武志、不敵に笑う
既に深夜一時ではあるが、歓楽街においてはまだ宵の口の時間帯だ。そこかしこからバカ声が聞こえてくる。
すぐ近くには、酔いつぶれて寝ている男がいる。千鳥足でご機嫌な様子の酔っ払いもいる。さらには、売春婦らしき女もあちこちで佇んでいる。
だが士郎の視線は、ある一点に向けられている。十メートルほど先にある、派手な看板のキャバクラだ。その入り口から目を離さなかった。
一時間ほど経った時、キャバクラからひとりの男が出てくる。見送りに出てきたキャバ嬢に大きな声で何やら言った後、大股で歩き去る。
同時に、士郎も立ち上がった。男の後を、ゆっくりとついて行く。
前方を進む男の歩き方は、まさにチンピラそのものだった。肩をいからせており、やたらと歩幅が広い。だが、身に着けているスーツとネクタイはさほど高いものではない。しかも、前から裏社会の住人とおぼしき者が来ると、すぐに視線を逸らして道を譲る。
歩いているうちに、人通りが途絶えた。
その時、士郎は襲いかかった。男の背後から音もなく近づき、首に腕を巻き付ける。そして腕を狭めていく。
首の頸動脈を絞められ、男は抵抗する間もなく意識を刈り取られた。
「武志、今つれていくからな」
士郎はボソッと呟いた。直後、男を担ぎ車に放り込む。
どのくらいの時間が経ったのだろう。
男は、ようやく意識を取り戻した。と同時に、頑丈なダクトテープで両手首と両足首をぐるぐる巻きにされた挙げ句、パイプ椅子に座らされていることにも気づく。周囲はコンクリートの壁が剥き出しになっており、床には埃やゴミくずなどが散乱している。
そして目の前には、パイプ椅子に腰掛けた若者がいた。ひどく痩せており、特に顔の細さは異様である。肌の色も悪く、まるでヤク中のようだ。黒いジャージを着ており、傍らにはスーツ姿の士郎が立っている。
ジャージ姿の若者は、にこやかな表情を浮かべ口を開く。
「やっとお目覚めですか、
自分の名前を呼ばれ、男は怯みながらも怒鳴った。
「お、お前は誰だ! な、何をする気だ! 俺にこんな真似して、ただで済むと思ってんのか!」
だが、武志と名乗った若者に怯んだ様子はない。黙ったまま、じっと寺門の顔を見つめている。その表情は穏やかなものだった。
寺門の顔に、明らかに動揺しているであろう表情が浮かぶ。その動揺を悟られまいと、無駄なあがきを始める。
「い、いいか! 俺のバックにはな、銀星会がついてくれてんだ! それだけじゃねえぞ! 俺のケツ持ってくれてんのは桑原さんだ! 銀星会の若頭だ! おいてめえ、わかってんのかよ!」
寺門はわめき散らした。しかし、依然として武志は黙ったままだ。その態度は冷静そのものである。その冷静さが、寺門の恐怖感を募らせていく。
「お、お前誰だ? 俺はお前なんか知らないぞ。いいか、俺に手を出したら……さ、三百人が動くんだぞ!」
無論、ハッタリである。この男に手を出しても、動く者などいない。
それでも、武志は無言のままだ。怯えた寺門は、なおも叫び続ける。
「何とか言えよ! な、なんとか……い、言えって! だ、黙ってちゃわからねえじゃねえか!」
「あなたは、本当に覚えていないんですか? 俺の顔を見て、何か思い出しませんか?」
そう言いながら、武志は立ち上がった。ゆっくりと寺門に近づいて行く。
寺門は恐怖を隠しきれなくなった。ガチガチと口の中で歯が当たる。目の前の男は正気ではない。寺門は確かに、ヤクザとの繋がりはある。ただし、その使い走りをさせられているといった程度の付き合いだ。
これまで、かなりの数のヤクザを見てきたのだ。その中には、人を殺した経験のある者もいたし、ヒットマンと呼ばれる者もいた。
しかし今、寺門の目の前にいる者は……根本的に何かが違う。ヤクザは金のために人を殺す。金にならなければ殺さない。
目の前の男は、金にならなくても殺す──
「お、俺は本当に……お前なんか知らない。な、何かの間違いです。た、助けてください。お願いします……」
震えながら、命乞いを始める。いつの間にか、目からは涙が流れていた。寺門は生まれて初めて、本物の死の恐怖と対面したのだ。その恐怖を前にし、体のコントロールが利かなくなっている。
その時、武志は不敵な表情で笑った。
「俺が誰だか知ってるはずだ。俺はこの五年間、あんたのことを忘れたことはなかった」
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