第32話 恋心 その3

 夏樹達と会う直前にユウリはサキラとエミリに自分の気持ちを打ち明けることにした。リハーサル後の楽屋で、耳にイヤホンをはめてくつろいでいるサキラとエミリの向かいにユウリは座った。

≪どうしたの? 急に真面目な表情で≫

 サキラはイヤホンを外し怪しむように目を細めた。無理もない。いつも仕事が終わると機嫌良く鼻歌を唄っているようなユウリが、やけに大人しく自分たちの前に座っている。

≪あのね、二人には私の気持ちを聞いて欲しいと思って≫

 エミリもうつむいたユウリの顔を覗き込んだ。

≪何か悩みでもあるの?≫

 エミリにそう言われ、ユウリは首をかしげながら言いにくそうに、

≪悩みではないけど、悩みみたいなものかも……≫

 と、話し出すと、サキラはエミリにいたずらっぽく笑いクイズの問題を出した。

≪悩みではないけど、悩みみたいなものって、なんでしょ~≫

 するとエミリも頭を傾け、

≪それは恋かな~≫

 そう答え、二人で微笑んでいたが、急にユウリに顔を近づけ問いただした。

≪で、相手は誰なの?≫

 ユウリは目をらし、


≪俊介さん……≫


 蚊の鳴くような声で打ち明け、様子をうかがうように再び二人を見た。

≪ああ、あの女装が綺麗な男の子≫

 サキラは思い出すように椅子にもたれかかった。

≪それで今日会うことにしたんだ≫

 エミリも今日の会食の意図が何となくわかったようだ。

≪ユウリの気持ちは俊介さんも知ってるの?≫

 サキラは脚を組み、落ち着いた口調で質問を始めた。ユウリは店員から色々と訊かれている迷子のようだ。

≪まだ知らないはず≫

 素直ながらも自信なさげに答えた。

≪他の皆はこのことを知っているの?≫

≪俊介さん以外は、みんな知っていると思う≫

 ユウリは怖気おじけつくように両手を握りしめ、眼を固く閉じた。サキラはそんなユウリを不安そうな眼差しで見ていたが、

≪でもこればっかりは、ユウリ自信が頑張るしかないよ≫

 そう冷静に言うと、エミリも、

≪そうね、周りがあまり余計なことをしないほうが良いわね≫

 とサキラとユウリに目線を送り、頷いた。しかしユウリはなおも膝の上で両手を強く握り、うつむいている。

≪大丈夫。私達も見守っているから≫

 サキラに励まされたものの、笑顔にはなれなかった。


 今夜ココット側が準備してくれた場所は中華料理店で、個室のある店だ。夏樹達は先に店に着いて個室に案内された。室内の壁は下半分が重みのある木目調で、上半分の白い壁は光の加減でかろうじて浮かび上がる植物の模様もようほどこされている。天井の中心にはいくつものクリスタルの装飾そうしょくが藤の花のように枝垂しだれているシャンデリアが暖かい明かりを放っている。そのシャンデリアの真下に大きな回転式の円卓があり、皆で円卓を囲んで食事が出来る。とりあえず扉に近い席に座ると夏樹と沙友里のスマホにユウリからのメールが届いた。

(私の気持ちは、サキラとエミリにも話してある)

 そのメールを見た夏樹は俊介に席を外させる口実を考えた。

「何かほっぺ・・・に付いてるよ。トイレの鏡で見てきたら」

「えっ、ほんと? じゃあ行ってくるかな」

 ほっぺ・・・をさすりながら、俊介は席を外した。俊介が部屋を出るとすかさず、ユウリのメールの内容を徹に話した。

「よし、何とかユウリさんと俊介を二人っきりにする状態を作り出そう。そのために……」

 徹が具体的な計画を話そうとした時に俊介が戻って来てしまった。

「何も付いてないぞ」

 なおほっぺ・・・をさすりながら不満そうだ。

「は、早かったのね。途中で落ちたのかな」

 夏樹はスマホを隠し、硬直こうちょくするように背筋を伸ばした。

「とりあえず、今の事をメールして知らせておいて」

 徹が小声で沙友里に伝えると、

「メールって何の?」

 と不思議そうに俊介が徹に聞いた。

「えっ、いや……、もう着いたよって伝えておいたほうが良いかな、と思って」

 沙友里はスマホをテーブルの陰に隠すようにしてユウリにメールをした。

(私たちがユウリと俊介君を二人っきりにする状況を作るからね。頑張って)

