第5話 チーム結成 その5

 その頃、二国間の政治的問題も異常なほどにエスカレートしつつあった。その影響で、ココットに対する世間の風当たりも厳しく、日本からもココットの出身国からもココットへの誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうのコメントが目立ち始めた。そして日本のテレビで見かける回数も減っている。

 

ひどいことを書くな~」

 スマホを観ていた夏樹が呟いた。

 今はちょうどアルバイト先の休憩時間で、ココットの動画を見ていた時に暴力的なコメントが目に入った。

 夏樹は土曜日の昼の時間帯だけファミリーレストランでアルバイトをしている。

 自分達がこれからダンスを習得しようとしているグループの悪口を目にすると、気分の良いものではない。夏樹は何処にもぶつけようがない気持ちを何とかしないと気が収まらず、沙友里に愚痴ぐちを書いたメールを送信し、仕事に戻った。

 

 沙友里はピアノに向かって作曲をしていた。しかし楽譜は真っ白だ。なにも曲が思い浮かばず、音をひろうように片手で鍵盤けんばんを探りながら「おもちゃのチャチャチャ」を弾いている。

 ピアノの譜面台ふめんだいに置いてあるスマホが振動した。メールの文面を見た瞬間、夏樹の怒っている表情が浮かんだ。

『夏樹怒ってるな……』そう思いながら笑みがこぼれ、そして会いたくなった。

(今日会える? 何時にバイト終わるの?)

 短く返事を書いてまた白い楽譜を見つめると、時だけが流れた。

 

 日差しが傾きかけた頃、夏樹から返信のメールが届いた。

(いまバイトが終わったところ。この後は空いているから、会えるよ)

 沙友里は駅前の喫茶店で待ち合わせるむねを夏樹に伝え、朝から着ている赤色のパーカーのまま、化粧もせず家を出た。

 いつも大学で会っているのに、何故か早く会いたい。

 夏樹は先に喫茶店の前で待っていた。喫茶店に入って待っていればいいのに、親を待っている子供のように右に左に首を振り、辺りを見ながら待っている。沙友里の眼にそんな幼い仕草の夏樹が入ってきた。何だか懐かしいような温かい感じがする。それは見知らぬ土地で心細い思いをしている時に、幼馴染おさななじみにあったような感じだろうか。

 夏樹は笑顔でかけてくる沙友里の姿を見つけると、つま先立ちになるほどに背を伸ばし手を振ったが、何となくいつもと違う感じがした。

「ごめん、待った?」

「さっき来たばかりだよ」

 夏樹は先ほど感じた違和感の原因をさぐるように、

「沙友里もパーカー着るんだね」

 と言うと、沙友里は自分の両肩を交互に見ながら少し照れている。

「休みの日は家ではこんな格好だよ」

 服装のせいだろうか、やはりいつもと様子が違うな、と夏樹は思っていた。

「あのさ、どうしたの? 何かあったの?」

 思い切って聞いてみたが、沙友里は息をきらしながらも笑顔のままだったから、『悪いことがあったわけじゃ無さそうだな』と思い、安心した。

 沙友里はもう一歩夏樹に近づいて、

「踊りたいの!」

「えっ?」

 全く予期していなかった沙友里の言葉に唖然あぜんとしながら、たどたどしく同じ言葉を口にした。

「お、踊りたいの? 踊りたいんだ……」

 沙友里が大きくうなずくと夏樹はまた心配になってきた。

「急にどうしたの? やっぱり何かあったの?」

 でもそんな心配をよそに、沙友里は嬉しそうだ。

「わたし、曲を作るためにピアノの前に座っていたの」

「うん」

「でも何も思い浮かばなかった」

「うん」

「だから踊りたいの!」

「へ?」

 夏樹の頭の中では全然話が繋がっていない。理屈を成立させようと考えれば考えるほど頭は混乱していく。沙友里は立ち尽くしている夏樹の手を引っ張って、

「理由なんかどうでもいいよ、カラオケボックスに行こうよ」

「でも喫茶店は?」

「すぐにカラオケボックスに行こうよ。今日は歌じゃなくて、しっかりとダンスの練習をしようね」

 こんなに積極的に踊ろうとしている沙友里は初めてだ。いつも夏樹に付き合ってくれる程度だったのに。やっぱりいつもとは様子が違うと思ったが、沙友里が嬉しそうに走り出したから『別にいいか』と思い、後を追った。

 沙友里も今の自分の気持ちはうまく説明できない。きっとやりたいと思っていた曲作りが上手く進まず、心細くなっただけだろう。そしてただ純粋に夏樹に会いたくなっただけだろう。だから夏樹に会った時に懐かしい気持ちになったに違いない。こんなに若くて純粋な二人の気持ちが、ようやく転がり始めたのかもしれない。

 

 月曜日の朝、俊介は満員電車に揺られながら、頭の中で踊っていた。

 女装ダンスコンテストは次の日曜日に迫っている。振り付けは覚えたが、ダンスとしての完成度は全くと言っていいほど出来ていない。しかもどんな練習をすればいいのか見当がつかず、自分なりに研究したことをただ実行するだけだった。

『コンテストまでに間に合うかな~?』

 さすがに焦りが出てきた。しかし、『どうせ皆、女装を見て喜ぶだけで、ダンスなんか見てないから、適当でいいか……』という思いも頭をよぎる。

『ダメだ、折角せっかくやるんだから出来るだけのことはしよう』

 余計なことは考えず、自分が研究したことを素直に実行することにした。

 一日の講義が終わると、友達の誘いを断り真っすぐ自分の部屋に帰った。小さな部屋に置いてあるテーブルをどかし、細長い姿鏡の前で脚や手を上げる角度、スピードを丁寧に確認しながら、ゆっくりと振り付けの動きをなぞって行った。

 その動きはキレのあるダンスとは程遠く、太極拳たいきょくけんのような滑らかで流れるような動きだ。俊介は何度も動作を繰り返した。夕食はおにぎり二個で済ませ、深夜になっても、繰り返した。外がうっすらと明るくなるころには、意識しなくても脚や手の角度、スピードがイメージ通りに動くようになった。

『よし、帰ってきたら曲のテンポに合わせてみよう』

 そう思い、大学に行く時間まで少し仮眠を取ることにした。

 目が覚めた時、時計の針はちょうど九時を指している。

「わっ、寝過ごした。一時限目の授業が始まっているよ……」

 目覚ましはセットしてあったのに、無意識に止めてしまったようだ。スマホに徹からメールが届いていた。

(どうした? 寝坊か?)

