第8話 チーム結成 その8

 体育館の中は満員では無いものの、手を延ばせば隣に当たるぐらいに人が入っている。しかも男子学生が八割ほどを占めていた。ステージの上では実行委員の学生達が、段取りの打ち合わせをしているようだ。

 夏樹は目的の場所があるように男子学生の間をすり抜け、どんどん歩いて行く。沙友里も離れないように夏樹の通った軌跡きせきを追いかけると、一番前にたどり着いた。男子学生の視線が気になり、後ろを振り向くことが出来ない。

「一番前で見るの?」

 沙友里はステージの方を向いたまま頭だけを夏樹に傾けた。

「だって私背が低いから、後ろだと見えないもん」

 夏樹は始まるのが待ち遠しそうに舞台脇をのぞいている。

 突然、明かりが落ち、三つのスポットライトがステージを照らした。マイクを持った二人の男子学生が漫才師のように手を叩きながらステージ中央に駆け寄ってきた。

「みんな、待たせたな! いよいよ女装ダンスコンテストが始まるぜ! 今年のテーマは『俺に惚れるんじゃねー!』。惚れて火傷やけどしても知らんぞー!」

 観客の学生から歓声と冷やかしのヤジが容赦なく飛び交っている。

「そんなにレベルが高いのかー!」

火傷やけどさせてみろー!」

「とっとと、始めろー!」

 この野獣たちのノリに沙友里は少し引いてしまい、後方から飛んでくるヤジをかわすように耳を押さえながら肩をすぼめていた。

「夏樹、ここにいて大丈夫かな?」

「何か変なことされたら、私がぶん殴ってやる!」

 夏樹はこの雰囲気に全く物おじせず、相変わらず強気だ。

 急に鼓膜を突き破る程の音で音楽が流れだすと沙友里は瞬時に体を硬直こうちょくさせ、舞台の方を見た。もう笑顔はどこかに行ってしまい、恐怖しかない。

 腹底に響くようなテンポの速いリズムにのって最初の参加者がステージに飛び出してくると、はちの大群を振り払うように手や脚を無茶苦茶むちゃくちゃに動かしたダンスで、観客にセクシーさをアピールしている。いや、アピールしているというより押し付けている感じだ。テンションが上がった男子学生達の奇声きせいがとどろく。沙友里はわずかに振り向きながら、周りの男子学生を見た。いつもは男子を見ると少しはドキドキして嬉しい気持ちになるが、いまは男子を見るのが怖い。何かに取りつかれたように盛り上がっている。

『男って集団で意気投合いきとうごうすると、こうなるのか……』

 沙友里にとっては初めての経験だ。

 二人目、三人目と進んで行くにつれ、だんだんと観客の男子学生は訳も分からず盛り上がっていく。その盛り上がりに応じるように、参加者の行動もエスカレートしていった。尻を突き出すように腰を振ったり、脚を高々と上げている。パンツが見えるたびに、観客の雄叫おたけびがとどろく。完全に男子の悪ふざけだ。あまりの下品さに沙友里は気分が悪くなり、その場にいるのが辛くなってきた。「もう帰ろうよ」と夏樹に話しかけようとしたが、夏樹は大笑いしながら参加者のめちゃくちゃな踊りを楽しんでいる。その様子に絶望的な気持ちになってしまった。『男のパンツ見て何喜んでるのよ!』そんな心の叫びが聞こえたのか、夏樹は笑いながら沙友里のほうを向くと、そこには周りの盛り上がりと思いっきり温度差がある、冷めきった沙友里の顔があった。

 沙友里には嫌な予感しかしない。

『この時点でパンツということは、この後は絶対にろくなことが起きない』

「夏樹、もう帰ろうよ」

「えー、面白いじゃん。もうちょっと見ていこうよ」

 夏樹は、まったく聞き入れてくれない。沙友里はこれ以上変なものを見せられそうになったら一人で外に出ようと思い、耳を両手で抑えながら下を向いていた。

『なんでこんなところに来ちゃったんだろう』

 ふっと、さっきポップコーンを買ったお店の奥で、プラカードを作っていた男子学生が頭に思い浮かんだ。特に一目惚れしたわけでもないが、現状の毒々しい状況を解消するための解毒剤げどくざいのような作用で脳裏に思い浮かんだのかもしれない。

