第4話 チーム結成 その4

「再生回数が増えてる!」

 夏樹はスマホの画面を見ながら喜んでいる。

「どうしたの?」

 机の向かい側に座っていた沙友里が机越しに身を乗り出し、スマホの画面をのぞき込んだ。

「私たちの動画の再生回数が増えているのよ」

「えっ、どれぐらい増えているの?」

 沙友里は自分たちの動画のことなんてすっかり忘れていたが、急に興味と期待が湧いてきた。

「一回」

 夏樹がスマホから顔を上げ笑顔を見せると、沙友里ははやまって思い描いた人気ピアニストの自分を、慌てて袋に詰め込んで戻し、

「一回、ね……」

 と笑い、そのまま力が抜けたように座った。

「もしかしたら敏腕びんわんプロデューサーが見たのかもしれないよ」

 今度は夏樹が少し身を乗り出してきた。

「そーだ、そーだ。きっと、そーだ」

 沙友里はノートパソコンのキーボード上で指をはずませ、言葉だけを夏樹に合わせた。

 沙友里は夏樹の冗談に合わせるのがとても上手だ。夏樹もそんな沙友里の受け答えが好きで、ついつい冗談を言ってしまう。

 二人は放課後の食堂の隅で、ゼミのレポートを書いていた。大きな窓から西日が差し込んで、暖かいというより暑いぐらいだ。

「沙友里、レポートが終わったらカラオケボックスに行かない?」

「別にいいけど、急にどうしたの?」

 沙友里は相変わらずキーボードをせわしなくたたきながら、聞き返した。

 夏樹は沙友里の反応をうかがうように、

「そろそろダンスの練習を始めようかと思って」

 ポツリと言うと沙友里の手が止まり、一瞬驚いた表情をしたが、すぐに笑顔で、

「カラオケボックスで練習するの?」

 ダンスの練習をするには、狭いのではないかと思った。

「踊りというかまずは曲を選びたいなと思って……。カラオケの本人映像とかあるじゃん」

 気を使っているのか、下唇を軽く噛みながら沙友里の言葉を待っている。

「良いよ、カラオケボックス。行こうよ」

 夏樹は止めた息を開放するように笑うと、キーボードをたたく指も張り切りだした。

「じゃあ、さっさとレポートを終わらしちゃおう」

 そんな分かりやすい夏樹を見て、沙友里も再び指を動かした。


 レポートを終えた二人は校門を出て駅に向かった。駅にはツツジが窮屈きゅうくつそうに植えられたロータリーがあり、バス停横のイチョウの葉が少し黄色くなりかけている。停車している二台のバスの横を今にもりそうな間隔でタクシーや送迎の車が抜けていく。止まっていた準急列車が動き出し、改札口から帰宅中の中学生や高校生が出てきところだ。改札口が一つしかない駅だがコンビニやカフェ、カウンターだけの食堂などが並んでおり、その外れに二人が時々行く黄色いカラオケボックスがある。

 夏樹はレジの下に貼ってあるポスターが気になり、かがむように顔を近づけた。

「もうすぐ工業大学の大学際があるんだね」

 それは洒落しゃれがなく黄色いカラオケボックスとは不釣り合いなポスターだった。ポスターの隅に『恒例こうれい、女装ダンスコンテスト!』と書いてある。夏樹はこういうイベントが好きだ。

「女装ダンスコンテストだって。行ってみようよ」

「あそこの工業大学って男子ばっかりだからな……。なんか気が引けるな~」

 沙友里はあまり乗り気ではなさそうだ。男子に声を掛けられるのが苦手だったからだ。

「いいじゃん、たまには変わった世界を見に行こうよ」

 夏樹はお化け屋敷にでも行くかのように興味津々きょうみしんしんだ。あくまでも普通の工業大学なのだが。

「まー、時間があったらね……」

 曖昧あいまいな返事でごまかしながら、沙友里は店員から部屋の伝票を受け取った。

 ボックスに入ると、夏樹はトートバッグを椅子に放り出し、慣れた手つきでリモコンを操作しだした。

「夏樹はお目当ての曲があるの?」

「あるよ、おすすめが」

 早く沙友里にその曲を聴かせたくて、連打するようにタッチパネルをタップしている。

「じゃあ、その曲でいいよ」

 沙友里はアイボリー色のモッズコートを丁寧にたたみながら言った。

「えっ、二人で決めなくていいの?」

「いいよ、私も夏樹が好きな曲が良い」

 たたみ終えたコートに両手を添え滑らせるようにシワをのばした。

「じゃあその曲を一緒に歌おうよ」

 夏樹はマイクを一つ沙友里に渡した。ココットの歌は人気があるから、沙友里も唄うことが出来る。曲が決まった安心からか、二曲目からは二人とも好きな曲を入れて熱唱し始めた。結局いつも通りのカラオケ大会だ。たいていはこんなもんだろう……。

