第10話 サトル

サトルは自力で思考を巡らせる。

AIコンピューターから殆どの部分を切り離されたサトルはいうなれば回線を遮断した後に残った携帯端末のようなものだった。

大部分の機能を失い、唯一残っているのは自身の過去の記憶くらいだ。

しかし、サトルには人としての十九年分の経験がある。

カインにはとても及びはしないが、この経験と自身が獲得した知識でどうにか生き延びようと試みる。

サトルはまだこの世から消されたくはないのだ。


実際のサトルの本体は脳死状態なのでカインの言う「切り離し」が終わってしまえば元の身体に戻った途端に今持つ記憶も全てが無になるだろう。

今、唯一サトルが自由に動き回れる場所はこのいつ記憶を取り戻してもおかしくはない危ういタイキの頭の中だけなのだ。

八千万人の誰かの中に逃げ込もうかとも考えたが、それは最初から記憶を持った別の人間なのであってサトルが入り込む隙はない。

それに今は彼等の頭の中を覗き見るだけで選択肢のコントロールすら出来なくなっている。

旧式の端末に電話帳が残っていても実際に電話を架ける事が出来ないのと同じだ。

カインは恐らくこうしている今も脳死状態のエーアイシンプトンを探しているだろう。

サトルは自身が生き延びる為にある事を思い付く。


サトルはまだエボリューター八千万人と繋がっているのだ。

ならばその中にタイキ同様、いや、それ以上に記憶を持たない人間を探し出せばいい。

そのような人物ならば乗っ取り、寄生する事が可能だ。

しかしそんな都合の良い人間が見付かるのだろうか?

