第5話 「report〜」

〜検体NO.001 サトルに関する報告書〜


○月○日 15:53 ○○病院にて出生。

尚、脳死と判定。

両親は検体の親権を放棄。

当施設の最新型PCにリンクさせる。

検体に反応有り。

その後特殊施設に搬送。

ー申し送りー 検体が脳のエーアイシンプトンである事が判明。

明日9:00より臨床試験を開始する。 以上


○月○日 9:00 検体の臨床試験開始。

動体反応を確認。

続いて聴覚、味覚等の反応を確認の後観察。

異常無し。

嚥下能力、筋力を測定。

やや難有り。

ー申し送りー 脳のエーアイシンプトンは国内初である。

諸外国の事例も踏まえ慎重に精査する必要がある。

明日、視覚専門医の指導のもと検体の経過観察。 以上


○月○日 9:00 視覚に対する反応を確認。

視力、色覚異常共に無し。

ー申し送りー 脳の発達が通常の乳幼児より著しく早いと見受けられる一方で運動機能に問題あり。

また、細胞発達レベルでは通常の乳幼児との変容は無し。 以上


○月○日 9:00 発汗、内蔵の動きを検査。

特に以上無し。体重は現在3800g。

ー申し送りー 本日検体001にサトルと名付ける。

尚、こちらは投票制にて決定。 以上


○月○日 9:00 血液検査、及び脳波測定。……………


サトルは時折、自分が産まれてからのデータを頭の中でおさらいする。

自分がどうして今、ここに居るのか。

何の為に毎日の血液採取や痛みを伴う色々な検査をされて隔離されているのか。

理由は知っている。


先週はサトルにとって初めての感覚を認識する出来事があった。

この施設を経営している財団の御曹司が自分に会いに来た時に彼が帰り際に歌った歌を聞いて二十分後の事だ。

なんだか喉の奥の筋肉が上に持ち上がるような感覚と共にお腹の中心辺りをゆっくりと誰かに押さえ付けられているような感覚。

そして、その直後右目から涙と呼ばれるものが流れ出た。

初めて痛み以外で涙したサトルを見た医師達は驚きを隠せずに皆、蜘蛛の子を散らすようにバタバタと検査の準備を始める。

そんな彼らを見ていたら、さっきの不思議な感覚がスッと何処かへ逃げてしまった。


あの感覚は、何だったのだろうか。

夜になって一人で色々なデータと照らし合わせてみると、どうやら自分は感動というものを体験したらしい事が判明した。

あの感覚をもう一度、思い出したい。

でも記憶した歌を何度頭の中で再生してもあの感覚が味わえないのだ。

思い出したいのに思い出せない。


怒りのメカニズムはとても単純だ。

脳のとある部分に微弱な電気を流すだけで簡単に人は怒り状態に陥る。

誰かに電気を流された訳でもないのに、思い出せないというストレスからサトルの怒りはあっという間に脳全体を支配した。

その後は殆ど記憶がない。

翌朝目覚めると、身体のあちらこちらが痛い。

そして自分の掌に巻かれた包帯を見て何をしたのかはおよその見当が付いた。

感動と怒り。

この二つの感情をたった一日で味わってしまい、サトルはひどく疲れてその日からは熱を出して三日間ベッドの上で過ごした。

一度学習した事は忘れるという事がないはずなのに不思議と感動という感覚は未だに思い出せないでいる。


○月○日 9:00 血液検査、並びに脳波測定。

昨晩の異常状態についての問診。

及びその際に負った外傷の処置。

ー申し送りー 極度の興奮状態は8:00現在落ち着いてはいるが、原因不明の発熱有り。

解熱剤を投与。副作用無し。

サトルは感動という感覚を覚えた。と言っているが真意は不明である。

職員全体への通達→来週月曜より、旧館の内装撤去作業が始まるとの事。

