第23話 海外に行くぞ! その4

 夏樹はベッドに仰向けになり天井を見つめ、呟いた。

「覚悟か……」

「私はどうしてこんなに強く出演したいって思っているんだろう……」

 俊介の問いかけが頭の中をぐるぐると回っていた。自分の感性を明確にすることがこんなに難しい事だったとは……。


 机に向かっている沙友里の眼には電気スタンドの明かりが映っていた。

『こんな大胆な事をしてしまって、良いのかな。お父さんに、なんて説明しよう……』

 沙友里にとって一番大きな悩みはそれだったが、考えがまとまらないまま話してみることにした。

 リビングでは父がリラックスしてテレビを見ている。音を立てずに扉を閉め、父のそばで小さく声をかけた。

「お父さん」

「ん?」

 父はテレビを見ながら、声だけで返事をした。

「ちょっと、話があるの」

 娘の様子から大事な話だと感じた父は、テレビを切り座りなおしてから沙友里に向かい合った。沙友里は少し話すのをためらったが思い切って、

「私、海外に行きたいの」

 と眼をらしたまま切り出した。

「ほう。海外を見てくるのも良いかもしれないな」

「実は海外のテレビ局から話が来ていて……」

 沙友里は正直にありのままを話した。父は難しい顔をしながら黙って聞いていたが、母が濡れた手をエプロンで拭い、口を挟んできた。

「そんなこと、大丈夫なの? 危険じゃないの?」

 母がそういうのも無理はない。沙友里も最初話を聞いたときはそう思ったからだ。

「沙友里はどうしてもやりたいのか?」

 黙っていた父が、低い声で訊いた。

「お母さんは止めておくべきだと思うわ」

 母にそう言われると沙友里は何も言えなくなってしまい、両親を説得する自信も無い。

『みんなゴメンね。私は行けそうに無い……』

 うつむきながら、眼を固く閉じた。

「沙友里はどう思っているんだ?」

 父が再び低い声で訊いてきた。母がまた何かを言おうとしたが、父が小さく首を振り制止せいしした。

「私は、正直よくわからない」

「そうか。簡単な問題ではないからな。すぐに答えは出ないかな」

 父が表情をゆるめると沙友里は言葉を付け足した。

「でも、簡単に諦めたくもない」

 父はその言葉が嬉しかったのか、少し微笑んだ。

「自分なりに一生懸命考えてみるのも良いかもな」

 この言葉に沙友里はホッとした。頭ごなしに反対されると思っていたからだ。ゆっくりと頷くとまた自分の部屋に上がっていき、今度は両親にどうやって賛成してもらえるかではなく、自分がどうしたいのかを考えた。

 母は不安な面持ちでキッチンにたたずんでいる。

「あの子が自分から何かをやりたいと言って来たんだ。いまは見守ってみないか?」

 父がそう言葉をかけると、母は背を向け掛けてあったタオルを何気なく手に取った。

「分かってる。でも本当にそれでいいのかしら……」

 父にもその心配は痛いほどわかる。しかし今は娘の成長を邪魔してはいけないと思っていた。

 

 俊介はベッドに寝そべりながらスマホで打ち上げの時の写真をスクロールしていた。

『皆に会いたいな』

 心細かった。周りが見えなくなるぐらい迷いもなく突き進めたら、どんなに楽だろうか。

 若者たちにとってはあまりにも大きな事柄で、冷静に判断するにはまだまだ力不足だった。

 知らぬ間に眠ってしまっていたらしい。喉の渇きで目が覚めた。窓からまぶしいほどの日差しが差し込んでいる。冷蔵庫から水を取り出し、喉を鳴らして飲みだした。ペットボトルの水を一気に飲み干すと、大きく息を吐き、

「答えは最初から決まっているな」

 そう呟いてスマホの時計を見た。

『もう昼か……』

 留学して一週間。思った以上に疲れていたようだ。


 その頃、徹は自分の部屋にいた。

「どうして今日は、俺の部屋が集合場所になっているんだ?」

 珍しく夏樹と沙友里がそろって徹の部屋に来ている。

「だって喫茶店じゃ電話できないでしょ」

 夏樹がそう説明すると、沙友里が「ごめんね」と愛想笑あいそわらいをした。

「ところで二人とも、自分がどうしたいかを考えた?」

 徹の問いに夏樹と沙友里は顔を見合わせて嬉しそうに笑い、

「私たちの考えは一致しているの」

 沙友里の表情にも迷いはなかった。

「誰に非難されようが、このチャンスを諦めたくない」

 まばたきをしない夏樹の眼に、意志の強さが現れている。

「きっとそう言うと思っていたよ」

 徹も気持ちが高ぶってきた。

「あとは俊介がどう考えているかだな」

 三人とも俊介が反対の事を言うのではないかと心配だ。

「もう夕方まで待っていられないわ。今電話しちゃいなさいよ」

 夏樹は徹のスマホに目線をむけ、あごで催促した。同じ気持ちだった徹も「そうだな」と頷き、俊介に電話をかけると三人からの電話を待っていたかのように俊介はすぐ電話に出た。

「なんか予定より早いな」

「悪いな。夕方まで待ちきれなくて」

「俺もそう思っていたから、良いよ」

 不愛想な俊介の声に、夏樹は急に緊張した。

「みんなはどうしたいか考えたか?」

 俊介が訊いてきた。

「考えたわ。私たちの考えは同じなの。まずは俊介君から言ってよ」

 夏樹は俊介の考えが気になって仕方がない。少し間をおいて、俊介の力強い声が聞こえてきた。

「俺はやりたい。やったほうが良いと思う」

 三人とも息をのんだ。

 沙友里が唖然あぜんとしている夏樹の肩を揺すり喜んでいる。そんな二人を見ながら徹が俊介に話しかけた。

「やらずに後悔したくない、ってことかな?」

「そうだな。でも、もしかしたら、断念する勇気が無いだけなのかもしれない」

「かもな。でもやるんだろ。二人とも同じ考えだ」

「やるよ」

 そんな俊介と徹の会話を聞いていた夏樹は徐々に平常心を取り戻し、力の抜けた弱々しい声で俊介に話しかけた。

「よかった。じゃあまた電話するね」

 その声に、俊介は拍子ひょうし抜けし、

「おいおい、素っ気ないな、それで終わりか?」

「なんか考えすぎて疲れちゃった。からかう元気はないよ」

「別にからかってもらわなくても良いけど……。素っ気ないな~」

「じゃあまたね」

 夏樹が話を切り上げると、

「ごめんね、とりあえず今は切るね。俊介君も元気でね」

 早口な沙友里の声が聞こえてきた。

「そう言うことだ、後でメールするよ」

 徹は電話を切った。

 俊介はあっけにとられて通話の切れたスマホを眺めていたが、ハッと気づいたように、

「えーっ。どういうことー」

 と全く予期しない夏樹の反応に戸惑っていた。

 とにかく、出演する日は二週間後に迫っている。

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