第34話 恋心 その5

 徹と別れた後、無数の星がまばたく寒空の中を俊介は駅からアパートに向かって歩いていた。途中自動販売機のおぼつかない明かりの前で立ち止まった。

『ユウリさん、まだ起きているかな』

 ポケットから取り出したスマホの時計を見るとちょうど二十三時だ。

『俺からメールをすべきだよな。今メールをすると迷惑か……』

 今メールをすべきか、明日メールをすべきか迷ったが、俊介自身、明日まで待てそうにない。寒さでかじかんでいる指でメールを打ち始めた。

(ユウリさん、まだ起きていますか? 今日は本当に夢のようなひと時でした。明日のお仕事も頑張ってください)

 送信をタップするとスマホをポケットにしまい微かな期待を胸に、マフラーに顔を埋め再び夜道を歩き始めた。

 ユウリはホテルの部屋で何気なくテレビを見ていた。テレビの音にまぎれ、ベッドの枕元に置いてあったスマホの着信音が微かに聞こえると、椅子から立ち上がり、ベッドをって乗り越えるようにして、スマホをつかんだ。画面には俊介の名前が表示されている。不思議と今夜メールが来るような気がしていた。メールを開くと丁寧に一文字一文字読み、自然と笑みがこぼれた。ベッドの上で正座し、ユウリはいまの俊介を想像しながら震える指先で返事を書いた。

(まだ起きています。俊介さんはもうお部屋に着きましたか? 明日はコンサートの最終日なので、頑張ります)

 俊介はマフラーの隙間から白い息をはきながら夜道を歩いている。ポケットに入れた手にスマホの振動が伝わると街路灯の下で立ち止まった。街路灯の明かりが反射したスマホの画面にユウリの名前が表示されている。本当にココットのユウリとメールをしているのが信じられない。

(今は帰る途中の道を歩いています。今夜も寒いですね。明日のコンサートは見に行けなくて残念ですが、成功することを祈っています)

 そう送信するとポケットの中でスマホを握りしめ、歩き出したが三歩ほど歩いたところで、またメールの着信があった。『やけに早いな』そう思ってスマホを見ると、徹からだ。

(今日はお疲れ。明日は卒研の発表だから、遅れるなよ)

 俊介は徹をスマホから追い出すように、慌ててメールを書いた。

(スマン、明日の朝までメール禁止だ)

 何だか意味深な内容だ。

「なんだよ、素っ気ないな。まさか、ユウリさんとメール中か……」

 メールに禁止と書いたにも関わらず、直ぐに徹からメールが来た。

(お邪魔しました。頑張ってな)

 そんな冷やかしエールのメールと共に、ニヤついた徹の顔が浮かんでくる。

(はいはい、また明日な)

 そう返事を送るとマフラーに埋もれていた顔を上げ、喜びを閉じ込めるように硬く唇を閉じて、足早に歩き出した。しかし、なかなかユウリから返信が来ない。『コンサートに行けないと言うのが、まずかったかな……』

 またマフラーに顔を埋め、自分の送信したメールの内容を何度も頭の中で分析していた。その時、ユウリはベッドの上で正座したままスマホを見つめ、どんなメールを送ろうか考えていた。コンサートに俊介が来られないことは特に気にしていない。何回かメールを書いては、『ちょっとこの内容だと、まだ気が早いかな~』と思い、消している。しかし最終的に、もう送ってしまえと送信した。

(暖かくして風邪をひかないようにしてくださいね。コンサートの事は気にしないでください。こうしてメールが出来るので、大丈夫です)

 送信してからユウリは少し後悔した。『これじゃ、半分「好き」と言っているようなものじゃない』そう思うと、正座したまま後ろ向きに倒れ、再びい上がるように正座の姿勢に戻り送信した文面を読み返したが、「もーいいや」と、また後ろ向きに倒れた。

 アパートに着く頃に俊介のスマホが振動した。早く読みたいという衝動を抑えて、とりあえず部屋に入ると、照明を点けエアコンのリモコンボタンを押し、コートを着たままベッドに座りながら、メールを読んだ。自分を気づかう言葉と、メールが出来る事の喜びを表した文書に取れる。マフラーを片手で引っ張って首から外し、何回も何回もメールを読み直した。やはりそれ以外の意味には取れない。『まさか自分に好意を持ってくれているのか?』ようやくそう思った。夏樹の言う通り、俊介はこういうことには鈍感だ。俊介もユウリを気づかう内容のメールを書いた。

(ユウリさんも体には気を付けてください。自分もメールが出来ることがとても嬉しいです)

 ユウリの顔に微かな笑みが浮かんだが、すぐに消えた。何故だか少しもどかしさを感じてしまう。中華料理店を出た時は連絡先を交換できただけで満足だった。そしてさっき最初のメールが来たときは、繋がることが出来ただけで嬉しかった。しかしこうして数回返信をすると、自分の気持ちを抑えきれなくなり、それだけでは物足りなくなってきている。実際、何がユウリをもどかしい気持ちにしているかと言うと、俊介の礼儀正しい文面だ。自分に好意を持っているようにも受け取れるけど、社交辞令しゃこうじれいのようにも受け取れる。ユウリは自分の気持ちをストレートに伝えたいし、俊介の本当の気持ちを分かりやすく知りたい。しかし冷静なもう一人の自分は、『焦ってはダメ。こうしてメールが出来るだけで、今夜はヨシとしないと』と言っている。『少しだけ、少しだけ、我儘わがままを聞いて』ユウリは冷静な自分に言い聞かした。

(私の事はユウリさんではなく、ユウリと呼んでください。私も俊介と呼んでも良いですか?)

 そう返事を書いた。

 俊介は今まで女の人を「さん」付けをせずに呼んだことがない。さらに女性からは「くん」付けした呼び方や、丁寧な呼び方しかされたことが無い。若干一名じゃっかんいちめい、自分の事を「あんた」と呼んでくる女性はいるが……。いままで経験したことのない何ともいえない新鮮で甘い感情であった。これがトキメキという感覚だろうか。自分の未開拓の領域に踏み込んだ俊介は返事とともに自分からも提案をした。

(いいですよ。あと丁寧な言葉ではなく、普段の言葉で話しませんか?)

 ユウリはそのメールを見て、やはり俊介も自分に好意を持っているのではないかと思い、早速その提案通り返信した。

(いいよ。俊介も普通に話してね)

(なんかこうやってユウリと話をすると、新鮮な感じだな)

『ユウリって呼んじゃったよ。マジか……』

 照れるというより、成長してしまった自分に対し、母親が恋しくなるような寂しさを感じた。数分前の自分がいとおしい……。

 その後数回返信をして二十四時を過ぎた頃、お互い眠りにつく事にした。

(おやすみ、ユウリ)

 ちょっと照れる気持ちで送ると、

(俊介もいい夢見てね)

 そう返事が返ってきた。

 ストレートにお互いの気持ちは伝えていないが、友達以上になったことは確実だ。

 余韻が冷めやらない俊介は思わず徹にメールをした。

(いや~、そう言うことだ。返信不要)

 風呂上がりにそのメールを見た徹は、

「なんだこれ。俺が一番モヤモヤするわ」

 そう言ってスマホの文面に突っ込んだが、返信はしなかった。

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