第6話 チーム結成 その6

 金曜日の夕方、夏樹と沙友里はカラオケボックスに向かっていた。普段は人気ひとけのない教室で振り付けを覚えたりしていたが、週に二回ほどカラオケボックスで曲に合わせて練習をしている。今日はようやく覚えた振り付けを、通しで踊ることにしていた。夏樹はトートバッグを肩にかけ、片手で振り付けをなぞりながらはずむように歩いている。沙友里は夏樹の歩幅に合わせながら、歌を口ずさんでいた。

 黄色いカラオケボックスに入ると、レジの下に貼ってある大学祭のポスターが今日も目に入ってきた。

 以前に沙友里を工業大学の大学祭に誘ったがにごした返事をしたので、それっきり誘うことはしなかった。でも、やっぱり気になってしまう。

「ねえ、今度の日曜日、暇だったら工業大学の大学祭に行ってみようか?」

 夏樹はポスターに顔を向けたままトートバッグの持ち手を固く握り、もう一度いてみた。きっと今回も曖昧あいまいな言葉でかわされちゃうのかな、と思っていたが、沙友里の顔を少し見ると、真顔でこっちを見ている。

『あれ機嫌を損ねちゃった?』

 不安になったが、沙友里は右の眉を上げ、

「しょうがないな~。行ってみるかね。夏樹君!」

 と夏樹の肩に手を置いた。

「ありがとうございます、部長!」

 夏樹も沙友里の調子に合わせ、嬉しそうだ。

「でも夏樹のお目にかなった男子がいるとは限らないから、あまり期待しないほうが良いよ」

「別に男子目当てじゃないもん」

 夏樹は口をとがらせた。夏樹が本当に男子目当てではなかったことは、沙友里はこの時に気付くはずもない……。

 

 その頃、俊介は不安に襲われていた。

 今まではひたすら踊りの練習をしていて冷静に考える余裕はなかったが、踊りの目処めどがたったとたん、自分の状況が客観的に見えてきてしまったからだ。

『俺、女装をして大勢の前でダンスをするんだよな……。マジかよ……』

 悪いことをするわけではないが、とんでもない事をしようとしているのではないかと思うと、後悔こうかいと共に辞退する為の言い訳があれこれと浮かんできた。仲間とノリでやるならまだ気は楽だが、一人で出場するから逃げ場がなく、さらに逃げ場を探してしまう。俊介は思わず姉にメールをした。

(ついに明後日ダンスコンテストだ。やっぱり女装して人前でダンスをするなんて変かな?)

 メールを送信した後に『もし、出場をめなさいって、返事がきたらどうしよう』と悪い方向に思考が落ちていく。すぐに返信が届き『あー終わった』と思いながら恐る恐るスマホを見た。

(あんた真面目ね~。別に気にせずに思いっきり楽しめば良いじゃない。そうそうあんたが女装ダンスコンテストにでる話をお母さんにしたら、お父さんも学生の時に女装コンテストに出たらしいよ。親子してしょうがないな~)

「お姉さま……」

 そう呟いた。小学校に入る前までは姉の事を「お姉さま」と呼んでいた。姉の暖かい文面に俊介の心は一瞬、幼い頃に戻った。

 これで何の迷いもない。最後の仕上げに踊りを繰り返すのみだ。

「もう全力でやるしかないぜ!」

 

 しかし日曜日の朝にはそんなおまじないの効果も消えており、『やっぱり、大丈夫か……』と再び俊介は不安に襲われていた。また姉にメールをしようとしたが、姉の優しい顔は二度は続かない。きっと次は「まだそんなこと言っているの!」と叱られるのは容易に想像できる。俊介の脳裏に、怒った姉の顔がよぎった。

『怖っ。目が合ったら石にされてしまう……』

 あと用事も無く連絡できる相手は徹だけだ。徹にメールを送ろうとしたが『不安だから、はげまして』なんて書くわけにもいかない。何と話し出せばいいか分からないまま、電話をした。

