第3話 チーム結成 その3

 カップラーメンは温もりを失い、背油せあぶらが白く浮いている。ダンスの練習の事など完全に頭から抜け、動画を見ながら研究をしている俊介は自分の先入観が間違っていることに気づき始めていた。

『短いスカートを履いて踊れば野郎どもに受けると思っていたが、そうじゃないのか……』

 女装ダンスコンテストだから、女の格好をして色っぽく踊れば良いという程度にしか考えていなかったが、ココットの動画を見ているうちに、彼女たちの魅力が何なのかを解明したくなっていた。

 ふと素人がココットのダンスをしている動画が目についた。どの動画も女の子たちがココットになりきって踊っている。

『ココットって女の子からこんなに人気があるのか』

 意外に思った。

『女の子はココットのどんなところが好きなんだろう』

 動画のコメントに目をやると、たくさんのコメントが掲載されている。その中から女性のコメントだけを読んでいった。

 どの女性も純粋で素直な気持ちを書いている。読んでいても全く不愉快な思いをすることもなく、親や先生からさりげなく褒められた時のような心地よさを感じる。そのせいか、次から次へとコメントを読み進めていった。

『みんなココットが好きなんだな』

 軽くそう思ったが、動画を投稿したりコメントを書いている彼女たちの思いは、きっとその程度ではないのだろう。

 しばらく女性のコメントを読んだ後、その他のコメントにも少し目を通してみた。やはり男性のコメントはヨコシマな感情が入っているものが多く、「やめとけって」と言う呟きが苦笑にがわらいと共に出てしまう。そしてやはりと言う感じでココットを傷つけるようなコメントもある。よくもそんな言葉が出て来るなと思うほど、感情的で攻撃的で理不尽りふじんな内容の物ばかりで、俊介は読むのを止めた。

『なんでこんなひどいことを書き込むんだろう……』

 俊介の脳裏には、また下池の顔が浮かんでいた。悪いことをしているわけでもないのに、誹謗ひぼうされたことで罪悪感に似たような感情が体に広がり、心臓が縮んでいく。そしてその感情が徐々に怒りに変わっていった。その怒りは、自分が嫌味いやみを言われたことに対してではない。今やっていた事を忘れ、マウスに手を置いたまま身動き一つせずパソコンの前に座っていた。

 嫌な感情を振り払うように、無造作にマウスを動かし何気なく再生したココットの動画を観ていると、怒りが薄れていく。

『本当に可愛いな』

 俊介は再びそう思った。その動画はココットがデビューした頃のプロモーションビデオだ。まだあどけなさが残る三人の女の子が、ぎこちないダンスをしている。そして、さきほど読んだ女の子達のコメントを思い出した。

『女の子はココットの事を可愛いと書いているよな。女の子が思う可愛いって、どんな感じなんだろう?』

 もし机の上に動物のぬいぐるみ、女の子向けの人形、世界各国のありとあらゆるアニメのキャラクター、アイドルの写真を並べ、可愛いと思う物をゆびさしなさいと言われたら、女子と男子では違うものをゆびさすに違いない。俊介も無意識にそう感じている。

 ネットで自分が可愛いと思うアニメキャラの画像を検索してみたが、『きっとこういう事ではないのだろう』とすぐに画像を閉じた。

『純粋な可愛さか……』

 かいを得れないまま、俊介はとりあえずココットの動きを忠実にコピーすることにした。

 最初から可愛さを考えたところで本当の可愛さにはたどり着かないだろう。きっと可愛さとは結果的な物だろうから……。

 結局この日は動画とコメントを見ただけだ。

『続きは明日だな』

 もともとダンスに興味があったわけではないから、こんな程度だ。封の空いたロールパンを一個かじりながらテレビを観ているうちに自然と眠りこんでいた。

 

 夜が明け、澄みわたった空にウロコ雲が出ている。

 大学に向かう電車の中で投稿されている動画をスロットマシンのようにスクロールしていると、一つの動画が目に止まった。

『オリジナル曲でダンス……? 自分で作曲したのか?』

 左側のイヤホンだけを付けて再生しようとした時、下車する駅に着いてしまった。スマホを右手ごと上着のポケットに突っ込み、人込みの流れに合わせ急ぎ足で改札を出るころには、先ほど見つけた動画の事はすっかり頭から消えていた。

