第21話 海外に行くぞ! その2
出発の日の朝早く、俊介は徹の車で駅まで送ってもらった。
「じゃあ、頑張ってこいよ」
「ありがとう。元気でな」
いつもながら二人が交わす言葉は短い。俊介は腕を
冒険の旅立ちは、一人に限る。
飛行機に搭乗すると俊介の席は通路側だった。
『トイレに行きやすそうだな』
俊介はそう思いながら手荷物のリュックを椅子に置き、入れておいた単行本を探していると、隣の席に座ろうとした外国の男性が自分に何か話しかけてきた。
『挨拶しているのか?』
そう思ったが、少し離れた席にいる女性を指さしながら一生懸命何かを説明している。その女性もこっちを見ながら、何やら愛想良く笑っていた。しばらくしてキャビンアテンダントがやってきて、
「あちらの女性のお客様と席を替わってもらえないかとおっしゃっていますが、いかがでしょうか?」
と、その男性の話を代弁してきた。
どうやら彼女と別々の席になってしまったらしい。女性はすがるような笑顔で俊介を見つめている。
「いいですよ」
俊介は快く
『一気に
俊介はその席に少しがっかりしたが、『カップルなのに席が離れてしまうなんて、何か事情があったんだろう』そう思いなおし、手荷物を前席のシートの下にしまった。隣に座っていた体格のいい男性が片方の眉をあげながら俊介に何かを話しかけている。日本語ではなかったが、その状況と表情から、何となく「おまえ、人が良いな」と言っているようだ。
俊介も軽く笑顔を返し、本を読むふりをした。
『言葉が全く分からないけど、大丈夫か……』
ここに来てようやく不安になってきた。
飛行中がこんなに退屈だとは思わなかった。途中三十分ほどウトウトしただろうか。本を読んでも、あまり集中できないまま、飛行機は定刻通りに滑走路へのアプローチを始めた。退屈していた俊介にとっては、高度を下げる時の内臓が浮き上がるような感覚と着陸時の振動、そして逆噴射のエンジン音がちょっとしたアトラクションのようだ。
荷物カウンターに向かう長い通路の壁に大きく貼りだされた広告を見ると、海外に来たと言う実感がわいてくる。
俊介は大学の学生課でもらった案内書通りにタクシーで留学先の大学まで行くことにした。タクシーの運転手に大学名と住所が書かれたメモ書きを渡すと、運転手はかけていたメガネを少し上にあげメモ書きにピントを合わせていたが、大学名だけで行き先を理解したのか、笑顔ですぐメモ書きを俊介に返した。
大学の正門に着き、タクシーの運転手が片言の英語と手ぶりで事務局の場所を教えてくれた。大学の構内は広く、タクシーの運転手が教えてくれなかったら何処に向かえばいいのか分からなかったぐらいだ。
説明通り構内を歩いていくと、他の建物より少し古いデザインの建物が見えてきた。
『これが本館かな』
建屋に入った所にカウンターがあり、その奥では職員らしき人々が机に向かって仕事をしている。スーツケースの鈍いタイヤ音を響かせながらカウンターに近づくと、男性の職員が、
「こんにちは。問題なく来ることが出来ましたか?」
と日本語で話しかけてくれた。どうやら、一目で留学生と分かったらしい。俊介は事務局に日本語の話せる職員がいることがわかり、胸をなでおろした。
「初めまして。城山俊介と申します。スムーズに来ることが出来ました」
俊介は巨大迷路の出口にたどり着いたような疲れ気味の笑顔だ。対応してくれた男性の職員の名はスオン。スオンは手慣れた様子でいくつかの引き出しを開け、留学に関する書類を取り出し、俊介をテーブルの方に案内した。俊介はスーツケースを押しながらカウンターを大回りしてテーブルに向かった。
スオンは留学生の生活をサポートしてくれる職員のようだ。同じく同席した女性の職員の名はリン。リンもたどたどしいが日本語を話せる。
『凄いな、日本語が話せるんだ。本当なら俺がこちらの国の言葉を話せるようにしないといけないのに……。簡単な会話だけでも勉強しとけばよかった』
全く言葉の勉強をしてこなかった事を反省した。
スオンとリンは留学中に滞在する寮の場所や規則を一通り説明し、
「分からないことがあったら、私たちに聞いてください」
スオンはそう言うと、説明を終わらせた。リンが資料を入れるファイルを取りに席を外した時、スオンが少し声を落とし、
「今は二国間の関係が良くありません。念のため軽はずみな行動はしないように気を付けてください。なにか問題が起きたら、私に連絡をください」
そう言って携帯電話の番号が書かれたメモ用紙を俊介に手渡した。
いままで国際問題なんて自分には関係のない出来事だと思っていたが、海外に来た以上は気を付けないわけにはいかない。少し身の引き締まる感じがした。
