第20話 縋る

 メモに書かれた待ち合わせ場所は喫茶店だ。すっかり馴染になった二人にとって定番の外出先へと走っていく。すっかり冬の夜と言ったように冷たい空気が肌に刺さる。土を蹴る度に鼓動が早くなり呼吸も増える。寒いが息が白くなるほどではない。本格的な冬はまだ先だ。

 喫茶店に入ると「いらっしゃいませ」と弾む声がかかる。十七時前これから一気に陽が沈む時間にも拘わらず賑わっている。利一は店内を見回した。志津子の姿が見えない。もう帰ってしまったのだろうか。


「お一人様ですか?」

「えっと。ここで待ち合わせをしているんですが」

「失礼ですがお名前は?」

「内田です」


 店員は「あ」と声を漏らしエプロンのポケットから小さくおられたメモを差し出した。


「小野寺様からご伝言です。こちらをどうぞ」


 利一は軽く会釈をし受け取った。開くと最初のメモと同じ筆跡で『図書館裏で待っています』と書かれていた。メモをポケットに入れて店員にお礼を伝え店を出た。


「内田さん!」


 指定された場所へと向かおうとしたところ大きな声で呼ばれた。梶山である。随分慌てた様子で食って掛かるように近づいた。


「え、梶山さん?」


 いつも冷静で感情が読めない梶山が取り乱している。


「お嬢様…志津子様を見ませんでしたか?」

「い、いえ」


 否定しながらポケットに押し込んだメモが熱を持っているような気がした。思わずポケット越しに触れようとするが押しとどまって握りこぶしを作った。


「そうですか…」

「あの、よろしければ一緒に探しましょうか」


 あまりの憔悴っぷりに思わず手を差し伸べてしまった。気付いたときにはもう遅い。梶山は最初こそ眉間に皺を寄せ迷っていたが、余程困っていたのか申し出を受け入れた。


「すみませんがお願いできますか?もし志津子様にお会いなさったらこちらにご連絡くださいませんか」


 梶山は懐から手帳を出して殴り書きをした連絡先を書き千切った。


「小野寺家の連絡先です。私の名前を出して下されば結構ですので、どうかよろしくお願いします」


 丁寧にお辞儀をされて了承の返事をする。梶山はもう一度会釈をして商店街を走って行った。


 梶山の姿に後ろめたさを覚える。少し遠回りになるが梶山とは違う方向からメモに書かれていた待ち合わせ場所へと駆けだした。


 図書館の入口は閉まっており入口付近の電灯は灯っていない。ぐるりと裏へと周る。万が一職員がいることを警戒し極力物音をたてないようにした。図書館の周囲は芝生が敷かれ昼間は憩いの場所となる。日も落ちた今は人の気配はない。一定の距離で電灯が並ぶ。ちかちかとわずかな時間を瞬きしながら周囲をぽっと照らしていた。五つ目くらいを過ぎて人影が見える。周囲を警戒しているのかきょろきょろと見渡しては地面に目を降ろし、体を震わせていた。


「志津子さん?」


 おずおずと声をかけると双眸がきらりと光ったように見えた。電灯だけの明かりでお互いの姿ははっきりと見えない。こちらから、また向こうから少しずつ近づきお互いの姿が確認できると志津子はそこから一気に駆けて利一の懐へ飛び込んだ。想像もしなかった行動に利一は身体を硬直させた。利一の心知らず志津子は無遠慮だった。引きはがそうとするのをすぐに躊躇ったのは彼女の肩が震え嗚咽が漏れていたからだ。困ったと夜空を仰ぎ、意を決してそろりと背中に腕を回し落ち着かせようと擦った。暫く泣いていた志津子も徐々に冷静さを取り戻したようで利一の胸を少し押した。


「大丈夫ですか?」

「は、い」


 伏せ垂れた長い睫毛に涙が一粒ひっかかり真上の電灯に照らされてからぽとりと落ちる。泣きはらしたせいか寒い中じっと待っていたせいか頬は紅色に染まっていた。利一はふいっと目を背けた。妙に色っぽくてまともに顔を見ることが出来ない。


「すみません、大泣きしちゃって…恥ずかしい」


 無理矢理笑顔を作っていた。唇が小刻みに震えている。


「なにかあったんですか?」


 努めて冷静にゆっくりと訊ねた。志津子はそれに応えたかったが言葉にするとまた息を詰まらせ、代わりに涙を零す。利一は急かさず、背中を擦ったり優しく叩いたり宥めてみせた。志津子は大きく息を吸ってなんとか絞り出すように言った。


「ここから連れ出して」


 言葉の意図が解らなかった。


「それは、どういうことでしょうか」


 志津子は顔をあげて縋るような眼で利一を捉える。


「御覧になったでしょう?チャリティーであの人を」


 今度は一気にまくしたてた。言い切るとはあはあと必死に息をした。またぽろぽろと涙が零れる。


「親が決めた結婚なんて無理よ。私の気持ちはどうなるの?わかるでしょう。利一さんなら私の気持ちが誰の元にあるのかって」


 その言葉に心がざわついた。見て見ぬふりを続けて来た。志津子と自分とでは生まれが違うと何度も自分に言い聞かせて来た。彼女の婚約者と同じ土俵にすら立てないと諦めていた。それでも彼女は利一を選んだことに優越感と浅ましさが滲む。彼女の幸せの為なら身を引くなんて聖人君主ではいられない。いてなるものか。


「結婚したくない。お願い利一さん。私と逃げて?」


 利一は志津子の期待通りに力強く抱きしめた。

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