第25話 海外に行くぞ! その6

 四人が出演を決意した土曜日から一週間が経ち、徹は東京駅に俊介の姉を出迎えに来ていた。もちろん夏樹と沙友里も一緒だ。特に沙友里は落ち着いた印象を強調するように、モノトーンのワンピースを着こなし、日頃つけたことのないイヤリングまで着けている。そして花咲に伝授してもらったメークの技術を使って、いつもと違う雰囲気をかもし出していた。しかし、気合を入れすぎたのだろうか、口紅が濃すぎるような気もする。夏樹と徹は大人の真似事をしている中学生のような沙友里の格好が気になっていたがそのことに触れることも出来ず、無理に平静を装おうとしてぎこちなさが出てしまっている。そんな二人の態度が、沙友里のかんさわったようだ。

「二人とも何か言いたいことがあれば、言えばいいじゃない」

「えっ、その、今日は雰囲気がちょっと違うね」

 徹は言葉を選んで言ったつもりだったが、沙友里は返事もせずそっぽを向いてしまった。

『なにストレートに言ってるの。傷口に塩を塗っちゃって……』

 夏樹は渋い表情をしながら首を小さく振った。徹も自分の言葉が失言だと気づいたが、どうすることも出来ず困った表情で改札口の方を見ている。

 ふと人込みの中に華やかな女性が見えた。不思議なことにそれが俊介の姉、麗子れいこだと夏樹は直感でわかり、

「あの女の人がお姉様でしょ?」

 夏樹は女性を指さしながら、徹の腕を叩いた。

「そうそう、お姉様だ」

 そっぽを向いていた沙友里も怯えるように夏樹達が向いている方を見た。グリーンを基調きちょうとした鮮やかな花柄のロングスカートがとても印象的だ。目を引くスカートとは対照的に、純白でゆったりとしたブラウスが、品の良さを演出している。そして俊介の衣装が入っていると思われる大きな紙袋を肩にかけ、背筋を伸ばし、さっそうと歩いてくるその姿に、沙友里は圧倒されてしまった。

『ステキ。気品がある……』

 素直にそう思う。

「徹君、お久しぶり」

 ハッキリとした口調で徹に話しかけるそのたたずまいからは、知性も感じられる。

「お久しぶりです。お会いできて嬉しいです」

 沙友里が今までに見たことが無い、緊張気味ながらも嬉しそうな徹の姿を見ると、何故だか自分の存在が消えてしまいそうな気持になった。

「初めまして、俊介君の友人の鷹山夏樹です。こちらは徹君の彼女の沙友里です」

 舞い上がってしまった夏樹は調子に乗ってそう言った瞬間、『余計な事を言ってしまった』と思った。もう寛容かんようさのかけらも残っていない沙友里はのような紹介のされかた、例えるなら、焼きそばに添えられている紅生姜べにしょうがのような紹介のされかたに、顔を引きつらせながら小刻みに震えている。

『あちゃー、やっちゃったよー』

 夏樹は目で徹に助けを求めたが、徹はその場を取りつくろうように、笑顔を見せているだけだ。

 沙友里は一瞬だけ作り笑いをしながら、

「初めまして藤原沙友里です」

 と言い、すぐに徹の陰に隠れ目を細めてうつむいた。

「荷物持ちましょうか?」

 徹の振る舞いがやけに紳士に見える。

『徹はこういう女性が本当は好みなのかな……』

 見るもの、聞くもの全てが沙友里を追い込んでいく。

 大人の気品を兼ね備えた麗子れいこには、とてもかなわない。そう思うと、頑張って背伸びをして来た自分がみじめになり『この場から逃げ出したい』と心で呟いた。

「せっかくだから昼飯食べませんか?」

 徹が声をかけると、

「昼飯じゃなくて、ランチでしょ」

 そう夏樹が訂正した。麗子れいこはくすっと笑い、

「昼飯、いいね~」

 と男っぽく合わせた。沙友里は自分の気持ちがよくわからないまま、皆の後ろをに付いてきた紅生姜べにしょうがのように歩いている。麗子れいこにはそんな沙友里の気持ちが分かっていたようだ。

「沙友里さんは、ピアノのコンクールに出ているんでしょ?」

 急に麗子れいこが話しかけてきたので、

「あ、はい」

 背中を丸めて歩いていた沙友里は背筋を伸ばして返事をした。

「私も少しピアノを習っていたけど、コンクールに出れるほどの腕は無かったな。本当に凄い」

 麗子れいこは感心して沙友里に微笑みかけた。

「あ、ありがとうございます……。どうして私がピアノをやっていることをご存じなんですか?」

「弟のメールに書いてあったのよ。ピアノの出来る、優しい女の子だって書いてあったわ」

「優しいだなんて。そんなことないです……」

 沙友里は照れながら少し徹の方を見た。

 夏樹が麗子れいこの前に来て、後ろ向きに歩きながら訊いた。

「弟さんのメールに、私の事は何て書いてありましたか?」

「夏樹さんは、元気でダンスが大好きな女の子、って書いてあったよ」

 麗子れいこは小さい子に話すように、優しく話した。

 そんな気さくな麗子れいこを見て、沙友里の気持ちも少しずつ軽やかになってきようだ。

『私一人でお姉さんに張り合っていたな……』

 さっきまで嫉妬した感情を抱いていた自分がちょっと恥ずかしい。冷静に見れば徹も麗子れいこに惹かれているわけではない。ただ礼儀正しい対応をしているだけだ。

『お行儀の悪い徹じゃなくて良かった』

 今はそう思える。夏樹と色んな話をしている麗子れいこの少し後ろを歩いていた徹のそばに行くと、小さな声で囁いた。

「なんか、ごめんね」

「気にするなよ。でも本当に今日は綺麗だよ」

 徹は大きな紙袋を肩越しに持ちながら、褒めた。

「ありがとう」

 沙友里は肩で徹を突いて照れている。

 麗子れいこは夏樹の話を楽しそうに聞きながら、背中で沙友里の機嫌が直ったことを感じ、『みんないい子だな』と嬉しい気持ちだった。

 

