第28話 海外に行くぞ! その9

 俊介達は衣装に着替え、楽屋で談笑だんしょうしていた。

「それにしても良く似合っているな」

 スオンは衣装を着た俊介の周りをゆっくり歩きながら、感心している。

「素敵です。動画と同じですね」

 リンは芸能人でも見るかのように胸元で両手を握り三人を見つめた。

「動画、知っているんですか?」

 夏樹の顔は驚きと喜びで、書いたこともないサインを書き出しそうだ。

「何回か見ました」

 リンがそう答えると、

「僕も彼女に見せてもらったよ」

 スオンは動画で見た三人が目の前にいるのが不思議でもあり、嬉しくもあった。

 三人が軽く踊りの確認をしているところに、ドアをノックしてソンガが入ってきた。そして衣装に着替えた俊介達を前に、両手を広げて驚く素振りをしている。

≪もうすぐ本番が始まります。準備は……、出来ているみたいですね≫

 そしてソンガがもう一人の女性を紹介した。

≪こちらは本番中に通訳をしてくださる、ミュンリさんです≫

 ミュンリは一歩前に出て、

「ミュンリです。よろしくお願いします。私が本番中にあなた方の通訳をします」

 そう挨拶をすると俊介達一人一人と握手をした。歳は四十ぐらいだろうか。完璧なアクセントからしてベテランのようだ。

「じゃあみんな頑張って、客席で観ているよ」

 スオンは三人の顔を順番に見て頷いた。俊介もスオンの想いを受け止め頷いたが、夏樹と沙友里は寄り添うように立ち尽くしている。

「大丈夫。きっと上手くいくよ」

 ありきたりな言葉しか出てこない徹はもどかしい気持だったが、その痛みを帯びた笑顔からは二人への思いやりが十分すぎるほど現れていた。

「じゃあ行ってきます」

 三人はソンガやミュンリと一緒にスタジオに向かった。

「私達も行こうか」

 スオンは三人の後姿を見ている徹の肩に軽く手をおいた。

 スタジオに向かう通路の途中で、スタッフに囲まれながら横切って行くココットが見えた。夏樹と沙友里はお互い顔を見合わせ、

「見た?」

 と同時に声を上げ、小さな声で興奮している。

 通訳のミュンリも、

「ココットが見えましたね」

 と嬉しそうだ。

「本物だ。ココットに会えるんだ」

 夏樹は両手を握り合わせながら、沙友里の胸元に寄った。うつむきながら歩いていた俊介は、ココットを見ることが出来なかった。それが少ししゃくにさわったのか、やけに浮かれている夏樹にあたってしまった。

「浮かれている場合じゃないだろ」

「別に浮かれているわけじゃないわよ。あっ、ココットが見れなかったからねてるんだ」

 図星ずぼしだ。

「そんなわけないだろ。俺はベストを尽くすために集中しているんだ」

 俊介は夏樹から顔を反らした。

「こんなところで、二人とも止めなさいよ」

 沙友里が仲裁ちゅうさいに入ったが、俊介はまだ腹の虫が収まらず、小言を言った。

「ここまで来たのに、何かこだわりとか無いのかよ」

「有るわ」

「なんだよ?」

「ダンスよ!」

 夏樹はあごを突き出し腕組みをして得意そうにしている。

「カッコいいじゃん」

 俊介は思わず吹き出した。

『何処に行ってもこの二人は変わらないな』

 いつもながらのやり取りをしている二人を見て、沙友里は少し気持ちが落ち着いた。


 スタジオの方から音楽が流れ、観客の拍手と歓喜の声が聞こえてくる。とうとう始まったようだ。

 番組はバラエティー番組で、色々なコーナーがある。俊介達は最後の方の『いま話題の素人さん』を紹介するコーナーに出演する。ちょうど日本のお昼にやっている生放送番組のような感じだ。そして今日のスペシャルゲストは予定通りココット。

