第二章 ダンスコンテスト
第10話 ダンスコンテスト その1
火曜日の昼に夏樹から今日のミーティング場所が書かれてあるメールが届いた。場所は夏樹と沙友里がよく利用している駅前の喫茶店で、その駅は埼玉に位置するが少し歩けば練馬区になる県境にある。
俊介は徹を誘って電車で喫茶店に向かっていた。
つり革につかまりながらスマホを見ている俊介の横で徹は
「俺も一緒に来たけど、あの二人は不思議に思わないかな?」
「なんで? そんなことは無いと思うけど」
スマホを見たまま俊介は答えた。
「でも、ダンスのメンバーでもないのに、『何しについてきたの』なんて思われたりしないかな?」
「考えすぎだよ。マネージャーとして徹に参加してもらいたいって、俺が説明するよ」
「そっ、そうか……。じゃあ頼むな」
徹はまた車窓の景色を眺めた。
喫茶店がある駅に到着しホームに降りると、徹は改札へ向かう階段の人混みの中に沙友里らしい後姿を見つけた。
「あれ、沙友里さんじゃないか?」
「どこ、どこ? お前よくわかるな」
俊介は沙友里の顔もあまりよく覚えておらず、ましてや後姿なんてわかりもしない。
「髪型とコートが同じだから、間違いないよ」
徹は人々の間を
「沙友里さん」
と声をかけると、沙友里は急に声をかけられて少しこわばった表情で振り向いたまま改札を通過したが、声をかけてきた相手が徹とわかり、
「徹君、同じ電車だったのかな」
そう言って笑顔を見せた。
「本当だ、沙友里さんだ」
しばらくして改札を通過してきた俊介はちょっと驚いている。沙友里は初めてみる俊介の素顔に目線を止めたまま、首を傾けるように
「待ち合わせ場所はすぐ近くなの」
沙友里は二人を先導して歩き出した。
喫茶店の前では先に着いていた夏樹がいつものように店の中に入らず、母親を待つ子供のように周りを見ながら外で待っていた。沙友里はいつもながらそんな仕草の夏樹を見ると『守ってあげたい』、というような感情が湧いてくる。
「夏樹」
遠くから声をかけると、その声に気付いた夏樹も飛び跳ねるように大きく手を振った。
「みんな一緒だったんだ」
「同じ電車だったみたい」
俊介と徹も、
「どーも」
と軽く頭を下げた。夏樹も初めて見た俊介の素顔に目線を向けたまま、喫茶店の扉を開けた。
俊介と徹は女子と二対二で会うような経験はあまりなく、緊張して格好をつけている。口数少なく落ち着き払った仕草が大人ぶった子供のようであどけなさが出ている。夏樹と沙友里は緊張する様子も無く、席に着くといつものようにメニューを広げ、あれやこれやと選び始めた。
沙友里が、
「何にしますか?」
と尋ねると、
「あっ、ホットで」
徹が微笑みながら応え、俊介もつられて、
「じゃあ、自分もホットで」
と言ったが、内心は『徹、お前いつもクリームソーダ注文してるじゃねーか』と思っていた。
「お二人とも、コーヒーで良いんですか? 他にも色んな飲み物ありますよ」
沙友里はメニューのドリンク
「俺はいつもホットだから」
気取っている徹の横で俊介は『君はいつもクリームソーダです』と心の中で言い直した。夏樹と沙友里が注文した飲み物は俊介と徹が聞いたこともないようなお
「何か俺までついてきちゃって、ごめんね」
こめかみを指で
「徹君はマネージャーさんなんだから、参加してくれないと困っちゃうよ」
夏樹の中では徹の役割がもう決まっているらしい。沙友里も徹を見ながら頷いている。二人とも徹が参加していることに何の違和感も持っておらず、むしろ参加してほしいと思っている。俊介が横目で徹の顔を見て、『ほら、大丈夫だろ』と声を出さずに唇を動かして微笑んだ。徹も安心したのとこれからも堂々と参加できる嬉しさで、一人満足な気分で水をもう一口飲んだ。
夏樹は自分の前にある水の入ったコップをテーブルの端によけて、一枚の紙を置いた。
その紙には「ダンスコンテスト申し込み要項」と書かれてある。夏樹は申し込み要項を指さしながら、
「早速なんだけど、いま一番の問題は時間が無いということなの」
俊介と徹は用紙に顔を近づけ、日程に関する項目を読んだ。
「申し込み締め切り、十一月五日……」
小さな声で読み上げる俊介の横で徹は慌てるように顔を上げた。
「もう三日後じゃないか」
「そうなの、今日申込用紙を速達で発送したいの」