 教室の席につくと、後ろから誰かが軽く肩を叩いてきた。

「よっ、おはよう。女装ダンスコンテストの準備は進んでるか?」

 親友の杉下徹すぎしたとおるだ。

「まっ、研究は進んでいるかな」

 テキストとノートをカバンから出しながらさらりと応えた。

「研究って、おまえ大丈夫か? 練習じゃないのかよ」

 徹は思わぬ言葉に俊介の顔を見たが、俊介は何か考えがあるような笑みを浮かべて、テキストを適当にめくっている。

「まっ、いいや。ところで女装の服はどうするんだよ」

 この問いかけには、テキストをめくる手を止め溜息をついた。約束通り他の友人が準備はしてくれたが、あんじょうとても人前で着れるような服ではなく、結局自分で何とかするしかない。

「どうしよう。まったく目処が立っていない……」

 しばらく考え込んでいたが何か思いついたように、

「おまえの彼女に服を貸してもらえないかな?」

 と徹に尋ねた。

 しかし徹はつまらない冗談を聞かされたように横目で俊介を見ている。

「俺に彼女がいないこと知っていて言ってるのか?」

「もしかして、突然出来てたりするのかな~、って思って……」

 本当につまらない冗談だ。徹は礼儀正しく言い返した。

「俊介君こそ彼女に借りてはいかがでしょう?」

「彼女がいたら、女装ダンスコンテストになんか出ないよ……」

 朝からなんともむなしいやりとりだ。

『女装用の服を買うお金なんかないな……』

 ここは工業大学。しかも今は電磁気学でんじきがくの講義の教室。見渡す限り男ばかりだ。数人女子はいるが、話をしたことも無くとても服を借りるようなことは出来ない。意外と「貸して」と声をかければ喜んで貸してくれるのかもしれないが。

 一時限目の講義の後、しょうがなく俊介は服の協力をお願いするため、ある人物にメールを送ったがさほど期待はしてはいなかった。


 一日の講義もおわり、帰りの電車内で「やばい、やばい」を連呼しながら動画の話をしている女子高生の声が耳に入ってきたとき、今朝みつけた女性二人組の動画の事を思い出した。耳にイヤホンを付け、動画を検索し始めたがなかなか出てこない。

『あれっ、何ていうキーワードで検索したんだっけ。オリジナル曲とかだったな』

 手あたり次第キーワードを入れようやくお目当ての動画を見つけると、早速再生してみた。

 数秒してピアノの音が聞こえてくる。一応ダンスの動画だからもっとポップな感じの曲だと思っていたが、その音はどことなくクラッシックっぽく規律きりつ正しというか、丁寧な旋律せんりつというか、素直に耳から体内にしみわたっていく。しいて言えばショパンの「別れの曲」のような感じか。この曲を素人が作曲したと言うのは驚きだ。

 ピアノの演奏として目をつぶって聞いているのであれば十分有りだと思った。

 問題は動画だ。

『なんなんだ、このバランスの悪さは』

 ピアノの曲調に関係なく、ただ踊りたいだけの女の子が得意げにヒップホップ系のダンスをしている。あまりの違和感に、見ているほうが恥ずかしくなる。

『再生回数七回。だろうな』

 再生回数の低さに、思わず納得してしまった。同情から最後まで見てあげようと思っていたが、だんだん苦痛になり動画が終わる前に見るのをやめ、ココットの動画を検索し始めた。

 ココットのユウリの顔が表示された瞬間、思わず笑みがこぼれてしまう。どうやら本当に恋に落ちたらしい。でも相手はとうてい手の届かないアイドル……。この時はまだ……。

『可愛いな……』

 動画を再生してすぐに駅についてしまったが、イヤホンを外さずスマホを片手に持ったまま電車をおりると数歩先のベンチに向かい、お尻でベンチの高さを探るようにゆっくりと座り込んだ。動画が終わるまで真剣な眼差しでスマホを見ている。さっき観た動画とは扱いが全く違う。ふとある事がひらめいた。

『ココットの踊りと素人の踊りを比較してみるか……』

 部屋に帰ってくると玄関で靴を振り落とすように脱ぎ、真っ先にパソコンの電源を入れた。

 パソコンが立ち上がる数分の間に、マグカップにインスタントコーヒーを適当に入れ、お湯と牛乳を注ぎ、パソコンの前に座るとゆっくりと即席のカフェオレを一口飲み、「ココット 素人 ダンス」で検索を始めた。

