第2話 老人になる日

 施設選びは利一には本当に苦痛だった。

 施設の入居を検討している旨をケアマネージャーの沼田に連絡をすると了承の返事が直ぐに来た。即座に英恵は立ち会える日に合わせて日程を立てた。当人の利一を交えて、まずはどんな施設があるのかをわかりやすく説明するために座卓にパンフレットを広げた。

 長年足を患っていたので杖は必要とするものの、それなりに体の自由が利く利一は要介護1を取得していた。日常生活に多少困難はあるが比較的丈夫で元気な老人だ。出来る限り自由がきく施設を沼田は紹介した。

 食事の内容や娯楽施設の完備、施設の立地———家族が会いに行きやすい場所かなど、メリットとデメリットを交えて話す。英恵は前のめりになって聴いていた。写真を見ては「美味しそうな食事ですね」とか「庭が綺麗ですよ」と利一の興味をどうにか引こうと話しかけた。しかし利一はどの話も頭に入ってこなかった。違いがどうかと言われてもよくわからない。どこに行っても変わらないと思った。特にパンフレットの個人部屋の写真を比べてみたが、どの部屋もこじんまりと狭く、自由のきかない監獄のように思えた。これまで一軒家で暮らして来た利一だ。晴子が生きている間は二人暮らし、その後は一人暮らしをしていた彼にとってアパートのような部屋は窮屈そうに見える。

 沼田は利一にも生活するにあたって何を重要視するか確認をしてくれたが、本人だけが一向に興味を示そうとはしなかった。拗ねて会話をしようとはしない上に、時々話したかと思えばただ頑なに「家が良い」と口を挟むだけだった。暖簾に腕押しの状態が続くので、沼田が客観的に判断し利一に向いていそうな施設をいくつかピックアップした。英恵も見てから決めましょうと後押しをした。


 自分が人の手を借りないと生きていけないような老人だと利一が自覚をしてから一か月の間、英恵を先導に慌ただしい日々を過ごした。忙しいと豪語していた繁と英恵は空いている日を全て費やし施設を探すために沼田と共にあちこち駆け回った。英恵曰く「本当によく動く人」だ。繁たちはケアマネージャーは当たり外れが大きいと噂で聞いていたからどんな人が当たるか心配していた。しかし杞憂はなかったかのように彼女はよく働いた。連絡をすれば時間をかけずに対応して、連絡をしなくても彼女から提案を幾度となくされた。介護初心者の内田家にはもってこいの人だ。


 施設探しは休日だけでは事足りず、普段土日が休みの繁に代わって平日は英恵が一人でやって来た。これまでなら掃除や作り置きの食事の準備に駆け回っていたのが、この一か月は家の維持が目的ではなく利一の今後の生活の為に奔走した。

 忙しいと口では言ってるものの英恵はどこか生き生きしているように見えた。嫌々家を離れる自分の気持ちを無視しているのだと思い込む色眼鏡を通しているせいかもしれない。とにかく面白くなかった。厄介払いされているように感じた。自分の生活から切り離そうとしていると思った。それまで愚痴一つ零さず、言われたこと以上の働きをしていた英恵の優しさが作り物のようにさえ思えた。

 実際に内心ではどう思っているのだろうか。息子の嫁として責任を果たしているだけだったのか。ずっと心を殺していたのだろうか。今は足手まといの老人から解放されることが嬉しいのだろうか。そんな予測を立てては勝手に苛立った。


 英恵の運転で全然気乗りしない利一を軽自動車に乗せて施設を巡った。車の移動に慣れていない利一の腰が車が揺れる度にぎしぎしと痛む。降りる際に杖をついて「よいしょ」と掛け声をかけたり、時間が経つにつれ息も上がったりすると、自身の老いを実感し老人ホームに相応しい年齢だと自覚させられた。しかしこれこそ利用できると利一は内心ほくそ笑んでいた。どの施設も適当な難癖をつければ、自分に見合う施設を探すまで先延ばしできると考えた。大人数で食事をとるのは性に合わない。受付の対応が悪い。部屋が狭い。窓から見える景色が嫌い。思いつく苦情はなんでも言った。その度に英恵は肩をすくめ「すみません」と頭を下げた。対し施設の職員は慣れていると言うように「気にしないでください」と営業スマイルで応対し、ケアマネージャーに至っては「これから住む場所だからこそ、納得いく施設をしっかり選びましょうね」と満面の笑みで答え、底なしのやる気を見せつけた。当然だが、気力の持久力も若者には到底かなわない。利一は次第に悪態をつくのも面倒くさくなり口数が減っていった。


