隣の人

 私は佐間(さま)市立芥野(あくたの)中学校に勤務している。持っているクラスは二年四組、担当教科は国語だ。

「小豆沢(あずさわ)先生、お疲れさまです。これ

 飲みます?」

 そう言って、お茶を二本持ってきたのは職員室で隣に座っている二年五組担任の音楽科、小矢(こや)先生だ。

「あ、ありがとうございます」

 小矢先生は私より年齢が四つ上の三十歳なのだが、この学校に赴任したのは同じ年で三年前、私は新任としてだった。少しミステリアスな部分もあるが基本的には優しい。

「やっぱ国語って大変ですよね」

 そんなことをパソコンを見ながら言う。

「いや、音楽だって変わらないじゃないです

 か。他の学年だって担当してるし」

 私は横顔を見て言った。

「いやいや国語の方がですよ…」

 変わらずパソコンを見ながら答えている。そんなことをしているうちに時間は二十時、近くは小矢先生しかいないし、奥の方にも数人しか見えない。

「小矢先生はどうして先生になられたんです

 か?」

 少し勇気を持って聞いてみた。

「なんすか急に。怖いんすけど」

 引かれてしまったかもしれない。でも先生は少し苦笑しながら初めて私の方を見た。

「あ、いや…」

「親父がね、教師なんすよ」

 謝ろうと思ったら話し始めてくれた。何故かは分からないけど、またパソコンを見て。

「いい教師だったらしくて」

 過去形なことが気になったけど言わないでいた。

「俺が中学生の時に亡くなっちゃったんです

 よ。急に」

 そのさきを聞いて、色々なことを納得してしまった。どうして小矢先生がこんなに落ち着いているのか、ずっと気になっていたのだ。「私はなんで教師になったんだっけ?」そう思ったけど声に出さないようにして、お礼を言った。先生は「なんのお礼ですか」と笑った。私もパソコンに目を向けて作業を再開した。静寂が続く中、先生が一言つぶやいた。

「小豆沢先生は教師やめないで下さいね」

 どうしてそんなことを言ったのか、理解できなかった。誰が辞めるって?でも、そこで分かった。多分今の言葉は私がこのまま教師を続けていればいつの日か理解できる、と。

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