 たくさんの人が動画を投稿している。女子高生から二〇歳ぐらいの女子が多いが、小学生や園児のお遊戯ゆうぎのような動画もあった。人数もココットと同じ三人でダンスをしている動画もあれば、十人以上でダンスをしている動画もある。俊介はココットと年齢が同じぐらいで、三人でダンスをしている動画に絞って見始めた。

 当然ココットと素人では比べ物にはならないのだが、何か大きな違いがあるような感じを覚えた。

 俊介はスマホでココットの動画を再生して、パソコンに映し出されている素人のダンスと見比べた。

 すぐに気づいた点は、『踊っている』と『単に体を動かしている』の違いだ。一般的によく言う「キレ」というものだが、この違いは動画を観る前に何となくわかっていた。中にはキレのある踊りをしている子たちもいたが、何かが違う。注意深く動画を見比べているうちに気づいたのは、ココットは単にキレがあるわけではなく、一つ一つの動作が滑らかにつながっている。キレはあるが動作ごとに動きが一瞬止まることが無く、スムーズな動きで心地よさを感じた。

 さらにココットの動きを見ていると、見逃してしまうほどにわずかではあるが、一つ一つの動作の中にはずむようなリズミカルさがある。

 何回か動画を繰り返すと、もう一つの違いに気づいた。素人の子たちは手や脚などを挙げるとき、ココットに比べて上げ方が少し低いことが分かった。次の動作に意識が行ってしまい、一つの動作が完結しないまま次の動作に移ってしまっているようだ。

 違いが見えてくると研究もだんだんと面白くなってくる。俊介はさらにひっかかる何かを感じていた。現代的な俗語で言えば「クールさ」であろうか。素人の子たちのダンスにはクールさが感じられず、どちらかというと「必死さ」が出てしまっている。

 何故クールさが感じられないのか、これは難問だった。何故なら単純に素人だからという理由では無さそうだからだ。今度は素人ではなく、他のアイドルグループのオリジナルのダンスも参考に観てみたが、クールさを感じないグループが少なからずある。

『何だろうな……』

 順調に進んでいた研究を一旦止め、軽いイラつきを感じながらコンビニで買ってきた弁当の包みをむしり取ろうとした時、弁当のふたのシールの文字が目に飛び込んできた。「頑張るあなたに、さりげない優しさ」この弁当の売り文句だ。その言葉に連想するように、昔の記憶がよみがえってきた。それはある番組の一場面で、男性歌手にカラオケで歌を上手にうたうコツを視聴者が質問した時のアドバイスだ。男性歌手は、

「あまり物まねのように大げさな唄いかたをせず、さりげなくごく普通に唄うぐらいが丁度よく唄えますよ」

 と笑顔で答えていた。

『さりげない、か……』

 食べかけようとした弁当を机に置き、また素人のダンス動画を再生し始めた。

 なるほど、アクセントとなるような振り付けはついつい意識しがちになり、オーバーアクションになってしまうようだ。アクセントとなるような皆の目を引くような振り付けほどさりげなく流す程度の動きのほうがクールさが出ることに気づいた。

 難問を解決して今日の仕事をやりげた気分になった俊介は弁当を食べながら、ココットの動画を眺めていた。

 他に気づく点もなく少しウトウトとしていると、スマホのメールの着信音が鳴った。

『誰からだ?』

 片目だけを少し開いて、スマホを見ると姉からだ。

『そういえば、今日メールを送ったな』

 服の協力を頼んだ相手は俊介の姉だった。しかし姉に服の件でメールをしたことをすっかりと忘れていた。メールには、

(女装するの? どんな服が良い?)

 と書いてある。やけに乗り気だ。

『普通は驚いたり、反対したりするんじゃないのか?』

 俊介の姉は古い家柄を思わせるような折り目正しく生真面目きまじめな性格だが、一方でチャレンジ精神も秘めている。そんな姉に説教されるのか、賛同してもらえるのか何とも判断がつかないでいた為、姉の返事にホッとしたものの、少しあきれてしまった。とりあえず短い返事を送った。

(ココットの女装をする)

 すぐに姉から返信が来て、

(ココットの格好するの? わかった、何とかする。お姉さまより)

 と、書いてある。俊介の姉は、メールで自分の事を「お姉さま」と書くのが通例つうれいだ。

 俊介は服の問題が解決した安堵感あんどかんと同時に、姉の張り切りぶりにちょっと不安も感じた。

『まっ、任せておけばいいか』

 無難ぶなんな女性用の服が送られて来ると、この時は思っていた。

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