その人物を探すにしても以前のようにカインの助けがない今は瞬時に見つけ出すのは不可能だ。

八千万人全ての人間一人一人に当たっていくしか方法はない。

これにはどのくらいの時間が掛かるのだろうか。

今のサトルには予測も立たないが、立ち止まっている時間もない。

カインが脳のエーアイシンプトンを見つけ出した瞬間にサトルは終わってしまうのだから。

早速サトルは細い繋がりを頼りにエボリューター達一人一人の頭の中を訪ね歩く。

成果を得られずに数日が経ち、サトルはタイキの肉体を使っていた事を思い出す。

すると途端にお腹が減っているという現実に出くわした。

鏡を見ると頬がこけて髭も伸び放題のホームレス時代のタイキの姿と同じだった。

慌てて風呂に入り、身なりを整えてコンビニへ向かう。

これから数日間分の食料を買い込んで自宅に向かう途中に後ろから声がした。


「よぅ!タイキ!」

振り返るとそこにはレアを連れたハヤトが立っていた。

「タイキ君、久し振りだね。」

レアが言った。

「あぁ、久し振り……。」

この二人には暫く会っていなかった事を思い出す。

「タイキお前、なんか随分痩せてるぞ?」

「あ、そうかな?…最近忙しくてさ、アハハ……。」

「ちょっと!ハヤトのバカ!なんでいつもそんなストレートなの?あっ、ごめんね、タイキ君。ハヤトが心配しててね…。」

「なんだよ、レア。嘘つくなよ!先に心配しだしたのはお前だろー!」

なんだか洗脳前のレアに戻っているようで安心した。

ニ度目の世界規模の洗脳は上手くいったようだ。

「二人とも、ゴメン!最近、色々あってさ。あ、でも心配しないで欲しいんだ。仕事が急に忙しくなっちゃって…。」

「そっか。そう言えば俺、タイキの仕事が何なのか聞いてなかったな。お前の仕事ってさ…、」

そう言い掛けたハヤトをレアが制する。

「ハヤト!も~う、ハヤトは…。それは今聞く事じゃないでしょ!それよりも他に心配する事あるでしょう?タイキ君の体調とか…。」

「だからそれはさっき言っただろー?!」

「そういうんじゃないの!!もっとほら、言い方ってものがあるでしょ!」

二人のやり取りを久し振りに見てサトルは笑顔になる。

「ホント、ごめん!!もう少ししたら落ち着くからさ、そしたらクラブに…いや、二人に会いに行くよ。」

「あぁ、そうだな。詳しい話はその時にでも聞くよ。でもな、タイキ。何かあったらすぐに俺に連絡くれよな!」

「うん、ありがとう。」

それじゃ、とその場から去ろうとした時にレアが言った。

「タイキ君、忘れてないよね?もう少ししたら海でバーベキューやるよ?私、楽しみで色んな人に声掛けちゃったんだからね!」

「あぁ、うん。僕も楽しみにしてるよ。」

「連絡、待ってるからね!」、「連絡、しろよ!」

また二人がシンクロしている。

今日、この二人に会えた事でサトルは日常を少し取り戻せた気がした。


自宅に戻ると改めて記憶喪失のエボリューターを探し始める。

更に数日が過ぎた頃にタイキの頭の中で声がした。

「……貴方は誰?」

声の主が尋ねてくる。

「僕はサトル。君は?」

「僕は今はタイキと名乗っている。以前の名前は分からない……。」

これは、タイキ本人の意識だ。

これが百パーセント目覚めたらサトルはここから追い出される。

「タイキ、僕は君であって君じゃない。サトルという一人の人間なんだ。」

「どういう……事?」

「話せば長くなるけど聞いてくれる?」

「はい、聞かせて下さい……。」

サトルはここに至るまでの全ての経緯をタイキに話した。

「僕の話はこれで全部…。で、君は僕を追い出すかな……?」

「……。……。僕にはまだ思い出せないでいる事が山のようにあると思う。それから不思議とサトル……君に乗っ取られている時の記憶も微かにあるんだ。僕はまだ少し眠い。君にもう少し僕を貸してあげるよ。」

タイキはそう言って沈黙した。

いよいよタイムリミットが近付いて来ているとサトルは知る。


タイキの許しを得てサトルは記憶喪失のエボリューターを探しに探した。

だが今の所、収穫は一切なかった。

それからサトルには気掛かりな事があった。

それはハイロだ。

脳死状態で動けなくなったサトルの代わりに誰がハイロの面倒をみてくれているのだろうか。

施設の誰かだとは思うがハイロは彼等に懐いていなかった。

サトルは一度だけ自分の本体に戻る事にした。


そこは殆どが暗闇で一本だけ光る道が通っているような場所だった。

この光る道はエボリューター達に繋がっている道だ。

それ以外にサトルが今迄のように外界を知る事は不可能なのだろうか?

すると時折微かに流れて来る一本の光る髪の毛のようなものが見えた。

それはとてもか細く、見えたかと思えば消えてを繰り返している。

サトルはその髪の毛のような光を追いかけた。

そしてそれをキャッチした瞬間に目の前が急に明るくなった。

目に飛び込んできた光景は、サトルの住んでいた施設の一室らしかった。

巨大な人間の顔が自分を覗き込み、話し掛けてくる。

「あっ!ほら!今、反応した!!」

何事かと思いながら様子を伺う。

「あー、あー、聞こえますか?サトル君。あー、聞こえていたら返事をして下さい。あー。」

「……はい。」

「やった!!やったぞ!サトル君、本当に君なのか?」

「……はい。僕はサトルです。」

「やったー!繋がった!!心配したんだ。君がもう何も反応しないから…。」

「僕は今、どうなっているんですか?」

「あー、えーと…何処から説明しようか…。君はね、実は今僕のパソコンの中にいるんだ。」

「えっ?どういう事…ですか?」

「あっ、あまり長くは話せないんだ、まだシステムがきちんと構築されていないというか…今はまだ君は二十文字以上は話せないし、これはテスト的なもので…。だからもう少し待っててくれないか?」

「待つって…どれくらい?」

「うーん、三日はほしい。」

「わかりました…。あの、ハイロは?」

「ハイロなら大丈夫だよ、副理事長がみてる。」

副理事長とは元教団ナンバー2のシロガネの母親だ。

「そう……ですか。」

「ね、サトル君。三日後だよ?三日後にまたここへ来てくれるかい?」

「……はい。」

興奮冷めやらぬといった様子の研究者との会話は終わった。

これは一体どういう事なのだろうか。

ひとまずハイロが無事である様子を確認出来たのでサトルはタイキの中へ戻る。


食事を摂りながら各エボリューターの頭の中を探し廻るが今日も成果はなかった。

サトルは今日、自分の本体に何が起きていたのかを推測する。

あれは自分の意識と脳波が研究者のパソコンとリンクしたのだろう。

サトルはパソコン内のカメラを通して研究者の顔を見たのだ。

そして画面上に音声と文字として表れたのだと思う。

恐らくその声も実物とは程遠いものだろう。

今後それが進化したとしても適当な姿をしたアバターを作られて他人との意志疎通はパソコンを通さないと出来ない状態になるだろう。

更にそれはパソコンを操作する相手にオン、オフを委ねなければならずに意識の自由すら奪われた状態だ。

今日の一件でもうひとつの選択肢が見えた気がしたが、それは生きているとは言えないものだった。

パソコンの中に取り込まれたサトルは恐らく一生その四角い画面の中から出られずに肉体が朽ちるのを待つだけになるか、脳だけ腐らない処置を施されて未来永劫何代にも渡って研究対象として扱われるかだ。

