたと息をついたタイミングで志津子は労った。ため息のように思われただろうかと利一は姿勢を正す。


「列車に乗ったことなくて、こんな時間にこれほどの人の波を見たこともなくて、あたふたしてしまって…すみません。引っ張ってもらってばかりで恥ずかしいです」

「そんなこといいのよ。この辺りまでは家族で来たことがあるだけだもの。私だって出来ないことや知らないことは同じように戸惑うわ。それにこの先は私にもどんな場所かわからないのよ。あなたを頼りにしたいわ。良いかしら」

 

 志津子は小首を傾げる。自分を頼ってくれるとはっきり言われると嬉しくて奮い立ち同時に身が引き締まる。


「勿論です。円滑にとお約束は出来ませんが最後まで守りますから」


 目を細めて嬉しいとほほ笑む。


「もうひとつお願いしても良いかしら」

「なんでしょう」

「敬語、やめましょう?」

「え?」

「ほら…これからは夫婦のような関係になるでしょう。いつまでも敬語なんて変だわ。あと名前も。志津子とよんでくださらない?」


 夫婦のような―――というのは駆け落ちした二人が戸籍上夫婦となることが難しいからである。この先二人の生活が落ち着いたら夫婦になる許しを得ようと約束をした。もしそこで許されなくても二人で生きようと、お互いがいればそれでいいと考えていた。許されない関係でも突き進む。これも覚悟のひとつだ。それでも言葉にするとなんだかむず痒い。


「後々なれるように…する。そろそろ休みましょう。志津子」


 ぎこちない呼び方に利一は恥ずかしくて目を伏せた。志津子は満足そうにして利一の左手に手を添える。あたたかな手を握り返した。

 志津子は小さく欠伸をした。利一の左肩にことんと首を傾けて体を預けた。その重さとぬくもりが嬉しかった。

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