第14話 ダンスコンテスト その5

 朝日が建物の隙間から差し込み始めた。どこまでも見通せそうな程に冷たく澄んだ空気の先に、朝焼あさやけに照らされた白い高層マンションが見える。どの店もまだ開いてないが花咲美容室には鏡に向かって椅子に座っている俊介がいた。

 予選当日の朝だ。

 前回のように花咲がメークをしている。俊介は遠足前の子供と同じで、何かの前日はあまり眠ることが出来ない。そのせいかメークで顔を触られる感覚が心地よく、眠りに落ちかけた時、扉の鐘が勢いよく鳴り眠気が覚めた。夏樹と沙友里を迎えに行っていた徹がやって来たようだ。そして立て続けに鐘が控えめに鳴り、夏樹と沙友里も店に入ってきた。

「あっ、メーク中だ。私も参考に見せてもらおう」

 夏樹が俊介の直ぐそばまで来て、顔をじっと見つめている。

「気が散るから、あっちに行ってろよ」

 俊介が顔を動かさずに横目で言うと、

「気が散るって、あなた、座ってるだけじゃない」

 下地を塗り終えた俊介の横顔にあたった。

 俊介は鏡に映っている夏樹の格好を見て、

「衣装は着てこなかったの?」

「予選会場に更衣室があるみたいだから、そこで着替えるの。今から着ていくと目立つでしょ」

「俺はもう着てるけど。やっぱり目立つかな」

「コート羽織るから大丈夫なんじゃない。それに車だし」

「なんか他人事ひとごとだな~」

「他人事だもん」

 半目になりながら舌を出し、沙友里と徹が座っている待合椅子の方に行ってしまった。夏樹はいつも通り陽気で、遊びにでも行くかのようだ。沙友里も不安が吹っ切れているのか緊張した様子もなく皆と話している笑顔が鏡越しに見える。俊介はホッとした。

「笑顔で良かった」

 同じ心配をしていた花咲も、

「そうね、大丈夫みたいね。きっと上手くいくわ」

 と俊介にささやいた。


 周りの店のシャッターが開く音が聞こえ始め時計に目をやると、九時を少し過ぎたところだ。

「はい、出来たわよ」

 花咲がウィッグの微調整を終え、ゆっくりと俊介が椅子から立ち上がると、女装ダンスコンテストの時に見た美しい俊介が再び現れた。

「やっぱり綺麗だな……」

 感心している沙友里の横で徹はうつむき加減に俊介を見ている。

「お前な、毎回俺の脚をガン見するのはやめてくれ」

 俊介が徹を注意すると、徹はそんなことは無い、と言う素振りでそっぽを向いてしまった。夏樹は俊介の横顔に見惚れてしまっている。

「俺に惚れるなよ」

 ほんの冗談のつもりで言った一言に、夏樹は思わず、

「あ、あなたになんか惚れないわよ。女装に惚れただけだから」

 と突き放した。

「なんだそれ、よくわからんな」

 俊介はいつもの夏樹のからかいだと思っていたが、夏樹はからかって言ったわけではない。

『私、何言ってんだろう。ほんとよくわからないよ……』

 そう思いながら、耳を真っ赤にさせてカバンの中に手を入れながら、何か物を探すような素振りをしてごまかした。

「よし、行こうか」

 徹が皆に声をかけ、いよいよ出発だ。

「じゃあ行ってきます」

 俊介は落ち着いて花咲に笑顔を見せると、

「頑張って」

 花咲も皆にプレッシャーをかけないように、微笑んだ。

 

