第39話 覚悟 その2

 日曜日の事が気にかかっていた俊介は午前の休憩時間と夜にメールをするようにした。しかしユウリから返信は来るものの、俊介のメールに短く返事をする程度の内容だ。

 ユウリは特に怒っているわけでも、意地悪をしているわけでもなく、冷めた気持ちが元に戻らないだけだった。俊介が無理してメールをしてきていることはわかっている。

 そして木曜日にユウリから短い返事と共に、

(もう無理しなくてもいいから)

 と言うメールが届くと、『言葉で何を言ってもユウリは俺を信じてくれないだろう』と感じたが、もう終わった、とは思わなかった。むしろ『ユウリとの約束を守る』そういう気持ちがよみがえり、日々の疲れで休眠していた行動力がようやく目覚めだすと、パソコンに向かって何かを調べだした。

 土曜日、俊介は校庭のベンチに座りスマホでユウリにメールを書いていた。太陽の光で見づらいスマホの画面には日付と時間が箇条書かじょうがきに書かれてある。

(なんなのこのメール)

 すぐにユウリの返信が届いた。短い文書だが不機嫌さが出ている。こんなメールをユウリから受け取ったのは初めてだ。いつの間に自分は迷惑な存在になってしまったのか、そう思うとメールでやり取りするのが辛い。

(電話で説明するよ)

 俊介はそう返信をすると、電話をかけた。いつもは嬉しそうに明るい声で電話に出てくれるユウリだったが、今日は八回目の呼び出し音でようやく電話に出てくれた。

「あのメールはなに?」

 ユウリの声に愛想あいそうは無い。思わず声が詰まった。

「ユ、ユウリの実家に会いに行く予定だよ」

 そのメールにはフライトスケジュールなどが書かれてある。俊介は五月の連休を利用し、二泊三日でユウリの実家に行こうと計画したのだ。

 しかし、一方的に予定が書かれてあるメールにユウリはうんざりしている。

「私の実家はホテルじゃないの。いつ来てもOKじゃないの」

 明らかに不愉快そうだ。雪女が吐いたような冷たい声に俊介の体は縮んだ。

「あっ、そうだよね……」

 いつでも突然意外なことを言うパターンが通用するとは限らない。

「どうしていつも突然で一方的なの? うちにはお父さんもお母さんもお兄さんも犬もいるの。俊介の都合通りにはいかないわ!」

 一瞬『犬の都合は関係ないだろう』と思ったが、

「ごめん……」

 と謝った。

「それに俊介の事はまだ家族に話していないし、急に泊まりに来るなんて言って、すんなりと行くと思ってるの?」

 ユウリに叱られながら、確かにその通りだと反省し黙っていると、

「ほんと、もう無理しなくていいから」

 ユウリは念を押すように言い、電話を切ってしまった。『何をしてもダメだな』俊介は猫背になりながら、気の抜けた顔で遠くを見つめていた。


 ユウリはスマホを片手に窓の外を見ていた。日本の空港で俊介が会いに来てくれた時の事がフラッシュバックのように蘇っている。『必ず会いに行く』そのメールは今でも大事に保存してある……。スマホを両手で包み込むように握った。


 途方とほうに暮れている俊介の気持ちとは裏腹に、とてものどかな昼下がりだ。退屈そうなハトの鳴き声が何処からともなく聞こえる。学校のグランド脇にあるバス停に、路線バスが停車し、そして発車していく。これで何台目のバスだろうか。

 バスのエンジン音が聞こえなくなる頃、ユウリから電話がかかってきた。

「とりあえず、家族に聞いてみるから。でもあまり期待しないでね」

 淡々たんたんとそう伝えてすぐに電話を切ったが、ユウリの心にも俊介への思いが少しずつ戻ってきている。『俊介が約束を守ろうとしてくれている。私も応えなきゃ……』そして両親にどうやって説明するかを考えた。


