第6話 「Encounter」

AI=人工知能。

symptom(シンプトン)=症状。

この二つの言葉をくっつけてこの不思議な現象を名付けたもの。

この症状の人間が単独の場合はエーアイシンプトン、複数人居る場合はsymptoms=エーアイシンプトンズと呼ぶ。

これぐらいはアイハも知っている。


いつもの朝。

目覚まし時計を止めて着替えながら考える。

今の現場に行くようになってから一つやる事が増えた。

別に強制ではなかったし、気が向いたら…程度の話だったので軽く引き受けた事だ。

何度かサトルと会話をしている時にアイハには一つの疑問が涌いた。

自分の腕や掌にはどういうわけか人工知能が宿っていて、それは事ある毎に学習を繰り返しどんどん便利に成長していく。

しかし、結局の所それを使いこなして指示を与えているのはアイハの脳だ。

しかし、サトルの場合はどうだろう。

元々の脳は殆ど機能しておらずサトルの脳はAI機器そのものだ。

よくマンガやアニメで身体は機械だが頭脳や心は人間。

みたいな作品は昔からあってアイハもそれらを好んでよく目にしていた。

もしかしたらサトルはその逆なのだろうか?

だとしたら生身の人間の皮を纏った只の機械なのだろうか?

サトルの心は?心は何処から来てどう感じるのだろうか?

でも、自分の知る限りサトルは間違いなく人間だ。

「あーっ、考えても分からねぇ!」

モヤモヤしながらもいつも通りにワゴン車に乗り込む。

「おはよーっす!」

「おう、今日も頼むな!」

午前中の作業が終わると新館一階のあの窓辺に向かう。

「よう!サトル!」

「こんにちは、アイハさん。今日もいい天気だね。」

「おう!外は気持ち良いぞ。お前も出るか?」

「ちょっと待って。確認してみる。」

「おう。」

サトルは自室の扉をスライドさせて廊下へと消えて行った。


最初にサトルと話をした時には気付かなかった事だが翌日会いに行った時にこんな事を言われた。

「アイハさんは知らないと思うけれど、僕は監視されているんだ。だから今の二人のやり取りも録画されている。それでも僕と話しをしてくれるの?」

「おう、勿論だ!」

監視なんかされてたって自分に疚しい所はないし、何よりサトルが不憫に思えた。

自分も施設育ちだが、ここは自分が育った所とはかなり違う。

友達も居らず四六時中監視の目が光り、寂しさや不自由さを感じないのだろうか? 

