第四章 恋心

第30話 恋心 その1

 次の日、夏樹と沙友里からメールが届いた。

(これから日本に帰ります。また会える日を楽しみにしています)

 収録中だったユウリはすぐに返信は出来なかった為、夏樹達がユウリの返信を見たのは日本に着いてからだ。

(今度は日本で会いたいですね)

 その文面を見た夏樹と沙友里はきっと社交辞令しゃこうじれいだろうと思っていた。まさかユウリが真剣にそう思っているとは……。

 その後も夏樹と沙友里はグループメールを使ってユウリと色々な出来事や近況を話した。そして三人の距離は近づいて行き、お互い「さん」付けをせずに呼び合うようになっていた。

 半年ほどメールのやり取りをした頃、沙友里はあることが気にかかった。

「何となくなんだけど、ユウリからのメールって俊介君の名前が良く出て来るよね」

 夏樹もそれは気になっている。無反応のまま何かを考えるように、スマホを持った沙友里の手元を見ている。

「もしかして俊介君に気があるのかな?」

 今までのメールを確認するように沙友里はスマホをスクロースさせた。

「それは絶対ないよ」

 夏樹の強い口調に沙友里はスクロールする指を止めた。夏樹は黙り込んで遠くに視線をらしている。夏樹も薄々そう思っていたが、何故だか今は認めたくないという気持ちが強い。沙友里もそれ以上は話さず、再びスマホに眼を落した。


 しかし、年が明けた一月に届いたメールで、夏樹は認めざるを得なくなる。

 日本での活動が絶望的だったココットだが、俊介達が番組に出演してから状況が少しずつ変わり、日本での活動が再開されつつあった。

 晴れ渡った土曜日の朝早くに夏樹と沙友里にメールが届いた。

(ビッグニュースです)

 まずはそう書いてある。

 少しおいて、更にメールが届いた。

(二月に日本に行くことになったよ。その時に会いたいな)

 夏樹はパジャマ姿で朝食のトーストを咥えながらそのメールを見ていたが、思わずトーストを落としてしまった。

(えっ、本当に? ぜひ会おうよ)

 すかさず返信すると、ベッドの中でメールを見た沙友里もすぐ返信した。

(会おう、会おう。楽しみだね)

 ユウリは次に送る文書を書いたが、指が送信ボタンの近くで行先を見失たかのように彷徨さまよっている。実は日本に行くことは前日に分かっていた。その時に二人にメールをしようと思ったが、ユウリは色々と思い悩んでいた。それがいま送ろうとしている一文に込められている。でもこのチャンスを逃すわけにはいかないと決心し、思い切って送信ボタンをタップした。

(その時は四人に会いたいな)

 それは俊介と徹も呼んで欲しいと言うことを暗に示している。ちなみに俊介は留学を終え、夏には日本に帰ってきていた。

 沙友里と徹が付き合っていることはユウリも知っているから、それは俊介に会いたいと言うことだろうと沙友里は直感で思った。すると夏樹のメールが届いた。

(四人って徹君と俊介君って事かな?)

 沙友里はそのメールをみて、『夏樹ったら、意地悪なメールを送って……』と思ったが、先に俊介の名前ではなく徹の名前を書いた文面から、現実を直視したくない夏樹の何かを感じた。

(そうです……)

 その返信からは、言いづらそうなユウリの様子が手に取るようにうかがえる。沙友里はスマホの画面を見たまま、『夏樹、どうするの』と、心の中で問いかけた。

 夏樹の心は何故か締め付けられるように息苦しい。しかし同時にユウリの純粋な気持ちを何よりも大切にしたいと言う感情も湧いてきた。牛乳を一気に飲み干し、気持ちを切り替え、そして本音をなかなか言い出せないユウリの気持ちを代弁するように返信した。

(ユウリは俊介君が好きなんでしょ~(笑))

 ユウリの心臓の鼓動は急に早くなり、体中から一気に汗が噴き出してくるような感じがした。思わず立ち上がると狭い室内を歩き回り、気持ちを落ち付かせようとしている。

 沙友里はそのメールを見て『夏樹、それで良いのね』そう思った。きっと夏樹は色々と葛藤かっとうした結果、このメールを送ったのだと思い、ベッドの上で仰向あおむけになりスマホを胸元に当て目を閉じた。

 そして胸元のスマホが振動した。

(どうして?)

 動揺しているユウリが眼に浮かぶ。沙友里が、

(ユウリは分かりやすいよ)

 とメールを送ると、ユウリから観念したような素直なメールが来た。

(実はそうなの……。でも俊介さんには内緒にしておいて欲しい)

(わかった。俊介君は鈍感そうだから、苦戦するかもよ(笑))

 と夏樹は返信した。


 夏樹と沙友里はその日の夕方にいつもの喫茶店で会う約束をした。沙友里は何よりも夏樹の気持ちを知りたい。そんな思いからか、夏樹より先に喫茶店に行き、待つことにした。

 早目に喫茶店に着くといつも夏樹が待っているように喫茶店の前に立ち、通りを行く人々を見ながら今の夏樹の気持ちをあれこれと想像した。駅から歩いてくる夏樹が見えた。トートバッグを肩から掛けて真っすぐこっちに歩いてくる。少し地面に目線を落とした夏樹の素顔に本心が現れているように感じた。途中で沙友里に気付いたのか、小走りで走り寄ってくるその笑顔に、思わず目頭が熱くなる。

