第37話 恋心 その8

 三月に入り卒業を迎えた四人は久しぶりに喫茶店で会っていた。四月から俊介は自衛隊、徹は大学院、沙友里は都内の病院、夏樹はなんと伊達の紹介でダンスの振付師の見習いをしながらダンスに関する専門学校に行くことになっている。

「ちゃんとユウリと連絡取り合っているの?」

 ユウリの話に全く触れない俊介に、夏樹は文句ありげな感じだ。

「とってるよ」

 俊介はクリームソーダのアイスをの長いスプーンで突きながら、素っ気なく答えた。実際に毎日ユウリとは連絡を取り合っている。そして、夏樹に少し目線を向けた。

「そっちこそユウリと連絡取り合っているのか?」

「時々。お互い近況なんかを報告しあってるよ」

「そうか。ユウリなんか言ってるか?」

 俊介が突いていたスプーンを止めると、夏樹がかんぐったように、

「何かあったの?」

 目を細めた。沙友里もストローをくわえたまま俊介の言葉を待った。

「何もないよ。いたって平穏だ」

「ふーん。何もないんだ。なんかたくらんでそうだな」

 夏樹はいつもながらこう言うことにはカンが良い。ユウリの実家に行こうと考えている事は、しばらく黙っておいたほうが良さそうだ。

「ココットも今月末にいよいよ解散だな」

 気付けば徹は沙友里たちと同じお洒落しゃれな飲み物を飲んでいる。『おまえ、なんでクリームソーダじゃないんだよ』俊介はゆっくりとストローに口を付ける徹を横目で見た。

「解散後、ユウリはどうするのかな」

 沙友里が誰に聞くともなく、呟いた。

「俊介君は何か聞いてないの」

 夏樹にそう訊かれて、『そう言えば、お互いにこれからの進路について話したことが無かったな』と思った。

「特に何も聞いていないな」

「本当にちゃんと連絡してるの?」

 夏樹に不満そうに訊かれて、俊介もうっとうしくなった。

「毎日してるよ」

 つい本当の事を口にしてしまうと、

「毎日してるんだ~」

 夏樹がからかうようにニヤついた。沙友里も俊介とユウリが順調そうで、安心したように笑っている。


 その晩、俊介は引っ越しの準備をしていた。室内にはいくつもの空の段ボールが無造作に置かれ、かろうじてベッドの上だけはスペースがある。本棚にあった本もすべて床の上に積まれていた。食器を適当に新聞紙に包み、段ボールの中に積み重ねていると、いつものようにユウリからメールが届いた。時々ユウリは写真も送ってくれる。俊介は写真を期待しながら流し台の上に置いてあるスマホを見たが、今日は文書だけだ。左手で皿を持ったまま右指で画面をスクロールする俊介の顔から笑みが消えていた。

(俊介は四月からどんな仕事をするの?)

 ついにこのことを言う時が来たか。俊介は自衛隊に入隊する事をまだユウリに話してはいない。ユウリと付き合う事とは別なことだと勝手に考えていたからだ。しかし特に隠す必要もないと思い、そのまま答えた。

(俺は自衛隊に入隊するんだよ)

 正直ユウリがどう思うのか少し不安だったが、きっといつものように明るく『そうなんだ』と返信してくれるだろうと楽観的に考えていた。

 しかし、いつまでたっても返信がない。『あれっ、あれれ、まさか、まさか……』俊介は荷造りの手を止め、スマホを覗き込んだ。直接会って説明できたら、どんなにいい事か……。

 ユウリは何回もメールを読み直している。『自衛隊って軍隊? 救助活動をする人?』無理もない、ユウリは自衛隊の位置づけがよくわかっていない。そしてスマホで自衛隊について調べていた。ぼんやりと自衛隊について分かった頃、ようやく俊介に返信をした。

(技術者になるんじゃないんだ)

 何となく微妙なニュアンスの文書だ。

(技術者じゃないよ)

 初めてユウリから来るメールを見るのが怖いと感じた。ユウリは俊介からの短い返信を見たまま眉間みけんにしわを寄せていた。何となく何か引っかかるものがある。そしてまたユウリからの返信が止まると、俊介はユウリが話題を変えてくれないかと、あわい期待をいだいた。しかし、再び皿を新聞紙で包み始めた時、俊介が思っていた通りのメールが届いた。

(自衛隊の人って、外国の人とお付き合いできるの?)