 四人を乗せた車は渋滞にはまり、なかなか動かない。

「渋滞してるね。大丈夫かな」

 夏樹は運転席と助手席の間から心配そうに前を見ている。

「大丈夫。十分時間はあるよ」

 徹は渋滞を見込んで会場に向かっていた。

 夏樹は暇を持て余し始めたのか助手席に座っている俊介の肩をゆすりながら、話しかけた。

「ねえねえ、隣の車の男子達、俊介君を見ているよ」

「あまり見るなよ」

「手振ってあげなよ」

「やだよ」

 いつものように俊介は夏樹にからかわれている。

 そう言えば先ほどから沙友里は口数が少ない。夏樹は少し気になってきた。

『また不安になっちゃてるのかな?』

 沙友里に話しかけても愛想笑いをして、直ぐに窓の外を向いてしまう。

『会場について泣き出しちゃったらどうしよう』

 そんな最悪の事態が脳裏をよぎった。気のせいか顔色もあまり良くなさそうだ。

『まいったなー。緊張してるのかな。こんな時に限って、お腹が痛くなっちゃった……』

 沙友里は痛くなったり収まったりするお腹に手をあてながら、何かにすがるように外を見ている。青色を見ると痛みが和らぐと何かで読んだことがあったため、必死に青色の物を探しては見ていた。そんな迷信めいしんじみたことにすがるぐらい辛い。しかし渋滞にはまって車は進みそうもない。仕方なくスマホを取り出し、隣にいる夏樹にメールをした。

(どうしよう、お腹が痛いの)

 夏樹にメールを見るよう目でうながすと、夏樹はメールを見るなり大きな声で、

「あー、疲れた。休憩したい」

 と言いだした。

「まだ走り出して一時間もしてないだろ」

 俊介が前を向いたまま半分笑いながら返すと、

「休憩したいんだから、休憩するの」

 夏樹はちょっと強引な口調だ。

「じゃあコンビニがあったら入ろうか」

 徹がカーナビでコンビニの位置を探しながら言ったが、

「ダメ、そこっ、そこのスーパーで良いから休憩しよう」

 夏樹は思いっきり身を乗り出し、五十メートルほど先のスーパーを指さした。

『お願いそこのスーパーによって!』

 沙友里はお腹をさすりながら、心の中で叫んだ。

「スーパー?」

 俊介はスーパーで休憩なんて、あり得ないという感じだ。

「スーパーのどこが悪いのよ! 飲み物が安く買えるのよ。あっ、早く入って!」

 夏樹は俊介に言い放つと、徹に指示した。徹は慌ててウインカーを出しスーパーの駐車場に入った。

「沙友里、飲み物買いに行こう」

 さっきまで怖い顔をしていた夏樹は優しく沙友里に声を掛け、

「あなた達は、女装が見つかっちゃうから待っててね」

 緊急事態を悟られないように、軽やかな足取りでスーパーに歩いて行った。スーパーに入り、自動ドアが閉まると夏樹が慌てて、

「トイレ、トイレ、あっち、あっち」

 沙友里も額に冷や汗を浮かべている。

「ごめん、ごめん」

「いいから、早く、早く行って」

「わかった、わかった」

「そうだ、そうだ、飲み物、飲み物何がいい?」

「え~、何でもいい、何でもいい」

「そ、そうだね。早く行って早く」

 沙友里は小走りでトイレに入っていった。人は不思議と慌てている時ほど、同じことを二回言ってしまう習性があるようだ。夏樹も小走りで飲み物売り場に向かったが、

『あっ、私は慌てる必要ないか』

 そう思い入り口にカゴを取りに戻ると、ゆっくりとスーパーの中を歩きながら沙友里を待った。


「渋滞はどのあたりまで続いているのかな?」

 俊介は、動いては止まってを繰り返しながら少しずつ進んでいく道路の車を見ている。徹がスマホの道路交通情報で状況を調べながら、

「この先の国道までだな」

 と軽く答えた。

「そうか、じゃあ会場まで一時間はかからないかな」

「そうだな」

「みんな、気合入れて参加してくるのかな」

「たぶんそうだろうな」

「そう思うと、なんか緊張してきたな」

「大丈夫、お前の女装が一番気合入ってるから」

 そんな会話をしながら笑っていると、夏樹と沙友里が飲み物を買って帰ってきた。

「はい、君たちの飲み物も買ってきた」

 夏樹は恩義おんぎせがましく飲み物を渡しながら二人の様子をうかがったが、俊介も徹も沙友里が腹痛だった事にはまったく気づいていないようだ。

「もう少し行けば渋滞も終わるよ」

 徹はそう言いながらシートベルトを着け車を出した。沙友里はすでに一日が終わったかのように、窓からボーっと空を眺めていた。

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