第五章 覚悟

第38話 覚悟 その1

 三月末、とうとうココットは解散した。これから三人はソロでそれぞれ活動を行っていく。ユウリは頭では解散することはわかっていたものの、いざ解散してしまうと宇宙空間に放り出されてしまったように全てから解放され、何処に向かって動き出せばいいのか分からない。それ以上にユウリの心を支配している一つの感情がある。それは「むなしさ」だ。まだ若いユウリは完全燃焼でココットの活動を終える事など出来なかった。学校のように入学時点で卒業するまでの年数が分かっていれば気持ちも整理でき、涙で綺麗に卒業した後、余韻よいんふけりながら写真を見返すことも出来ただろう。いまのユウリには余韻よいんふけりたいという気持ちは微塵みじんも無い。むしろココットに関係する記事や話題を避けようとしてしまう。サキラとエミリと共に一生懸命に駆け抜けてきた青春の数年間が終わった今、むなしいという気持ちは抱きたくはない。しかし仕事が急に減り、何もせずに過ごす日々が、否応いやおうなしに「むなしさ」を突き付けてきた。対照的に、自衛隊に入った俊介は全てが今までとは違う日々を過ごしている。

 以前は一日に何回もメールをやり取りしていたが、徐々に俊介から届くメールの回数も減り、返信までの時間が長くなっていく。いつ届くかわからない返信を待つことは、自由と言う孤独な時間を彷徨さまよっているユウリの虚しさと不安を急激に増長させていった。

 ココットの解散はユウリにとってとても辛いことだったが、解散後も続く俊介との日々が唯一の希望だった。そして更に二人のつながりが強くなることを夢見ていた。


 が、現実は違う……。


 以前よりも俊介との距離が離れて行っているように感じた。しかし、入隊したばかりの俊介が忙しくて、夜も疲れ切っていることは理解している。出来る限り気持ちをまぎらわすために、昼間は愛犬の散歩に行ったり、料理をしては、その写真を俊介に送信していた。そうすると夜に俊介から返信が届く。

(美味しそうだね。また写真を待っているよ)

 とりあえず返信しているような内容のメールが一回来るだけだ。その後決まってユウリは過去のメールを読み返し、俊介が書いた『大丈夫』という言葉を自分に言い聞かせ、寂しさをこらえるように笑顔を作り、メールを閉じた。

 俊介は自衛隊に入隊、と言うより正確には陸上自衛隊幹部候補生かんぶこうほせい学校に入校していた。ここには防衛大学校出身者の他に一般大学や自衛隊から入学試験を合格した者が集まっている。彼は留学する前にこの学校の試験を受け、かろうじて合格していたが、レベルが高くついていくのがやっとの状態で、自信を失いかけていた。また大学時代は夜型の生活だったが、今は朝六時に起床しなければいけない。昼間は色々な分野の座学ざがくで頭をフル回転させるだけではなく、体育訓練や戦闘訓練などの野外授業で砂埃すなぼこりにまみれ、一日が終わるころには激戦地から帰還した兵士のような状態だった。当然部屋は一人部屋ではなく、共同部屋。二段ベッドが両壁に張り付くように並んでいる。とてもゆっくりと電話をかけたりメールが出来るようなプライベート空間ではない。正直なところ体力的にも、精神的にも、環境的にもたった一回のメールを送るだけでも辛いぐらいだった。そしてユウリが何も不満を言ってこないから、穏やかな日々を過ごしているのだろうと思っていた。実際は不満を言ってこないユウリに甘えていたのだろう。

 ユウリは何度かメールで不満を書こうと思ったが、気持ちに負けて文句を言うのは止めようと心に決めていた。今までも我儘わがままから不満を言ったこともあったが、いつも俊介は自分の事を考えてくれている。今もきっとそうだと自分に言い聞かせていたが、『このまま終わってしまうのでは……』と言う不安がおさえ込めない程に大きくなっていった。

 日曜日、俊介は同室の隊員が全員出かけた後、ベッドの白いシーツに腰を掛け、久しぶりにユウリに電話をかけた。ユウリはレースのカーテンから日差しがこぼれている自分の部屋にいた。スマホに表示された俊介の名前を見ると、ベッドに座り背筋を伸ばして小さくせきばらいをしてから、不自然なくらいに明るい声で電話に出た。