 ひときわ大きな歓声が聞こえてきた。どうやらココットが紹介されたようだ。

 その歓声の中に徹達もいた。

『わー。本物だ。やっぱり可愛いな』

 徹は周りの観客に合わせ大きく手を叩いて喜びを表していたが、驚きと感動を超えて正直実感がわかない。

 ココットの三人は笑顔で司会者の話に受け答えをしている。

≪ココットはいつもと変わらない感じだね。特に問題は無かったのかな≫

 スオンがリンに話しかけた。

≪そうみたいですね。よかった≫

 番組は順調に進み、観客の笑い声がしきりと上がる。何を言っているのか分からない徹も周りに合わせて笑っていた。

 ついに『いま話題の素人さん』を紹介するコーナーの時間が来た。

「あー、緊張する」

 沙友里は凍えるように両肩をさすっている。

「よし、ここで掛け声なのよ」

 夏樹が強調して言うと、

「わかったよ」

 俊介は不愛想に応えた。どうやら緊張しているようだ。三人は小さな円陣を組んで手を合わせた。

「カランコロン!」

 もうなるようにしかならない。あとは今まで通りのダンスをするだけだ。

「いいか。今まで通りクールさを忘れないようにな」

 俊介が念を押すと、二人は真剣な表情で頷いた。


 ソンガの合図で、夏樹、沙友里、俊介、そしてミュンリの順でステージに出て行った。夏樹と沙友里の表情に笑顔は無い。追い求めてきた目標に向かって駆け出していく二人の後姿がスローモーションのように見える。未知の領域に踏み込むのは、とてつもなく不安に違いない。怖いに違いない。しかし非力ながら愚かなほどに立ち向かおうとしている二人の姿が、いつも俊介の熱い気持ちを突き動かしてきた。思えば彼女達のメンバーになると決めた時も、二人の必死な思いが俊介を突き動かした。


 ほんの一瞬ではあるが、カラオケボックスで楽しそうに練習をしている夏樹と沙友里の写真が俊介の脳裏をよぎった。


 強い日射しのようなライトの光が夏樹と沙友里を包み込み、一瞬視界が真っ白になったが、徐々に客席が見えてきた。

 ステージ端のゲスト席にココットの三人が座っている。俊介は少しココットに目を向けた後、客席を見ると不思議と徹と目が合った。

『本物だ』

『ああ、本物だな』

 二人は眼でそんな会話を交わした。


 司会者の男性が何かを話すと、すぐさまミュンリが訳した。

「リーダーはどなたですか?」

「わ、私です」

 夏樹の声は上ずっている。

 更に何か質問をされた。

「メンバーの紹介をお願いします」

「彼女は沙友里です。私たちは同じ大学で福祉の勉強をしています。彼は俊介で違う大学で電気の勉強をしていて、いまはこちらに留学しています」

 ミュンリが訳すと、司会者は「彼」と言う言葉に興味を持った。

≪彼? 女の子じゃないの?≫

 ミュンリの通訳を聞いた俊介は、

「自分は男です」

 と、声を発した。動画は話題になっていたが三人の内一人が男子と言うことは意外と知られていない。客席では凝視ぎょうしする者、口元を手で押さえる者、様々な表情で驚きの声が漏れている。その様子にスオンは得意げに笑って、徹と目を合わせた。観客の反応が、何とも気持ちいい。

 ココットも一人が男だということを知らなかったようで、ゲスト席を離れ、何の警戒心も無く俊介の近くに寄りショーケースに入った純金のミッキーマウスでも見るかのように目を輝かせている。

