第26話 海外に行くぞ! その7

 番組に出演する日はとても忙しいスケジュールだ。夏樹達は土曜日の朝、日本を出発し、昼に入国する。空港からはリムジンバスで都内まで移動してホテルで俊介と落ち合うことにした。ホテルでメークをし、その晩に生放送の番組に出るという強行スケジュールだ。本当は金曜日に出発したかったが、金曜日の便は満席だったため、やむを得ず土曜日の朝、出発することにした。二国間の関係が悪化しているとはいえ、平日はビジネスマンの往来が活発だった。

「ついに来たわね」

 飛行機とターミナルを繋ぐボーディングブリッジが海外へと続くトンネルのようだ。夏樹はゆくりと歩いてなんかいられない。トンネルの出口のみを目指し徐々に歩調を速めた。

「あまりはしゃいでいると、本番前に疲れちゃうわよ」

 そう言う沙友里も小走りで夏樹を追った。二人にとっては初めての海外だ。

「おーい、二人ともそっちの通路じゃないよ」

 徹は勝手に違う方向に行ってしまう二人を呼び止め、

「あの二人だけで来ていたら、いきなり迷子になっていたな」

 呆れながら、仔犬こいぬのようにじゃれ合う二人を見ている。二人は徹がついてきてくれたことで、完全に安心しきっていた。

 

 そのころ芸能業界ではある噂が密かにささやかれていた。それはココットが一年以内に解散すると言う内容だ。日本での活動を自粛していたがそれでもココットへの批判的なコメントが収まる様子はない。そのため日本での活動再開の目処がたたず、急激に人気が落ちることが予想されたからだ。

 実際にこれは噂ではなく、この日遠回しではあるがココットの三人にも事務所側から説明がされた。

≪私たちは何か悪いことしたの……。どうして……≫

 ユウリは声を詰まらせた。涙が止まらない。リーダーのサキラも悔しさをにじませ、膝の上で拳を強く握りしめている。エミリは鏡の前に座り、その視点の合っていない眼には涙が浮かんでいた。しばらく三人は話すこともなく、ただ黙っていた……。


 ホテルでは俊介がフロントのソファーに深々と座り、くつろいでいる。

「よっ、久しぶり」

 背後から聞こえた徹の声に、大学の教室にいるような錯覚を覚えた。

「あっ、みんな久しぶり。長旅、お疲れさん」

 出演するかどうかを一人で考えた夜に、とてつもなく会いたいと思っていた三人がここに居る。現実の出来事では無いような気がした。

「とうとうここまで来てしまったよ」

 徹の言葉を噛みしめるように俊介は頷いている。

「なんか私たち凄いね」

 夏樹がみんなの顔を見渡した。四人の中にチームが再結成されたという一体感が広がった。

「あっ、そう言えばお姉様に会ったよ」

 夏樹があっさりと暴露すると、俊介は焦ったように徹に顔を向けたが、徹はすぐさま目線をそらし、後頭部に手を当て外の方を見ている。

「お姉さん、素敵な人ね」

 沙友里にそう褒められると、悪い気持ではない。

「姉貴、変な事言ってなかった?」

「別に、楽しく会話しただけよ。言われて困るような事があるの?」

 夏樹がいつものようにからかった。

「なんかこういうのも、久しぶりだな~」

 今日ほど夏樹にからかわれる事が嬉しく感じたことは無い。

 チェックインを済ました後、早速徹の部屋に集まり、俊介のメークが始まった。

 夏樹と沙友里はテーブルの上にメーク道具を並べ、メークの方法を書いたノートを広げて、手順を確認している。

「おい、本当に大丈夫なのか?」

 俊介は不安そうだ。室内の照明が暗い為、鏡の前ではなく窓際に座らされていた。

「わからん。なるようにしかならないな」

 開き直ったように徹はベッドの上であぐらをかいている。

「えっー。メークはかなり重要なポイントだろ」

 確かに今までは花咲のメークのおかげで、見る人をきつける事ができた。今回はダンスコンテストでは無い為、そのメークが上手くいかないと、全てが上手くいかなくなる。

「そこ! なにごちゃごちゃ言いながらプレッシャーかけてるの」

 さっきまで浮かれていた夏樹も緊張のせいか、いらついているようだ。

「大丈夫、きっと上手くいくから、気持ちを落ち着かせて」

 沙友里がそうなだめると、夏樹は俊介の顔を見て花咲のメークをイメージした。

 窓の明かりを背にした夏樹と沙友里が怖いぐらいに真剣な表情で自分を見ている。

『手術でもされそうな雰囲気だな』

 俊介の顔も強張こわばっていた。メークをほどこされている間は花咲の時のような心地よさは無い。恐怖に近い不安からか、顔に手が触れるだけでビクッとし、どうしても顔が引きつってしまう。