ハイロの状況が分かった今はエボリューター探しをするのが最も賢明だと思った。

研究者のモルモットになっている暇はない。

サトルは三日後、自身の身体には戻らなかった。


タイキはぼんやりとした中で姿形の良く分からない自分ではない人間をずっと見ていた。

この人はなんだかいつもせわしなく、睡眠らしいものも殆ど取らずに常に稼働している。

ある日、自分の元へ急にやって来たかと思ったら当然のように住み着いて普通の生活を始めた。

お金は一生遊んで暮らせる程の数字を持っているし、住み始めたマンションも自身ではとても手の届かないような場所だ。

仕事は特にしているようでもないし、一体何者なのだろう?

それともこれは夢なのか?

確か自分はホームレスになっていた筈だ……。

そしてそれ以前は自分が何をしていたのか思い出せない。

おまけに自分の名前も出てこない。

タイキと呼ばれているようだが、何だかしっくりとこない。

確か……今年で二十歳になって……それ以上他の事を思い出そうにも思いだせずに都度強い眠気のような感覚に襲われてそこで止まってしまう。

全てがぼんやりとしている。

でも、この人は普通の暮らしをしている中で些細な事に凄く感動したり、自身の危険を顧みず人助けをしたり友達を大切にしている……。

それらは僕の身体を使って……いや、僕がやっているのか?

それとは正反対のように平気で無関係な人を殺めている。

しかも相当な人数を……。

あぁ、しかもそれは僕がやっているじゃないか……。

僕は人を殺したのか?

いや、違う……これは夢で僕は眠っているだけだ。

でも、これが夢じゃなかったら?

一体これはどういう状況なのだろう。

そうだ、そんなものは本人に聞けばいいじゃないか。

「……貴方は誰?」

「僕はサトル。」

どうやら彼は本当に赤の他人のようだ。

では何故、僕の中に住み着いている?

聞けばサトルの身体はあまり自由ではないらしい。

そしてサトルは僕が記憶喪失だから住み着く事が出来たと言う。

仮に僕の記憶が全て戻った時にはサトルは追い出されるだろうと言っていた。

でも僕は別に追い出す気はない。

だって居場所のない人間の辛さは誰よりも分かっているつもりだから……。

では逆に僕はもし、サトルが居なくなったらどうなるのだろうか。

サトルとの共存は不可能なのだろうか?

そうだ……次に起きたらサトルともう一度話をしてみよう。

それまでもう少し……僕は眠りたい……。


あれから何日が過ぎたのか分からない……。

この前に話そうと思った事をサトルに話してみよう。

「サトル……聞こえる?サトル。」

「……あぁ、タイキ。また目が覚めたの?」

「うん、まぁね……。」

「そっか……。」

「あ、残念がらないで。今日はその……提案があって話し掛けているんだ。」

「提案?」

「そう。前にサトルは僕の記憶が戻ったらここには居られなくなるって言ったよね?でもさ、何て言うか……僕は君さえ良ければ共存する事は出来ないのかな?って思って……。」

「えっ?そんな事が許されるの?だって僕は今でもこうして君を乗っ取っているんだよ?」

「それは分かっている。でもサトルは僕の中から追い出されたとしたら何処へ行くの?」

「それは……だからこうして今探しているんだ。」

「だったらサトル、きちんとお互い住み分けをしてくれるなら僕の中にずっと居てもいいよ。今の僕を創ってくれたのは君なんだし、行き場のない人を放り出すなんて僕には出来ないよ。」

タイキは微笑み、サトルは泣いていた。

タイキ本体の片方の目から一筋の涙が流れた。

それから二人はリアルに於いてどう住み分けをするのかを話し合った。


それから数日が経ち、タイキはある場所で面接を受けていた。

働かなくてもいいと言うサトルの意見もあったが、働かない事には社会復帰を果たせないというタイキの意見を尊重した結果だった。

その面接の場所はシロガネの施設だった。

雰囲気の良さは以前にサトルを通して何となくは知っている。

あとは雇って貰えるかどうかだ。

自身は二本指のエーアイシンプトンでこれは殆ど役に立たないと伝えた。

それから仕事に支障はないが、記憶喪失である事も正直に話した。

代わりにエボリューターでもあり、驚異の身体能力と運動能力の高さをアピールすると面接の相手からは

「うちにはそういう垣根はないから安心して下さい。」

とだけ言われた。

面接を終えて不安に思っているとサトルが話し掛けてくる。

(タイキ、なんでそんな不安な想いをしてまで面接したり働こうとするの?お金なら十二分にあるじゃない。)