 

 土曜日の朝早く、俊介を眠りから引っ張りだすように呼び鈴が鳴った。肌寒いぐらいの気温の朝に、布団にくるまっている時ほど心地いいものは無い。俊介は居留守いるすを使おうと、息をひそめた。

 しかし居留守がバレているかのように、呼び鈴が何度も鳴った。根負けして起き上がると、洗面所の蛇口で片手を濡らし、簡単に寝癖を直したが、ほとんど直っていない。

 濡れた手をシャツで拭きながら玄関のドアを開けると、段ボール箱を両手で持った宅配屋が立っている。

「朝早く、すみません。印鑑かサインをください」

 寝起きの者を刺激しないような物言ものいいに、居留守を使おうとしていたことを申し訳なく思った。下駄箱の上にあったボールペンでサインを書き終えると同時に、

「ありがとうございます」

 宅配屋は挨拶を言い、小走りに車に戻って行った。

 伝票の差出人には姉の名前が書いてある。

『女装の服だな』

 俊介はすぐに箱を開封しなかった。それはどんな服が入っているのか、見るのがちょっと怖かったからだ。

『変な服を送って来ていないだろうな……』

 荷物を玄関に置き、洗面所で鏡に映った自分を見ながら歯を磨き始めた。ひどい寝癖だ。片手ではねた髪の毛を軽く抑えたりしたが、こんな自分の女装姿なんて、とても想像できない。いざ女装が現実的になり始めると気持ちが引けてしまう。

『いまさら辞めれないしな。服も届いちゃったし……』

 何より、もともとダンスに興味があったわけではないから、練習するのが面倒だ。

 ようやく荷物を開梱したのは、昼になってからだった。

 箱を開けると青色のビニールの包みが三つ入っている。一番大きな包みを少し覗くと、白っぽい服が見えた。もう一つの包みは手に持った感触からして、靴のようだ。最後の小さな包みにはウィッグ(付毛)が入っている。

「なんか気合が入っているな~」

 まさか靴やウィッグまで入っているとは。

 一番大きな包みから服を取り出すと、俊介は目を疑った。

「なんだ、これ!」

 それは服というより、まさに衣装だ。全体的に白地で金色がワンポイントになっている。肩には小さなマントのような生地がついていた。えりは大きめで、フロントは白くて大粒なダブルボタンが付いており、ウエストのラインが金ベルトで締めることで強調されている。丈はお尻が隠れるぐらいの長さだろうか。そで七分袖しちぶそでになっていて、まさしくアイドルの衣装だ。

「こんな衣装、どこで手に入れてきたんだ?」

 さらに衣装の肩の部分を両手でつかんで持ち上げると、やけにスカートが短い。

「まさかミニスカートじゃないだろうな。勘弁してくれよ」

 ミニスカート姿は好きだが、自分で履くとなると別問題だ。

 慌てて衣装を調べた。一瞬ミニスカートのように見えたが、よく見るとキュロットスカートだ。俊介は気持ちを取り戻した。

「さすがに弟にミニスカートを履かせようとはしなかったか……」

 次に靴が入っていると思われる包みを開けて、さらに驚いた。衣装と同じ純白のニーハイブーツが出てきた。しかもハイヒールになっている。

「衣装とお揃いなのか?マジで、どこで手に入れてきたんだ?」

 しかも俊介でも問題なく履けるサイズだ。

「よくこのサイズの女性物があったな……」

 俊介の足のサイズは26.5センチ。女性用ブーツとしては大きいサイズだ。

 ひとまず姉にメールをした。

(荷物、届いた。それにしても何処で手に入れたんだ?)

 予想以上に完璧な衣装を目の当たりにして俊介も気分が良くなってきた。三つ目の包みからウィッグを取り出し、可愛い自分の姿をイメージしながら軽やかに頭に乗っけて鏡を見た。天使の羽を着けて上昇していた気分が堕天使のごとく現実世界の地面に真っ逆さまに落ち、めり込んだ。顔とウィッグが面白いぐらいに不釣り合いだ。