各自旧館の私物は今週末迄に新館へ移動させよ。 以上


朝五時。

いつものように目覚まし時計が鳴る。

アイハは目を擦りながらテレビの電源を入れる。

今日から新しい現場だ。

気合を入れて行こう。

着替えてテレビを消して玄関を出るといつものワゴン車がアパートの前に停まっている。

「おはよーっす!」

「おう、おはよう!今日も頼むよ!」

「はいっ!!」

「あ、これ。今日の作業一覧表な。」

「はい!あざっす!」

作業表と地図、建物の構造図に目をやる。

場所は財団が経営する医療施設。

旧館の取り壊しだ。

運転しながら現場監督が言った。

「なぁ、アイハ。図面見てくれ。今日の現場施設の隣に新館ってのがあるだろ?」

「はい。」

「なんでも上からの指示で新館には近づくなってよ。」

「あー、そうなんすね。分かりました。」

まぁ、自分の作業する場所以外には近寄らなければ良いという事だ。

アイハはこれまで旧医療施設と呼ばれた場所の解体工事は何度か経験がある。

バイオ施設でもない限りは普通の現場とあまり違いはないと認識している。

「何なんすかね?新館に何かあるって事ですか?」

「うーん、そういう事だな。」

「ふーん。」

そんな会話をしながらワゴン車は現場に到着した。

旧館というからには古びた建物を想像していたが、外見的にはまだまだ綺麗な建物だった。

白い壁で造られた建物の内部に入って行く。

医療施設という割には病院独特の匂いがしなかった。

午前中は内壁の取り壊しから始まる。

アイハの出番だ。

西側から他の作業員達が作業を進めていく中、

アイハは一人で東側から作業をスタートさせる。

ガンガンと壁を殴って壊し、分厚い所はドリルよろしく掘っていく。

壊した壁は両腕ですくい上げトラックの荷台へ運ぶ。

そろそろ昼休憩の時間だという時にふと、隣の建物が目に入った。

建物の一階部分の窓辺に小さな男の子が佇んでいる。

アイハと目が合うとその少年はアイハに手招きをしている。

俺の事?と思い、周囲を見渡してから自分の顔を指差して見せると少年は二回大きく頷いた。

新館へ近寄るなという指示があったが、相手は子供だ。

ちょっとくらいなら近付いても問題にはならないだろうとその窓辺に足を向ける。

ステンレスの柵の付いた窓の内側には小さな少年が立っていた。

さらに部屋の中を覗き見るとベッドと小さな椅子。

数冊しか本が入っていない棚が見える。

子供の部屋の割には随分と簡素だ。

「こんにちは、お兄ちゃん。」

「あぁ、こんにちは!」

少年の顔を見た時に、違和感を覚える。

(あれ?この顔、何処かで見た事あるぞ。)

名前を聞こうとしたら向こうから名乗ってきた。

「僕、サトル。」

その名前を聞いてピンと来た。

(この前、ニュースで見た顔じゃねぇか!)

それでもアイハは知らない振りをした。

「ふーん、サトルって言うんだ。俺はアイハって言うんだ。」

「知ってるよ、アイハ。エーアイシンプトンだよね?」

「えっ?マジか。何で知ってるの?」

「僕は、なんでも知っているんだ。」

そういえば、ニュースではサトルの能力までは報道していなかったな。

コイツは超能力者か何かか?

なんでも知ってるエーアイシンプトンなんて聞いた事がない。

驚いているアイハを見ながらサトルは会話を続ける。

「アイハの名前はAihandsから取ったんでしょ?」

「な、なんでお前がそんな事まで知っているんだ?俺の名前は多分そういう意味で付けられたんだと思うけど、本当の所は分からないんだぞ?」

「多分じゃないよ。そういう意味で付けたっていう記録を僕は見たんだ。」

(ん?見たって?目のエーアイシンプトンか?アイと一緒か?)

