第21話 揺らぐ心

 その日は志津子の手をひいて呉服屋へ戻り小野寺家に連絡をした。すぐに梶山が迎えに来た。真っ赤に染まっていた志津子の眼を見て梶山は何があったのか問いかけたが適当にはぐらかしていた。期末テストの結果が思わしくなくて悔しかったと嘘を話した。梶山は訝しんでいたがそれ以上問いただすこともしなかった。利一に深々と頭をさげて志津子を連れて帰った。


 利一は自室に戻って敷きっぱなしにしている布団の上に寝転がった。目を閉じてふうと息をつく。ごろんと寝返りをうち枕元に置いてある時計に目をやった。九時過ぎだ。早く銭湯に行かなければ閉まってしまう。でも起きるのも億劫だった。

もう一度目を瞑ってさっきの出来事を反芻する。


「一週間後の金曜日、この日なら比較的人目につかないでこの町を出られるはずなの。お父さまが仕事で前の日から五日ほど留守になさるの。梶山さんも付いていくことになっているわ。夜の支度をしてこっそり家を出て一番最後の便、夜行列車に乗るの。どうかしら」

「夜行列車なら事前にチケットが必要ですが。これから取れるでしょうか」

「実はもう用意してあるの」


 目を丸くする。すでにそこまで準備をしているとは思っても居なかった。さっきまで泣きはらしていた志津子の眼には力強さが宿っていた。もう決めたのだと目が語っている。引き返すつもりがないのだろうか。


「二枚、ですか?」

「ええ」

「もし僕が行かないと言ったらどうするつもりだったんですか」


 今度は苦笑した。


「一人で行くわ。勿論一週間の間であなたの心変わりをしても———この町を出るわ」


 その時はこのことは秘密にしてねと唇に人差し指をたてた。


 突如利一を呼ぶ鏡さんの声がした。はっと目をあけて体を起こす。心臓が痛いほど打ち付けた。志津子の計画は聞いたばかりだ。その話ではないと分かっていても、どこから話しが漏れるかと思うと落ち着かなかった。


「少し待ってください」


 声が裏返る。大きく深呼吸をして立ち上がった。髪の毛を手で整えてからドアを開ける。


「遅くに悪いな」

「どうしたんですか」

「今度の金曜日なんだけどよ」


 金曜日と聞いて意識せずに瞼が引きつった。鏡さんは気にせず言葉を続けた。


「夜に仕立て屋と一緒に飲むんだがお前もくるか?」

「それは仕事、ですか?」

「そうじゃねえよ。ただの飲み会だ。えらくおまえのこと気にしててよ。おまえも、これから長い付き合いになるだろうしお近づきの席と思って来ないかって誘われててよ。俺の世話が焼けないからおまえに乗り換えたのかもな。もしかしたら本当に見合い話とか持ってくるんじゃないか」


 固めを半開きにしてにやつく。


「そうでしたか…せっかくのお誘いですがその日はちょっと…」

「なんだ。用事でもあるのか?珍しいな」

「ははは」

「まあいいさ。これから何度でもチャンスはあるだろうよ。遅くに済まなかったな」


 おやすみと投げて部屋を後にした。鏡さんがいなくなった後も笑顔が張り付いていた。必死なっていつもの利一を演じようとすればするほど営業の顔になってしまう。布巾を絞るように眉間や目に力が入る。

 頭の中で声が反芻する。志津子が呼ぶ声だ。

 利一はぎゅっと目を閉じて声のする方へ意識を傾けた。


 まだ引き返せる。でも僕は—――

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