(今起きた)

 そう返信すると一限目の授業をあきらめ、練習した振り付けを一通り流してみた。自然と体が動く。何とも言えない心地よさだ。

『よしっ』

 結局大学へは二時限目から行き、だるい一日を終えた。


 放課後、俊介は大学の近くにある美容室の前で、窓に飾られた植木やツルの間から中の様子をうかがっていた。美容室には椅子が二つあり、誰も座っていない。

『よし、お客さんはいないみたいだな』

 周りを気にしながら恐る恐る扉を開けると、扉に付いている鐘がアルプスの牛を思わせるような低く心地よい音色で揺れた。

 奥から、

「は~い」

 と言う声が聞こえ、美容師の女性がのれんをかき分けて愛想よく出てきたが、俊介の顔を見ると笑顔は徐々に消え、不思議そうと言うよりも不審な顔で、

「何か御用ですか?」

 とたずねてきた。きっと、ここには女性の客しか来ないのだろう。突然若い男が店に来たら、不審に思うのも無理はない。

 美容室に並んだシャンプーも雑誌もカフェのような椅子もただよう香りまでもが俊介にとっては初めてで、自分がいかに場違いな存在であるかを感じずにはいられなかった。

「あっ、初めて来たんですけど……ちょっとご相談があって……」

 いきなり来て相談とは、ますます怪しい。店の女性もさらに警戒しながら、

「はあ、相談ですか? 何の?」

 と、俊介と少し距離を置いている。

『まずい、完全に怪しまれている。もう変に思われてもいいから、最初から話しちゃえ』

 そう思うと、事情を話し始めた。

「自分は工業大学の学生です。今度の週末に大学祭があって……、そこで女装ダンスコンテストがあるんです」

 そこまで言うと、ひとまず笑顔を作ったが、困ったような顔にしか見えない。

 女性は思いもよらない言葉と変ちくりんな笑顔に、どう対処してよいのか分からない。

「じょ、女装……、コンテスト。ダンスの……。はあ」

 俊介はうつむき加減で、言いにくそうに呟いた。

「自分は……、えーっと、そのコンテストに出ることになったんです」

「お兄ちゃん、女装するの? 色白だから似合うかもしれないけど……」

 目を丸くしてそう言いながらも、若い男の子が店に来た理由がいまいち分からず、まだ不思議そうな表情をしている。

「ただ、髪の毛のセットもメークも出来ないので、こちらでお願いしたいんですけど……」

 俊介は一気に言うと、すがるような眼を女性に向けた。ほんの数秒ではあるが、お互い無言になりラジオの音だけが流れた。

 ようやく女性が、

「お兄ちゃんのメークをするの?」

 一つずつ理解し始めたが、まだ頭の中が混乱しているようだ。今までに男の子のメークをしたことなんか無いのだろう。

「まあ、うちは美容室だからメークも髪のセットも出来るけど……」

 その言葉を聞いてようやく俊介の表情が緩んだ。

「本当ですか? 良かった~」

 女性はまだ了承していないが、俊介の安堵した笑顔を見ていると、

『まっ、良いか』

 と思った。

「でもお兄ちゃんは髪の毛が長くないけど、どんなヘアースタイルにするの? ウィッグでも付けてみる?」

 そう言って、棚に並べてあるウィッグのほうに目をやった。

「あっ、ウィッグは自前のがあるんです」

 俊介は早口で答えた。

「えっ、お兄ちゃんウィッグ持ってるの? そういうの好きなの?」

 女性はまた、俊介の言葉に驚いている。

「いえいえ、コンテストの為に姉が送ってくれたんです」

「面倒見のいいお姉ちゃんだね」

 女性はなんだか嬉しそうだ。

「メークはどんなイメージがいいのかな? 好きなアイドルとか女優さんはいるの?」

 メークの細かなことを俊介に聞いても分からないだろうと思い、単刀直入たんとうちょくにゅうに好みを訪ねた。俊介はスマホで写真を検索して、恥ずかしそうに女性に渡した。

「この人です……」

 女性はイメージだけを確認するように写真をみてから人懐っこい笑顔で、

「こういう子が好みなんだ~。可愛い子だよね。ココットだっけ?」

 好きなアイドルの写真を素直に見せてくれる俊介が子供のように思え、笑みがこぼれた。俊介は美容師の女性がココットの事を知っているのが何だか嬉しい。

「ココット、知っているんですか?」

「そりゃ、一応美容師だから芸能関係とかファッションとかには敏感なの」

 女性もすっかり警戒心は解けているようだ。

 女性の名は花咲はなさき。そしてここは花咲美容室。

 日曜日のお昼過ぎに予約を入れ美容室を後にした俊介は、大きな難所なんしょを乗り越えたような達成感で心が軽い。

『部屋に帰って、ダンスの練習をしよっ』

 意味もなく小走りで駅に向かった。きっとこの若者の気持ちも、ようやく転がり始めたのかもしれない。

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