鉄雄、陽一を助ける

「もう一度言ってくれ。何が起きたかを、な」


 藤田鉄雄フジタ テツオは、静かな口調で尋ねる。その表情は冷静そのもので、何らかの感情の動きは感じられない。しかし、彼の目の前にいる火野正一ヒノ ショウイチは怯えきっていた。


「て、鉄さん、俺もまさかこんなことになるなんて……でも、これは事故ですから──」


「事故だ? シャブ食って車に乗り、ヨレたあげくに道路を逆走し警察の護送車と正面衝突。これのどこが事故なんだ?」


 鉄雄は座っていたソファーから腰を上げ、火野に近づく。狭く汚い事務所──便利屋の看板を掲げている──に逃げ場はない。火野の額から汗が吹き出した。


「で、ですから鉄さん、これは──」


「前にも言ったはずだ。俺は、ポン中(覚醒剤中毒者を意味するスラング)とは組まねえと。なのに、運転するはずだった奴がシャブ食った挙げ句に事故。この始末、どうするんだ? これじゃ、計画は中止だよ」


「すみません……まさかそんな奴だとは……」


 火野の目の前に、鉄雄の顔が近づいて来た。いかつい風貌を一層際立たせるスキンヘッド、作業着の上からでもわかる筋肉質の体。そんな男が、鼻と鼻が触れ合わんばかりの位置まで顔を近づけてくるのだ。臆病な人間なら、それだけで失禁してしまうかもしれない。


「よく聞くんだ。俺はてめえの描いた絵図のために、あんな汚い倉庫で作業員として働いているんだよ。さっさと代わりの奴を見つけろ。これ以上時間がかかるようならば、この計画はなしだ。いいな」


 そういうと、鉄雄はボロボロのスポーツバッグを持ち、部屋を出て行こうとした。が、あることを思い出す。


「おい、明日使うはずだったチャカ(拳銃)は、どこに隠したんだ?」




 数分後、鉄雄は外に出ていた。

 拳銃は、駅前のロッカーに入れたという。そのロッカーの鍵を、よりによって、近くの公園にある公衆便所の便器に隠したのだという。もう少し、まともな隠し場所を思いつかなかったのだろうか。何でわざわざ、不特定多数の人間が出入りする公衆便所に隠すのか。

 目立たぬように、そっと夜の公園に入って行った。もうすぐで午前零時だ。そろそろ日付が変わるというのに、何やら声がする。よりによって、公衆便所の中からだ。複数の男の声がする。さらに呻き声も──

 鉄雄は裏社会に生きている。普段の生活では、できるだけ波風を立てないようにしていた。街で誰かと肩がぶつかっても「すみません」と先に謝る。犯罪行為を目撃した場合、速やかにその場から立ち去る。警察の絡むことには極力かかわらない。これが普段のスタンスである。

 今回の場合も、騒ぎが収まるのを待って行動するはずだった。

 しかし、今の鉄雄は苛立っていた。声を無視し、公衆便所に入って行く。

 数人の若者が、ひとりの少年を痛めつけている。予想通りの光景だ。鉄雄の気配に気付き、若者たちがこちらを向く。全員、凶暴な光を目に宿している。


「失せろガキども」


 鉄雄は冷静な表情で言い放つ。苛立ってはいるが、頭は冷静に状況を判断していた。殴られている少年を除き、全部で四人。全員、華奢な感じだ。身長は百七十センチほど、体重は六十キロあるかないかだ。格闘技の経験者はいない。

 二分以内に片付けて鍵を回収し、速やかにこの場を離れる。


「ちょっと……何言っちゃってくれてんの! ええ! おっさん!」


 ひとりの若者が詰め寄ってくる。鉄雄の苛立ちに、さらに拍車がかかった。恐らく、少年に対する暴力が若者たちを興奮させている。鉄雄の見た目はかなりの強面だ。大抵の人間を怯ませるくらいの迫力はあるのだが、興奮状態にある若者たちを怯ませることはできないらしい。


「そうか、わかった」


 言うと同時に、鉄雄の左拳が飛んだ──

 左手を下げた状態から、速くキレのあるフリッカージャブを放ったのだ。若者は仰け反り、反射的に顔面を押さえる。

 だが、鉄雄はさらに追撃する。右のストレートが顎に炸裂し、若者はバタリと倒れた。六十キロもない華奢でひ弱な肉体では、九十キロの全体重を乗せた鉄雄の一撃に耐えられるはずがない。

 他の若者たちは、その光景を見たとたんに態度が変わった。興奮が覚め、代わりに恐怖が若者たちの心を支配する。仲間が、一瞬で倒されてしまった……鉄雄の圧倒的な強さを理解したのだ。

 同時に、鉄雄の苛立ちもわずかながら解消された。


「さっさと失せろ。でないと殺す」


 口調は静かなものだった。しかし、その静けさが恐怖に拍車をかける。若者たちは震えながら、うんうんと頷く。だが、動く気配はない。


「早く失せろ!」


 鉄雄は怒鳴りつけ、体の向きを変えて道を空ける。若者たちは気絶した仲間を放置したまま、我先にと飛び出して行った。

 残っているのは、鉄雄と意識のない若者、そして殴られていた少年だけだ。

 その殴られていた少年が、恐る恐る口を開いた。


「あ、ありがとう……ございます……」


「礼はいい。早く消えろ」







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