第2話 チーム結成 その2

 同じ夕暮れ時、俊介が通っている工業大学の近くにあるファーストフード店では、二人の女子大生が頭を悩ませていた。でも本当に頭を悩ませているのは片方の女の子だけで、もう片方はあまり悩んでいる様子はなく、コーヒーの湯気ゆげに砂糖を降り注ぎ、香り立たせるようにマドラーを回している。

 頭を悩ませている彼女は、ハンバーガーに八つ当たりをしながらかぶりついていた。

「なんでもう一人のメンバーが決まらないのよ~」

 彼女の名前は鷹山夏樹たかやまなつき小柄こがらだが負けん気の強い女の子だ。栗色でくせ毛のポニーテールが、夏樹の性格を表している。思ったことは遠慮なく言ってしまうせいか、女友達からは頼りがいのある人気者だが、男子からは敬遠されてしまうタイプだ。

「そーだね。なかなか見つからないね」

 両手でコーヒーカップを包み込みながら応えた女の子の名前は藤原沙友里ふじわらさゆり。優しいお姉さんと言う感じで、強気でせっかちな夏樹を支えたり、さとしたりすることが多い。黒いショートヘアの髪型と言うこともあり、歳の割には大人な雰囲気の女の子だ。

「このままじゃエントリーの締め切りに間に合わないよ」

 夏樹が言っているのは十二月に行われる民法テレビ主催の素人ダンスコンテストの事だ。締め切りは十一月五日。十一月末の予選を通過した四組がクリスマス特番の決勝に出場出来る。もちろん全国放送されるため、芸能界を夢見ている夏樹にとっては何としてもこのチャンスを物にしたいが、今のところメンバーは夏樹と沙友里の二人だけだ。

「別に二人で出場してもいいんじゃない?」

 沙友里はコーヒーに息を二回吹きかけ、口をつけた。

「ダメダメ。やっぱり人数が多い方がインパクト強いし、それに私はココットのダンスをしたいの。だから三人じゃなきゃ駄目なの」

 夏樹もココットに興味があるようだ。

「ココットか~。でも私、あんなダンス出来るかな~?」

 沙友里はちょっと不安そうだ。太陽の日差しを避けて、物陰で小説を読んでいるような印象の沙友里と、関節が外れそうなぐらいに腕を振り腰を動かす踊りは不釣り合いに思えた。

「沙友里のようなタイプがココットのダンスをするという意外性が、ポイント高いのよ~」

 いくつものダンスグループを育て上げたプロデューサーのような口調だ。

「そんなもんかな~?」

 それにしても、なぜ沙友里が夏樹とダンスコンテストに出場する事になったのか。


 彼女達は女子大の学生で、二人とも福祉に関する勉強をしていた。学年は三年生。もともと二人とも高校は違っており大学で知り合ったが、入学当初は正反対の性格もあり話すような事もなく、顔を知っている程度だった。二人を繋げたのは音楽。沙友里は幼少よりピアノを習っていて、コンクールでもよい成績を残すほどの腕前で、周りは音大への進学を薦めていたが彼女は福祉の道を選んだ。大好きな音楽を職業にすると音楽で悩み苦しむようになるから音楽と生活は切り離し、音楽を楽しみたいと彼女なりに考えた選択だった。それに誰かの役に立ちたいという強い気持ちが福祉の道に彼女を進ませたのだろう。

 ただ大人から見ると、せっかくの才能を更に伸ばして職業につなげていかないのは、もったいないと言う感じがしてしまう。こういう選択が若さゆえの未熟さなのだろうか。いや、それを未熟と思ってしまうのが、大人の勝手な思い込みなのかもしれない。

 夏樹と沙友里は電車での出来事をきっかけに仲良くなった。いつも朝は同じ電車に乗っており、軽い愛想笑あいそわらいで「おはよう」と挨拶をするようになるまでに三ヶ月ほどかかった。車内では夏樹はスマホから顔をあげることは無く、沙友里は耳にイヤホンを着け音楽の世界に浸っている。大学の最寄り駅に着くと、それぞれ自分の歩調でキャンパスに向かって歩くだけだった。