 送信した後にサキラとエミリにもこの内容が伝わっているか、心配だった。


 扉の外から、以前に楽屋で聞いたことのある、雪解け水のような透き通った声が聞こえる。ゆっくりと開いた扉から、つばの長いキャップをかぶり白いマスクをした女性が入ってきた。細めのシーンズを履き、ちょっと大きめのパーカーを着ている。それはサキラだった。目立たないようにごく普通の若者と同じ服装だが、とてもカッコよく見える。続いてニット帽をかぶり、大きめのメガネをしたエミリが入ってきた。温和な雰囲気のエミリらしく、モノトーンのワンピースにジージャンを羽織っている。最後に扉を閉めながらユウリが入ってきた。夏樹と沙友里を見ると、嬉しそうに手を振った。ユウリはショートパンツにカラータイツ、そしてモコモコとしたセータを着ている。ツインテールの髪型のせいか、ちょっと子供っぽい感じだ。

 サキラが代表して、四人に挨拶をした。

「お久しぶりですね。また会えて嬉しいです」

「本当に、日本で会えるなんて夢みたいです」

 初めてココットに会った時の強い感動と衝撃が夏樹の心から噴き出してきた。少しの間の記憶が飛び、どうやって席に座ったのか覚えていない。何となく沙友里に声をかけられて席に座ったような感覚はある。


 皆が席に着くと店員が飲み物のオーダーを聞いてきた。

 下戸げこの俊介は、こういう宴会の席はあまり得意ではない。特に飲み物をオーダーする時が一番気が引けた。

 皆それぞれにメニューを見て、どれにしようかと話をしながら選んでいる。俊介もウーロン茶しかオーダーする物は無かったが、何気なくメニューを見るふりをしていた。

「俊介さんはお酒が飲めないんですよね。私もです」

 突然自分の名前を呼ばれて俊介は驚き、メニューから顔を上げた。その声はユウリだ。勇気を出して放った一言だったのだろう。笑顔が強張こわばっているが、その瞳は真っすぐと俊介を見つめている。

「あっ、はい……」

 そういうのが精いっぱいだ。どうして自分が下戸の事も知っているのか……、ますます頭が混乱して言葉が出ない。一番年下のユウリは二十歳になったばかり。お酒が飲めないというより、飲んだことが無いと言うのが正確なところだろう。

 サキラとエミリはメニューを持ったまま少し驚いた表情で目を合わせ、ユウリがいきなり攻勢こうせいに出たと思った。

 ユウリの積極さを意外に思った夏樹と沙友里の視線は、ユウリに釘付くぎづけだ。


 サキラの音頭おんどで乾杯をし、グラスをテーブルに置いた後、徹がお礼を言った。

「場所まで準備していただいて、ありがとうございます」

「私が勝手に中華料理のお店を選んでしまったの。ごめんなさいね」

 サキラが応えた。

「私、中華料理大好きです」

 夏樹が言うと、沙友里も、

「わたしも大好き」

 と嬉しそうだ。コース料理の品が次々と運ばれ、円卓に並んでいく。

「凄い、美味そうだな」

 熱々の料理から湯気がたっている。どれも徹の食欲をそそる料理ばかりだ。俊介も黙りつつも徹に合わせて何とか笑顔を見せている。そして夏樹が、

「解散のニュースには驚きました」

 そう話題をふると、サキラが料理を小皿に取り分けながら落ち着いた口調で話し始めた。

「驚いたでしょ。前から解散の話はあったの。でもいつかはこう言う時が来るから、私達なりに受け入れたわ」

 いまはサラッと話しているが、きっとこうして話せるようになるまでには、色々な葛藤かっとうがあったのだろうと夏樹達は思った。

「寂しくなりますね」

 沙友里がそう口にすると、ココットの三人の考えは一致しているようで、今度はエミリが話し出した。

「寂しくないと言えば嘘になるわね。でも私たちはいなくなるわけではないわ。あなた達が春から新しい道に進むように、私達もそれぞれが新しい道を歩んでいくの」

 とても前向きな言葉だ。解散と聞くと多くの人は「終わり」というイメージを連想してしまう。しかし彼女たちはその寂しさや辛さを、新たな一歩を踏み出すために避けては通れない出来事だととらえ、自分なりに前進している。そんな彼女たちがとてもたくましく思えた。

