RED STAR LIGHT

 効き目が弱くなっていると漠然と感じていた。外した指輪を手の中で弄んで、ぬるく体温で温められた金属の質感を指先で執拗になぞる。金で出来た指輪の、そう幅広くない側面には螺旋に絡み合う蔦の模様、中央にはよく磨かれた大ぶりな赤い石が嵌め込まれ、角度によって星のように他方向に光を反射した。濃い紅色は、一見しただけでは赤というよりは黒く、光を取り入れると鮮やかで甘やかな色合いに変化した。これはなかなか天然に算出しない珍しい石で、加工すれば術具にもなり、陛下によくお似合いです、と言いながら宝石商が持ってきたものだったが、意匠を特別に気に入ったわけでもなかったし、赤い宝石が殊更好きだというわけでもなかった。結局のところは、なんだっていいのだ。役割さえ果たせば。

 魔族の生命エネルギーでもある魔力を一気に凝縮する作用のある「魔力封じ」は、元々気性の荒い魔獣を飼い馴らすために考え出されたものだったが、使いようによっては対魔族用の殺傷や拷問器具となる可能性もある諸刃の剣だった。いつからか制御の利かない「魔力の器」のための需要が高まり、今は人型の着けやすい装飾品としての用途と二分している。その性質上命に直接関わるため一般へは流通せず、威力と構造との問題で必ずある種の宝石を必要とするため、ほぼ宝石商の独占市場だ。七十二柱にはたいていそうしたお抱えの宝石商がいるものだ。

 魔王である自分が普段身につける魔力封じの数は大体一定で、増やすことはあっても減らすことはない。それは魔王の魔力が、襲名して何千年と経っていようと未だ器の肉体に侵食し続け、馴染み、蝕んでいくからだった。かつては指輪をいくつかつけるだけで抑えきれていたものが、今や刺青を半身に入れても抑えきれない。

か」

 形が変わっただけの首輪と同じだと皮肉に思ったが、もはや全く身につけることなく生活するのは不可能に近かった。魔王の器たちは、魔王であり続けるためには自分の力を自分自身で制御することが最も重要だと、嫌になる程教えられて育つ。自分の力を制御できずに、器の肉体が死ぬことも、過去実際にあったからだ。崩御すれば当然、魔王というものは七十二柱のそれに比べ、代替わりが恐ろしく大掛かりになる。

 体の一部に魔力封じの刺青を刻むのも、耳に穴を開けるのも、考えただけでうんざりするような嫌な作業だった。とはいえ、装飾品のような外部装置で抑え込むには限界があることもよくわかっている。気が進まないのは、何より他人が肌に触れることに対してひどく嫌悪感を催すからだ。こと魔力封じに関しては、自分でやるには限度がある上、他者に施された方が効果が持続する傾向があることも、既に自明のことだった。どうせ嫌な作業なら一度で長く続く方が良いと渋々許容しているが、できるだけ避けたいことに変わりはない。

 左手の中指にもう一度指輪を通し、石が一瞬閃くように光るのを確認して二、三度指を握りこんだ後、またゆっくりと引き抜く。つけていてもいなくても大して体内の魔力量に変化がないのを改めて確かめた。どの程度の負荷を設定するかにもよるが、大抵の場合つけた瞬間にわずかに息苦しくなるような違和感がある。紐で締め上げるようだとか、鉛でも飲み込んだようだと形容されるのは最初のうちだけで、だんだん気にならなくなるものの、一様に不快なものだった。

 ピアス穴を開け直したのはいつだったか簡単に計算して、指輪を新調するにとどめることにした。複数人に囲まれて、一挙一動に気を遣われるのも、他者を意志とは無関係に傷つけないよう精神を平静に保つのも、考えただけで煩わしい。執務室の机の上に置かれたベルをとって軽く鳴らすと、お呼びですかと言って世話役のクラウスが姿を見せた。