 その晩、夕食の時にユウリは両親の表情をうかがいながら恐る恐る俊介の話をした。

≪ちょっ、ちょっと待て、何の話だ≫

 最初はくつろいだ状態で聞いていた父が、戸惑うようにユウリの話をさえぎった。無理もない。普通はそうであろう。

 母も箸を置き、うつむいているユウリの顔を覗き込むように、

≪もうお付き合いしているの?≫

≪うん≫

 母と眼を合わせないまま小さく頷いた。父は唖然あぜんとしたように口を開けたままだ。

≪ユウリももう子供じゃないんだから、付き合っていたって驚くようなことじゃないだろ≫

 兄は食べるペースを落とすことなくユウリを擁護ようごした。

≪でも日本の人で、しかも自衛隊の人なんでしょ。本当に上手くいくのかしら……≫

 母は言葉尻ことばじりにごしながら、父に少し目線を向けた。

≪日本人で、自衛隊だから駄目なの?≫

 ユウリは膝の上で拳を握りしめたまま顔を上げ、ムキになって訊くと、黙っていた父が落ち着いた口調でさとした。

≪日本人で自衛隊だからと言うわけではない。あまりにも環境が違いすぎて、本当にユウリが幸せになれるのか心配なんだ≫

 そして母もユウリを納得させるように続けた。

≪あなたはまだ若いから、そんなにあせる必要はないんじゃないかしら≫

 どちらかと言うと反対している父と母の言葉にユウリは完全にふてくされ、食卓から顔をそむけた。

≪俺達がどうこう言うことじゃないよ。ユウリもなんで急に彼氏の話をするんだよ≫

 兄はどうしてユウリが彼氏の事を話し始めたのか不思議なようだ。ユウリは父と母、そして兄の顔を少し見て、またうつむいた。

≪五月の初めに、家に泊まりに来るから……≫

 ユウリが小さな声で呟くと、兄は飲みかけていたスープを吹き出し、

≪なんだそれ! いきなりか?≫

 さすがに仰天ぎょうてんした様子だ。そしてユウリはどうして実家を会う場所に選んだかを話した。

≪なるほど、なかなか考えたな≫

 兄はテーブルを拭きながら感心したように笑っている。

 母はもうついていけないといった様子でひたいに指を当て、一点を見つめている。父は腕を組み顔をしかめて黙ったままだ。こうなる事を何となく予想していたユウリは『俊介、やっぱり無理だよ……』心でそう呟き、両膝の間に手を挟み肩をすぼめた。兄は相変わらず食べるペースをたもったまま、両親とユウリを横目で交互に見ていた。

 しばらくして黙っていた父がゆっくりと息を吐き、組んでいた腕をほどいた。

≪家に来ると言うなら、まずは会ってみよう≫

 明らかに家に来ることを歓迎している声ではない。ユウリには父が何を考えているのか分からない。だから父の了承は得れたものの、素直に喜ぶ気持ちになれず、ただ目線を落として頷くだけだった。


 夕食後、ユウリは俊介に電話をかけた。俊介はスマホを手に取ると小さく深呼吸をして、電話に出た。

「もしもし……」

 ユウリの声は元気がない。『ダメだったか』俊介はそう思った。

「家族には説明したよ。家に来てもいい……かも」

『かも?』俊介はどういう事か理解できず、

「許してもらえたの?」

 と確認すると、

「家に来ることは許してもらったけど、それ以外はどうかな……」

 ユウリの答えは歯切れが悪い。

「それ以外って?」

 俊介もだんだん不安にり、無意識に後頭部を手の平でさすった。

「私と俊介の事」

 俊介は両親が自分の事をまだ受け入れてくれていないと思った。

「そうか……」

「とにかく、覚悟して来てね」

 ユウリが少しおどすように言うと、

「覚悟って……、大丈夫かな……」

 俊介も自信なさげに黙り込んだが、スマホから明るい声が聞こえてきた。

「でも俊介に会えるから、楽しみ」

 ユウリの元気な声を聞くのは久しぶりな気がする。不思議と不安が吹っ切れた。

「俺も早く会いたい。話したいことが山ほどあるよ」

 ようやく灰色がかっていた冷たい日々を抜け、徐々に周りの色が戻ってきたような気がした。

「ところで犬の許しももらえたのかな?」

 俊介のユーモアも久しぶりだ。

「どーかな。いきなり噛まれたりして」

 ユウリは楽しそうに壁に掛けてあるカレンダーを指でなぞった。

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