第10話 「Religion」
彼女は探していた。
次に教祖となり得る存在を。
今まで自身の息子を教祖の座に就かせ十年間、自分はサポート役に徹してきた。
元々、教団をつくった理由も息子の為だ。
世の中のエーアイシンプトンズに対する偏見から
少しでも自分の息子を遠ざけようとした苦肉の策でもあった。
彼女自身のこれまでの人生は他人と比べれば順風満帆と言えただろう。
幼い頃から望む物は全て手に入ったし、才能にも恵まれた。
若い頃から世間の脚光を浴びるような経験もしたし、結婚相手にも恵まれた。
相手の男性とは恋愛結婚ではなく、自身の叔母が勧めてきた相手だったがその経済力と財閥というブランドを考えれば断る理由のない相手だった。
肝心の相手の様子と言えば所謂、育ちの良いボンボンではあったがその眼光は鋭く、初めて会話をした時にはその知識の豊富さに圧倒されたのを覚えている。
性格はと言うと正直、少し冷たい感じを受ける印象ではある。
しかし、自身の楽観的過ぎる性格を考えれば相手はしっかりした人の方が釣り合いは取れるだろう。
結婚して数年間は子供に恵まれなかったが、そんなに焦って心配する程子供が出来なかった訳でもない。
妊娠が発覚すると一族の者達がお祝いに駆け付けて来てくれて華々しくパーティが開かれたのも今思えば素敵な想い出だ。
これはその子供が産まれる迄の話しである。
見目麗しい第一子が誕生し、病室には連日親戚達がお祝いに訪れる。
その中に居た親族の一人がある事を指摘した。
「赤ん坊の割には随分と大人しい。うちの子供が産まれた時はもっと五月蝿いくらいに泣かれたものだ。」
と…。
その言葉を聞いた他の者達もそう言えば…と、病室内に不穏な空気が流れる。
それを聞いている彼女自身もこの子に何かあるのでは…と不安になる。
病室内がざわ付き始めた時に彼女の夫がピシャリと言った。
「皆さん、やめて下さい。妻と子供に悪影響です。心配する気持ちは有難いですが暫くの間は親子三人だけにして下さい。すみませんが今日の所はこれまでという事にしてお帰り願えませんか?」
その言葉に対して
「なによ、心配してあげているのに…」とか
「初めての子供だから先輩としてアドバイスしてるだけなのに…」
とか
「初めての子供で気が立っているんだ…」
等と聞きたくもない言葉を吐き捨てながら親戚達は病室を後にする。
彼等に無言で深々と一礼する夫の背中をベッドに横になりながら見た時には
「この人は、私達を守ってくれる。この人と結婚して良かった。」と思えた。
その後、五月蝿い親戚達を黙らせるべく我が子を検査して貰う。
検査の結果は絶望的なものだった。
彼女自身、絶望という感情を生まれて初めて味わったかも知れない。
耳が聴こえていない我が子は、自分の声のボリュームも認識出来ない為に小さな声で泣いていた。
聞こえているものだと思い込んで聴かせていた唄声も届いていなかった。
悲しみと不安が一気に込み上げてくる。
でもその時、医師が一筋の光明を示した。
もしかしたらこの子はエーアイシンプトンの可能性があると…。
彼女は自分がエーアイシンプトンを産むなんて考えてもいなかった。
その為にもしそうだったらなんて事は今まで想像した事もなかったし、全く頭が働かない。
呆然としていると夫が言った。
「先生、試して下さい。お願いします。」
結果やはり、この子はエーアイシンプトンだった。
音楽に携わっていた彼女にとって耳は命の次に大切な器官だ。
その次が声で耳と声は連動する。
誰よりも耳と声を大切にしてきた彼女の愛息子が耳のエーアイシンプトンだったとは皮肉なものだ。
この子がエーアイシンプトンだと判明すると親戚一同はこの親子三人と距離を取り始めた。
本来ならば日本が誇る高級ホテルの広間を貸し切り、生誕パーティを催す所なのに今回はそれが話しの段階で中止が決定する。
恒例行事が派手であればある程、それが中止になった時の惨めさは倍増する。
普段からそんなに大事にしなければそれがなくても大して人の心は傷まないものなのに。
こんなに美しい我が子なのに生誕祝いのパーティすら開催してもらえないのは不憫過ぎる。
そして、この先もこの子が一族の爪弾きにされるのであればこの子を守る手段を探さなくてはならない。
妻と夫は考えた。
世の中にはエーアイシンプトンズを神と崇めている人達が居る。
その存在を味方に付けられないだろうか?
