無敵の人 カクヨム版

月狂 四郎

プロローグ

「クソみてえな興行を作りやがって」


 ――小幡おばたロキは毒づいた。


 都内。ボクシングの世界戦にも使用された大ホール。小幡はけばけばしい光の舞う暗闇の中を歩いて行く。その先には、スポットライトに照らされたリングが怪しい光を放って浮かび上がっている。


 天井で回転するライトが、暗闇に包まれた会場内を筋状に照らしていく。わずかな時間に照らされる観客達は、誰が見ても柄の悪い、しかも正規の格闘技大会にいる関係者とは別種のオーラをまとっていた。平たく言えば反社会勢力に見える輩の集まりだった。


 嗜虐的な目をしたろくでなし達が小幡を口汚く野次る。あちこちから飲み残したコーラや酒瓶が飛んでくる。それは別のろくでなしに当たり、突発的に小競り合いが始まる。地獄絵図のような光景だった。


 小幡は動じずに光で照らされた道筋を歩いて行く。リングの上には、すでに対戦相手が立っていた。


 肩まで伸びた黒髪。艶の無い髪の隙間で、血走った眼が小幡の姿を見つめていた。


 ――雁木がんぎマリオ。


 試合前に薬物をリングに上がり、勝とうが負けようが観客席にダイブしたり、相手選手の応援団から{幟|のぼり}を奪い取ると、奇声を上げながら試合会場を走り回るなどの奇行を繰り返した。


 リングサイドに反社会勢力の人間がいた事から調査が入り、尿検査をしたところ禁止薬物の陽性反応が出た。そのままUFCではない方のケージへ行く事となった。管理者は桜の代紋警察だった。


 刑期が明けたのか、雁木はリング上で選手として立っていた。どちらにせよ正規のボクシング界は永久追放になっただろうから、食うためにはへ来るしか無かったのかもしれない。


 止まない野次。鉄製の階段を上がる。セコンドがコーナーロープを開くと、その間をくぐり抜けていく。


「オバター!」


 観客の誰かが叫ぶと、会場内に笑いが起きる。オバターはリングネームとは別の、もう一つの名だった。声のした方を睨む。バカにした視線がこちらへ注がれていた。


 リングの外側は暗かった。ろくでもない人間達が大群でひしめいている。キャバ嬢を連れたヤクザに、タトゥーのびっちり入ったタンクトップの男。できそこないのラッパーみたいな奴もいれば、エンセン井上の偽物めいたスキンヘッドもいた。


「売名の代償は高くついたな」


 自虐的にひとりごちる。


 そう、今の状況はまさに自分自身で引き寄せたものだった。


 リング上でシャドウボクシングをしながら、小幡は想いを馳せた。

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