第4話 金髪の兄ちゃん
入居する施設に着くと駐車場に一人の男性が立っていた。背が高くて細い身体から長い手足が伸びている。背の高さも印象的だが何よりも頭に視線が向く。脱色した髪色に利一はぎょっとする。テレビで金髪や茶髪なんて見慣れているし、今時の若者なら珍しくもないとある程度譲歩できる。老人相手の施設の職員までもがそんな髪色をしているとは思いもしなかった。自分が働いていたころのサラリーマンだって黒髪短髪が普通だ。社会人としてそれが常識だと利一は思った。車が見えると手を振って出迎え、客用の駐車場スペースに手招きした。駐車出来ると、利一が乗っている座席のドアを開けて手を差し出す。利一はその手を取ることなく、人睨みして杖を突いて自身の力で体を起こす。男性は嫌な顔ひとつせずに笑顔を浮かべたまま「新名です。よろしくお願いします」と軽く自己紹介をする。
降りて来たさやかが利一の傍にやってきて同じように手を差し伸べた。利一は迷わずその手を取り建物の方へ歩いていく。背中で英恵が新名に謝っている声が聞こえた。
入口の自動ドアが開きっぱなしになっていた。入口で清子が先日と同じ優し気な笑みで出迎えた。
「おかえりなさい、利一さん」
「ここは俺の家じゃないが」
「ええ。でも施設の住人は家族のように出迎える。それがうちの信条です。だから皆さんに、いってらっしゃい、おかえりなさいと言うんですよ」
老人ホームは幼稚園でかつおままごとでもしようと言うわけかと利一は嘆息する。「世話になるよ」と心にも思っていない言葉を投げつけた。ぶっきら棒な利一に代わってさやかが首だけで頭を下げた。
「まずはお茶でもしてゆっくりお寛ぎください。さ、こちらにお掛けになって」
手でロビーのソファーを指した。さやかがそこまで手を引いて利一を座らせる。少し背の高い固めのソファーだ。家で使っているものの方が柔らかい。
入口の右手側にカウンターがある。その奥は事務室のような作りだ。事務用の机が四脚向かい合わせでくっついて置かれている。奥の壁沿いにガスコンロがひとつの簡単なキッチン、二段の冷蔵庫、その上に電子レンジが設置されている。清子はガスコンロに火をつけてお湯を沸かし始めた。
「持ってきていただいた荷物を、先にお部屋までお持ちしますね」
新名が三つの段ボールを一気に持ちあげて運び入れていた。さっきは身体の細さから腕も細いのかと利一は思っていたが、よくよく見ると筋肉が程よくついている。さやかが「お願いします」と言うと新名はそのままエレベーターの方へ向かう。後ろから収納ケースを持って来た英恵が、ソファーの傍の地面に置いてエレベーターのボタンを押した。新名はお礼を言い乗り込む。
「さん収納ケースも取りに来ますから、ロビーで休んでてください」
英恵はほっとしたようにお礼を言ってエレベーターの扉が閉まるのを見届けた後にロビーへと戻って来た。
「草臥れた」
さやかの向かい側に座ってソファーに座って左肩を強く揉んだ。
「さっきのお兄さん凄かったね。段ボール全部を軽々と持って歩くなんて。あの箱、本も入ってるから結構重かったのに」
「本当に。介護士さんって力仕事だって言うけど、若くて力持ちの新名さんは重宝されそうよね」
「本当に助かっているのよ」
清子は小さなお皿に乗せた小さなお饅頭と、茶たくに乗せたお茶碗をテーブルに置く。
「秀平…新名くんは二年前に入ってくれたの。若い男の子はこの施設でも珍しいから力仕事はどうしてもお願いすることも多くなるわ。あのなりだから誤解されることもあるけれど本当に良い子よ。利一さんとは自然と関りも多くなるでしょうし、どうぞよろしくお願いしますね」
施設には新名以外に職員は女性がもう三人いる。五十代のベテラン介護士と三十代のシングルマザーの介護士、六十代の料理人兼栄養士だ。暫くは男性介護士がいなかった。それも若手が少なく体の不調をきたして辞めていく職員が多かったようだ。
施設の事情は利一には響かないし、あの若造とよろしくだなんてする気もない。利一は不貞腐れながら煎茶を啜る。香り高く素直に美味しく感じた。英恵は素直に口にした。
なんだこれ、良い茶葉でも使ってるのか?ここはそれなりにお金がかかる。老人から金をせしめてこんないいお茶を飲んでるなんてと思うと癇に障る。眉間の皺が増えた。利一の不機嫌にいち早く気付いているのは英恵だ。美味しいお茶を啜りながらちらちらと利一を見ながらハラハラしていた。
「お引越しでお疲れでしょう。今日は皆さんのお食事もご用意しますので、ゆっくり楽しんでくださいね」
