第9話 チーム結成 その9

 今朝けさまでためらいを感じながら美容室の扉を開けていたのに、今は自分の部屋の扉を開けるような気分だ。扉の鐘もスタッカードのように聞こえる。

「すみませーん」

 と声をかけると、奥から花咲のこもったような声がする。

「はーい」

 口に入れたビスケットがまだ飲み込めていないまま、履きかけのナースサンダルを引きずるように出てきた。

「お帰りなさい! どうだった?」

 口の周りの粉を軽く払い、二人の顔を交互に見た。

 徹が紙袋の中から優勝のトロフィーを取り出し終わるのを待って、俊介が、

「おかげさまで、優勝できました」

 その言葉に、花咲は俊介の両肩に手を置いてまばたきもせず右から左から顔を見た。

「やっぱりね。お兄ちゃん綺麗だもん」

「そっ、そうですか?」

 俊介も照れてはいるが、まんざらでもない。

「メーク落とすのもったいないから、しばらくそのままでいたら?」

 花咲にからかわれ、俊介は「まいったな~」と笑っている。


 そんな店内を夏樹と沙友里はガラス越しにのぞいていた。

「わー、トロフィーなんかもらってる。ここでメークしたのかな?」

 夏樹は街路灯に照らされた店の外観を見渡している。沙友里が店の扉の文字を見て、

「花咲美容室だって。プラカードに書いてあったお店だよ」

「どうしよう、中に入ろうか?」

 夏樹が躊躇ちゅうちょすると、沙友里もどうすれば良いのかわからない。

「夏樹が突入してくれないと、私も入れないよ」

「えー、そうなの?」

「そうなの」

 うす暗い店先で押し問答もんどうをした後、夏樹が思い切って扉に手をかけた。

 ゆっくりと扉を開けると小さい音で鐘が鳴り、気付いた花咲が、

「あっ、ごめんなさい、今日はもう閉店でして……」

 と、申し訳なさそうな笑顔で断ってきた。

 この後の段取りなんて何も考えているわけもなく、行き当たりばったりだ。しかし断られてしまうと引き下がるしかない。

「あっ、そうですか、すみません……」

 作り笑いを浮かべながら扉の方に振り返ると、沙友里が眉間みけんにしわを寄せて立っている。

「そうじゃないでしょ。会って話があったんでしょ」

 沙友里に小声で責められると、

「でもでも、どうすればいいの……」

 夏樹はトートバックの持ち手を胸の前で絞るように握り、声を殺してゴネた。いつもは活発で突っ走っている夏樹なのに、今は沙友里をよけてこの場から逃げ出そうとしている。見かねた沙友里が夏樹の行く手をさえぎるように小さく体を動かしながら口火くちびを切り、

「あの、私達、女装ダンスコンテストを見ていたんですけど……」

 そう話し始めると、徹が、

「あっ、ポップコーンを買ってくれたよね」

 思い出したように指を鳴らした。

 ポップコーン店で少し目が合っただけなのに、自分の事を覚えていたことに驚いた沙友里も、次の言葉が頭から抜けてしまい、苦し紛れに、

「この子がそちらの人と話がしたいって言うから……」

 後ずさりしながら、夏樹に話をふった。

「えっ、私!」

 夏樹はトートバックの持ち手を両手で握りしめたまま、怖いものを見るように俊介の方に首を回したが、眼の端に俊介が入ってくると、また沙友里の方を向いてしまった。

 夏樹も沙友里も顔を真っ赤にしながらどっちが話すか、なすり合っている。俊介と徹は突然店に入ってきた女の子が、ショートコントのようなやり取りをしている様子を真顔まがおで見ているだけだ。花咲が助け舟を出すように彼女達に話しかけた。