「ココットはやっぱり凄いですね」

 徹が敬意けいいひょうしてそう言うと、

「ありがとう。頼れるマネージャーさんにそう言われて、嬉しいわ」

 サキラはニッコリと笑い、徹をそう呼んだ。徹は照れながら小さく頭を下げたが、

『なんで知っているんだ? どこまで俺達の事を知っているんだろう』

 と思いながら、沙友里を見ると肩をすぼめて舌を出している。

『どうやら色々と筒抜けらしい……』

 しばらく皆は話に花を咲かせていたが、肝心かんじんの俊介とユウリは一言も話さず、黙ったままだ。

『俊介の悪い癖が出ているな。全く話をしない』

 徹はそう思いながら、何とか俊介を話題の中に引きずり込む方法は無いかとあれこれ考えた。

『勢いが良かったのは最初の一言だけだったの?』

 サキラもユウリを気にして時折ときおり目線を向けている。ユウリはサキラと目が合った。サキラの眼が、

『何か話さないと』

 そうせかしている。焦るとますます頭が真っ白になってしまう。ユウリは料理を取るふりをして円卓を回しながら、何を話そうかあれこれ考えた。円卓は不思議そうな顔をしている皆の前を数周ほど回っている。ふと気づくと、皆が自分を見ていた。

≪ユウリ、あなた何が食べたいの?≫

 サキラが素っ気ない表情でそう訊いた。

≪えっ、もうお腹一杯かな≫

 ユウリが意味不明な返事をするとエミリが優しく、

≪心がスッキリすれば、またお腹がすくわよ≫

 と遠回しにからかった。徹は最初にユウリが話しかけたから、そのペースのまま俊介をリードするのではないかと期待していた。しかし今のユウリを見るとそれも期待できそうに無い。

『もう二人っきりにするしかないな』

 そう心を決め、沙友里と夏樹に目配めくばせをした。二人もにはきっと素晴らしい作戦があるのだろうと思っていた。

『しかしサキラさんとエミリさんには話が伝わっているだろうか。上手く席を外してくれるかな』

 心配もあったが、一か八か席を立った。

「ちょっと、トイレ」

 そう言うと部屋を出た。あまりにも平凡でありふれた口実に夏樹と沙友里も『はっ?』と、あっけに取られたが、後に続くしかない。

「私達もトイレかな」

 と作り笑いをして席を立ち部屋の外に出てきた。

「サキラさんとエミリさんにも伝わっているかな」

 徹は外に出てきた沙友里と夏樹にささやきながら、扉の隙間から様子をうかがっている。部屋の中では急に始まった作戦にサキラとエミリが内心慌てていた。思わず、

「私達もトイレに行こうかな」

 サキラが言うと、

「そ、そうね」

 エミリが苦笑いをしながら膝に掛けていたナフキンを椅子の上に置き、そそくさと部屋の外に出てきた。どうやら話は二人にも伝わっていたらしい。

「ごめんね。トイレ以外に席を立つ理由が思い浮かばなかった」

 外に出てきたサキラが両手を合わせ、片目をつぶるようにして謝った。

「しょうがないですよ。トイレしかないですよね」

 夏樹がサキラの手を包むように、自分の手を添えた。そして皆で扉の隙間から部屋の中の会話をじっと聞いた。

 部屋に取り残された俊介は、突然の出来事に呆然ぼうぜんとしている。徹までもいなくなってしまったことが、何よりも心細い。肩をすぼめてうつむいていたユウリが上目づかいで少し俊介を見ながらようやく口を開いた。