「いよいよラスト! 本当に惚れるんじゃないぞ!」

 司会者の学生が、観客に向かって叫んだ。

『惚れる要素なんて、何もないじゃない』

 沙友里は恐怖心や呆れる気持ちを通り越して、イライラし始めた。

 ラストの参加者の名前が呼ばれると今まで流れていたアップテンポの曲が止み、明るく女の子らしい曲が流れ始め、沙友里と夏樹は思わず目を合わし、

「私たちが今練習している曲だ」

 同時に同じことを言った。二人がダンスの練習をしている時の曲、ココットの曲だ。

 いままで野獣のような奇声を上げていた観客の男子学生たちの声が止み、驚きの感嘆かんたんが上がっている。

「おおっー。凄いな」

「まじかよ。男なのか……」

 顔を見合わせていた沙友里と夏樹もステージに目を向けたが、そこには男子の姿はどこにもない。綺麗な女性がココットの曲に合わせてダンスをしている。その動きも完全に女性だ。白い衣装がとても可愛らしく、金色のベルトが格好良い。自然な流れでクールな動きには、何時までも見ていたいと思わせる心地よさがある。沙友里と夏樹も目が釘付くぎづけになっていた。

 いつのまにか観客すべてが俊介の女装とダンスのとりこになり、立ち尽くしている。踊りながらはにかむような笑顔に夏樹はドキッとした。

『素敵だ……』

 心でそう呟いた。そして『私もあんな風に踊れたら……』と憧れる気持ちと同時に嫉妬しっとに近い感情も湧いてきた。

 ステージの横にはポップコーン店の奥で男子学生が作っていたプラカードが表示されていて、そこには「メーク、ヘアーセット協力  花咲美容室」と書かれてある。

『美容室に協力してもらってるの?』

 さっきまであまりの下品さに気がめいっていた沙友里の眼はまばたきを忘れ、ステージ上の俊介を追っていた。

 曲のラストに近づくと何処からともなく観客がざわめき、野獣たちがまた遠吠とおぼえを始めた。先に出番を済ませた他の参加者達も遠吠えに本能を刺激されステージに出てきて踊りだすと、また異様な雰囲気で盛り上がりだした。

『なんでまたあなた達が出てくるのよ』

 沙友里はせっかく芸術を鑑賞かんしょうしていたのに、また下品な物を見せられて腹が立ち、参加者たちをにらんだ。

 俊介のダンスが終わると、感動と驚きに満ちた野獣達が拳を握った両腕を大きく広げ言葉にならない奇声きせいを上げている。その拳は今にも身体に触れそうだ。沙友里はたまらず、