恐らく、前に一度抜け出してニュースになってから監視が厳しくなったのだろう。

「ふぅ…、なんだかな…。」

そんな事を考えていたらサトルが部屋へ戻って来た。

「外、出てもいいって。」

「そうか、じゃあ俺は入口前で待ってるよ。」

「うん。」

裏から周って施設入口前まで来てその厳重さに圧倒される。

「なんだよ、ここは…。」

サトルが施設の警備員と共に現れた。

「アイハさん、お待たせ。」

「おう!」

警備員と目が合う。

「宜しくお願い致します。くれぐれも施設外へはお出になりませんよう…。」

「あ、はい。俺もまだ昼飯前なんでほんの十分くらいの散歩です。」

「承知致しました。では十分後こちらでお待ち致しております。」

「はい。」

サトルと一緒に歩き出す。

聞いた話によるとサトルは五才くらいまではひたすら歩き方や腕の動かし方、力加減等の動作に関わる事を学習していたとの事だ。

人間は本来自然と歩いたり食べ物を飲み込んだり、物を掴んだりと覚えていくが、サトルの場合は脳と身体を連動させる事から学習が必要だったそうだ。

「な、サトル。今日は天気も良いし、気持ちいいな!」

「天気が良いと太陽の熱を身体が感じるんだ。これが気持ち良いって事なの?」

「そうだな〜、そんな感じだな。でもあんまり日光が強すぎても良くないんだよ。今日ぐらいの温度は気持ち良いけどな。」

「ふーん。」

「そうだ!お前さ、お笑いとかって興味ある?」

「興味?お笑いが何なのかは知っているよ。」

「いや、そうじゃなくてさ、好きな芸人とかいないの?」

「現在、国内で一番人気があるとされるお笑い芸人は○○で彼らの得意とされる芸は〜の……」

「あーっ、あーっ!そうじゃなくてさ、見た事あるかって事だよ!」

「お笑いライブは全部ココに入っているよ。」

サトルが自分の頭を指差す。

「んとさ、そうじゃなくて見て面白かったってやつ。なんかあったか?」

「……面白かった?…………」

「わぁかったよ、分かった。じゃあ、俺が面白かったって思ったやつな。それ、教えてやる!」

初めてサトルに会った翌日に本当は見せようと思った事だったが、実際真似してみると難しくとても他人に見せられたものではなかった。

なのでここ数日、特訓に特訓を重ね現場の仲間達にも見て貰ってお墨付きを頂いたアイハの好きな芸人の真似をサトルに見せた。

「???……?……。」

キョトンとしているサトルに必死に説明する。

「だからな、この芸人の面白い所っていうのは……、」

「くすっ。」

サトルが笑った。

芸人のモノマネが面白かったとかではなく、

顔を赤くして照れ隠しにそれを必死になって説明するアイハが滑稽に見えたのだった。

「あっ!お前!いま笑ったな!」

「えっ?」

「コノヤロー、俺を馬鹿にして〜!生意気なヤツだ!」

笑いながら頭を撫でてくるアイハの笑顔につられてサトルも笑顔になった。

十分間はあっという間に過ぎようとし、約束通りアイハはサトルを連れて施設入口へと戻った。

遠くから二人を眺めていた警備員がサトルの様子に驚く。

こんなに楽しそうなサトルの表情は初めて見る。

(これは、今日のレポートも書く事が多そうだ。)

警備員にサトルを預けるとアイハは言った。

「な、サトル。面白いって言うのはさ、さっきみたいな事を言うんだぞ。」

「うん。分かった。ありがとう、アイハさん。」

また明日も会う約束をしてアイハは昼食を買いに行く。

サトルの笑顔が見られて良かった。


「なんだよ、やっぱり普通の子供じゃねぇか。あんなに可愛く笑えるなんて。」

今朝、考えた疑問の事を振り返る。

そしてこう思った。

サトルにはやっぱりきちんと心があって、それを引き出してくれる大人が周りにあまり居なかっただけなのだ。

きっとそうに違いない。

ならば短い間ではあるが、自分が出来る限りサトルの色々な心を引き出してやろう。

もっと面白い事、楽しい事。

ワクワクする事、嬉しい事。

まてよ?ポジティブな事だけで良いのか?

でもネガティブな事はあまり教えたくない。

自分は専門家ではないし、子育てもした事がない。

そうだな、そう言う事は意識しない方が良さそうだ。

施設のお偉いさんも『話し相手』という事以外は望んでいない。

自然体で接しよう。

でないとサトルが可哀相だ。

サトルは人の表情や微かな動きを見てその人間がどういう気持ちなのかを読み取る事が出来る。

勿論、嘘もすぐにバレる。

「うん。考え過ぎないのが俺の良い所だしな。」

コンビニで買った弁当を食べ終えて午後の作業場へと足を向けた。


サトルには自分自身が認識している感情のようなものが三つある。

一つは好奇心。

これは無数のデータと予測、計算結果が現実と違った時に芽生えた感情だ。

データの予測と現実に矛盾が生じたり、計算通りに事が運ばなかった時があり、何故なのだろうと疑問を持った時にそれは好奇心へと変化した。

二つ目は怒り。

こちらは数ヶ月前に計算通りにならない極度のストレスを感じた時に芽生えた感情。

その時の事を思い出すと足元から鳥肌が立ち、お腹の辺りがムカムカする。

余談ではあるがこの感情の数分前に感動というものを体験したのだが、これは未だに認識出来ていない。

三つ目は面白い。

これは今日学習したものだ。

なんとも言えない感じがする。

只、不快ではない。

思い出すと自然と頬の筋肉が上へ持ち上がる。

アイハ(さん)は自分に面白いという事を教えてくれた。

そんなアイハの事を思い出すとなんだか胸の辺りが波を打つような(これも不快ではない)感覚がある。

もっと『面白い』が知りたい。

サトルは色々考えていつもの検査が終わった時に施設の医師にあるお願いをする事にした。

「先生、この部屋にテレビを置いて貰えませんか?」

「何でかな?」

「僕はなんでも知っているけどテレビそのものから流れる音や映像がどんな物なのか知らないんだ。」

一瞬、何を言っているのかと戸惑う医師に向かってこう続ける。

「僕はテレビの仕組みを知っている。テレビ番組とかも誰がつくっているのかを知っている。

けれど実物のテレビ番組を知らないんだ。だからテレビという物からどれ位の音がして頭の中で観るものと目で見るものの違いが知りたいんだ。」

「そうか、分かった。すぐには返事が出来ないけれど少し待ってくれるかな?」

「はい。」

それからサトルの要望は医師や研究者達の会議にかけられ、特にその行為が危険ではないと判断された後にようやく叶った。

お願いをしてから五日後、サトルの部屋にテレビが搬送された。

早速、リモコンのスイッチを入れてみる。

ワァーっという音と共に画面いっぱいの映像が目に飛び込んでくる。

音が大きくて少しびっくりした。

慌ててリモコンを操作する。(操作は学習済だ。)