「わざわざお店まで来てくれたのね。ありがとう」

 花咲にお礼を言われ、夏樹と沙友里は少し正気を取り戻し、

「い、いえ、どういたしまして」

 ようやく言葉が出てきた。

「このお兄ちゃん綺麗だから、ついつい興味がわいちゃうよね」

 さらに花咲が話しかけると、沙友里は静かな美術館で水彩画の感想を述べるように、

「ほんと、驚きました。メークがお上手なんですね」

 とめた。

「もともとこのお兄ちゃんが綺麗なのよ」

 花咲が俊介を見ながら自慢した。

「いや~、嬉しいというか、なんか複雑だな……」

 俊介は照れながら頭をかいている。その声を聴いた夏樹は夢から覚めたように俊介を見て、

「あっ、男だ!」

 と呟いた。

 その言葉に慌てた沙友里が、

「そりゃそうよ。失礼だよ」

 そう小声でたしなめた。

「そうだろ。俺も声を聞いたときに、がっかりしたよ」

 徹の冗談交じりの話し方に皆から笑みがこぼれ、場が和やかになってきた。

「そういえば、自分に何か話があるんだよね?」

 俊介が話を戻すと、夏樹と沙友里は目を見合わせながらまた戸惑い始めたので徹は内心、

『よほど言いにくいことなのかな。もしかして告白か……』

 と思い、二人と俊介をそれぞれ見たあと、笑顔を消して遠慮するように後ろに下がったが、夏樹が話しだした内容は全く予想していない事だった。

「あ、あの……。ダンス、とても上手でした」

 夏樹が話し始め、

「ダンスはいつからやっているの?」

 上目うわめづかいで俊介に尋ねた。

「ダンスは今回が初めてかな。数週間前から、動画をみて自分なりに練習をしたぐらいだよ」

 この回答には夏樹と沙友里も驚いたようだ。

「そうなの。数週間練習しただけなの?」

「動画を何回か観ていたら、上手に踊るポイントがいくつかあることに気付いただけだよ」

「私たちもダンスの練習をしているけど、あんなふうにはまだ踊れないな」

 引け目を感じた夏樹は首を引っ込めるようにうつむいた。ためらいが出てきたが、ゆっくりと顔を上げ、本題を話し始めた。

「私達、冬にテレビ番組で行われるダンスコンテストに出ようと思っているの」

「テレビに出るの。凄いな」

 俊介が感心すると、夏樹は自分の言葉をかき消すように両手を振り、

「まだ応募もしてないし、予選を通過するかもわからないし……。メンバーも見つからないし……」

「そっか、色々と大変そうだね。でも、もうすぐ十一月だから、期限が近づいているんじゃないか?」

 その言葉を聞き、夏樹は『そう、そうなの』と言わんばかりに、真剣な顔で俊介を見上げながら頷いた。そんなやり取りを聞いていた徹は、

『なんか告白とは違うみたいだな』

 と思いながら、紙袋からペットボトルのお茶を取り出し飲み始めた。俊介を見たまま沈黙していた夏樹が急に大きな声で、


「だから私たちのメンバーになってください! お願いします!」


 ポニーテールをまっすぐ振り下ろすように頭を下げた。その言葉に徹は思わずお茶を吹き出してしまった。沙友里も突然言い出した夏樹につられて深々と頭を下げながら、床に付きそうな夏樹のポニーテールをいのるように見つめ、俊介の返事を待った。

「ちょ、ちょっと待てよ、メンバーになるっていうことは、上手く踊るポイントを教えればいいってことかな? まっ、そりゃ~そうだよね」

 俊介は自分なりに夏樹の言葉を現実的な内容に解釈すると、夏樹は思いっきり首を横に振って、一歩前に出た。

「そうじゃない。私たちと一緒にダンスをして欲しいの。三人でココットを踊って欲しいの!」

 恥も外聞がいぶんも捨てて、訴えかける夏樹の姿に沙友里は目頭が熱くなり、

『まさかここまで本気だったとは……』

 本当の夏樹の思いに初めて気づいたような気がした。この思いに突き動かされた沙友里も、

「お願いします! 一緒に踊ってください!」

 と、夏樹の横に並びもう一度頭を下げて頼み込んだ。

「女装して一緒に踊るの? ちょっとな……」

 無理もない、万が一、予選を通過したら女装してテレビに出ることになってしまう。そう考えるとどうしても断り気味の返答になってしまう。

「やっぱり、無理だよな……」

 しかし、夏樹は体が触れるぐらい詰め寄り、俊介の胸もとで頭を下げた。沙友里も困ったような顔で、徹を見た。その表情は明らかに自分に助けを求めている。そう徹は思い、

「二人とも凄く真剣だから、少し考えてみたら。別に悪いことをするわけじゃないし」

 そう俊介を軽く説得した。

「そんな他人事ひとごとみたいに言うなよ。そもそも女装して出てもいいのか?」

 確かにそうだ、女装して出ていいのか徹も花咲も気になった。

「申込用紙には『性別不問』と書いてあるし、様相ようそうの規定は無い。あくまでもダンスがメインなの」

 夏樹はスマホに保存してある申込用紙の写真を探しながらそう答え、写真を見つけると俊介にスマホを手渡した。

 スマホに写し出された申込用紙の写真をスクロールしていくと、カラオケボックスでダンスの練習をしている写真が表示された。二人とも希望に満ちた笑顔をしている。その二人が今、すり抜けていくラストチャンスを追うような表情で自分の前に立っている。俊介自身もそのダンスコンテストに少し興味はあったが、返事をする勇気が出ない。