 入学して最初の夏休みが明けた数日後の朝、台風が近づいていた。電車のダイヤが乱れホームは電車の到着を待つ人であふれかえっている。沙友里は幾重いくえにも曲がりくねった列の中でカバンを抱えて「遅延」としか表示されていない電子掲示板に眼を向けていた。ふと列の前の方を見ると夏樹も同じ列に並んで、ちぎれるように流れていく雲を見ている。

『この子もこんな日に大学に行くんだ』

 沙友里は見た目の印象で夏樹のことをあまり真面目ではないと勝手に思っていただけに、ちょっと意外であった。

 ようやく電車がホームに入ってきたが、既に大勢の人が乗っている。

『乗れるかな……』

 沙友里は次の電車まで待とうと思ったが、列の流れに逆らえず急かされるようにドアに近づいていった。まだ乗り切れていないのにドアが強引に閉まってきた。

『えっ、無理無理、閉まるわけないよ』

 身体からだをねじりながら背中を車内に向け、「おしくらまんじゅう」をするように力を入れた。

 ドアは閉まったが、傘がドアに挟まってしまった。

『あれ、抜けない』

 沙友里はわずかに動かせる左手だけで傘を抜こうと引っ張ったが抜けそうにない。

 人込みの隙間から、何回も左手を動かしている沙友里の様子が夏樹の目に入った。

「ちょっと、すみません」

 人と人の間に肩をねじ込ませるようにして沙友里の近くまで来ると、かろうじて届いた右手で傘をつかみ一緒に引っ張り始めた。

「あっ、ありがとう」

 この人混みでは力がはいらず傘が抜けない。夏樹は手伝おうともしない周りの男性に苛立いらだち始めた。

「傘が挟まって抜けないので、手伝ってもらえますか」

 近くの男性も見て見ぬふりをしているわけではなく、ドアに押し付けられて身動きが取れないようだ。それでも二人の男性が何とかドアの隙間に手をかけ、開く方向に引くと、ようやく傘が抜けた。

 沙友里は頭だけで会釈えしゃくをしながら、

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 とかすれた声でお礼をした。傘が抜けて助かったものの、夏樹の行動には少し恥ずかしい気持ちがあったが、夏樹はそんなこと気にした様子もなく笑顔を見せている。

「良かったね」

 こんな至近しきん距離で夏樹を見るのは初めてで、沙友里はその笑顔に見惚みとれて言葉を失っていたが、

「本当にありがとう、助かったわ」

 と微笑んだ。

 電車が慎重に動き出すと車内の人混みは大きなうねりになり、夏樹の体に寄りかかってしまった。「ごめんね」と言うように小さく頭を動かしたがその後は特に話すことも無い。沙友里は無言のままでは気まずいように思い、何を話せばいいのか色々と考えてはみるものの話題が浮かばない。ようやく一言、

「大変な天気ね」

 困った時は、天気の話題にかぎる。

「直撃しないといいけどね」

 夏樹も一言返した。夏樹はこの無言の状況を気まずく思っていないのか、それとも平静へいせいを装っているのか、目の前の男性が肩に掛けているカバンの肩紐かたひもの付け根をじっと見つめている。

 沙友里も肩紐かたひもの付け根に目を落とすと、ゆるキャラのキーホルダーが二つ付いていた。しかも二つとも同じキャラクターだ。

 何故同じゆるキャラのキーホルダーが二つ付いているのか、不思議に思いながら夏樹の顔を横目で見ると、夏樹もこっちを見ており、目が合った。

 二人とも声が出ないように唇を噛みしめながら、笑っている。そしてまたゆるキャラに目線を落とすと、夏樹が手を自分の体にわせるように動かし、ゆるキャラを指先で突き始めた。

 ゆるキャラを突くしぐさと、いたずらっ子のような夏樹の表情がどうにも滑稽こっけいで、吹き出しそうになるのをこらえながら小刻みに首をふり、もう笑かさないで、とアピールしたが夏樹はやめる様子もない。

 電車が大学の最寄り駅に到着しドアが開くと湿った熱気と共に人があふれ出で、二人も人込みに押し流されながらベンチの近くまでたどり着いた。

「ゆるキャラ、面白かったね」

 夏樹はそう言って、大きく息を吸った。

「もう少しで声を出して笑うところだったよ」

 ようやく声をだして笑えた沙友里は、つられるように深呼吸をした。

 いつもは一人で歩く大学への道のりを今日は二人で並んで歩いている。空気のかたまりとなって吹きつける風に傘が飛ばされそうになる度、二人ははしゃぐように「キャッ」と声をあげながら風雨をくぐり抜けていく。夏樹と一緒だとこんな嵐でも怖くない。