「どーしたの? だいぶ早いね」

 夏樹は待ち合わせ時間までまだ時間があるのに、もう沙友里が来ていたので驚いたようだ。

「ちょっとね。早く来ちゃった」

 沙友里は潤んだ瞳を軽く手で隠し、店の扉を開けた。いつものお洒落しゃれな名前の飲み物をオーダーすると夏樹が今朝のメールの話を楽しそうに始めた。

「急に驚いちゃったね」

 しかし違う事に気持ちが奪われている沙友里は曖昧あいまいな笑顔で返事している。氷の入った水に口を付け、話の脈絡みゃくらくを断ち切るように訊いた。

「ねえ、本当に夏樹は良いの?」

 夏樹は沙友里に心を見透かされたような気がしてテーブルの下で両手を握りしめたが、店内のテレビを見るふりをして応えた。

「えっ、何が?」

「何がって、俊介君とユウリのことよ」

「別に。なんで?」

 まったく眼を合わせてくれない夏樹に沙友里はしびれを切らしたようだ。

「本当はあなたも、俊介君のことが好きなんじゃないの?」

 夏樹はあまりにもストレートな問いかけにようやく沙友里の眼を見て、一拍いっぱく置いてから吹き出した。

「何がおかしいの?」

 沙友里はどうして夏樹が笑っているのか分からずテーブルにこぶしを置き前のめりになった。

「だって突然凄いこと聞いてくるから。俊介君のことは何とも思ってないよ」

「ほんとに? 無理してない?」

「ほんとだよ。ほんとに何とも思ってないよ」

 夏樹は沙友里が自分を心配してくれることが嬉しかった。

「そうなんだ……」

 沙友里はテーブルの上の拳をほどき膝に置いたが、まだうたがっている。

「私はユウリの気持ちを大切にしてあげたいの」

 夏樹が自分の想いを話すと、沙友里はその言葉に同意を示すように頷いたが、まだ夏樹のことが心配だ。

「でも私は夏樹に悲しい思いをして欲しくないの。本当に何も隠していない?」

 念を押した言葉に夏樹は少し迷ったが、このままでいいと思った。

「本当に何とも思ってないけどな」

 沙友里に信じてもらえずにちょっと困っている夏樹の顔を見て、

「そうなの? なら良いけど」

 そう言うと、沙友里も納得した、というより納得するしかなかった。この話題を終わらせたい夏樹は話を変えた。

「芸能人との恋愛となると周りも騒ぐのかな?」

 まだ気の早い話だ。

「どうなんだろうね。想像もつかないな。でもまだどうなるかわからないよ」

 沙友里はとりあえず答え、お洒落な名前の飲み物をストローで吸ったが、あることを思い出すと急に気になってきた。

「そう言えば俊介君の卒業後の進路、知ってる?」

「知らない。何処に就職するの?」

 ストローを加えた夏樹は特に俊介の就職先には興味は無かったが、話の流れで聞いた。

「自衛隊だって」

 思わず飲んでいた飲み物を吹き出しそうになった。

「自衛隊? あいつ、工学部でしょ? 技術者になるんじゃないの?」

「徹から聞いたから間違いないと思うけど」

「なら最初から防衛大ぼうえいだいに行けばいいじゃない」

 夏樹は俊介の選択が良く分からず、ぼやいた。ちなみに防衛大はそう簡単には入れない。そして沙友里が気になっていた事の本題を話した。

「あのさ、自衛官って、外国の人とお付き合いしたりできるのかな?」

 その言葉を聞いて夏樹は少し考えてから両肘をテーブルにつき、頭を抱えた。

 確かに国防の機密に携わる自衛官が外国人とお付き合い出来るのか、彼女たちにわかるはずもない。

「あのバカ。何やってるのよ」

 俊介に腹が立った。沙友里はすかさずスマホで自衛官と外国人の恋愛について調べ、

「恋愛や結婚の自由は認められているみたいだけど……」

 そう言葉尻ことばじりにごした。

「本当に、なんでわざわざハードルを高くしちゃうのよ」

 夏樹はますます俊介の行動がうらめしく思える。

「それにしても、何でまた自衛隊なの?」

 夏樹はストローで氷を強く突いた。

「どうやらお兄さんが航空自衛隊のパイロット候補生なんだって」

 それを聞いた夏樹は呆れた顔で、

「お姉様の次はお兄様なの……」

 と不満を漏らし、

「じゃあお兄さんに憧れて航空自衛隊を選んだってこと?」

「それが陸上自衛隊らしいのよ……」

 夏樹は力が抜けるようにシートに沈み込んだ。

「何を考えているのか、全くわからん」

 二人はストローの音を鳴らし、そしてグラスを置いた。夏樹は喉の奥で小さく空気を抜いて、話し出した。

「どうしようか。俊介君を呼び出して自衛隊を諦めるように言おうか?」

 かなり強引な考えだ。

「それはあまりにも……。俊介君にも希望はあるだろうし、ユウリが俊介君には内緒にして欲しいと言っていたし」

 沙友里にそう言われて、夏樹は溜息ためいきをついた。そして今度は沙友里が話した。

「徹にも相談してみようか?」

「でも徹君も俊介君には内緒にしていられないんじゃないかな」

 沙友里は納得するように黙った。

「あとはユウリにその事実を話しておこうか……」

 夏樹がポツリと言った。沙友里も、

「そうね、事前に覚悟をしておいたほうが良いかな」

 自信なさげに言ったが、正直それも抵抗がある。それは夏樹も同じだ。しばらく考えて夏樹が少し笑顔を見せた。

「余計なことはせずに、二人の気持ちに任せておこうか」

「そうね。ユウリの思いと、俊介君のその場の考えに任せて、私たちは見守っていたほうが良いよね」

 沙友里も晴れやかに笑い、溶けた氷水をストローを鳴らして飲んだ。

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