「ふーん。なんか他人に改めて真実を告げられるとなんだ、その…複雑だな。」

「アイハ、アイハは僕とおしゃべりしてたら怒られるの?」

「ん?そんな事ない…ってゆーかお前、さっきから年上に向かって呼び捨てすんなよー。敬語を使いなさい、敬語を。」

冗談交じりに言ったアイハに対して

「大変失礼致しました。申し訳ございません。アイハ様とお呼びしても宜しいでしょうか?」

突然のサトルの変容振りに驚きと違和感を感じつつも

「いや、なんだ……その……急にそこまでかしこまらなくたっていいんだよ。俺が言いたかったのはな、名前くらいは『さん』付けにしろって意味でな……。」


好奇心で招いたこの目の前の男は随分と難しい事を言う。敬語を使えと言ったり、そうじゃないと言ったり…。

どうやら普通の会話の中に程々に敬語を混ぜて話す必要があるらしい。

ならば…。

「アイハさん、これから午後もお仕事でしょう?」

「ん?あぁ、そうだな。」

「午後は何をするのですか?」

「だぁーっから、敬語はいいって!」

「???……すみません。」

「謝るなよ。何も悪い事してねぇだろ?」

「???……普通の会話でいいの?」

「おぅ、勿論だ。それよかさ、サトルって言ったな。お前もエーアイシンプトンなんだろ?」

「うん。」

「何処のだ?」

「僕は、脳なんだ。」

「へ〜。」

やはり、この男はサトルの知っている大人達と少し違う。

言葉使いもそうだし、サトルに対する態度が違う。

大抵の大人達はサトルの能力の事を聞くと一瞬怯む。

そして、それを隠すように次の瞬間からは冷静な振りをするのだ。

しかし、このアイハという大人はサトルのデータにないタイプだった。

この感覚を言葉で表現するならば『不思議』だ。

「アイハさんは、不思議な人だね。」

「ん?俺がか?俺にはお前の方がよっぽど不思議に見えるけどな!」

「アイハさん、明日も僕達ここでお話し出来るかな?」

「さぁねぇ、どうかな〜。もしかしたら監督に怒られるかも知れねぇしなぁ……。」

「明日も僕はここに居るよ。」

「おぅ、期待しないでくれな。楽しかったよ、ありがとう!」

昼休憩のうち、二割程度の時間をサトルとの会話に費やしてアイハは弁当を買いにコンビニへ向かった。

向かう途中にふと思った。

新館に近付いてはいけない理由はサトルにあるのではないだろうか。

そうだとしたら自分はとんでもないルール違反をしてしまった事になる。

「ヤバいだろ…。」

独り言を吐いて現場に戻った。

昼食を取り、午後の作業が始まる五分前くらいに現場監督に呼び止められた。

(マズイ…新館に近付いた事がバレたか?)

「なぁ、アイハ。今朝の注意事項は忘れてないよな?」

「はい、新館には近付くな。ですよね?」

「お前、新館に近付いたろ?」

(やっぱり、バレてた…。)

「はい、すみません。」

「小さな男の子と会話したんだってな?」

(そんな事までバレてる!!)

「はい、すみません。」

「さっき、新館の責任者って奴が俺の所に来てな、うちの作業員が新館に近付いて施設の子供と会話をしているのを防犯カメラが捕らえたって言って来たんだよ。」

「はい、俺です。申し訳ありません。この責任は俺が一人で取りますのでその責任者という方の名前を教えて下さい!」

「ちょっと待て、落ち着け。そうじゃないんだよ。

なんでもこの工事が終わる迄でいいから新館のその子供の話し相手をして欲しいんだそうだ。」

「へっ?」

「いやさ、作業の邪魔にならない時間でお前の気が向いたらでいいからってさ。」

「はぁ。」

「詳しい事は分からんが、お前と話しをしたのがその子供に良い影響を与えるんだかなんとかで…。」

「はぁ。」

アイハ本人にも意味がよく分からなかったが、

取り敢えずサトルと会話するという事が禁止事項ではなくなったのは確かだ。

「そうですね。俺も作業で疲れていなかったら話し相手になりますよ。」

そう監督に言うとアイハは午後の作業に戻った。


○月○日 12:00~12:10頃 サトルが当施設外の人間に接触。会話をする。

脳波に時折乱れが見えたが正常範囲内。

会話終了10分後、30分間の問診。

ー申し送りー 本人は不思議な感覚だと言いながらも何処か嬉しそうに見える。

サトルの感情に成長が見られる。

今後の経過観察をより一層強めるよう全職員へ通達。 以上


夕方になると少し肌寒い。

今日の作業はこれで終わりだ。

明日も今日と同じ作業内容。

工事は作業表通りに順調に進んでいる。

今日もひとしきり身体を動かし腹が減った。

夕食はカツカレーにしよう。

帰りのワゴン車の中でアイハはそんな事を思っていた。

家の近くのコンビニの前で降ろしてもらう。

「お疲れした〜!」

「お疲れな!明日も頼むな!」

「うぃーっす!」

カツカレーとサンドイッチにおにぎりと缶ビールを一本買ってアパートの方へ足を向けて帰りの道すがら考える。

あの、サトルという少年。

脳のエーアイシンプトンだってな。

脳って事は、脳がコンピューターそのものって事だろ?すげぇな…。

そりゃあ、なんでも知っている訳だ。

でもなんだろ…。

話して感じたのはあまり子供らしくないというか……。

そっか。アイツ、笑ってなかったな。

明日、もしまたアイツと話す時間があったら次はアイツを笑わせてやろう。

笑うとどんな顔になるのかな……。

きっと子供らしい顔をするんだろうな。

帰ったらお笑いライブでも見て少し特訓するか。

そう考えていたらアイハもなんだか楽しくなってきた。

「よっしゃー、待ってろよ。サトル!」

空を見上げると今日も綺麗な夕焼けが見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る