 俊介はスオンに会うため、大学の事務局を訪れていた。カウンターの近くに行くと、俊介に気が付いたリンが席を立ち、微笑みながら話しかけてくれた。

「こんにちは。今日はどうしましたか?」

「スオンさんにご相談があって来ました」

「スオンさんはすぐに戻ってきます。ちょっと待っていてください」

 たどたどしいが正確な日本語で、俊介をテーブルに案内してくれた。

 しばらくしてスオンが事務局に戻ってくると、リンが要件を伝えながらこちらに手を差し向けたので、俊介も立ち上がって会釈えしゃくをした。

「こんにちは。相談と言うのは何かな?」

 椅子に座りながらスオンは早速要件を聞いてきた。

「実は今度こちらのテレビ局に出演することになりました」

 全く予期しない内容にスオンは見開いた眼を俊介に向けた。

「出演って、どういう番組に?」

 俊介は番組の内容と出演するきっかけとなった日本のダンスコンテストの事を説明しながらスマホでネットにアップされている動画を検索し、スオンに見せた。スオンは動画と俊介を交互に見て、

「これ、君なの?」

 もう一度スマホに眼を落した。スオンがスマホを見ている姿が気になったリンもスマホの画面を見に来た。

「私、この動画知っています。今とても人気があります」

 スオンは母国語でリンに尋ねた。

≪この動画はそんなに有名なの? この動画の人が彼なんだって≫

 リンも驚いて、

≪本当ですか?≫

 と覗き込むように俊介を見ると、俊介も照れながら頷いた。

 動画が終わり、スオンはスマホの画面をスクロールして少しコメント欄を読んでいる。さっきまでの驚いた表情が曇っていく。スオンに聞かれる前に俊介は話し始めた。

「この動画に批判的なコメントが投稿されていることは知っています」

「そうか……。それでも出演をするんだね」

 スオンは腕を組み、大きく息をして頭を切り替えた。

「それで相談の内容は何かな?」

「相談というより、出演するという報告をしに来ました。あと出来ればスオンさんの意見も聞きたくて」

 スオンはそう訊かれると左手を眉間に当て、うつむいた。リンはそんなスオンを心配そうに見ていた。スオンはしばらく考えてから重い口を開き、

「私たち事務局としてはあまり無責任な事は言えない。留学生が安全に過ごせるように支援する事が私たちの仕事です。初日に話したように、軽はずみな行動はしない方が良い、と言うのが事務局の私としての意見です」

 そう感情を見せずに答えた。

 俊介はある程度予想していた意見ではあったが、少し気落ちしている。リンもスオンの日本語が八割ほど理解でき、そんな俊介を気の毒そうに見つめた。

「しかし……」

 とスオンが続きを話し出した。

「君たちはしっかりと考えて、出演を決めたんだよね?」

「はい、仲間と真剣に考えました」

 俊介は再びスオンを見た。

「私個人の考えとしては、仲間と真剣に考えて出した結論を、実行した方がいいと思う」

 先ほどとは違い力強い眼差しで俊介に話したので、横で聞いていたリンも驚くようにスオンの顔を見たあと、俊介に目線を向けた。俊介の表情にも力が蘇ってきている。少し間があいて、俊介はうわずった声で返事をした。

「あ、はい」

「ただし、私は事務局の担当者として君たちを放っておくわけにはいかない。当日は私も同行させてもらうよ」

 スオンはようやく穏やかな表情を見せた。俊介にとっては思ってもいない助っ人だ。急に心強さと嬉しさがこみ上げ、椅子が倒れるぐらいの勢いで立ち上がり、

「ほ、本当ですか。ありがとうございます」

 と深く頭を下げた。

「それにしても、言葉が通じないのに自分たちだけでテレビ局に行こうなんて、ちょっと無謀だな」

 スオンに軽く注意をされ、俊介は愛想笑いをして頭をかいている。

「でも、ちゃんと報告してくれてありがとう」

 スオンは立ち上がって俊介の肩をたたいた。リンも俊介を見上げるように、

「頑張ってね」

 と喜んでくれている。

 俊介は留学先でこんな優しさに触れる機会があるとは思っていなかっただけに、スオンとリンの気持ちがとても嬉しい。はやくこの出来事を皆に伝えてあげたいと心がはずんだ。

 俊介の後姿を見送りながらリンはスオンにさりげなく、

≪テレビ局って、行ったことないな。私もついていこうかな≫

 と、ねだってみたが、

≪遊びで行くわけじゃないよ。僕一人で十分だ≫

 スオンは即答した。

 リンはつまらなさそうに席に戻って行ったが、途中で何かひらめいたらしく小走りでスオンの席に駆け寄り、確認をしてみた。

≪彼の他に、女の子が二人来るんですよね≫

≪そうだよ≫

≪もしその子たちに女性ならではの問題が発生した時は、どう対処するのですか?≫

 リンが得意そうに話すと、スオンは椅子をくるっと回しリンの方を向いた。そして王手おうてを決めたような笑顔で回答を待っているリンを見ながら考えた後に、渋々と溜息をつき、

≪遊びで行くわけじゃないからね。くれぐれもそれを忘れないように≫

 そう強く念を押し、リンも一緒に行くことを了承した。

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