「徹か? 俺、俊介だけど」

 電話の向こう側から男子学生達の笑い声や、「まいどー」と言う威勢いせいのいい声が聞こえてくる。徹が所属するサークルは大学祭でポップコーンを売っているらしい。

「おう、俊介か。ポップコーンが大人気で大変だよ!」

 周囲の声や発電機の騒音にかき消されないぐらい、徹の声は割れて響いている。

「そっか~、忙しそうだな。なかなか手が離せそうに無さそうだな」

 俊介がわざと残念そうな声で話すと、徹は期待通り俊介の気持ちをさっし、スマホと反対側の耳に指を突っ込みながらポップコーン店から少し離れた。

「今日は女装ダンスコンテストだな。予定を教えてくれ、少ししたらそっちに行くよ」

 ありがたい。やはり持つべきものは友だ。俊介はメールに美容室に行く時間や、会場までの段取りを箇条書きにして送信した。送信した後、すぐに電話が鳴り、

「お前、何しに美容室に行くんだ?」

 その声は驚きと言うか、俊介を問いただしている。

「い、いや。メークとヘアーセットをしてもらうためだけど」

「マジかよ。突然行っても大丈夫なのか?」

「一応事情は話して、予約はしてあるよ」

「凄いな。そこまで計画的にやっているとは。なんか面白くなってきたな」

 徹は電話を切り、近くの仲間に「今年の女装ダンスコンテスト、期待してろよ!」と声をかけ、ポップコーンのカップを持って駐車場に走って行った。車を走らし、最初の赤信号で停車すると、一人で準備していた俊介に気づいてあげられなかったことが、申し訳なく思えた。青信号で発進した後、徹のハンドルさばきは、やけに丁寧で静かだった。

 

 俊介の部屋の呼び鈴が二回鳴った。

 ドアを開けると香ばしいかおりをまとった徹が、

「大好評のポップコーンだ!」

 と、あふれんばかりのポップコーンを、俊介の顔の前に差し出した。

「うまそうだな~。サンキュー」

 ポップコーンを受け取り、三つほどまんで口の中に放り込んだ。

「ところで服はどうするんだ? 何を着るの?」

 俊介はポップコーンの入ったカップを机に置くと指をジーパンでぬぐい、数回頷くように笑みを浮かべ、袋の中の衣装を取り出した。

「すげえな。どうしたんだこの衣装?」

 徹はテレビでしか見たことが無いような衣装を珍しそうに見ている。ポップコーンのように純白で、金色のベルトがアイドルを髣髴ほうふつさせた。

「この衣装は姉貴が準備してくれたんだ」

「えっ、お姉様がコーディネートしてくれたのか!」

 俊介と徹は同郷で、中学も高校も同じだ。だから徹は俊介の姉の事もよく知っており、いつも「お姉様」と言って敬っていた。

「さすがお姉様。いつも美しくて優しいな」

 徹は俊介の姉を思い浮かべながら窓の外のさらに遠くを見た。

「美しいかどうかは何とも言えないが……」

 俊介が呟くと、

「そんな事言って、バチ当たりだな。ここまで用意してくれたんだから、感謝しろよ」

「わかってる。感謝はしてるよ」

 お節介せっかいな言葉にポップコーンをむさぼるように食べる俊介の力になってあげれそうで、徹の心は軽くなった。

 

 部屋を後にした俊介と徹は花咲美容室の前で中に入る踏ん切りがつかないでいた。

「ここの美容室か?」

 徹が上体をかがめながら店の中をのぞいている。

「ああ」

「どうしてここの美容室にしたんだ?」

「何となく、入りやすそうだったから……。美容師さんはとてもいい人だったよ」

 店の前で何やら話している二人の様子は、美容室の中からは丸見えだ。

 花咲はそんな二人の様子を子猫でも観察するように見ていたが、なかなか中に入ってこないので、自分からドアを開けた。

「いらっしゃい。お待ちしてました。今日はお友達も一緒なんだね。君もメークをするのかな?」

 花咲がそう言いながら徹を見ると、徹は慌てて手を振り、俊介の後ろに下がった。

「冗談よ。でもお友達が来てくれれば、心強いよね」

 今度は俊介を見て笑った。花咲は俊介が独りぼっちではない事に安心したようだ。

 徹は初めて入る美容室が物珍しく、ゆっくりと店内を見回しながら待合椅子まちあいいすに腰を掛けた。俊介はこの後どうすれば良いのかわからず、落ち着かないでいると、花咲がドアに「準備中」の札をかけて中に戻ってきた。

「他のお客さんが来ないほうがいいでしょ」

 この気遣きづかいが、俊介たちには嬉しい。

「じゃあまずはメークをする前に、お姉ちゃんが送ってきてくれた衣装に着替えてね」

 花咲の頭の中には既に段取りが明確に出来上がっているようだ。俊介はただ花咲の指示に従って動けばよかったので、気持ちはとても楽だ。俊介は紙袋の中に入っている衣装を取り出し、待合椅子の上に置いて、着ている服を脱ぎ始めた。