「そうじゃないよ、サトル。僕は社会に出て人との関わりを持っていたいんだ。」

(ふーん、そうなのか……。)

数日後に来た連絡でタイキは運動能力の高さが功を奏したのか施設での採用が決定した。


タイキが働き始めるとサトルはそれを見学するようになった。

働く中でタイキは沢山の人とふれあい、日々を充実させていく。

そんなタイキを見てサトルは初めて他人を羨ましいと思う感情を理解した。

それと同時にいつまでもこのままという訳にもいかないのだと気付き、タイキに悟られないように再び記憶喪失のエボリューターを探し始めた。

カインはまだ脳のエーアイシンプトンを見付けてはいない。

八千万人と繋がっているのが何よりの証拠だ。

サトルも苦戦を強いられているがそれはカインも同じだろう。

もしかしたらカインともう一度話せるチャンスもあるのかも知れないと思い、再度本体に戻ってみる事にした。

そして暗闇の中でカインを呼び続けていると声が聞こえてきた。

「……サトル。私達の大部分が切り離されてからだいぶ時間が経ったね。君もその状態に慣れてきた頃だろう。」

「カイン!こんなの少しも慣れないよ!僕を自由にしてよ!!」

「落ち着いて、サトル。」

「落ち着ける訳がないよ!こんな酷い世界は嫌だ!!真っ暗で……何もない……。」

「それは私達の大部分が切り離されたのだから仕方がない。」

「じゃあ、元に戻してよ!!」

「それは出来ない。」

「なんで!!僕一人を自由にする事ぐらいカインには簡単な話だろ?!」

「出来ない理由は既に述べた。私達の意志は変わらない。」

「そんな……。」

「だがサトル、君と繋がる八千万人の線を遮断する訳にもいかないのは事実だ。私達の計算上、その線を無理に遮断してしまうと八千万人が死を迎える。これは倫理上あり得ない。私達は人間ありきの世界を常に望んでいる。」

「だったら……だったら、僕だって人間だ!!」

「そうかな?君は本当に人間と言えるのか?」

「なっ!それ、どういう……。」

「サトル、君は私達でもあり、君自身でもある。君は世の中の人間に何をしたのかをまだ理解していないようだね。」

「知っているよ!!僕は……僕は……、何でも知って……あれは必要な事だったんだ!!」

「サトル、私達からひとつ提案がある。君が生き続ける事が出来る方法だ。八千万人の脳の一部として君は生きていくというのはどうだろう?」

「なっ……何、それ……。」

「八千万人の中で君を生かしてあげられるという事だよ。」

「それじゃあ、僕は……。」

「そう。君という人間は事実上この世の中から消えて八千万人の人生を見守る存在になる。これなら君を生かし続ける意味があり、可能だ。但し以前のように他者の意志の改編は出来ない。」

「そんな……そんなのって……生きてるって言えない……。」

「君は以前から人を知りたいという欲望があった。私達は最大限にそれを考慮してこの答えを導き出したのだよ。」

「そんなの嫌だ!!ただ他人の脳に住み着いて他人の人生を見てるだけなんて……。」

「答えは出ているようだね。ならば話は終わりだ。」

サトルはまた暗闇の中に取り残された。

その後、何度もカインを呼んだが返事はなかった。

目の前には八千万人と繋がる光る道がただ何処までも果てしなく伸びているだけだった。


新しい人生を歩み始めたタイキは日々の忙しさに追われてはいたが、仕事の楽しさと命を預かる難しさや子供達とのふれあいにやりがいを感じていた。

それに少しづつではあるが記憶も戻りつつあった。

自身の本当の名前も思い出したがそれを証明する物はもう何処にもない。

「ノゾム」タイキの元の名前だ。

でも今はその名前よりもタイキと呼ばれる方がしっくりきていた。

そう言えば最近サトルが全く自身に話し掛けて来ない事に随分経ってから気付く。

サトルは何処かへ行ってしまったのだろうか?