 俊介は『やっぱりそうなるよな』と観念かんねんするように手にしていた皿を置いた。しかし回答は準備してある。

(自衛隊員にも恋愛の自由はあるから大丈夫だよ)

 そうメールを送ると、『これで納得してくれ』と願うように硬く目を閉じたが、

(本当なの?)

 とユウリが念を押してきた。

(本当だよ。大丈夫)

 陽気なスタンプと一緒にそう返信すると、

(まだ自衛隊に入ってないのに、なんでそう言い切れるの?)

 なおもユウリが問いただしてくる。『なんか雲行きが怪しくなってきたぞ』逃げ場を失ったような気持で次の返信内容を慎重に考えていたが、そのがユウリを更に不安にさせてしまい、追い打ちをかけるようにまたメールが届いた。

(やっぱり自信が無いの?)

 じっくりと文書を考えている時間は無さそうだ。とりあえず一言送信した。

(そんなことないよ)

 しかしこの気休めな一言が良く無かった。

(俊介、適当なこと言ってごまかしてる)

(そんなことは今考えてもしょうがないよ)

 ユウリの言葉が俊介の心に突き刺さり、苦痛に感じる。これ以上悪い方向に話が進まないよう、この場は無難にやり過ごしたいと思っていた。そのせいか、ついついあやふや・・・・な返信になってしまう。だがそのあやふや・・・・な言葉が裏目に出て、ユウリの冷静さを奪った。

(じゃあいつ考えるの?)

(四月に入隊すれば、大丈夫だって事がわかるよ)

(大丈夫じゃないって事が分かるかもしれないじゃない)

 だんだん屁理屈へりくつになってきた。俊介はどうすれば良いのかわからず、思わず本音を書いた。

(そんなこと言わないでよ)

 しかしユウリからの返信は止まってしまった。俊介はしばらくスマホを見ながら待っていたが、ベッドに腰を下ろし足元の段ボールに荷物を詰め始めた。綺麗に整理して詰める気にもなれない。手身近にある物を、ただ放り込んでいった。


 ユウリはスマホを放り出しベッドにうつ伏せて泣いている。この先二人がどうなるのか全く想像できないからだ。このまま俊介が会いに来ないんじゃないか。そんな思いが頭をよぎった。


 涙を流したまま、少し寝てしまったようだ。時計を見ると深夜の一時。部屋の照明は何事も無かったようについていた。寝たせいか少しは頭がスッキリとして気持ちも落ち着いている。『また我儘わがままなことを言ってしまった』そう思ったがもう一つだけ聞きたいことがあった。メールを書きながら『私って重たいのかな……』そう思い指を引っ込めたが、『これが私なの』と思いなおし、メールを送った。

 本棚を解体していた俊介は、着信に気付くと工具を置いてスマホを手にした。

(俊介はどうして自衛隊を選んだの?)

 俊介は『まだ怒っているのかな』と思いながらも、自分の考えを書いた。

(人の為になる仕事がしたかったんだ)

(人の為になる仕事なら他にもあるよ)

 確かにその通りだ。俊介は自衛隊でなければならなかった理由を、分かり易い文書にした。

(そうだね、でも俺は人々が日常を失いそうになっている時や日常を失ってしまった時に、その人達の力になりたいんだ)

 このメールを見たとたん、俊介達がテレビ番組に出演した時、出演者の男性の質問に応えていた俊介の表情を思い出した。『あの時、俊介は頑張っている人を応援したいと言っていた。いつも俊介は「人」ということを考えている』そう思うと、急に声が聴きたくなった。

(いま電話していい?)

(いいよ)

 俊介が返事を書くとユウリから電話がかかってきた。硬くて無機質むきしつなスマホから優しくかすれたような声が聞こえる。

「俊介らしいね」

「そうかな。ごめんね、話すのが遅くなって。もう怒ってない?」

「うん。俊介がどうして自衛隊を選んだのかを聞きもせずに、怒っちゃった」

 ユウリはベッドの上で膝を抱え込んだ。でも俊介が自衛隊を選んだ理由を聞いたら、何故か安心した。それは俊介らしい理由だったのと、そんな俊介が好きだったからだ。

「俊介は怒らないんだね」

「俺だって怒る時はあるよ」

「私もいつか怒られるのかな?」

「どうだろうな~」

「その時は怒られる前に、怒っちゃお」

 ユウリは楽しそうに笑っている。そんなユウリの笑顔が声にのって伝わってきた。

「俊介、もう寝ないとだよね」

「明日は予定が無いから、朝まで大丈夫」

 二人は空が薄っすらと明るくなるまで、他愛たあいもないことを語り合った。


つづく……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る