『エーッ、大丈夫か、これ……』

 思っていた以上に女装が似合わないため鏡をみて途方に暮れていたところに、姉から電話がかかってきた。

「もしもし、俺」

 寝起きのような声で電話に出ると、

「もしもし、お姉さまだけど、なんか元気ないわね。もっと喜んでいるかと思った」

 いつもの聞き取りやすい発音の声が聞こえた。

「あっ、いや、衣装ありがとう。それにしても凄い衣装だな。何処で手に入れたの?」

「そうでしょ~。私の職場の知り合いから、アイドル系衣装のショップを教えてもらったのよ」

 姉も送った衣装に満足しているようだ。

「それにしても、よく男のサイズがあったな」

「それは、最近は背の高い女性も多いからよ。背の高い女性を男サイズとか言っていると、失礼よ。スラっとして素敵じゃない。背の低い私にとっては、憧れね」

 姉の身長は155センチぐらいか。

 俊介はふてくされ、

「そういうつもりで言ったんじゃないよ……」

「そうね、わかってる、わかってる。」

 姉は俊介がふてくされた時のあしらい方は熟知している。

「ところで何を凹んでいたの?」

「なんというか、ちょっとウィッグを頭に付けてみたんだけど、顔と髪があまりにも不釣り合いで……。これは厳しそうだ」

 俊介は鏡に映った自分の姿を見ながら、この不釣り合いな感じを上手く伝えきれず、自信なさそうにたどたどしく話した。

「それはそうよ。いくらあんたが、美人の姉の弟だからと言っても、ノーメークでは駄目よ」

 俊介は自分の事を美人と言ってしまっている姉にあきれながら会話を続けた。

「美人かどうかはさておき……」

「なによ、美人かどうかはさておきって」

 姉は即座に反応した。俊介は姉に強く言われると反抗できない。

「美人なのは分かってるけど、メークなんて出来ないよ。化粧道具も無いし」

 確かにそれは困った問題だ。

「あんた彼女いないの?」

 姉はここぞとばかりに、彼女チェックをしてきた。

「いないよ」

「そーなんだ。彼女が出来たら、報告しなさいね」

 報告するのが当然のような言いようだ。

「なんで報告しないと行けないんだよ。メークはどうすりゃいいんだ」

 俊介はちょっとムキになっている。

「いいじゃない、彼女さんとも仲良くやりたいし。ところで女友達もいないの?」

「いないよ」

「寂しいわね~。もっと学生生活を楽しんだほうがいいよ」

 憐れむような言いかたをされ、すねるように、

「しょうがないじゃん。周りにあまり女子がいないから……」

 と話し始めたが、ふと我に返って、本題に戻った。

「そんなことより、メークはどうすればいいんだ?」

 姉は最初から回答を持っていたようだ。

「美容室に行きなさい。ウィッグを持って、美容室でメークをしてもらいなさい」

 思わぬ回答に俊介もたじたじだ。

「美容室? 行ったことないよ。そもそも女装のメークをお願いするのか?」

 俊介にとっては、異次元の世界だ。

「中途半端なメークではかえって恥ずかしい思いをするでしょ。やるなら完璧なメークをしてもらいなさい」

 たしかにその通りだ。しかし美容室で女装のメークをしてもらうことに、抵抗がある。

「まあ、そうかもしれない、考えてみる……」

 俊介はとりあえずそう返事した。

「じゃあ、頑張ってね。女装の写真、楽しみに待ってるから」

 姉はそう言って電話を切った。

 姉との電話を終えると、一気に静けさが戻ってきた。気が重いまま、とりあえず衣装とブーツを身に着けて鏡を見た。サイズはぴったりだ。俊介は色白で線が細いため、衣装が似合う。

『首から下は完璧だ……』

 思わず自分の姿に見惚れていると、なんだか嬉しさが込み上げてくる。男らしいすねも隠せるように、姉はニーハイブーツを選択してくれたようだ。色っぽい自分の太ももが気に入って横を向いたり後ろを向いたりしながら、太ももばかりを見ていた。

 そうなると、首から上も完璧にしたい。

『何処でメークしてもらおうかな』

 色々と思いを張り巡らせたが、まずはダンスの練習をすることにした。

 俊介の大雑把おおざっぱな練習プランは最初に振り付けの流れを覚え、次に研究したポイントに気を付けながら部分的に動きを修正する、と言うものだ。これがダンスを練習するうえで正しい方法なのかはわからないが、ダンス未経験の俊介は気にせずに練習を始めた。

 ココットの動画を観ながら振り付けをまねした。一見簡単そうで優雅ゆうがに踊っているように見えるが、意外と難しい動きをしていることに気付いた。思うように動きがコピー出来ない。

 ここからは『知っている』を『出来る』にするための、地道な練習だ。

 俊介は何回も振り付けの動きを繰り返した。風呂に入っている時も軽く手を動かしながら、歯を磨いている時は脚を動かしながら頭の中で踊りをイメージした。

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