夏樹は緊張した面持ちだ。そんなやり取りの中、注文した飲み物が運ばれて来ると、夏樹は用紙をいったん自分の胸元によけ、沙友里と徹は皆の飲み物を店員から慎重に受け取り自分達の方に置いて、用紙を置く場所を空けた。
「お砂糖とミルクは?」
沙友里がミルクポットに手を伸ばしながら徹に聞くと、
「俺はブラックだから」
そう目を細めて笑顔を見せた。俊介はコーヒーを自分の方に引き寄せながら、『クリームソーダ野郎が』と
沙友里が眼でミルクと砂糖を俊介に勧めてきたので、
「じゃあミルクを」
と応じた。温かい香りを立てているコーヒーにミルクを入れると、細長く白い線がカップの中で渦巻いた。
俊介はコーヒーカップの上で香りを楽しんだ後、ミルクポットを徹の前に差し出し、
「いいの?」
と小声で挑発すると、
「いらないって」
徹は
「続きなんだけど、予選は約三週間後。こっちも時間があまりない状態なの」
時間的にかなり差し迫った状態であることは俊介と徹も理解したようだ。
『なるほど、どうりで女装ダンスコンテストの後に、強引な行動に出たわけだ』
徹は彼女たちがどんな思いで花咲美容室に飛び込んできたのか想像した後、
「事情は分かったよ。申し込み手続きとかは俺がやる。申込用紙は持ってきているの?」
と申し出た。俊介は軽く身を
「徹、お前積極的だな」
「一応マネージャーだからな。役割はちゃんと果たすよ」
「ほんとうに。助かるわ。申込用紙ならここにあるから」
夏樹は足元にあるトートバックを膝に置き、申込用紙の入った茶封筒を取り出した。
「私と沙友里の部分はもう書いてあるから、後は俊介君が書いてくれれば
夏樹の文字は丸ゴシック調で明るく活発な性格を表しているようだ。沙友里はしっかりとしたペン習字のような文字で、大人な感じがする。いずれにせよ、彼女たちは見やすく綺麗な文字を書いた。文字に自信がない俊介は、同じ用紙に書くことに気が引けてしまう。申込用紙をじっと見ていると、夏樹がボールペンを差し出してくれた。
「間違えるなよ」
ぼそりと呟くと、彼女たちも緊張した面持ちで俊介のペン先に視線を集中させている。
「注目されると緊張しちゃうな」
皆の視線に耐えかねた俊介は申込用紙からペンを離し苦笑いをした。
「そ、そうよね」
夏樹と沙友里は
『なんか美容室で見た時と、感じが違うな……』
美容室で女装姿を見た時の、凛とした印象がいまの俊介からは全く感じられない。ちょっと早とちりしてしまったのではないかと後悔する気持ちがあったが、申込期限が迫っている今となっては、もう選択の余地はない。
俊介は申込用紙を書き終えると手の甲で
「練習時間があまり無いからむやみに練習するより、先にポイントを理解しておいたほうがいいと思う」
そう言い、リュックからパソコンを取り出した。
「自分が女装の時に抑えたポイントがいくつかあるから、まずは一週間ほどでマスターしよう」
「お前も積極的だな」
徹が肘で俊介を突いた。
「まーな。今日すべてを覚えるのは無理だから、どんなところに気を付けたか、少し教えるよ」
急に聡明な感じで話し始めた俊介を見て夏樹は先ほどの不安が消え、カラオケボックスで踊っているだけの自分達と違い、色々と考えながら練習をしてきた俊介との間に大きな差を感じた。
「さすが工学部。ちゃんと研究しているんだ」
沙友里は感心しながら、パソコンが立ち上がるのを待っている。
俊介がココットのダンス動画を再生し、自分のノートにメモ書きしたポイントを説明し始めると、
「ちゃんとノートにまとめてあるの? 見てもいい?」
沙友里は了解を得る前にテーブル越しにノートを見ようとした。
「いや、ちょっと……」
俊介がノートを閉じて膝元に隠すと、
「なによ~、企業秘密なの?」
夏樹がふくれっ
「なにも秘密じゃないから、すべて教えてあげるよ。でも走り書きしたメモだから、字が汚いし……」
「別にそんなこと気にしないのに」
夏樹は沙友里を見ながら呟いたが、俊介にとっては字が汚いことがコンプレックスだった。徹もそれは知っている。彼は昔から字が汚い。中学校の頃、奇跡的に習字で入選した時は先生も驚いていたぐらいだ。
「動画を見ながらの方が分かりやすいよ」
俊介を気づかった徹は、メモ書のことから話を逸らした。俊介は何度も同じ動きの部分を再生して手脚の上げ方や動かし方を説明していたが、
「でもやっぱり最初は振り付けを覚えたほうがいいかな」
と言うと、
「振り付けはもう覚えてあるよ」
夏樹はパソコンの画面から顔を上げ笑った。