 花咲が、

「ちょ、ちょっと、ここで着替えるの?」

「ええ、まあ、そうですけど……」

 俊介は花咲の慌てた様子を見て、かえって不思議そうな顔をしている。

「一応着替える場所があるからそっちで着替えてね」

 奥には四畳半ほどの更衣室があり、俊介は更衣室に入って部屋の中を見渡した。床は畳になっていて余計な物はいっさいなく、けやきの木目が美しい三面鏡さんめんきょう漆塗うるしぬりの小物入れが有るだけで、とても小ぎれいに保たれている。壁紙が白いせいか、部屋の照明も心なしか明るい感じだ。

 俊介は服を脱ぎ、姉が送ってくれた衣装をそっと広げ、ゆっくりと袖を通し始めた。着替え終わると、余計なところに触れないように人差し指だけで三面鏡さんめんきょうを開いた。更衣室の上品な雰囲気のせいか、自分の部屋で試着した時より衣装の白と金のベルトが綺麗に映っている。

『これでメークをしたら、どうなるのか……』

 早くメークをしたくてたまらない。今朝の不安が嘘のようだ。

 美容室の中では花咲がメークの準備を手際てぎわよく進めている。徹はただ座っているのも気まずく思い、花咲に話しかけた。

「美容室には更衣室も有るんですね」

 花咲は手を止め『あっ、しゃべった』と言うように徹を見たが、また手を動かした。

「何処の美容室にも更衣室があるわけじゃないと思うけど、ここで着物の着付けも出来るように更衣室を設けてあるのよ」

「着物の着付けも出来るんですか?」

 徹が驚く表情に、花咲は小さく首をすぼめた。

「まあね」

「着物の着付けから女装のメークまで、何でも出来るんですね」

 花咲は徹のユーモアある言葉にすっかり打ち解け、

「上手いこと言うね~」

 と上機嫌だ。

 ドアノブが回る音と共に更衣室の扉がゆっくりと開くと、徹と花咲は更衣室の方に目をやった。

 そこには扉に隠れるように苦笑にがわらいをした俊介が立っている。徹はまばたきするのも忘れるぐらい俊介を見つめている、というより想像以上に美しい脚線に見惚れてしまった。程よい太さで張りのある太ももが徹のツボにハマったようだ。

「お兄ちゃん、ナイスバディーだね~」

 花咲は感心してつま先から頭まで目線を何往復もさせている。徹も『確かにナイスバディーだ』と内心思ったが、

「衣装と顔が全く釣り合ってないから、早くメークをしていただいたほうが良いぞ」

 とそっぽを向いてしまった。あまりの脚線美に俊介を直視するのが照れ臭い。

「頑張って美人さんにしてあげないとね」

 花咲は早くメークがしたくてうずうずしているようだ。俊介は花咲に導かれるように椅子に座り、鏡を見た。

 花咲は化粧の下地を手の甲に出し中指で少しずつ取りながら俊介の両頬につけ、顔の中心から外側に向けて丁寧に伸ばした。続いて鼻まわり、口まわり、額と順にムラなく伸ばしていく。さらに色ムラを無くすためにカラーで微妙に補正をしていった。俊介にはその微妙な違いは全く分からなかったが、肌全体が明るくなったのは分かり、

『不思議だな~、こんなにも変わるもんなんだ』

 と感心していた。

『この子、色が白くて本当に女の子みたいな肌をしてる。こりゃー、しっかりメークすれば、必ず美人さんになるわ……』

 花咲はメークのイメージを膨らませながらファンデーションを手にした。俊介もよく見かけたことがある化粧品が出て来たので、

『いよいよメークが始まるな』

 そう思ったが、実際は化粧の下地の時にメークは始まっている。メークに全く縁がない俊介には化粧の下地の重要さがわかるわけもない。

 こんなにも人に顔を触られるのは初めてで、花咲の指がリズミカルに肌に触れるたび、その心地よさにまぶたが下がってくる。視界が消えそうになると驚いたように目を開き眉間みけんに力を入れて鏡を見る。そんな俊介を見て微笑んでいる花咲と鏡越しに目が合った。

「寝ていてもいいわよ。でもアイメークをする時は目を覚ましてね」

 寝てもいいと言われると眠気がどこかに行ってしまう。

「大丈夫です、目が覚めました」

「フフッ、寝ちゃダメな時にそのまま眠りに落ちる事が出来たら、気持ちが良いのにね」

 アイメークの準備をしながら花咲が言うと、

「その気持ち、よ~くわかります」

 何回も小さくうなずきながら、俊介は笑った。その笑顔を見た花咲は『この子は可愛い系と言うより綺麗系なんだ……』アイメークのイメージが瞬時にいてきたようだ。

 鏡の端には、口を開けて無防備な姿で寝ている徹が映っていた。

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