第22話 海外に行くぞ! その3
日本では信じられない出来事が起きようとしている。
それは夏樹宛に届いた一通の手紙から始まった。差出人は冬にダンスの決勝の収録をしたテレビ局からだ。郵便受けの前で封筒の表と裏を何度もひっくり返し、差出人と宛先に不審な点が無いかを確認した。『開けても大丈夫かな……』とも思ったが、封を
『ココットの母国ではあなた方が決勝で踊ったダンスが話題になっている。そしてその国のテレビ局があなた方の出演を望んでいる。ぜひともあなた方とコンタクトを取りたいと言ってきている』
信じられない内容だったが、すぐに沙友里に会って手紙を見せると、
「きっと私たちの動画を見た誰かがいたずらで送ってきたんだよ」
やっぱり沙友里も同じように思っているようだ。
だとすると、それはそれで怖い。思わず鳥肌がたった。
しかし、手紙に書いてある住所と電話番号、そして担当者の名前は決勝の案内用紙に記載されてあったものと同じだ。
「本当かどうか電話してみようか?」
夏樹は電話番号を見つめている。恐る恐る担当者の坂本に電話をかけてみると直ぐに電話が繋がり、電話口から慌ただしい雰囲気が伝わってきた。
「鷹山夏樹と申しますが、坂本さんはいらっしゃいますか?」
普段より高目のよそゆきの声で真実を探るように話した。電話口に出た男性は一言一言を引きずるように、
「は、はい、少々……お待ち……ください……」
と言い、保留音が流れた。きっと個人の女の子から電話がかかってくることなど無いのだろう。オルゴールの保留音が期待している自分を冷ましていく。
『やっぱりいたずらだったのかな……』
保留音が切れ、
「鷹山さん? 坂本です。よかった連絡が取れて」
その言葉は意外だった。
「手紙や電話だけでは君達も不安だろうから、こちらに来てもらって説明をしたいけど、来れますか?」
少し焦りを感じるその声は来て欲しいと言っている。夏樹達は次の日の夕方にテレビ局に行く約束をした。沙友里はこの話を徹にもして、一緒に来てもらうことにした。
次の日、三人でテレビ局に行ったが、まだ信じられない。
「ドッキリの番組って事は無いよね?」
夏樹はテレビ局のロビーで座りながら、隠しカメラを探している。
「俺達を
徹もそう言いながら、何気なく周りの様子を
エレベータの扉が開き切る前に、中から坂本が足早に向かってきた。決勝の時に見かけた人物だ。
「ここまでは本当らしいな」
徹が小声でささやくと、夏樹は坂本に目線を向けたまま
「急に呼び出してしまって、申し訳ない。先方が急いでいるから」
仕事を放り出して来たのだろう。坂本の声は息が切れている。しかし「急いでいる」と言うのは詐欺によくある決まり文句だ。再び警戒心が強まり三人の表情が
「急にこんな話をされても怪しいよね。これが向こうのテレビ局から来た書面だよ。日本語で書かれてある。勝手に君達の連絡先を教えるわけにもいかないから、今日は来てもらったんだよ。ちょうど予選と決勝で審査委員長をやっていた伊達さんもいるから……。もうすぐ来ると思うけど」
その書面には番組の企画内容が簡潔に書かれてある。毎週土曜日の夜に生放送されるバラエティー番組で、その番組の一つのコーナーで、夏樹達のダンスを紹介すると言う内容だ。しかもその時のゲストにはココットを呼ぶと書いてある。
なんか大ごとになっているような気がした。
『これが詐欺だったら、相当手が込んでいるな』
徹はなおも慎重だ。しばらくして伊達がエレベータから降りてきて、ゆっくりと夏樹達に歩み寄った。
「お久しぶり、伊達です。なんか思わぬ展開になったね」
今日の伊達は穏やかな表情だ。
『この人、審査委員長だったんだ』