 施設になんか入ってたまるものかと敵対心を向けていたのも空しく、予想より物事は淡々と順調に進んでいった。

 最後に行った施設は入居している利用者は十人足らずだ。二時頃にお邪魔したところ、デイサービスなどで利用者は殆ど施設に居らず静寂に包まれていた。


「いらっしゃい、内田さん。よく来てくださいました」


 施設のオーナーの鈴峰清子が自ら対応してくれた。六十代位の物腰の柔らかい女性だった。

 空いている部屋や食堂、入居者が集まる憩いの部屋などを案内してもらった。他の施設ではカラオケルームなどの娯楽施設が充実していたが、此処ではそういったものはない。静かで穏やかな空気が漂っていた。それまで文句を言っていた利一もここではなにも話さなかった。


「うちの入居者は、自立が可能な方が殆どでお昼間はこんな感じなんですよ。利一さんはデイサービスはご利用なさってるの?」


 何も答えない利一に代わり英恵はおずおずと口を開く。


「いいえ。義父は騒がしいことよりも一人で過ごす方が好きなようで…よく本を読んで過ごしています」

「そう。だったらお昼間もゆっくり過ごしていただけると思います。勿論デイサービスのご希望あれば、こちらからもお世話になっているところを紹介しましょうね」


 内心ほっとした。いくつか巡った施設ではやたらデイサービスを勧められてげんなりしていた。決まって「コミュニケーションは大事」だの「運動にもなるし」だの「ボケないためにも」と利一の癇に障ることを言われる。この年になって好きなこともさせえ貰えないなら早く死んだ方がましとすら思えた。

 強制されないこと、利一にとって施設に入ることを譲歩する条件だった。安心したが同時に引くに引けない状態になっていることに危機感を覚えた。

 家族目線の希望にも沿っていた。繁夫婦が通いやすいこと。町の中にあるので買い物にも不便がない。最寄りの駅からも近い。英恵はすっかり乗り気になって「素敵な施設ね」と和やかに微笑んだ。

 反対に利一の気持ちは塞がるばかりだ。利用者が暮らす部屋を見た時には特に気持ちが沈んだ。何人の老人がこの部屋で暮らし死んでいったのだろう。次は自分の番だ。この小さな部屋が終の棲家かとため息が出た。


「ただちょっとね…」


 それまで上機嫌だった英恵が顔を曇らせた。羅列した数字に怯む。他の施設も決して安いというわけではなかったが、此処は一番高かった。つい「こんなに」と正直に漏らし慌てて口を紡いだ。清子は嫌な顔ひとつもせず英恵の本音にのった。


「ええ。よく言われるんです。どうしてこんなに高いの?って。うちは利用者さんにのびのびと暮らしていただきたいと考えております。そのため利用者さんがそれぞれの名前を覚えてもらえるくらいの人数にしているんです」


 高い料金は理由はいくつかあると清子は隠すような素振りをすることなく語る。家賃、共益費、食費など住むための料金、利一のように家事が出来ない人にはスタッフが代わりにする。具体的には掃除と洗濯だ。他の要因はスタッフに払う給料だという。利用者が少ない割りにスタッフが多いと清子は言う。清子は料金が高いことを申し訳なさそうに言うでもなく、悪びれないように言うでもなく淡々と答えた。


 結局、英恵だけの判断では決められないので一度繁や智子に相談する旨を伝えて家に帰った。費用がかさむことを最初は繁は渋っていた。しかし払ってでも良い環境で利一には向いていると英恵の説得で首を縦に振った。定年を少し超えるまで働いていたこともあって貯金はそれなりにあった。それに加え晴子の保険金と、なかなか世話が出来ない智子がため込んでいたお金を出してくれたおかげで、先十年は施設暮らしが出来るだけの資金が集まった。無論心配はつきない。もっと長生きすればその分お金はかかる。今は元気でも病気は紙一重に存在する。それでも利一の条件に沿った施設を逃す手はなかった。


 短期間で入居が決まり家族の誰もが安堵した。最後に見た施設に文句はなかったが、未だ家に執着している利一は自分の意思だけが置いてきぼりを食らっているような気がした。それでも決まってしまったものは仕方がない。反論をすることも無理難題を言って困らせるようなことも、利一には気力すら湧き上がらなくなっていた。

 これが老化か、と認めざるを得なかった。

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