「夏樹、もう行こうよ」

 と、せかした。

「まだ審査結果があるから……」

 夏樹はもう少しその場にいようとしたが、

「結果なんて、もういいわ」

 強い口調で言いながら夏樹の手を掴むと、その場から脱出するように出口の方に向かって進みだした。夏樹も沙友里に引っ張られながら、人にぶつかる度に、

「あっ、すみません、通ります」

 と、謝り、どうして沙友里が怒っているのか不安だった。

 体育館の外に出ても、まだ夏樹の手を引っ張って歩き続ける沙友里に、

「ちょ、ちょっと、どうしたの? 怒ってるの?」

 その言葉を聞いて、沙友里は立ち止まり、

「あっ、ごめん、手、痛かった?」

 と、手を引っ込めるように夏樹の手を離した。

「大丈夫だけど、どうしたの?」

 沙友里が取り乱している理由わけを夏樹はあれこれと考えた。

「えっ、なんか、ちょっとね。ああいう雰囲気、苦手かな……」

 沙友里は言葉尻ことばじりにごしながら目線を落とした。ダンスコンテストを楽しんでいた夏樹に遠慮しているようだ。夏樹も沙友里には合わない場所だったかな、と思い、

「確かに異様な雰囲気だったよね」

 沙友里を気づかうように笑った。体育館の中から、

「優勝は、最後に踊った電子工学科、城山俊介~」

 という司会者の声が聞こえてくる。

「やっぱり、ココットの人が優勝したんだね」

 気を取り直しながら顔をほころばせた沙友里に夏樹も気持ちが楽になった。

「まあ、全然次元が違ったからね」

 そう言うと、二人とも無言で近くのベンチに座った。

 しばらくして夏樹が何かを思いついたかのように、

「優勝した人に会いに行こうよ」

 その突拍子とっぴょうしもない言葉に、

「急に、どうしたの?」

 沙友里も驚いたが、会いに行く理由を夏樹から聞くと、さらに戸惑ってしまった。

「え~っ、それはちょっと、どうかな……」

 それは考えもつかないような理由だ。

「ダメかな? 沙友里が反対なら止めとくけど」

 そう言いながらも内心は沙友里に賛成してもらいたい。沙友里はどう返事していいのか分からず、靴で地面をなぞっている。

「私は良いけど、本当に会いに行くの?」

 戸惑いはあったが、夏樹についていくつもりのようだ。

「うん、でも何処にいるのかな~?」

 肝心かんじんの居場所が分からないことに気づき、また二人とも無言になってしまった。足をブラブラさせながら地面を見ている夏樹の横で、沙友里はももの下に手を挟み特に何を見るわけでもなく、遠くに目線をやった。体育館の裏口から二人の学生がこっそりと出て来るのが見える。一人はダッフルコートを羽織り、フードを深々とかぶっている。もう一人はポップコーン店の奥でプラカードを作っていた男子のように見えた。

『あっ、あの人……』

 沙友里はそう思うと、瞬時にいくつものキーワードが頭に浮かんだ。

『ポップコーン店の男子、プラカード、花咲美容室、友人、女装していた男子』

 見失わないように目線を二人にさだめたまま、慌てて隣にいた夏樹の肩を揺すった。

「あの人、あの人、さっきの女装の男の子だよ!」

 二人の男子はどんどん離れていく。沙友里もつられるように立ち上がり歩き出した。

「ちょっ、ちょっと、待ってよ。どこ行くの?」

 夏樹は状況が理解できないまま、ハーメルの笛に引き寄せられるように歩いて行ってしまう沙友里を追いかけた。沙友里は前を向いたまま、左手だけを後ろにいる夏樹に差し出し、

「夏樹が会いに行こうって言っていた、女装の男の子がいたんだよ。早く追いかけなきゃ」

 そう言うと、ますます足早に歩きだした。

「えっ、本当? 沙友里、凄いじゃん!」

 夏樹は小走りで沙友里の前に来てはしゃいだ。

「あの二人、何処に行くのかな?」

 夏樹は後をつけているこの状況を楽しんでいる。

「とりあえず、ついて行ってみようよ」

 沙友里は話しかけるタイミングを見計らうつもりのようだ。

 俊介と徹は優勝の報告と、メークを落としてもらうために花咲美容室に向かっていた。俊介が優勝して、気分が良くなっていた徹が、

「誰も女装だとは思わないから、フード外しちゃえば?」

 と言って、フードに手をかけると、

「おい、おい、よせよ」

 俊介はフードを押さえつける仕草をしたが、徹がしつこく言ってくるから恐る恐る周りを見ながら、フードを外した。確かに誰も怪しんでいないようだ。しかし、すれ違う男性の目線は自然と俊介に向いていた。

「今の人、お前の美貌に、ついつい目線がいっていたな」

 徹の言葉に俊介も調子乗って、

「俺に惚れてしまう男もいるかもな」

 と上機嫌だ。

 そんな二人を立て看板の陰から見ていた夏樹と沙友里もざわざわしていた。

「あっ、フード外したよ。何考えてるの~」

 沙友里がそう小声で言うと、

「自分が綺麗だから、自慢して見せびらかしているのよ。まったく。別にそんなに綺麗だとは思わないけど」

 沙友里は夏樹が俊介の綺麗さにちょっと嫉妬しっとしているのかと思ったが、実際は嫉妬というより、好きな人の悪口をついつい言ってしまうような感情が近いだろう。

 俊介と徹が小さな店に入り、

「お店に入ったよ」

 夏樹と沙友里は同時に言うと、店に駆け寄った。

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