 唯一の世話役に使っているこの男は、他の文官のようにいつ気に障って見つめられるかと怯えるようなところが一切無く、淡々と仕事をこなした。単に目障りにならないから使っているにすぎなかったが、時々癇に障るような直截な物言いをする。

「指輪を新調したい」

「指輪を……では宝石商を呼びましょうか。以前と同じ方で?」

「ああ」

「効かなくなりましたか」

「ああ」

 お待ちください、と言って一度部屋を出ると、装飾品を保管している宝石箱と手袋を持って戻ってきた。彼はごく一般的な魔族の青年であるため、魔力封じは慎重に扱うよう言いつけてある。机の上にそっと宝石箱を置いたあと、手袋をはめ、鍵を差し込んで蓋を開けた。途端、綺麗に並べられた色とりどりの宝石たちが、室内灯の光を受けてさんざめく。

「どなたか触ってしまうと大変ですし保管します。何か代わりにお出ししましょうか」

「いや、いい。そこにあるのはもう効かないものしかない」

 さすがに長く生きていると、装飾品は端から腐りそうなほどたくさん所持していた。持っていたことを忘れていて目録を作らせたことすらある。どれも自分で身につけるには弱く、誰かに渡すには効果が強すぎて、こうして煌びやかな宝石箱の中に仕舞われたきり、すっかり埋もれてしまっていた。随分豪華絢爛な墓場だなと、皮肉なことを考えた。最も、着けている間に力を使った所為でリミッターとしての役割を果たせず、粉々に砕け散ってしまった指輪や耳飾りもあったのに比べれば、原型をとどめてここに仕舞われているのはまだ幸運な方だ。

 魔力封じそのものに触るだけであればほとんど危険は無い。元々あまりにも威力の高いものは、普通の者には触れないようそれ自体に魔法がかかっていることの方が多く、触ろうとすると電流でも走ったように持っていられなくなるものだ。よって盗まれるような心配のあるものでもなかったが、命知らずな使用人が万が一盗み出すようなことがあれば死人が出てしまうこともあり、鍵付きの宝石箱に入れて金庫へ保管していた。鍵を持っているのは自分と世話役の彼だけで、その上彼は魔力封じ自体の魔法を無効化できる特殊な手袋無しでは装飾品には触れない。

 左手の中指から指輪を抜き取って、机の上に無造作に放った。すると指輪は運悪く机の上を転がってくるりと円を描き、よく磨き込まれた机の縁から落下しかけた。

 それを彼も、反射的に手を伸ばして掴もうとした。その一連の何気ない仕草自体は警戒する必要などなかったが、同時に屈んだ拍子に重なりかけた手をお互いに引っ込めようとし、一瞬の躊躇を経て彼が逆の、手袋をしていない——利き手でない方の——手を差し出して、落ちるそれを、受け止めようとした。

「あ」

 それが運悪く指の端に引っかかって彼の手の中に握りこまれた瞬間、その星型の光を見せる紅玉が閃くのを見た。

「馬鹿!」

 制止の声をあげた時にはすでに遅く、彼は糸の切れた人形のように自立できなくなって、そのまま自分を巻き込んで倒れた。

「この……」

 崩れ落ちてもたれかかる体の重みに思わず舌打ちした。クラウスは苦しむ暇もなく意識を失ったらしくピクリともしない。魔力封じがそこそこ上等のものだった所為か、本人からすれば雷に撃たれたのと同じくらいの衝撃を受けたはずだ。

 魔力封じは、触るだけであればほとんど危険は無かった。ただし、通してしまえば話は別だ。輪であれば通し、針であれば貫通させた瞬間に効果を発揮し、搾り上げるようにして魔力を凝縮する。その際に、石が光るのだ。彼が意識を失った理由は疑いようも無かった。

 人を呼んで運ばせて、どこかで集中的に魔力供給すれば、後遺症が残っても生きていられるかもしれない。何しろ生命力を縛るため、魔獣用の軽度のものならともかく、一般人が使えば身体器官が根刮ぎ停止して、殆ど即死している。魔力封じに誤って触れて命を落とすものの数など、そう多くはないというのに、よりによって。