「それはよかった。なら十分間に合う」
俊介は美容室で見た夏樹のスマホの写真を思い出した。カラオケボックスで楽しそうに練習している彼女達の写真だ。俊介の説明を興味深く聞いている二人を見て、
『この二人は教えてくれる人が誰もいないまま、ただ踊りを繰り返していたんだろうな』
と少し同情するような気持ちを抱いた。
夏樹は汚いメモ書きとパソコンの画面を交互に見ながら話す俊介を見て、
『この人は一人孤独に踊りの研究をしていたんだな』
と同情するような気持ちを抱いていた。実際はお互い楽しくやっていただけで、誰かから同情されるようなことは全くなかったのだが……。
俊介がノートにメモしたポイントは十個程度だったため、一時間ほどで一通り説明は終わった。
「これで全部だけど、一度には覚えられないだろ。後からメールで送るよ」
「そんなの大変だから、そのメモ書きを写真で撮るよ」
夏樹はまた痛いところをついてくる。
「いいよ、メールで送るから」
「そお、じゃあ、ありがとう」
それ以上俊介にしつこくは言わなかった。
ダンスの話がひと段落した
「他にもまだ決めないといけない事があるな。例えば、衣装とか」
「あ~、衣装があったか~」
夏樹は椅子の背もたれにのけぞるようによっかかり、天井を見上げた。
「衣装は俊介君が着ていた衣装で良いじゃない」
沙友里が洒落た名前の飲み物をストローで数回かき混ぜながら言うと、
「それそれ、あの衣装いいよね。何処で買ったの?」
夏樹はもたれかかっていた体を急に起こし、今度は前のめりになるように俊介に訊いた。
「何処で買ったのかな~?」
「自分で買ったんじゃないの?」
夏樹は不思議そうな顔をして椅子にもたれかかった。
「お姉様に聞いてみろよ」
その言葉に夏樹は机を乗り越えそうなほどに前のめりになり、
「お姉様って誰? 年上の彼女?」
せかすように訊いてきた。沙友里も前のめりではないが、ストローを
俊介は二人の目線をかわすように横を向き、
「姉貴だよ。姉貴」
と答えると、
「お姉ちゃんがいるんだ。お姉ちゃんも協力してくれていたんだね。凄いな~。美容師さんにお姉ちゃん。強力な助っ人がいるんだ」
何故か嬉しそうに夏樹ははしゃいでいる。
「面倒見のいいお姉さんなんだね」
そう感心している沙友里に徹は
「そうでしょ。俺もそう思う。地元の友人は皆『お姉様』って言っているよ。こいつ高校の時に、時々お弁当も作ってもらっていたしな」
「へ~、お姉さんっ子なんだ」
沙友里が微笑むと、
「単なるシスコンだな」
そう言って徹が笑った。
「とにかく聞いてみろよ」
「今か? じゃあメールしてみるよ」
「電話がいいよ。お礼も言わなくちゃだし」
はしゃいでいる夏樹は姉と話がしたいようだ。
「なんでお礼するんだよ。余計なことはしなくていいから」
俊介は『この女、要注意だな』と思いながら姉にメールをした。事情を書くと面倒になるから、
(女装の服、何処の店で買ったの?)
と短い文面を送信し、冷めたコーヒーを飲もうとカップを持つと、返信が来た。
「早っ!」
驚きながら置いたカップにスプーンが当たり甲高い金属音が鳴った。スマホには店の名前が書いてあり、文面の最後に、
(通販でも買えるから、大丈夫よ。お姉さまより)
と書いてある。何だか事情を
『詳しいことはまた後でメールすれば良いか』
そう思い(ありがとう)と一言返信した。
「さすがお姉様! よしっ、衣装とかは俺が手配するから、皆はダンスに集中してよ」
「本当に助かる、ありがとう」
夏樹と沙友里は頼れるマネージャーが出来て、気持ちが楽になっているようだ。
「今度の練習は土曜日でいい? それまでに私たちはポイントを復習しておくから」
「土曜日で良いけど……」
俊介は了承しながら、他の心配事を話そうとした。
「練習場所をどうするかだな」
続きを徹が言うと俊介は頷き、夏樹と沙友里も肩を落として考え込んでしまった。
「それも俺が何とかするよ」
徹はダンス以外は引き受けるつもりだ。
一回目のミーティングは予想以上に充実して終った。徹が一番充実した気分だったかもしれない。
帰りの電車で俊介は徹に話しかけた。
「ところで練習場所のあてはあるのか?」
「無い」
「だろうな」
俊介の笑顔につられ、徹も笑った。
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