そういう人々を一つに纏め上げ、大きくする事で今現在エーアイシンプトンズを脅威に感じている人々の意見を覆す力にならないだろうか?
ならば話しは早い。
エーアイシンプトンを神にすれば良い。
そしてゆくゆくは政治の世界をも変え、エーアイシンプトンズに対する厳しい法律も変える事が出来るかも知れない。
全てはこの子の為だ。
こうして一つの宗教団体が立ち上げられたのであった。
立ち上げからの十年間は試行錯誤の連続だった。
極端にカルト化してしまえば元も子もない。
そしてアンチエーアイシンプトンズと敵対しても意味がない。
あくまでエーアイシンプトンズに対して偏見を持っていない、ひいては諸々の差別に対しても偏見のない善の集まりとして纏めなくてはならない。
十年間の努力が実を結び、ようやく理想に近い団体が確立されると二人は自分達の十才の息子を教祖の座に就かせたのであった。
それからの十年間は派手に宣伝する事は敢えて避けて地道な活動を続け、会員数は数千人までになっていた。
しかし、この国の人口を考えればそれは微々たるもので世の中はエーアイシンプトンズに対してまだまだ冷たい。
今回、自分の息子がひょんな事から芸能界デビューが決まった。
血は争えないものだ。
彼女とその夫は息子の幸せを第一に考える。
息子が望むならばその道を明るく照らし、転ばないように支えるのが自分達の使命だ。
芸能界もお金である程度は買える事を知っているこの両親はちょっとした先行投資として事務所と息子に関わる関連会社全てに数億円の資金を提供した。
我が息子が世に出ればもっとエーアイシンプトンズに対する世間の目も変わるだろう。
そして提供した資金など数年掛からずに回収でき、
更にはそれ以上の利益を産むであろう事を確信している。
話しはもとに戻る。
この団体を継続させる為には次の教祖が必要だ。
教祖はエーアイシンプトンである方が説得力がある。
彼女は色々なコネクションを使って現在国内にいるエーアイシンプトンズのリストを手に入れた。
そして息子と年齢の近いエーアイシンプトンズに的を絞る。
更にその者達の素行を調査してもらう。
数名までに絞られてきた所で自ら彼等とコンタクトを取り、教祖に相応しいか見定めようという訳だ。
初めにコンタクトを取ったエーアイシンプトンの男性は妻子持ちで、こちらが構わないと言ってもごめん被ると一蹴された。
次は女子高生。
これはその子の両親に猛反対された。
次は会社員の男性。
ブラックな職場で働いているのに辞める気もなくただ「時間がない。」の一点張りで断られた。
そしてアイ。
彼も現在の仕事が性に合っているようでそれを理由に断られた。
何人かいた候補の中ではブラック企業の彼とアイが有力だと思われたのだが…。
さて、ここまで探して見付からないという事は
教祖になり得るエーアイシンプトンの的を変える必要がある。
まずは年齢に拘る事をやめた。
しかし、今現在エーアイシンプトンズの最高年齢は三十歳の人間で最低年齢はゼロ歳。
あの忌まわしいパンデミックからもう三十年も経つのか…。
さておき、ゼロ〜十八歳は先の女子高生のように両親が反対するか施設職員に一蹴されるかでこれは難しい。
となると十八歳〜三十歳なのだが、二十歳〜二十五歳は既に調査済だ。
いっそ普通の人間をエーアイシンプトンと偽り教祖にしてしまおうか…否、それは危険すぎる。
行き詰まったように見えたこの計画も夫の一言で大きく覆る。
「居るじゃないか。僕等の知っている所に…。」
「えっ?何処に?私、沢山探したのよ?でも…。」
「サトルだよ。」
灯台元暗しとはこの事だ。
彼なら両親とのしがらみもなく、施設もうちのモノだ。
職員は夫に反論しない。
「でも、まだ八歳よね?幼過ぎない?」
「うちの息子も十歳だっただろう?」
「そうね。なら、十歳までの二年間は教祖の席を空けておいて幹部に運営を任せましょうか?」
「それでも充分間に合うだろう。」
どうやら二人の話しは纏まったようだ。
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