生まれながらのお調子者
「お前、この試合で負けたら引退な」
トレーナーの大迫が険のある顔で言う。小幡は答えずに、眉間にシワを寄せた。
都内ボクシングジム。伝統のあるこのジムで、小幡ロキと大迫の不仲は有名だった。
幼少期からボクシングを始めた小幡は、それなりに才能があり、練習もそこそこ真面目にやる方だった。厳しい父親の指導もあり、小学生の頃にはすでにボクシングの基本が出来上がっていた。
父親はプロで日本ランカーまで行った選手だったが、網膜剥離で引退を余儀なくされた。夢を息子に託すと言って兄弟で一緒にしごかれてきたが、当のロキ少年にとっては親の見続ける夢は迷惑以外の何物でもなかった。
兄と一緒にジュニアの大会や県を跨いだスパーリングにも参加させられてきたので、嫌でもボクサーとしての実力は伸びていった。
天性のセンスはあったが、小幡には弱点があった。
それは、自分でやりたいという理由でボクシングを始めたわけではないという点だった。そもそもロキ少年は人と争う事がそれほど好きでもなく、父親がうるさいから仕方なしにボクシングに取り組んだようなものだった。
競技の特質上、リングの上で手を抜けば痛い目に遭う。それが嫌だから練習をする。後ろ向きな動機なので、練習は不真面目だった。
かといって勉強が特別出来るわけでもない。小幡家は歌舞伎役者の一族めいた命運で、リングに立つ人生を選択するしかなかった。
本当はユーチューバーとして生きていきたかった。特に何を表現したいという願望は無かったが、まともに働くのが嫌だった。だが、ほとんどの人間はユーチューバーでは食っていけない。
小幡ロキは動画サイトで「オバター」というアカウントを密かに作り、自身の練習風景や試合を動画にアップする事をやりはじめた。それで食っていけるとは思っていなかったが、将来的な動画配信生活の予行練習をはじめたつもりだった。
オバターの存在は割とすぐ親にバレた。友人の親が、父との雑談で動画の話をしたためだった。
やる気が無いとはいえ、小幡ロキのセンスには人の目を引くものがあった。流れるようなミット打ちやセンス溢れるスパーリングの映像を配信すると、マニアの中でそこそこ話題になった。結局は狭い世界である。噂が親の耳に入るのは時間の問題だった。
秘密の活動が発覚してどやされるかと思いきや、父親は意外にも寛容だった。
「どうせプロになったら見られるようになるんだから、今のうちに練習をしておけ」
プロボクシング一本で食っていくのは困難である。4回戦ボクサーであれば、年に数回しかない試合で得られる収入は一度につき四万円前後しかない。そのため多くのプロボクサーは他に仕事を持っている。
なるべくボクシング一本でやっていけるようにスポンサーを得る方法もあるので、父親の考えとしては今の内にボクサーとしての顔を売っておき、将来的に金銭的な支援をしてくれるスポンサーとのコネが出来ればいいぐらいに思っていたのかもしれない。
父親の思惑はどうあれ、ロキ少年は幼少期から自身のプライベートを切り売りしていく生活に浸る事となった。
とはいえ、配信出来るものはボクシング関係のものに限るという制約付きだった。
お調子者のロキ少年は放っておけば何を配信しだすか分からない。善悪の区別がつかない小学生であればなおの事だった。
動画配信はしばらく好調だった。上には上がいるとはいえ、ロキ少年はボクシングエリートの小学生であった。明らかに少年らしからぬ動きでステップを踏み、素早いパンチで虚空を切り裂く少年の姿は、暇つぶしに動画を観ている人間からすれば十分な娯楽になった。
地方の大会で優勝した時には何千人もの人間が動画を閲覧し、その雄姿を褒め称えた。
――だが、父親の懸念は早くも実現する。
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