第40話 覚悟 その3

 四月の終わり、徹と沙友里が旅行がてら、俊介を訪れていた。

 陸上自衛隊幹部候補生学校は福岡県久留米くるめ市にある。二人は連休を利用して、九州を旅行しているところだ。三人はスイーツバイキングのあるログハウス風のレストランで昼食を食べながら談笑だんしょうしていた。

「なんかお前、雰囲気が変わったような気がするな」

 徹は笑顔ながらも遠回しに俊介を気遣きづかった。

「そうかな? でもここに来てまだ一ヶ月ぐらいしか経っていないよ」

 たくましくなったというより、慣れない生活でやつれていると言った感じだ。紅茶の入ったティーカップを持つ指が、何となく骨張ほねばって見える。沙友里は寂しそうな眼差しで、俊介の手を追ったが、冗談っぽい笑みを浮かべ、

「本当は夏樹も誘ったんだけどね。今は忙しいみたい。私もあまり相手してもらえないわ」

 と、夏樹の近況を話した。振付師見習いの夏樹には遊んでいる暇は無いようだ。本人も遊ぶ時間が欲しいとは思っていないらしい。

 社会人になった沙友里からは、学生時代の時のような呑気のんきさはあまり感じられない。穏やかさに落ち着きが加わってきたようだ。

「今でも夏樹とユウリとメールで連絡は取り合っているのよ」

 俊介はそれを聞いてなんだか嬉しかった。

「そうか、ユウリとメールをしてくれているんだ。ありがとう」

 夏樹と沙友里がユウリを支えていてくれるのが、何よりもありがたい。

「お前も彼氏らしいこと言うようになったな」

 徹はケーキを口に入れ、肩をゆすり笑った。

「俊介君もユウリに会えなくて寂しいでしょ?」

 沙友里にそう訊かれて、俊介は自分の計画を話した。

「実は五月の連休に、ユウリに会いに行くんだ」

 沙友里はフォークを持つ手を止め徹を見た。徹もケーキを挿したフォークを宙で止めたまま、何かを言おうとしているが、すぐに言葉が出てこないようだ。

「そ、そんなに簡単に会えるのか? もし人に見られたら、騒ぎになるんじゃないのか?」

 沙友里も頷きながら俊介に眼をやった。ココットは解散したが、ユウリが芸能界を引退したわけではない。街中で会っているところをスクープされる可能性もある。

「だから、ユウリの実家に行くんだよ」

 俊介が得意げに答えると、徹には俊介の考えがすぐに分かり笑みを浮かべたが沙友里の表情はまだ浮かない。

「ユウリのご家族は了承してくれたの?」

 そう訊かれると、俊介はうなだれるように頬杖ほほづえをついた。

「一応行くことは了承してくれたみたいだけど、まだ俺の事は受け入れてもらえて無いみたいだよ。ユウリに『覚悟して来てね』って言われたし」

「それは緊張するな。でも会ったこともない野郎やろうを、簡単には受け入れてはくれないだろうな。しかも実家に泊まりに行くんだから、覚悟は示さないと」

「その覚悟って言うのがよくわからないよ」

 俊介は何を覚悟していけば良いのか分からない。

「お前、相変わらず鈍感だな」

 あきれている徹の横で、沙友里は口に手をあてクスっと笑っている。

「彼女の実家に泊まりに行って『あー楽しかった、じゃあまたね』で済むわけ無いだろ。ご両親としては当然この先どう考えているのか、気になるだろ」

「この先って、まさか結婚のことか?」

 俊介は少し焦り、引け腰になった。

「まっ、結婚とまでは行かなくても、真剣に付き合うと言う姿勢みたいなもんかな。お前、そう言う覚悟もなく実家に行くつもりだったのか?」

「ああ」

 俊介が当然のように答えると、

「俊介君、ここに夏樹がいたら、殴られていたかもよ」

 沙友里は笑いながら小さく平手打ちをする仕草をした。しかし俊介の脳裏にはこぶしで殴り掛かってくる夏樹の顔が浮かんだ。

「ユ、ユウリもそのつもりなのかな……」

 俊介はなんとも頼りない表情で呟いたが、

「俊介君はユウリの事が真剣に好きなんでしょ?」

 沙友里に訊かれ、小さく相槌あいづちを打った。

「そしたら、良い機会じゃない。ご両親にもちゃんとご挨拶して、真剣な交際を認めてもらえればユウリは安心するんじゃないかな」

 確かに今はユウリに不安な思いをさせている。しかも学校の課程かていが終わるまでの一年間は、いまの生活が続く。ユウリも不安なまま一年間は耐えられないだろう。そう考えると、ユウリの実家に行くことの重要さが分かってきた。何かを考えるように黙ったままケーキを口に入れ、紅茶で流し込んだ。オレンジの酸味が効いた甘酸っぱさの横を紅茶の苦みがすり抜けていく。

「ケーキ取って来よう」

 沙友里はあえて席を外すようにケーキを選びに行った。

「徹はもう沙友里さんにプロポーズしたのか?」

 突然俊介に聞かれ徹は慌て、首を延ばして沙友里がまだ戻ってこないのを確認すると、声を落として答えた。

「まだに決まっているだろ」

「そうなのか? お前こそ覚悟を示さないと」

 俊介はニンマリと笑った。

「大学院を出て就職してからだ。稼いでもいないのにプロポーズしたら、沙友里の両親も怒ると思うよ」

「そうだな」

 神経を張り詰めた生活が続いていた俊介にとって、こうして気兼きがねなく徹と話せることがとても楽しい。徹達が帰っていくときも、名残惜なごりおしそうに駅のホームまで見送った。

「今日は会いに来てくれてありがとう。じゃあ、またな」

「ああ。里帰りする時にまた会えるといいな」

 徹と沙友里は電車に乗り、乗車口で振り向いた。ゆっくりとドアが閉まり始め、沙友里は手を振った。俊介も力なく手をあげ、ぎこちない笑みを見せた。電車が動きだした時、徹も思わず手を振った。俊介の姿が遠ざかっていく。俊介は力が抜けたように両手を下げたまま、いつまでもこっちを向いていた。遠すぎて見えないが、きっと涙を流しているのだろう。

「俊介君、学校での生活が辛いのかな」

 沙友里がそう呟くと、

「そうだな。とても頑張れとは言えなかった。でも頑張ってほしい……」

 初めて見る親友のやつれた姿に、目頭が熱くなった。

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