テレビ画面を触ってみると微かに静電気を感じる。

スピーカーに手をあてると音の振動が伝わる。

凄い。

今、自分は音を触っている。

音を触れるなんて…。

頭の中でテレビ番組表を開く。

自分にとって何が面白いのか迷ったが、統計的に面白いとされる観覧席を設けたお笑いライブ番組を見る事にした。

画面から流れてくる音と映像を凝視する。

何が面白いのか?

でもそれを観ている人々が皆同じタイミングで笑う。

不思議な光景だ。

人が面白いと感じるタイミングは共通しているらしい。

自分はどうだろう? 

何かが違う。

アイハが笑わせてくれた方がよほど面白かった。

そこで一つの仮説を立てる。

もしかしたらテレビで見ているから面白くないのではないだろうか?

この画面の中で笑っている人も生身の人間を見ているから笑えるのではないだろうか?

自分が面白いと感じた時も目の前のアイハを見ていたからなのでは?

好奇心から興味へとサトルはまた一つ学習をした。

そして興味は欲へと変化する。

テレビの次は生のお笑いライブへ足を運んでみたいとサトルは思うようになった。


これはそれより少し前の事。

テレビがこの部屋に来る事を毎日待っていたサトルにアイハはこう言った。

「なんだ?サトル、楽しみか?」

楽しみという感情はいまひとつ、はっきりと認識出来ていない。

でも自分が好奇心を持って待っている事をアイハに告げると

「それは楽しみにしているって事なんだよ。」

とアイハは教えてくれた。


話しは現在に戻る。

テレビが部屋に設置されて初めて見た番組の話や、

それが自分にとってあまり面白く思えなかった事、アイハの方がよほど面白かった事。

ライブを見たら自分はどうなるのか興味がある事をアイハに話す。

「そっかぁ〜、今度一緒にお笑いライブに行っても良いか先生に聞いてみたらどうだ?」

「えっ?連れて行ってくれるの?」

「まぁ、先生が良いって言ってくれたらだけどな。」

「分かった。聞いてみる。」

翌日、問診の後に医師にお願いをしてみた。

またテレビの時と同じように「少し待って」と言われ、その二日後に返事をもらった。

答えはノーだった。

やはり、施設の外へはまだ出てはいけないと言う。

返事を貰った翌日にアイハにその旨を告げた。

するとアイハはこう言った。

「なんだ…そうか……。なんか、ゴメンな。期待させちまって…。」

アイハの表情は残念そうに落ち込んでいる。

その表情を見たら胸の辺りが急に押し潰されるような感覚と喉の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。

「大丈夫。僕なら大丈夫なんだ。だからアイハさん、そんな顔をしないで。」

今さっき味わったあの感覚はサトルのデータ内では悲しみに分類される。

そうか…。

悲しいってこんな感覚なんだ…。

でもその感覚を覚えた事をアイハには言わなかった。

何故なら優しいアイハの事だから自分のせいでサトルが悲しさを覚えたなんて知ったら明日からここへはもう顔を見せなくなってしまうだろう。

サトルは考えた。

こういう時、人は話しを切り替える。

何の話しをしよう…。

そうだ、アイハの好きな食べ物の話は?

「ねぇ、アイハさん。話しを変えてもいい?」

「ん?なんだ?」

「アイハさんの一番好きな食べ物って何?」

「ん〜、そうだなぁ……。」

これでいつも通りの話しのスタートだ。

サトルはアイハとこうして話しが出来るのも期限付きだという事を知っている。

だからこそ限られた時間の中では楽しく?過ごしたいと思った。

そして楽しいと面白いの違いを分析する。

面白い=目の前が明るくなるような感じ。

楽しい=満ち足りた感じ。

今の自分はどちらなのだろう?

アイハと話しているとこの両方な感じがする。

「俺はさぁ、力仕事だろ?だからこぅ、脂っこいガッツリした物が好きなんだよな〜。サトルはどうなんだ?」

「うーん。僕はね…、チョコレート。」

「やっぱ、お前はお子様だな〜!」

楽しい、面白い。

この感覚がずっと続くと心地良い。

サトルはまた笑顔になった。

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