 咄嗟にこの自分付きの使用人が居なくなった後、全く続かない世話役を新しく手配する手続きや、恐ろしく役に立たない文官たちに再びうんざりする煩わしさなどが、頭をよぎった。

「……貴様、覚えてろよ」

 悪態をつくと、倒れているクラウスの下から這い出して立ち上がり、胴体を跨いで屈み込む。力を失って想像以上に重たい体を、服の裾を掴んで乱暴に仰向かせると、ゆるく閉じられた瞼を確認した。首筋に指を当て脈が無いのを確認する。血色をなくしていく顔面を睨みつけてネクタイを切り落とし、上まできっちり止められたシャツの襟を掴んで、ボタンごと力任せに左右に引っ張った。ぶちぶちと糸の切れる小気味良い音がする。

 屈みこんで男の首筋に唇をあてる。もうどうせ死んでるようなものだしな、と遠慮なく彼の肩口に噛みつくと、口の中に血の味が広がった。

 他人に自分の魔力を与えたことは無かった。いや、正確に言えば何度かあったが、何度殺しても殺したりないような柱の連中ばかりで比較にならなかった。目を合わせただけでその脆い身に過剰な魔力を注ぎ込まれて死ぬような一般人に、分け与えて生かすどころか、殺すためにしか注いだことがない。他人に魔力供給するには濃度やタイプを合わせて慎重に行わなければならないはずだったが、この際注いでやらなくても死ぬのだから些事は気にしないことにした。加減を誤れば彼は死ぬだろうし、どのみちこのまま放っておけば確実に死ぬのだ。

「死にたければ死ね」

 物言わぬ彼に向かって一言断ると、舌の印から直接体内に吹き込んだ。ごく薄く、微かな、希釈しきってほとんど濃度のないようなそれを、一滴ずつ真綿に染み込ませるようにゆっくりと注いでいく。息をするのを忘れそうなほど神経を張り詰めて、もどかしさに耐えきれず彼のシャツの胸元を握り込んだ。実際確かめたら、ほとんど死んでいるも同然の魔力の空っぽの体だった。人を呼びに行っていては永遠に戻ってくる見込みは無かっただろう。

 なんて幸運な奴。墓場の中の宝石のように。

 摂理に従って死ぬものを、わざわざ引き止める趣味は無かった。砂時計の砂が落ちていくのを見ているのと同じことだ。今まさに手を引かれかけている魂を、何度も何度も見送ってきたというのに、こういうことをするのは二度目だと思い出す。

 先代のアスタロトだった彼にも同じように魔力を分けてやった。助けるつもりではなく、事実あの時死んでしまった方がどんなにか良かったと彼が一度は後悔するほどの激烈な生の痛みの筈だった。だからこそ与えたのだ。彼が生きている間中、役目を果たし終えるその瞬間まで、体が軋むたび、私のことを思いださずにいられないように。

 きつく目を閉じた。その残像を追い払う。他者を助けようとするなんて、彼のことがなければ思いつきもしなかったに違いない。こんな愚かな振舞いは二度としないだろう。


 空っぽだった彼の体内を循環する魔力がすっかり自分のもので満たされてしまうのを確認して上体を起こすと、シャツをぐしゃぐしゃに握りこんでいて気づかなかったが、脈動があった。自分の淡い金色の髪先が彼の顔を撫でていた。微かに安らかな呼吸音が聞こえる。ひとまず最初の峠は越えたらしい。力なく握られた彼の手をこじ開けて、落下を防いだ自分の魔力封じを取り出す。

 目を開けたら、こんなもののためにここまで苦労させられたと、再三言い聞かせてやる。よく馴染んだ左手の中指にそれを嵌めると立ち上がり、彼を医務室へ運びだしてもらうための人を呼ぶため、ドアの方へ歩き出した。

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