 キャンパスに着いた時にはしぼれば水がしたたり落ちるほどに濡れていた。

 キャンパス内は明らかに学生の数が少なく休講になる講義も出ており、二人も掲示板の前で立ち尽くしていた。

「えー、休講なの~。早く言ってよー」

 夏樹は両腕から力が抜け、カバンを床に置いた。沙友里も猫背になりながら掲示板に貼ってある紙切れの一文を見ていた。しかし電車での出来事や、夏樹と親しくなれたことで意外と充実した気持ちだ。

「何か温かいものでも飲もうか?」

 沙友里は、ハンカチでポニーテールを拭いている夏樹に言った。

「そうだね、体が冷えちゃった。飲まなきゃ、やってられないよ」

 電車の中でゆるキャラを突いていた時のいたずらっ子のような表情だ。

 キャンパス内の売店で缶のコーンスープを買い、両手で缶の温もりを感じながら振った。

「台風が過ぎるまで帰れそうにないね」

 沙友里は今にも折れそうな樹々を見ながら心配している。暴風雨で荒れている外が別世界のように、店内は静かで明るい。

「早く起きてちゃんと天気予報を見ればよかった。そうすれば大学に来なかったのに」

 いつも寝坊気味の夏樹は早く起きたためしがない。

 二人とも親しくなったばかりで特に盛り上がる話題も無く、一言、二言話すと間が開いてしまう。話す事も自己紹介のような内容だ。

 お互い住んでいる場所とか出身校、どんな部活をやっていたかとか、趣味など。夏樹がダンスに興味があることを沙友里はこの時に知り、また沙友里がピアノのコンクールに出ていることを夏樹はこの時に知った。

 缶の底に残っているコーンの粒を食べようと、夏樹は上を向いて缶に口を当てたまま叩いた。一粒のコーンが口に入ったところで鼻から息を吐き、コーンを噛んだ。

「ピアノでどんな曲を弾くの?」

 沙友里のピアノに興味があるようだ。

「やっぱりクラッシックが多かったかな。気晴らしに映画やドラマの音楽を弾いたりもしたけど」

「へ~、何でも弾けちゃうんだね。」

 夏樹は、過去形で答えた沙友里がピアノと距離を置こうとしていると感じたのか、付け足すようにいてみた。

「最近はコンクールに出ていないの?」

「もうコンクールはいいかなって、最近思っていて……」

「やっぱり練習とかが大変だから?」

 そんなことは無いだろうと思いながらも、あえてそんな質問をした。

「確かにコンクールに出るための練習は大変だけど……」

 沙友里は一息置いた後に笑って、さらに言葉を続けた。

「私、ピアノを職業にするつもりはないの。もちろんピアノは好きだけど。でももうコンクールに出たいという気持ちが無くなってしまって。以前はあんなにコンクールへの情熱があったのに」

 沙友里の顔には寂しさなどは無かったが、自分の気持ちを説明できるほど整理できている様子もない。夏樹は沙友里の眼を見てさらに訊いてみた。

「他に何かやりたいことがあるの?」

 沙友里は逸らした瞳を泳がせながら、

「私、作曲がしてみたいかな……」

 と呟いた。この時はまだそれほど作曲がしたいわけでは無かったが、何故かそんな言葉が出てきた。そして夏樹は軽く聞き流すだろうと思っていた、が、

「凄い! 良いじゃん。作曲!」

 夏樹は体を沙友里に向けて大きな声を売店内に響かせた。レジの店員がこちらを気にしている。沙友里は大きな声の発信元をふさぐような手ぶりをして、

「私なんか……。とても恥ずかしくて作曲なんか無理だよ」

 と、周りを気にしている。

「人に聞かせなくたっていいじゃない。自分一人で楽しめば」

 自然と出てきた夏樹の言葉に、沙友里は両手を降ろし、また視線をらした。

「一人で楽しめば……。人に聞かせなくても……」

 そんなこと今まで考えたこともない。初めて耳にする言葉があまりにも突然に沙友里の思考に加わろうとしている。その言葉を取り込むために、しばしの沈黙が必要だった。

 うつむきながら黙り込んでしまった沙友里を見て、夏樹の表情からも笑みが消えている。

「私、変なこと言っちゃった……?」

 思ったことを口にしてしまう自分の性格は分かっている。また相手の気にさわることを言ってしまったのではないかと、肩をすぼめた。そんな夏樹の姿を見たのも初めてで、何だかおかしくなってきた。