寮まではリンが車で送ってくれることになった。リンもまだ日本語が
「どうして留学先に、この国を選びましたか?」
きっと今の情勢でなぜこの国を選んだのか、興味があるようだ。俊介も難しい単語を使わないようにゆっくりと答えた。
「遠くの国に行くのも良いかもしれません。でも私は身近な国を知りたかったからです」
リンは信号を見ながら耳を澄ますように俊介の言葉を聞き取ると、
「いい考えですね」
そう言って笑った。俊介も褒められたような気分でなんだか嬉しい。その後は特に話す内容が思いつかなかったが、何とか一言話しかけた。
「日本に行ったことはありますか?」
思いっきり定番な質問だ。まるで日本語スクールの一日目に習うようなフレーズだ。しかし俊介にとってはようやく思いついた一言だった。
「私も日本に留学したことがあります」
リンは
「日本のどこにいましたか?」
「名古屋です」
俊介は大げさに驚いて見せながら、
「私は愛知県出身です」
そう伝えるとリンは言葉を理解できていないような
「しゅっしん?」
とつぶやいている。俊介はもう一度言葉を変えて、
「私は愛知県で生まれて育ちました」
リンは「しゅっしん」の意味を理解したらしく、大きく頷いた。まさかここで「名古屋」という単語を聞くとは……。
寮に着くと早速リンは俊介を管理人に紹介した。先ほどの車中とは違い、ドラマに出て来るエリート秘書のような早口でハッキリとした口調だ。俊介は何を言っているのか分からなかったが、とりあえず管理人にお
リンが俊介を気づかうように、
「今日はゆっくりと休んでください。他にわからないことはありますか?」
ゆっくりとした話し方で訊いてきたので、
「ありがとうございます。大丈夫です」
そう言って、リンを見送った。
管理人の男性は俊介の緊張をほぐすように笑いかけ、「部屋まで案内する」というような身振りで階段を上り始めた。俊介がスーツケースを両手で持って階段を上っていると、代わりにスーツケースを持ってくれた。
部屋は六畳ぐらいで机とベッド、そしてユニットバスが備わっている。机の向こう側は窓になっており、外の通りを見下ろすことが出来た。床は白くてとても綺麗だ。何といっても俊介のアパートの部屋のように散らかっておらず、シンプルなのがとても嬉しい。
部屋に着いて一人になるとようやく緊張がほぐれてきたようだ。昨夜はほとんど眠っていなかったせいか、軽い頭痛がする。
『とりあえず、ちょっと寝るか』
綺麗にメーキングされているベッドに倒れこみ、眠りに落ちた。
二時間ほど寝ただろうか、窓の外はすでに薄暗くなっており、かすかに赤い西側の空が、ホラー映画の不吉な場面を思わせる。窓から外の通りをみると、道は少し渋滞している。歩道を歩く人たちも、何かから逃れるように足早な感じだ。寝る前まではこの見慣れない風景が好奇心を刺激していたが、いまは見慣れない風景が俊介を孤独と恐怖に引きずり込んでいく。『帰りたい』そういう気持ちでいっぱいになった。
『誰でもいいから、嫌いなヤツでもいいから、近くにいてくれたら……』
心の底からそう思う。
誰かがドアを優しくノックしている。ドアの前に立っていたのは寮の管理人だった。俊介の部屋の中が暗いことに驚いた管理人が、ドアの近くにある照明スイッチを入れると、部屋の中は温かみのある明るさで照らされた。管理人は夕食をどうするのか気になって、俊介の部屋に来たようだ。
管理人に案内された一階の食堂は小さいが、とても綺麗で明るい空間だ。白いテーブルの周りにカラフルな椅子が
挨拶の言葉だけは覚えてきた俊介は、
≪ありがとございます≫
と笑顔でお礼を言った。ホームシックに陥っていた俊介にとっては管理人の
椅子に座り
俊介もすかさず箸を置き、立ち上がると、寮生は笑顔で俊介に近づき英語で話しかけてきた。
≪シャンです。よろしく≫
俊介も英語なら多少は理解できる。
≪城山俊介です。よろしく≫
そう言うと二人は握手を交わした。
≪どの学部を専攻していますか≫
シャンにそう訊かれて、
≪工学部、電子です≫
俊介が答えた。どうやらシャンも同じ工学部で電子を専攻しているようだ。
≪明日、大学で会えるといいですね≫
シャンは軽く会釈をして自分の部屋に戻っていった。俊介は自分と同じ世代の外国人と接したのは初めてだ。しかも会話も通じた。何気ない会話だったが、何とも言えない喜びと興奮が沸き上がってくる。さっきまで暗い部屋で落ち込んでいた気持ちは、すでにどこかに消えてしまっていた。
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