第7話 チーム結成 その7
眠りの中で徹は、自分を呼ぶ声を聞いていた。その声は遠いような気もするが、近いようでもある。
「……さん、マネージャーさん、終わりましたよ」
夢のはざまで、自分が何処で何をしているのかよくわからなくなっていたが、誰かに呼ばれている。今度は軽く体が揺れ、
「マネージャーさん、起きて」
「ハイッ」
徹は冷や水をかけられたように椅子にもたれかかっていた
「あら、寝ぼけてるわ、この子」
ようやく状況を思い出した徹が現実を確認するように辺りを見回していると、
「よく眠れた? メーク、終わったよ」
そう言って花咲は奥の方に視線を移した。
花咲の視線の先に俊介はいない。そこには、筆で一本の線を一気に書き下ろしたような迷いのない美しさと、非対称さやかすれなどが作り出すバランスのよさを感じさせる女の子が立っている。
「えっ……。俊介か……?」
まともに言葉が出てこない。女装と言えばちょっとキツ目のメークを想像していたが、決して濃いメークではない。それは「美しくした」ではなく「美しさを引き出した」メークだった。
徹が俊介に
徹は俊介との距離を少しずつ縮め、
「あ、あの、ちょ、ちょっとハグさせてくれ」
「それは、
俊介は
「な~んだ、やっぱり俊介だな。夢を壊すなよ」
「当然だ、お前、なに考えてるんだよ!」
徹を突き放した腕には鳥肌が立っている。そんな
徹はようやく頭が回転し始めたように、
「せっかくなので、こちらのお店でメークをしたことをピーアールしてもいいですか?」
花咲は思わぬ問いかけに、戸惑いながら、
「ピーアール? どうやるの?」
「俊介がダンスしている時に、お店の名前を入れたプラカードを出すんです」
このアイデアに俊介が思わず、
「それはご迷惑だよ。ファッションショーとかだったら良いけど、工業大学の女装ダンスコンテストだぞ。イメージを悪くしてしまうよ」
花咲は『なるほど~、それも言えるかな』と思っていた。
徹はその意見を打ち消すように、
「確かにそうかもしれないけど、それは今までの女装ダンスコンテストの場合だよ。でもこれだけ素晴らしいメークなら逆にプラスイメージになるに違いない」
その言葉は自信に満ちている。俊介も花咲も徹の
「いいわよ、君の好きにして。でもそんなことしても、君たちに何の得もないのに、どうしてそんなに一生懸命なの?」
「だって、こんなに素晴らしいのに、皆にピーアールしたいから……」
花咲はとくに店を大きくするつもりもなかったから、お店のピーアールとかには興味がなかったが、あまりにも熱心な徹に押された感じで『まっ、乗り掛かった舟だから、いっか』と思っていた。
俊介は季節的にまだ早い黒色のダッフルコートを
「本当にありがとございました。結果はまた報告しに来ます」
花咲に頭を深く下げた。
「頑張ってね。結果を楽しみにして待っているから。その時にメークも落としてあげるよ」
花咲は二人を見送ったあと扉の札を「営業中」に戻し、店に入った。
美容室を後にしてしばらく歩くと、
「まじかよ。よくやるよな~」
聞き覚えのある声に心臓の脈が乱れるような気がした。
『下池か。嫌なヤツに会ったな……』
徹の顔にはその感情が、ありありと出ている。
「女装ダンスコンテストの為に美容室でメークするとは。あんなの
俊介も徹も言い返す言葉がないまま黙っている。なぜこういう時、一生懸命にやっている人より、バカにしている人の方が優勢になるのだろうか……。
「あいかわらず、ココットか?」
鼻で笑うような下池の問いかけに、
「ああ」
俊介はいつものように短く答えたが、徹は答える必要など無いと言うように顔をしかめ、小さく手を振った。
「ネットでは面白いぐらいにココットが叩かれているって言うのに、ほんと空気が読めないのにもほどがあるよ」
もっともらしい口調で俊介の顔に指をさした時、徹が下池の胸ぐらを
「行こうぜ」
俊介はかすれた声で言ったが、
「また逃げちゃうんだ」
と尚もけしかけてくる。俊介の表情に怒りは無い。冷たく下池を見ると、
「お前は人の眼を気にして、
静かにそう言い、下池に背を向けて歩き出した。
「は? 俺はおまえ達と違って、常識があるだけだ」
背後から
「だったら、縮こまっていろ」
徹はそう言残して俊介の背中に続いた。下池は大きく
しばらく二人とも何かを考えながら無言のまま歩いていたが、徹が気持ちを切り替えるように、
「俺は美容室のプラカードを作りにサークルに戻るよ。俊介は先に体育館に行っていてくれ」
声を弾ませ、走り出した。
「お、おいっ。一人にしないでくれよ……」
そう呼び止めたが、徹は走りながら振り返り、嫌な感情を振り払うように手を数回振って行ってしまった。
『まじかよ、こんな格好で一人にされて。誰かに気付かれたらヤバいよ。まてよ、怪しまれて警官に呼び止められたら、もっとヤバい』
俊介はダッフルコートのフードをさらに深く
「女装ダンスコンテストって……、何処で行われるのかな?」
追い抜かれる際に、息を切らしながら話す声が聞こえた。
『あの子たちも見に来るのか。なんか緊張するな』
夏樹と沙友里は工業大学に向かっていた。
沙友里が大学祭のビラを見ながら、
「女装ダンスコンテストは……、体育館って書いてあるよ」
と言うと、夏樹は小走りになった。
「早くいかないと、見る場所無くなっちゃうよ」
まるで遊園地に行く子供のようだ。
「そんなに満員になること無いと思うけど。あまり期待しないほうが良いって」
沙友里も小走りで夏樹を追った。
大学の正門をくぐると色々な出店が並んでおり、思っていた通り男子学生のほうが圧倒的に多い。女子が珍しいのか、たくさんの男子学生がそれぞれの出店で作っている食べ物を手に持って、近寄ってきた。足を止めずに笑顔で断りながら通り過ぎて行くと、バターの風味に包まれたコクのある香がしてきた。
「ポップコーン、食べようよ」
夏樹の言葉に、沙友里も食欲を抑えられず唇を固く閉じたまま何度も頷いた。
エプロン姿の男子学生がバターとコーンを鍋に入れ、蓋を片手で押さえながら小刻みに鍋を振っている。ポップコーンが出来る様子を興味深そうに見ている夏樹の横で、沙友里は出店の奥でわき目も触れずプラカードのような物を作っている男子学生が気になった。
『何を作っているのかな』
そう思っていると、鍋の中で小石が擦れるような音をたてていたコーンが、軽くて陽気な無数の破裂音をたて始めた。
「はいポップコーンお待ちどうさま。この後、女装ダンスコンテストがあるから、良かったら見て行ってよ」
とエプロン姿の男子学生が身を乗り出し体育館の方を指さした。
「私達、そのコンテスト目当てで来たんですよ」
愛想の良い夏樹の声に、奥でプラカードを作っていた徹が二人の方に視線を向けた時、徹をじっと見ていた沙友里と目が合った。沙友里は思わず目を逸らして熱々のポップコーンを受け取り、夏樹と一緒に体育館の方に歩いて行った。
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