「なんか電話で話すの、久しぶりだね。声がけて嬉しい」

 なんてことない普通の会話だ。しかし休みも疲れが取り切れていない俊介は以前のように心に余裕が無い。そのせいかユウリの言葉が皮肉に聞こえる。

「久しぶりで、ごめんな」

 感情の無い声だ。ユウリは弁解するように立上り、話した。

「そ、そういう意味じゃないよ。声が聴けて嬉しかっただけ。毎日、大変そうだね。お疲れ様」

「メールもなかなか出来ないから悪いと思っているよ」

 俊介は何を言われても皮肉に聞こえてしまう。

「俊介、どうしたの? なんかいつもと違うよ」

「俺はいつもこんな感じだよ。ユウリはいつも元気だね」

 この言葉にいままで明るく振る舞っていたユウリも寂しさが込み上げ、

「私だって無理して明るくしてるの……」

 そう言ってから『しまった』とユウリは唇を噛んだ。

「無理って、何を無理しているんだよ」

 責めてくるような俊介の言葉に、何とか気持ちをおさえようと目をつぶってえていたが、どうしても自分をおさえられない。

「解散してから私は辛かったの。でも俊介からのメールは減っていくばかり」

 落ち込んだ声でユウリが不安な気持ちを打ち明けたが、いまの俊介には受け止めてあげることが出来ない。本当はこの段階で受け止めることが出来たら、喧嘩けんかには発展しないのだが。

「俺だって毎日、大変なんだよ!」

 俊介の怒ったような声を聞くのは初めてだ。信じられない気持ちと、悲しさと、怖さと、色んな感情が一気に襲い掛かってきて、ユウリはおびえるように声をあらげた。

「俊介が勝手に自衛隊に入ったんでしょ!」

「勝手にって……」

 俊介は何かを言い返そうと思ったが、やめた。スマホを耳にあてたまま、疲れたように頭に手をあて、髪の毛を握った。

 少し開けてある窓から、ユウリの気持ちを冷ますように風が入ってきた。レースのカーテンが日差しの中で揺れている。

「もういいよ、切るね」

 ユウリはゆっくりとスマホをほほから離した。スマホの画面が濡れている……。

 俊介はムシャクシャした気持ちで布団にもぐると、眠り込んでしまった。いつもはプライベートの無い部屋だが、今は空しいほど広く、静まり返っている。


 ユウリの眼は原形が分からなくなるぐらいに濡れてにじんでいる。いくらぬぐっても、次から次へと涙があふれてくる。窓の方を真っすぐと向きながら、き込み、声を上げ、流れ出て来る涙を右手と左手で交互にいていた。あれほど優しくて、いつも自分の事を気づかってくれていた俊介が、あんな事を言うなんて。『ぜんぜん大丈夫じゃない。嘘つき……嘘つき……』ユウリは俊介に置き去りにされたような絶望感に飲み込まれた。


 日が暮れた頃に俊介は目覚め、『何もしないまま、休みが終わったな』とベッドに寝転んだままスマホの時計を見た。自分にとってこの数週間はあっという間に過ぎたがユウリにとってはとてつもなく長い日々だったのではないか。そう思うとユウリの気持ちが想像できなかった自分に腹が立つ。

『ユウリは明るくふるまってくれたのに。百パーセント俺が悪いよな』

 暗い部屋の中でスマホの弱い明かりに浮かび上がる俊介の瞳には、ここ数週間に送られてきたユウリのメールが映っている。そこには寂しさをこらえながら、陽気なふりをしているユウリがいた。そして素っ気ない自分の文書がユウリに冷たく突き刺さっている。『口では格好良いことを言っていたのに、俺は最低だ』俊介はいてもたってもいられない気持ちだったが今は以前のように自由奔放じゆうほんぽうに行動は出来ない。まずはメールを送った。

(今日はごめん。俺が悪かった)

 ユウリはベッドに置かれたスマホの画面を指でなぞり、だるそうにメールを読んだ。

(いいよ)

 一言返信したが何も感じない。全ての色が抜け落ちたように気持ちが引いてしまっている。もう涙も出てこない。いまは俊介とメールも電話もしたくはなかった。

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