『わー、ドアップ。めっちゃくちゃ可愛いんですけどー』

 すぐにでも、客席の徹にそう叫びたいが、ココットと眼を合わせることなく冷静に微笑んだ。

 メークをした夏樹と沙友里もココットが驚いている様子をみて、とても鼻が高い。

 司会者も美しい俊介に感心しながら夏樹に尋ねた。

≪誰がメークしたの?≫

 ミュンリの語学力は高く、ほぼ同時に通訳をしている。

「私と沙友里です。花咲美容室でメークの仕方を教えてもらいました」

 夏樹は自慢げだ。この夏樹の一言で、さらに花咲美容室が繁盛するとは、この時はまだわかるはずもない。

 そして客席の照明が暗くなり、ミラーボールのきらめきが三人を照らした。もう後はお互いがお互いを信じて踊るだけだ。

『いつものように。余計な動作はせずに』

 夏樹は心で皆に話しかけ、

『笑顔を忘れず余裕を見せて、クールに』

 沙友里も心でそう言い、

『いい感じ。その調子』

 俊介は胸の中で二人に語り掛けた。

 日本でも見る人を魅了したダンスは、ここでも観客を魅了した。

 徹は横目でスオンとリンを見ると、二人とも口を半開きにして見入っている。

 先ほどまで笑顔を見せてはすぐ寂しさが眼に現れていたココットのユウリも、今は軽やかなリズムで体を揺らしながら俊介達のダンスを見ていた。

 徹がスタジオの出演者を見廻していると、レギュラーの一人と思われる中年の男性だけはわずかに笑みを浮かべているものの、何となく冷ややかな眼で俊介達を見ているような感じだ。

『あの人は、ああいうキャラなのかな……』

 この時はそう思っていた。

 最後の振り付けを終え、客席の大きな拍手にスタジオが包まれた。

 司会者が拍手をしながら三人に近寄り、レギュラーの出演者たちに感想を聞き始めた。皆ダンスの事についてコメントをしたが、徹が気にしていた男性は低いトーンでダンスとは違うことを話しだした。

≪女装の彼はどうしてこの国を留学先に選んだの?≫

 ミュンリはそのまま訳している。

 留学してきた当初、リンにも同じことを聞かれたことを思い出し、この男性もリンと同じような興味を持っているだけだと思った。

「身近な国の事を知りたいと思ったからです」

 男性は自分の誘導にまんまとはまった獲物を時間をかけて仕留しとめるように、静かな声で質問を続けた。

≪この国と日本の間の歴史にも興味があるってことかな?≫

 ミュンリの表情は一瞬硬くなり訳すのをためらったが、俊介が「なんと言ってますか?」と言うような表情で通訳をうながしてきたので、とりあえずそのまま訳した。暗に二国間の問題に関することを聞いていると、瞬間的にさとり、

「歴史は好きです……」

 と、俊介は言葉を選ぶように、力の無い声で答えた。

 スタジオの隅の方で見ていたプロデューサーのチェミルは汗をかいた手を何度も握り返している。

『なんて質問をしやがるんだ。打ち切るか……』

 何としても日本から来た三人を傷つけないようにしなければ、そう思っていた。

 客席のスオンは身を乗り出すように腰を浮かし、

『しまった。まずいぞ』

 と、客席からは何もできないもどかしさを感じていた。

 出演者の男性は、ひるんでいる獲物に一撃をくらわすように、一気に話し出した。

≪日本にもアイドルグループはいるのに、いまの国際状況でどうしてわざわざココットのダンスをするの?≫

 この質問に客席の誰もが動きを止め、言葉を失った。

 日本でも俊介達のダンス動画について二国間の問題に絡めた否定的なコメントが投稿されていたり、ココットが日本で活動することを非難するようなコメントが投稿されていたりした。この国でもやはり同じようなコメントがある。

 ミュンリは眼を見開みひらいたまま感情を殺して男性の質問をそのまま訳したが、『答えては駄目だめ』と言うように小さく首を振った。

 俊介は二国間の問題に絡めたコメントに、うんざりしていた。

 ココットは表情を凍らせ、この後どうなってしまうのか、不穏な時の流れに身をゆだねるしかなかった。体の力を失ったユウリは悲しそうな眼で出演者の男性を見ている。

 夏樹が、

「無理して答えなくてもいいよ」

 と、小さい声で俊介に囁いた。

『なんてこった。打ち切りだ』

 チェミルは握った拳で壁を叩き、三人を下がらせるようADに指示を出そうとした。

 その時、俊介がマイクを自分の口元に上げ、小さく深呼吸をして答え始めた。

「二国間のことについては正直自分は真実を知らないし、答えることも出来ません。なぜなら、それは国家の問題だからです。自分はただ国に関係なく頑張っている人を応援しているだけです。だから頑張っているココットが好きなだけです」

 俊介の口調からは反論するような強さは微塵みじんも感じられず、自信が無さそうな弱々しい声だ。しかしその素直な言葉は毅然きぜんさを感じさせた。

 ミュンリも観客に語り掛けるように、正確に俊介の言葉を訳した。

 スタジオ内にいる全員が無反応だ。いや、反応することを忘れている。それぞれが俊介の言葉を自分なりに理解し消化しようとしていた。その言葉が人々にどう理解されたかはわからない。しかしゲスト席のユウリは今までに感じたことが無い、衝撃と感動で手が震えている。そしてその眼差しは真っすぐと俊介だけを見つめていた。