三人とも同じことを思った。予選の時に真ん中に座っていた審査委員だ。伊達に
「あの、失礼なことを聞いてしまうんですけど……」
と話し始めると伊達は、
「不安な事があったら、何でも聞いたほうが良い」
三人を安心させるように、落ち着いた声で言った。
「今回の件で、何故こちらのテレビ局の方が動いてらっしゃるんですか?」
確かにそうだ、夏樹達に出演を要望しているのは海外のテレビ局なのに、なぜ日本のテレビ局の人が動いているのか不思議だ。徹の疑問もごもっとも、という感じで坂本が説明を始めた。
「先方のテレビ局の担当者は君達の連絡先を知らないから、決勝を放映した我々に君達の連絡先を教えて欲しいと、書面で問い合わせが来たんだよ。たまたま伊達さんが先方のテレビ局のプロデューサーとは顔見知りで、確認をしてもらったら事実だったと言うわけ。実際に我々には何の得もないけど、ほっとくわけにもいかないからね」
三人はその説明に納得し、お互いの顔を見合わせ軽く息を吐き、少し背中を丸めた。
「今日は女装の男の子はどうしたの?」
伊達が尋ねた。
「彼はいま留学中です。ちょうどその国に」
徹が答えると、
「何か縁があるんだな」
あまりの偶然に伊達は体を反らすように椅子にもたれかかり笑っていたが、姿勢を戻すと真面目な表情で話し出した。
「せっかくのチャンスだからチャレンジしたほうが良いと思うが、現状を理解したうえで決めたほうがいい。いま二国間の関係が良くないことは君達もわかっているよね。実際にココットの評判も二分していて、日本での活動は停滞している。そして君達の動画にも少なからず批判的な内容も書かれている。それは日本だけではない。ちょっと調べてみたら、先方の国でも君達のダンス動画に批判的なコメントが書かれている。テレビ出演をすることで更に批判が強まる可能性も有る」
現実的な話を聞かされ、沙友里の顔は赤みを帯び、ためらいが現れている。前にもこんな表情の沙友里を見たことがある。徹はダンスコンテトで着る衣装が届いた時の事を思い出し、心が痛んだ。
「先方のプロデューサーには君達に危害が及ばないように、お願いはするつもりだ」
伊達はそう付け加えた。
三人はなんと答えればいいのか言葉を失ったまま、お互いの顔を見合わせるばかりだ。
「留学している城山君にも相談したいのですが、良いですか?」
夏樹は
「もちろん、ここで結論を出す必要はないよ。ただ出来れば数日のうちに連絡を貰えると嬉しいな」
坂本は三人の緊張をほぐすように微笑んだが、伊達は神妙な面持ちだ。
『若者のチャレンジは出来る限り応援してあげたい。だが彼らの心が傷つくようなことがあってはいけない。しかし大人の慎重な考えが若者の可能性を狭めてしまうかもしれない……』
正直、伊達は迷っていた。
テレビ局を出ると早速夏樹は俊介にメールを送った。そのメールは沙友里と徹にも送られている。
(そちらで私たちのダンスの動画が話題になっているそうよ。その動画を見たそちらのテレビ局から出演のオファーが来たの。出てみない?)
ちょうど俊介は寮の部屋に戻ってきたところだ。言葉が思うように通じない生活がこんなに疲れるとは思っていなかった。窓に掛かったレースのカーテンに触れた時、スマホが鳴った。
スマホの画面には夏樹の名前が表示されている。窓を開けると賑やかな街のざわめきが柔らかい風に乗って入ってきた。ベッドに座りレースのカーテンの
「なんだ、このメール」
日本語の文面に心が弾む。今はどんな内容でもユーモアとして受け止める事ができる。俊介は冗談っぽく返信した。
(へー、凄い、凄い。俺達はスーパースターだ。ところでみんな元気か?)