「あっ、そんなことないよ、ぜんぜん大丈夫」

「そう、ハハッ……」

 どうして沙友里が急に黙り込んだのか気になったが、口元だけで作り笑いを見せた時には、もう心配は過ぎ去っていた。

『一人で楽しめばいいんだ』

 沙友里はお気に入りの写真を何度も見るように、取り込んだ言葉を思い浮かべた。ピアノのコンクールに対する情熱が冷めてしまったことについては、思いつめるほど悩んでいたわけでは無い。日々の中でなんとなく気になっていただけだ。それは引き戸の滑りが少し悪いと言う程度のことだった。でも引き戸の滑りが良くなるだけで、こんなにも気持ちが前向きになるとは思わなかった。吹き荒れる外の天気とは対照的に、沙友里の心はどこまでも広がる青空の中にあった。


 この台風の日から二人は親しくなっていった。夏樹はダンス。沙友里はピアノ。音楽という共通の話題で盛り上がることも多く、時には沙友里が自作した曲をピアノで弾き、それに合わせて夏樹がダンスをする動画を投稿したりもした。

「急に人気が出ちゃったらどうする?」

 夏樹は夢を膨らませながら動画サイトに投稿した。

 しかし数日後には、

「再生回数七回って、どういうことよ~」

 と、現実の冷静さに顔をしかめた。

「でも見てくれた人がいたんだね」

 そう励ます沙友里に申しわけない気持が出てきて、

「私が四回再生した……」

 と、うつむいた。沙友里も夏樹の隣に静かに座り、

「私も三回再生した……」

 両手をゆっくりさすりながら、打ち明けた。

「あ~あ」

 溜息ためいき交じりにうなだれている夏樹の横で沙友里は電線の雀を見ている。


 夏樹と出会ったことで、ダンスとは無縁だった沙友里の生活にダンスという要素が加わったのは確かだ……。

 

 夏樹は眉間みけんにしわを寄せ、ハンバーガーを口の中いっぱいに詰め込んでいる。

「夏樹、きっとメンバーが見つかるわよ」

 いつもながら希望を含んだ沙友里の言葉に救われる気持ちになった。そして沙友里は何気ない質問をした。

「夏樹はどうしてココットのダンスが踊りたいの?」

「えっ、ど、どうしてだろうな……」

 夏樹はその質問に答えられず、うろたえた心をごまかすように白いナプキンで口を拭き笑顔をつくるだけだ。夏樹自身、この時はまだ自分の気持ちが明確には分かっていない。でも何故かココットにかれている。そしてまた白いナプキンで口を拭く真似をして黙り込んだ。

まさか、こんな質問で夏樹が動揺するとは予想もしていなかった沙友里も慌てて自分のトレーにあったナプキンを手渡した。

「ご、ごめん。そんなに深い意味で言ったんじゃないんだよ……」

何とか取りつくろうと、子供番組のお姉さんのような声で続けた。

「ココットのダンスは可愛くて楽しいから、踊ってみたくなるよね」

 沙友里が自分に気を使ってくれている、それは夏樹にも分かった。

「そ、そう。それが言いたかったんだよ」

 笑顔で、沙友里の言葉に乗っかった。

「やっぱり~」

その笑顔に合わせ沙友里も笑っていたが、夏樹がどうして動揺したのか不思議だった。しかしその事には深くは触れず、

「私たちが自分で可愛いくて楽しいと感じるダンスをすれば、きっと素敵なダンスが出来ると思うな」

 いつもの口調で話しかけると、夏樹も自分たちが目指す踊りが見えたような気持になった。

「じゃあ私たちは、私たちの、女の子のダンスをしよう!」

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