第11話 ひとつの願いごと

ひとつの願いごと体が温かくなって目を覚ます。人間になったのを確認すると、ゆめは檸檬色の浴衣に着替えて丸窓の前に座った。


勾玉を握って、そっと目を閉じ姉に想念を送る。


『月夜? 昨日の作戦お見事でした。見ていてハラハラしましたけど』


『やっぱり。知ってて連絡を絶ったのですね』


『ごめんなさい、お父様がそうしろというので仕方なく。怖い思いをさせたこと許してください』


『ううん、いいの』


はじめは、ちゃんと助けにきてくれた。


『髪の毛短いのも似合うわね』


『想念が使えてよかったです。髪の毛が短いと霊力は衰えるでしょう?』


『そうね。でも勾玉の力はそれくらいじゃ無くならないわよ。そうそう、きょうの帰還ですが、月の入りの18時57分には完了させます。なので18時30分には迎えのお供と飛車がそちらに着くので承知しておいてください』


『わかりました』


『飛車に乗る前に、はじめ様に願いごとはなにか聞いてくださいね』


『はい……』


『……大丈夫よ。何があっても、あなたは幸せになれるわ』


『ありがとうございます』


『あす、会えるのを楽しみにしています』


すーっと想念が消えるのを待って、目を開ける。丸窓をのぞいても新月だから、月は見えない。


太陽の光を浴びていなくとも実際には月は登ってきている。不思議な気持ちになりながら、少しずつ明るくなってきた空をゆめは見上げた。もう一度眠りにつこうと布団に横たわる。


今日でお別れ。でも、はじめが望んでくれれば違う未来があるかもしれない。


はじめと一緒なら、なんでもいいな。どんなことでも楽しめそうだ。


最後は、はじめに委ねよう。そこまで考えて、ゆめはもう一度眠りについた。



──トントン


「ゆめ? おはよう? 起きてる?」


はじめの声が襖の方から聞こえて、目を開ける。


「んんっ……はい」


「ゆめ? 朝ごはんできてるよ」


「あ、今行きます」


ゆめは目を擦りながら顔を洗ってリビングへいく。向田はもう出勤していて、得意だというとろとろすくらんぶるえっぐ? というものを食べさせてくれた。この世のものとは思えない美味しさ。


月に戻ったらもう食べられないんだな。そう思うと悲しみが込み上げる。


「ゆめ、きょうはどこか行きたいところある? あんまり遠くはいけれないけれど……」


「……海にいきたい」


「海?」


「月には、海がないから。行ってみたい」


「わかった。うーん、今日の月の入りまでに帰って来られればいい?」


「たぶんだけど、場所はどこでもいいと思う。海でもどこでも、迎えに来るなら同じだから」


「うーん、でも見られない方が良くない?」


はじめがそう言うとくすくすと笑いが込み上げる。


「見えないように力が働いてると思うよ。来た時もそうだし」


なるほど、とはじめは小さくいって何か考えているようで、はじめの次の言葉を待った。


「じゃあ、富士山見に行く? ほら、かぐや姫が、帝に不老不死の薬を渡したでしょ? でも帝はかぐや姫のいない世の中に生きていても仕方ないといって、それを燃やさせたっていう伝説のある山だよ。三保の松原っていうところが景勝地として有名だし、そこならどう?」


ああ、あの山か。お母さまからきいたことがある。はじめが日本で一番高い山だというので、ゆめは興味も湧いてきた。


「いいね。うん、そこ行こう」


支度をして、電車に乗り、しんかんせんというものに乗り換え、こんどはバスに乗って、富士山の5合目というところまでやってきた。


「うわー!! すごい。雲の上だ」


目の前に広がる景色に驚愕する。雲が下に見えて、幻想的。やっぱり大気のある地球の景色は素晴らしいな。月のドーム内は完全に天気も制御されているし、外はもちろん大気はない。


日本に住めたらどれだけいいだろう。はじめと一緒だったら、もうなんでもいいんだけどな。ちらっとはじめをみると、はじめも景色の美しさに驚いているのか口をぽかんと開けて、柵にもたれていた。