 夏樹は手を止め不満そうに俊介を見下げた。

「何よ」

「何にも言ってないだろ」

「言葉じゃなく、顔が言ってるのよ」

 そう文句を言うと、またメークを続けた。

 そして夏樹はアイライナーでアイラインを引こうとしているが、アイライナーを色んな角度で眼に近づけては離し、ためらっている。

「ん~、真っすぐ引けるかな~。定規じょうぎないかな……」

定規じょうぎってなんだよ、定規じょうぎって。図面じゃないんだからな」

 アイライナーが眼に近づいてくると、恐怖でジッとはしていられない。

 少しでも逃れようと顔を後ろに引いている俊介を見て夏樹はさらに強い口調で、

「だから何よ!」

「しょうがないだろ、怖いんだ!」

 俊介もたまらず、正直に言った。

「大丈夫。徹君で何回も練習したから」

 俊介は徹の方を見て、

「お前も苦労してるな」

 と苦笑いしている徹に同情した。時間も押している。俊介も観念してじっとしていたが、絶望的な気持ちだ。

 いつもより時間がかかったがようやくメークが終わり、ウィッグを着けてもらうと、重い足取りで鏡の前に立った。

「おー。いつもと同じ出来ばえじゃん」

 俊介は正面からだけではなく、斜めや横、色々な角度から自分の顔を見ては満足そうに頷いている。ただ若干いつもより可愛らしい感じがするが、これは夏樹と沙友里の好みが自然とメークに出ているのかもしれない。しかし、それがまた気に入った。

「私達をなめたらイカンよ。君」

 夏樹と沙友里も、いつまでも鏡を見ている俊介の様子に、満足しているようだ。

 テレビ局に行く支度をするために夏樹と沙友里が自分たちの部屋に行っている間、徹は機内でもらったスナックの封を開けながら日本での出来事を俊介に話していた。

「そうか。坂本さんも伊達さんもそんなに協力してくれたんだ。ありがたいな」

 俊介は徹が差し出したスナックを一つ口に含んだ。

 スオンとリン、そして坂本と伊達、多くの人が自分たちの為に協力してくれているのだと、俊介と徹は感謝していた。でも皆の好意が如何いかにありがたいものであったか、心の底から思えるようになるのは、もっと歳を重ねてからだろう。

 俊介はメークをしてウィッグを付けてはいたが、まだ衣装には着替えてはいない。今の季節は初夏。とてもコートを着てフードを被るわけにはいかないからだ。今回はジーパンに開襟かいきんシャツというボーイッシュないで立ちで、テレビ局まで行くことにしている。

 部屋のドアをノックする音がした。夏樹達が戻ってきたようだ。徹がドアを開けると、衣装とブーツの入った大きなボストンバックを肩から掛けた沙友里が立っていた。

「どお? 準備できた?」

「もう準備できてるよ」

 徹は部屋の中に二人を招き入れた。

 夏樹は大きなボストンバックを引きずるように持って部屋に入ってきた。

「じゃあ、行こうか」

 徹がそう言うと、

「よし、それじゃあいつものヤツだ」

 俊介が右手を前に出し、円陣を組む仕草をした。どちらかと言うといつもは不愛想な俊介だが、久しぶりに皆に会えて少し浮かれているようだ。しかしやけに積極的な行動に三人ともあっけに取られている。

「何やってるの?」

 夏樹は冷めた態度だ。

「何って。ノリが悪くないか? いつもの掛け声だろ」

 突き出した右手は行き場を失い、ちゅう彷徨さまよっている。

「ああ、掛け声ね。でもこのタイミングじゃないよね。まだ出発するだけだし」

 夏樹は淡々としているが、俊介は恥ずかしくてたまらない。いつもは夏樹からノリが悪いと言われていただけに、逆の状況に納得できなかった。

「えっ……、このタイミングでもいいんじゃ……」

 そんな言葉をぼやいたが、

「ごちゃごちゃ言ってないで、行くよ」

 夏樹はそんな事お構いなしに、大きなボストンバックを引きずるようにして、部屋を出て行ってしまった。

「まあちょっとカッコ悪かったけど、どんまい」

 徹のその言葉が更に突き刺さった。


 ホテルのフロントでタクシーを拾い、徹が行き先の書いてあるメモをドライバーに見せた。

 徹は助手席に乗り、他の三人は後部座席だ。

「何で俺が真ん中なんだよ」

 まだ俊介の機嫌は直っていないようだ。

「あなたは一ヶ月近くこっちにいるんだから、景色なんて見なくても良いでしょ」

 夏樹は子供のように窓に顔を近づけて外を見ている。特に外国語で書かれてある看板がとても珍しく、次から次へと目で追った。四人で海外のタクシーに乗っているなんて、夢のようで不思議な気持ちだ。夏樹は、このままずっとタクシーに乗って観光をしていたい気分になっていた。

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