 何かを言おうとしては黙ってしまう俊介を見て沙友里は、勢いでお願いはしたものの、だんだん申し訳なく思えてきて、

「あまり、無理なことは言えないよ」

 と夏樹の肩にかかっているくせ毛をそっと手ではらうと、夏樹も頷いて唇を噛んだ。

 決して悪ふざけではない、真剣な二人の気持ちを感じた俊介は『もうどうにでもなれ』と心で叫び、かろうじて聞き取れるぐらいの声で返事をした。

「わかった、メンバーになるよ」

 その静かな呟きに耳を疑うように、皆が一斉に俊介の顔を見た。

「ただウケ狙いは嫌だ。やるからには本気でダンスをしないと、恥ずかしい」

 意を決したそのりんとした表情が、また美しい。夏樹は再び見惚みとれてしまった。

「本当に良いの?」

 沙友里が恐る恐る聞くと、

「良いよ。もう決めたから」

 俊介は笑顔できっぱりと答えた。

「ありがとう。本当にありがとう!」

 夏樹は俊介の両手を強くつかみ、大きく上下にふりながらこぼれんばかりの笑みではしゃいだ。

 二人が映った沙友里の眼から一粒の涙がこぼれ、その涙を指でふき取りながら徹を見ると、軽くお辞儀をした。徹も笑顔で応え『可愛い子だな』と改めてそう思った。

 花咲は目を赤くし顔全体を濡らして泣いている。徹が、

「泣きすぎですよ~」

 と、ちゃかすと、

「歳をとると、涙腺るいせんゆるくなるのよ」

 鼻声で言いながら柔らかいタオルに顔をうずめた。

「うちのお母さんもテレビを見ながら、すぐ泣いちゃうのよ」

 夏樹の言葉で、店の中は笑い声に包まれた。

 別々に転がっていた若者たちの気持ちが、一丸となって転がり始めたようだ。

 

 店内では自然の成り行きで自己紹介が始まっていた。

「自分は城山俊介。工業大学で電子工学を学んでいるよ」

「俺は杉下徹。俊介と同じで電子工学。俊介とは中学校からの同級生で、俺たちは愛知あいち出身なんだ」

 徹は俊介も含めて自己紹介をした。

「愛知から来ているの。行ったことないな~」

 夏樹の頭には金のしゃちほこぐらいしか思い浮かんで来ない。

「私は鷹山夏樹。大学では福祉課を専攻しているの。あっ、沙友里も一緒」

「私は藤原沙友里です」

 夏樹に紹介してもらったため、言う事が名前しか出てこなかった。

「二人は幼馴染おさななじみなの?」

 徹の問いに、沙友里は自分を指すように胸に手をあて、

「私たちは大学に入ってから知り合ったの」

「そっか。でも幼馴染のように仲が良いね」

 夏樹と沙友里はお互いの顔を見ながら照れくさそうに頷いている。

 そして俊介が思い出したかのように、

「そういえば美容師さんのお名前をお聞きしていなかったです」

「優勝の立役者なのに、美容師さんのお名前を知らなかったの?」

 夏樹が信じられないと言った様子で俊介を見ると、俊介は下を向いた。

「いいのよ、いいのよ、私の名前を聞いてくるお客さんなんていないから、気にしないで」

 花咲は俊介を気づかいながら笑っている。確かに、ほとんどの客は美容師の名前をたずねることはしないだろう。俊介は、

「もしよかったら、お名前をお聞きしてもいいですか?」

 と改めて名前を尋ねた。

「私の名字みょうじは花咲。お店の名前よ。下の名前は智子」

 花咲は姿勢を正し、軽く会釈えしゃくしながら自己紹介をした。

「お店のお名前は名字だったんですね。とても綺麗な名字ですね」

 沙友里は名前のひびきに感心している。

「まあね。ちょっと名前負けしてるかな」

 夏樹も正直に、

「そんなことないですよ。名前通りだと思いました」

「ありがとう」

 花咲は涙で濡らしたタオルで口元くちもとを抑えながらお礼を言った。

「さてと、すっかり夜になっちゃったから、そろそろメークを落とさないとね。俊介君」

 初めて名前で呼ばれ、俊介は親近感しんきんかんが湧いたような感じを覚えた。

「私たちはそろそろ帰ります」

 沙友里が切り出すと、

「本当だ。もう帰らないと。じゃあ最初のミーティングは何時にしようか? 火曜日の夕方はどうかな?」

 皆予定は入っていないようだ。夏樹の提案で、ミーティングの日程が決まった。

「今日は本当にありがとう。これから頑張ろうね」

 夏樹が元気よく扉を開け、沙友里もお辞儀じぎをしながら、

「本当にありがとうございました。じゃあ、また」

 静かに扉を閉めた。

 二人が帰った後の店内に静けさが戻り、張りつめていた気持ちが緩んできた。

「腹減ったな。この後、飯に付き合えよ」

 俊介の誘いに徹も快く了解してくれた。

「ところで、俺はそのダンスコンテストに出場しないけど、今度のミーティングに参加する必要はあるのかな?」

 徹はミーティングにあまり興味が無いようなふりをして、さりげなく俊介に確認してみた。

「当然だよ。徹はマネージャーだ。俺一人で参加させるのは、勘弁してくれ」

 俊介が鏡に映った徹を見ながらせがんだ。

「確かに、徹君はマネージャーみたいに段取りをするのが得意そうだもんね」

 花咲は機転きてんをきかしてプラカードのアイデアを出したりする徹は、裏方で皆を支える役回りの方があっている気がしていた。徹もマネージャーと呼ばれて悪い気分ではない。

 それと沙友里にまた会えるという期待もあった。


つづく……

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