「きれいなところだね」

「気に入ってくれた?」

「うん、すごく。はじめは来たことあるの?」

「子どもの頃、家族ときたよ。家族旅行なんて数えるほどしかいったことないから、よく覚えてる。今日みたいに五合目まで来て、帰ったけど」


けらけらとはじめは笑う。もう、この笑顔ともお別れなんだな。切なさがこみ上げてすっと俯いた。「どう? ゆめ、富士山は」

「すごくいいところね。上まで登るの?」

「いやいや、この軽装じゃ無理だよ。きょうは5合目だけ。また今度登山する……ああ、ごめん帰るんだったよね」


はじめは、あははと困ったように笑う。そうだよ、きょう……帰るよ。


***


富士山の五合目から見る景色は息をのむほどきれいだった。もうこうやって二人で見ることはないであろう景色を、痛いくらい目に焼き付けたい。そう思えば悲しくて、すぐに鼻の奥がツンとしてくる。


涙を堪えながら、五合目をあとにし、今度は海側へ移動する。


「わー!! 海初めてみた。すごーい、これが波?」


ケラケラ笑いながら砂浜を歩くゆめは本当にかわいらしい。ああ、この時間が永遠になればいいのにな。はじめは心からそう思っていた。


だんだん日が暮れてきて、海の向こうに夕日が沈む。


「はじめ、いま何時?」


「18時30分」


「そろそろかな」


ゆめは物憂げに、海の方をみつめた。その視線の先に、この世のものではないような、あの世へのお迎えのような、そんな感じの光景が広がる。

雅な音楽がだんだん近くなる。天女の羽衣を着たような人たちがふわふわと雲に乗ってこちらに近づく。


大きな飛車も雲に乗って、波打ち際に降り立った。


ハッとしてゆめをみると、きらきらと光っている。あぁ、もう地球の人間ではなくて月の人間に戻ったのだなと推測した。


「はじめ、短い間だったけど、ありがとう」 


ゆめははじめの手をぎゅっと握った。


「う……うん」


「ね、お願いごとはなに?」


ニコッと笑うゆめの顔。もう今にも泣きそうになりながら、はじめは言葉を紡ぐ。


「あのね」


「うん」


「ゆめと結婚したい」


「え……」


「それがぼくの願いだよ。ゆめがいやなら別だけど……」


真っ赤になって俯いたはじめ。ゆめは小さく手を震わせていた。


そっと顔を上げると、ゆめの顔に涙が一筋流れている。


「ほ、ほんと? わたしをはじめのお嫁さんに?」


「うん、ほんとだよ。いますぐは難しいけど、僕がちゃんと就職したらそうしたい。ゆめと一緒になれたら嬉しい」


「はじめ……」


「だから、他の人となんか結婚しないで。おねがい」


ぎゅっと熱を持ってゆめを見つめる。その手を強く握り返したゆめ。「うん、うん。ありがとう。必ず、地球に戻ってくるね。そしたらわたしをはじめのお嫁さんにしてね」


「うん、うん」


そっとゆめを引き寄せて、きゅっと抱きしめる。ゆめの手がはじめの背中に回って距離が近くなる。


「んんっ!!」


咳払いがしたのですっと離れてその音の方を見ると、朔がきちんとした護衛の姿でこちらを見ている。


「とりあえずはそこまでです。はじめさま、お世話になりました。家で待ってたんですけど……」


朔はあわてて家からここへ飛んできたらしい。すみません、急きょ変更して。はじめは頭を下げた。


「姫さま、お別れです」


「……お別れじゃないよ」


「ゆめ……」


「はじめ、また必ず来るからね。それまで元気でね」


これ以上ないくらいの弾ける笑顔を向けられて、はじめの胸がドキンと鳴った。


「うん、待ってる。ずっと」


名残惜しそうに手を離すと、穏やかに微笑みながら、飛車に乗りこむゆめ。不思議なことに乗り込むと、ゆめの服は十二単に変わった。


雅な音楽が始まると、ふわっと飛車が浮く。新月で月は見えないはずなのに、満月が空に浮かんでいる。


すごいな。月の魔法の力は、月自体を光らせることもできるのか?


その光の道を辿るように飛車は去っていく。何度も何度も、ゆめは振り返る。やがてその姿は見えなくなり、あるはずのない満月が美しく空に浮かんでいたが、しばらくするとそれも消えて、あたりは暗い静寂に包まれた。


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