 俊介は出演者の男性がさらに厳しい質問をしてくるのではないかと、身構えるように硬い表情で拳を固く握った。決して嘘を言ったわけでは無いが、自分の言葉に自信が持てるわけは無く、ただ恐怖だけが沸き起こり、何も言わなければよかったか、と後悔する気持ちに押し流されそうになった。

 出演者の男性は俊介を見たままけわしい顔をして考えていたが、軽く笑みを漏らすと、

≪そうか。答えてくれてありがとう。とてもクールなダンスだったよ≫

 そう言って話を終わらせた。俊介は固く握っていた拳を緩め、手の甲でっぺたの下の方を軽くさすった。

 俊介の答えが良いのか悪いのか男性にもまだ分からない。しかし若者の真っすぐで真剣なその姿に感動を覚えたのは事実だ。

『つまらないことを聞いてしまったか……。しかし若者の本音に触れることが出来たのはよかったな』

 男性は少し後悔をしたが、清々すがすがしい気持ちでもあった。

 今までの心無いコメントと解散の話で自分自身を支えられなくなっていたサキラに、自信と勇気がよみがえってきたようだ。今はいつものリーダーの顔に戻っている。氷のような冷たい目線を男性に刺すと、男性は軽く頭をかいて、目をらした。

 エミリが俊介を見つめたまま固まっているユウリにそっと話しかけた。

≪なんだか、元気が出たね≫

≪うん≫

 ユウリの眼に、もう寂しさは無い。

 思いっきり肝を冷やしたチェミルは壁にもたれかかり、手の平で髪の毛をかき上げるように汗を拭いている。

≪焦りましたね≫

 ソンガが疲れたように顔をしかめ、話しかけてきた。

≪ああ。心臓に悪い≫

 そう言って、深呼吸と共に溜息ためいきをついた。

 司会者が話題を変えて、陽気な口調で夏樹と沙友里に尋ねた。

≪せっかく来たから、何処かに観光とか行かないの?≫

 無難な質問に胸を撫でおろしたミュンリが顔をほころばせて明るい声で訳した。

「俊介君に美味しい物を食べに連れて行ってもらう予定です」

 夏樹がそう答えると俊介が、

「そんな予定は無いぞ。俺も忙しいし」

 と文句を言った。夏樹は残念そうに両手をぶら下げ、俊介を見上げている。

 この様子をミュンリは面白そうに訳していたので客席からも笑い声が漏れ、バラエティー番組らしさが戻ってきた。

 気持ちが軽やかになってきたユウリが、

折角せっかくだから、何処かに連れて行ってあげてくださいね≫

 と、厄介やっかいそうに横目で夏樹を見ていた俊介に声をかけると、

「はい、もちろんです」

 俊介は背筋を伸ばし即答した。その手のひらを返したような態度に夏樹が眉間みけんにしわを寄せ、

「あんたね……」

 と俊介に詰め寄った。とっさに沙友里が夏樹と俊介の間に割って入り、

「まあまあ、連れて行ってくれるから良いじゃない」

 そう夏樹をなだめると、沙友里の背後で俊介がぼそっと呟いた。

「割り勘だぞ」

 その言葉を聞いて今度は沙友里が振り向き、怖い顔で俊介に詰め寄った。

「割り勘って、どういうことよ」

 これにはさすがの夏樹も、

「そりゃそうでしょ」

 と苦笑にがわらいしながら、沙友里をなだめた。

≪少しご馳走ちそうしてあげてくださいね≫

 そうユウリが調子に乗って言うと、俊介は、

「はい」

 と元気に返事をした。嬉しさで一人満面まんめんの笑みを浮かべている俊介を、夏樹と沙友里は『こいつ……』と言ように眼を細めて見ていた。この日から俊介は夏樹から「あんた」と呼ばれるようになった。それは軽蔑けいべつと言うより、さらなる親しみを込めての「あんた」だ。

 こうして彼らの出番はちょっとした笑いで終了した。

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