食事と聞いてさやかの目が輝いた。ロビーの振り子時計を見ると五時半過ぎ。食べ盛りで好き嫌いのないさやからしいと利一は目尻を下げた。
食堂がある二階に移動する。見学に来た時には食堂と言うので社食のようなそれなりの広さを確保した場所を想像していた。実際は利用者の人数に少し多めの席を用意しているだけだった。食堂とつながるカウンターと四人掛けの席が四組並べてあるだけで、利一は小さな喫茶店のようなイメージを抱いた。
すでに夕食を食べている利用者も二名いた。清子が利一を紹介すると利一とそう変わらない年齢のように見える。女性の方は「よろしくね」と言い、男性は頭を下げるだけだった。この二人は夫婦で入居しているそうだ。二人用の部屋もあるそうだが、別々の部屋で過ごしているという。それでも食事は必ず一緒にとっている。
テーブルを貸切の状態で三人で座った。それほど待たずに、奥からプレートを持った中年女性がやってきた。年は清子と変わらない、もしくはもう少し上に見える。利一の前に置かれたプレートの上には肉じゃがと副菜のほうれん草のお浸し、豆腐の澄まし汁が乗っている。
「ごはんはどれくらい食べる?」
女性は初対面にも拘わらず特に笑いもせずに短く問う。ガタイもしっかりとしており、有無を言わせなさそうな態度に利一は「普通に」と答えた。
「お連れさんは?」
「私はお茶碗軽くしてくださいますか」
「お嬢ちゃんはいっぱい食べるね」
年頃のさやかには選ぶ権利は与えられなかった。これは大盛でくるなと予感した。利一には浅めのお茶碗に小さな山が出来るくらい、英恵にはお茶碗の線を超えないように、そしてさやかには少し高い山の状態で出された。女性は「おかわりは自由だよ」と言い残してカウンターの奥へと去った。
「いただきましょうか」と英恵の声に対してさやかは「いただきます」と手を合わす。利一も同じように手をあわせた。
さやかは食べる直前に「あっ」と声をあげ持って来た手提げかばんからスマホを取り写真を撮り始める。
「全く、こんな時にまで写真?お行儀悪いわよ」
「だって老人ホームの食事なんて食べる機会ないじゃん」
英恵の説教は響くことなくさやかはスマホを構えた。シャッター音が三度鳴る。それぞれ角度を変えて撮っていた。
中学校にあがってからスマホを買ってもらったと同時に、事あるごとに写真を撮っていた。晴子が生きている時も、ツーショット写真や、晴子の手料理、庭の花など目に付くものを撮っていた。その度に晴子は「珍しいものでもないでしょう」と言いながら嬉しそうに笑っていた。利一はカメラといえばフィルムカメラだ。撮れる枚数が限られているからこそ、気に入ったものだけを写真に収めるべきだという考えだった。対して晴子は新しいスマホというものに便利さと気軽さに感心していた。
写真に熱心なさやかを横目に利一は目の前の食事を見下ろして箸をとる。料理にあまり期待はしない。今時の人は食事なんて適当なものだと冷笑していた。結婚して五十年以上、外食以外は晴子の手料理しか食べていない。晴子が死んでから久しぶりに他人の料理を口にしたのがヘルパーの作るごはんだった。しかし利一の口にはあわなかった。英恵のごはんは比較的食べられる味だったが、晴子のと比べるとだいぶ見劣りした。それを口にはださなかったが、内心物足りなさを感じていた。
だから食べ慣れた晴子の料理以外は大したものは食えないだろうと諦めていた。多人数の料理を一手に造らねばならない施設だと細やかな味付けは到底無理だろうと期待できなかった。食べられるだけましだと自分に言い聞かせてお椀に口をつけ澄まし汁を啜った。
箸が止まり目を見開いた。
美味い。
自分でも驚くくらい素直にそう感じた。勿論晴子の料理とは全く異なる味付けだし、これまでと何が違うのかわからなかったが、とにかく美味かった。
お椀を置いてごはんを口にし、肉じゃが、お浸しに順々に箸をつける。どれも利一の口にあった。英恵もさやかも「美味しいね」と箸を伸ばしていた。それまで少し食欲が落ちていたせいか、ヘルパーやケアマネージャーからも多少心配される程食事の量が減っていた。今日の夕ご飯はあっという間に完食した。それには英恵も随分驚くと共に安堵した。利一自身も老人ホームのイメージが変わった。監獄から、うまい食事がでる監獄に改善した。
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