「今頃トイレは大渋滞ですね」

 そのユーモアある表現に俊介も笑みをこぼし、

「そうですね」

 ようやく一言発した。そしてまた二人とも黙り込んでしまった。いつも冷静なサキラが珍しくイライラしている。

≪もー、じれったいわね。思い切って言っちゃいなさい≫

 そう小声でぼやきながら中を見ている。

 ユウリは恥ずかしいと言うより、意外と冷静になって考えていた。

『よくよく考えると私は俊介さんとほとんど話をしたことが無い。なのにいきなり気持ちを伝えるのは変だよね』

 今頃になってそう気づいた。勢いだけで来たが俊介の気持ちは全く考えず、一人舞い上がっていただけだと思うと、躊躇ちゅうちょしてしまった。

 うつむいているユウリの表情が少しずつ崩れていくのがわかる。

『ああ、無理かな』

 サキラがそう思っていると、今度は俊介が話しかけた。

「ユウリさんは、夏樹さんや沙友里さんと、メールで色んな話をしているのですか?」

 ユウリはほとんど喋らなかった俊介が話し出したので、驚いたように顔を上げた。

「は、はい。色んな話をしています」

 新たな展開に部屋の外にいる皆も固唾かたずを飲んだ。

 世間話せけんばなしが苦手な俊介はいつも直球ちょっきゅうだ。

「そうなんですね。良かったら自分とも連絡先を交換してもらえませんか?」

 俊介も今回のチャンスに、このことを言おうと心に決めていた。

 部屋の外では思わず夏樹が、

「出たー。いつもの突然意外なことを言うパターン」

 と呟いた。

「確かに」

 徹も笑いながら首を縦に振っている。

 ユウリも俊介から連絡先を聞かれるとは、まったく想像していなかっただけに、あまりにも突然な言葉に、俊介をじっと見つめたまま止まっていた。

「あっ、無理ならいいですよ……」

 俊介が残念そうに笑うと、ユウリは慌て席を立ち、

「違います、違います。是非交換してください」

 思わず本音が出てしまった。その様子に俊介は体を引いてしまっていた。断られても当たり前の申し出なのに、まさか「是非」と言われるとは。

「ほ、本当ですか」

 じわじわと喜びが込み上げてくる。

「は、はい」

 ユウリは震える手でカバンからスマホを取り出そうとしたが上手くつかむことが出来ず、テーブルの下に落としてしまった。スマホを拾うためにテーブルにもぐり込もうとすると、俊介がユウリに近寄り、両膝をついてテーブルに潜り込みスマホを手にした。スマホのカバーには可愛らしい犬のキャラクターが描かれている。その絵を見つめたまま立ち上がろうとした時、後頭部の激しい衝撃と同時にテーブルに乗っているすべての皿が「ガシャン」と響いた。相当な勢いで頭をテーブルにぶつけたようだ。

「大丈夫ですか?」

 ユウリは俊介の頭に手を当てている。俊介はユウリの手の温もりを後頭部で感じ、今度は心臓が激しく鼓動した。無意識に俊介の頭を触っていることに気付いたユウリも焦るように手を引っ込めた。

 俊介は軽く後頭部をさすりながら、

「はいスマホ」

 とユウリにスマホを渡すと、ユウリは緊張がほぐれたような笑顔で連絡先を教えてくれた。ユウリとこんなに近い距離で向き合いながらお互いのスマホの連絡先を交換している光景が、不思議と客観的な角度で脳裏に描かれ、まるで自分に起きている出来事では無いように感じた。

 二人が連絡先を交換した頃合いを見て、皆がわざとらしく部屋に入ってきた。

「みんなお帰り」

 ユウリは上機嫌だ。本当は自分の気持ちを俊介に伝えるつもりだったが、俊介が自分の連絡先を聞いてきてくれたことで大満足のようだ。これから徐々に俊介と親しくなって、自分の気持ちを伝えたほうが良いと思うと、むしろ大成功のような気持ちになった。

≪なんかお腹が空いてきちゃった≫

≪そうでしょ。たくさん食べなよ≫

 エミリがテーブルを回しながら色々な料理を取ってくれた。俊介は胸がいっぱいで気が抜けたように半笑いしている。徹が、

「お前は何も喉を通らなさそうだな」

 あきれたように声をかけると、

「とりあえずウーロン茶、おかわり」

 放心状態で空のグラスを軽く持ち上げた。

 結局夏樹と沙友里は俊介の進路が自衛隊と言うことをユウリに話さなかったが、俊介も何も考えていないわけではないだろうと思っていた。ココットのメンバーであるユウリと俊介ならきっと乗り越えていく、そう期待していた。

 食事会はあっという間に終わったが、皆は満たされた気分だ。ココットは二日後に日本を発つ。店の外で別れを言うと目立ってしまうため、部屋の中でお互い別れの挨拶をしたが、ユウリは部屋を後にするのをためらっているようだ。連絡先は交換したが、また俊介と会うことができるのだろうか、そんな不安でいっぱいだった。夏樹がそんなユウリに、

「大丈夫、私と沙友里がバックアップするから」

 と小声で伝えると、

「ありがとう。じゃあまたメールでね」

 そう言いって夏樹と沙友里の手を強く握りしめた。部屋を出る時、ユウリは俊介に何かを伝えるように笑った。これが今できる精一杯の愛情表現だ。しかし、俊介はそんな最高の笑顔に上手く応えられず、微妙な笑顔になってしまった。

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