第14話 スーツを誂える
九月の中頃、セミの鳴き声と入れ替わりに赤とんぼが宙を舞っているのにまだ暑い日は続く。首の周りに流れる汗を拭いながら、鏡さんに洋装の仕立て屋に連れられていた。
「これからは営業や、催し事、集まりにも付き添ってもらうぞ」
志津子から招待状を受け取った相談をしてから、どうせならと一張羅を仕立てることとなった。呉服屋ならと営業などの外回りは着物が基本だ。鏡さんは利一には後々秘書のような役回りをさせたいと考えていた。他にも免許もとらせるつもりにしている。着物では運転は危険だし、利一を洋装を身に着けさせることで自分の着物を目立たせることが出来ると考えた。
「まだ成長期段階ですよ?自分で言うのもなんですがまだ伸びると思いますし、早くありませんか?仕立て直しが出来なくなりません?勿体ないですよ」
十五歳の利一は百六十五センチだった。記憶に残る父親は大柄な男だったので自分ももう少し伸びる予定だ。
「馬鹿野郎。そんなこといちいち気にするな。これも仕事のひとつだと思ってスーツも今から着なれておくんだな」
洋装の仕立て屋ともあって店の造りは西洋風だ。出窓には見本のスーツが飾られている。大きな襟のスーツ、真っ白で清潔感のあるシャツ、縦線がすらっと伸びるパンツ、鮮やかな色のネクタイとハンカチーフ、普段着物しか見ていない利一には新鮮だった。スマートでシンプルな見た目があまりにも美しい。見とれている利一に鏡さんは声をかけて中に入るよう促した。
「ようこそおいで下さいました」
鏡さんの一回り位年上と思われる店主が出迎えた。灰色の髪を後ろに流し固め、黒ぶちの眼鏡をかけている。表のスーツが似合いそうなすらっとした高身長の男性である。
「電話でお願いしていたように、こやつのをお願いしますよ」
店主は利一に目をやって目を丸くした。しかしすぐに元の営業スマイルに戻った。
「畏まりました。ではこちらに」
鏡さんを置いて奥へと案内される。店主は従業員の名前を呼ぶと、若い男性が出て来た。顔立ちが非常に似ている。恐らく息子だろう。彼に鏡さんに生地を見せるように指示すると「わかりました」と表に出ていった。
「さて始めましょうか」
店主の指示通りに腕をあげたりおろしたり、言われるがままに人形のように動かす。慣れた手つきで身丈を計ってはメモをとっている。
「貴方は随分目をかけてもらっていらっしゃるんですね」
「え?」
「あの方は雇っている若い方が二十歳になると此処でスーツを誂えなさるんです。男にはスーツを女にはご自身の店で出される上物の反物の着物をね。ご年齢は存じ上げませんが、あなたはどう見ても十五、六歳位でしょう?こんなに若い方は初めてです」
「そうなんですか?」
「ええ。あの方とはお店を構える前からの仲ですが、たまに食事に行くことがございます。私は息子がいますから跡継ぎの事は心配ないのですが、あの方はいつまでも独り身で。ついついお節介を焼いて跡継ぎの心配をこちらが勝手にすると、余計なお世話だと突っぱねられていましてね。特に最近は扱きがいのあるやつがいると自慢しておられました。あなたの事だったんですね」
店主はメジャーで身丈を計りながら話す。自然に軽く触れる手の甲がどこか心地よい。
鏡さんはよくキャバレーに行っていた。接待も兼ねているのだろうが、好んで言っている節があった。たまにホステスと思われる人が客で来る。その時鏡さんは割安で売っているのだ。その割に付き合っている女性の影は見えなかった。
それにしても鏡さんが自分のことをそうやって話ているなんて思いもしなかった。歯がゆくて自然と目尻が下がる。
「おっと喋りすぎましたかな。あの方が聴けば余計なことをとお叱りになるやもしれませんね」
内密にと付け足した。
鏡さんの期待に応えられるようになりたい。目の前の鏡に映る自分はまだ幼さが残る子供だ。いつかは胸を張って対等に渡り合えるようになるのだろうか。期待と不安が入り交じった。
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