日本では三人がスマホの画面を見たまま待っていた。三人のスマホの着信音が同時に鳴りメールを読むと、沙友里が溜め息交じりに呟いた。
「全然、信じていないよ」
「そりゃ、そうだろ」
徹も上機嫌な返信に鼻で軽く笑っている。夏樹は温度差のある返事を書いてきた俊介を
(メールだと説明し
送信すると、俊介からの返信が来る前に電話をかけた。聞き慣れない国際電話の呼び出し音が聞こえてくる。二回ほど呼び出し音が鳴った時に俊介の声がした。
「返信を書いている途中で、電話してくるなよな」
それは久しぶりに聞いた声だ。夏樹は声を聞いた瞬間、俊介なら賛成してくれるのではないかと言う、期待を持った。
「緊急事態なの。ここに沙友里と徹君もいるから、スピーカーにして話すね」
夏樹が電話の声をスピーカーに切り替えると、
「みんないるんだ、元気にしていた?」
のんきな俊介の声が聞こえてくる。
「お久しぶり。みんな元気よ」
沙友里も穏やかな口調で話しかけた。
「挨拶はこれぐらいにして、本題に入るよ。最初に送ったメールの内容は冗談じゃないの」
夏樹が緊張した声で話し始めると、三人は先ほどテレビ局に行ったこと、テレビ番組の内容などを代わる代わる話した。スマホからは俊介が真剣に頷いているような声が聞こえてくる。その様子から夏樹は俊介が出演に前向きなのだと思い込んだ。三人が一通りの説明を終えると、夏樹が興奮した声で、
「どう。凄いでしょ?」
と訊いたがスマホからは俊介の喜んだ声は聞こえてこない。しばらくして渋い声が聞こえてきた。
「ん~、確かに凄いけど、ちょっと冷静に考えたほうが良いな」
夏樹は期待とは違う俊介の反応に
「私は冷静よ。何が気に入らないの?」
と突っかかると、沙友里がなだめるように夏樹の肩をゆすった。
「ダンスコンテストにチャレンジする時とはわけが違うよ。あの頃、俺達は単なるコンテストの参加者だった。でも今回は違うだろ」
俊介の口調は冷静だ。
「なにが違うのよ。いつもながら言っている意味が難しすぎる」
思わずそう噛みついてしまっていた。
夏樹も迷いが無かったわけではない。本当は俊介に賛成してもらって迷いを断ち切って欲しかった。だから俊介に反対されるのが怖い。そして実際に俊介が言おうとしている事の意味もよく分からなかった。
「言葉は悪いけど、今回はチャレンジャーではなく、見世物として行くことになるんだよ」
俊介のその言葉に夏樹は怒りが込み上げてきた。
「見世物ってなによ! ほんと口が悪すぎるよ!」
「きついかもしれないけど、他に言葉が見つからないからしょうがないだろ」
言い訳をする俊介に、徹が助け舟を出した。
「まっ、エンターテーメントと言ったところかな」
沙友里は徹の言葉に「そうそう」と言って頷いている。
「おっ、上手いこと言うな~」
俊介の感心した笑い声が聞こえる。しかし夏樹はまだ
「見世物だかエンターテーメントだか知らないけど、それがどうしたのよ」
「前回は多少批判的なコメントがネットで有ったけど、基本的には審査委員からダンスの評価を受けるだけだった。でも今度は顔も見えない多くの人からダンスではなく俺達そのものが批評されるわけだ。それも日本だけではなく、こっちの国でも」
まさか俊介が伊達と同じような事を言うとは思わなかった。そして三人は黙り込み、さっきまで強気だった夏樹も少し
「じゃあ、
夏樹は今回の出演を諦めかけ、うつむいた。
「そうは言っていないだろ」
夏樹は再び顔を上げスマホに向かって静かな口調で、
「どういうこと? ハッキリ言っていいよ」
夏樹も冷静さを取り戻している。
「覚悟はあるのか、と言うことだよ。そこまでして出演したい思いがあるのか、って事だよ」
俊介は三人の表情を想像するようにスマホを見つめていたが、三人の声は聞こえてこない。きっとそれぞれが何かを考えているのだろう。
「いま結論を出すのはよそう。一日、一日だけそれぞれが自分なりに考えてみないか?『どうするべきか』ではなく『どうしたいか』をそれぞれ自分で考えてみようよ」
夏樹と沙友里は深く考えるかのように黙り込んでいる。二人の代わりに徹が俊介に話しかけた。
「そうだな。そうしよう……」
「おう」
俊介の声にも力が無い。
「ところで、ちゃんと食べているか?」
徹が声を明るくして尋ねた。
「こっちの食べ物もおいしいぞ」
「そっか、それは良かった。俺達も今日は帰るよ。ちょうど明日は土曜日だからゆっくり考えて、また夕方に電話する」
徹はそう言うと、電話を切った。
「今日はもう帰ろう」
徹は黙り込んでいる二人が心配だ。とくに沙友里が多くの人から批判されるようなことになったら、と思うと辛い。三人が別れた後、徹は沙友里にメールをした。
(大丈夫? 一緒に考えようか?)
(ありがとう。本当は一緒に考えて欲しい。でも夏樹も一人で考えているから、私も一人で考えてみる)
心細いなりにも一人で頑張ろうとしている沙友里の気持ちが伝わって来た。
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