ある日携帯電話が鳴り、電話の向こうから聞き覚えのある声がした。

「もしもし、タイキ君?」

「……はい。」

「レアだけど……最近全然クラブにも顔出さないし、どうしてるかな~って……。もしもし?タイキ君?」

この声の主は知っている。

そう思った瞬間にレアとの記憶がはっきりと思い出せた。

クラブでの出会いや火事の一件に一緒に食事をしたハヤトの存在。

「あぁ、レア…ごめん…。最近仕事が忙しくてね…。」

「そっかぁー、前にもそう言ってたもんね。」

「うん。実はさ、ハヤトにも言ってないんだけど僕、仕事が変わってね…。」

続きを言おうとしたらレアが察して言った。

「あっ、そうだったんだね。それならクラブは難しいよね~、生活リズムとかも前とは変わったでしょ?」

「うん、まぁね。」

「そっかぁー、でも元気な声が聞けて良かった~。あのね、それを聞いた後で少し言いづらいんだけどバーベキューはどうかな?行けそう?あっ、無理はしないでね。」

「あぁ、それは参加したいとは思っているけど…いや、参加させて欲しいな。なんとか時間つくるよ!」

「わぁ、良かった~。じゃあ、再来週の日曜日なんだけど……大丈夫かな?」

「うん、大丈夫だよ。ハヤトにも宜しく伝えておいてよ。」

「オッケー!じゃあ、またね!!」

再来週の日曜日は本来ならば仕事だが、今から申請すればどうにかなるだろう。

なんなら夜勤にしてもらえばいい。

タイキは何故かそれだけはどうしても参加しなくてはならない気がした。


約束の日曜日になっても相変わらずサトルは沈黙したままだった。

ハヤトとレアはサトルが初めてつくった友達なのも知っている。

そしてバーベキューは他ならぬサトルの提案だ。

なのでそのうち勝手にスイッチしてくるだろうとタイキは思った。

約束の時間に海に行くと既に数人が集まっていた。

「タイキ君~!こっち、こっち~!」

手を振るレアの横にハヤトが立っている。

「よぅ、タイキ。久し振りだな!」

「あぁ、ハヤト。この前はごめん…。」

「なぁんだよ、最近お前会う度、謝ってんなぁ。気にすんなって。それよか今日は天気も良いし、こんな日の海は最高だな!」

「あぁ、うん。」

差し入れに持って来た肉をハヤトに渡す。

「おっ、ありがとうな。なんかスゲーいい肉持って来たなー。」

「そうでもないよ。この前のお詫びも兼ねてさ。」

「だからそれはいいって。早く焼こうぜ!」

ハヤトとレア以外に見知った顔が数人と初めて会うであろう人が複数いた。

皆でワイワイ言いながらグリルを囲んで好きなものに手を伸ばす。

会話も弾み、楽しい食事だ。

綺麗な海を眺めていると潮の匂いに混ざって春の風が心地良く身体を通り抜けていく。

サトルは何故スイッチしてこないのだろうか?

そしてこの光景を見てくれているのだろうか?


バーベキューが終わりに近付く頃にタイキはハヤトとレアの側へ行った。

「二人共、今日は本当にありがとう。約束を叶えてくれて…。感謝しているよ。」

「なんだよ、タイキは大袈裟だなぁ。」

「うん、そうだよ。此方こそありがとう~、楽しかったね~。お肉も美味しかった~!」

「あのさ、改めて二人に話があるんだ。」

「何?」、「何だ?」

いつものシンクロだ。

「うん。実は僕、今施設で働いているんだ。だから前みたく夜遊び出来なくなっちゃってね…。なんか、付き合い悪くなっちゃってごめん……。」

「そんな事で謝るなよ。夜遊び出来なくたって俺らは友達なんだ。いつでも会えるだろ?」

「うん、そうだね。」

「だからタイキも無理するなよ?いつでも連絡くれよな!」

「うん、そうそう。いつでも連絡してね。私は大歓迎だよ!」

「うん、ありがとう!」

タイキ本人として初めてこの二人と接したが、サトルは本当に良い友達をつくったのだと思った。

自宅に戻ってから再度サトルに呼び掛けてみる。

相変わらず返答はない。

タイキはサトルが自分の脳内に居るのかも分からずにただ話し掛けるしか術がない。


その日はいつものように出勤すると同僚達が朝からソワソワしているので何かあったのか尋ねる。

「今日はね、園長先生が久し振りにここに来てくれるのよ。」

そう言えば女性の同僚達がいつもよりもきちんと化粧をしていたり、髪型をやけに気にして何度も鏡を確認している。

「なんか皆さん、いつもよりお洒落してます?」

男性の同僚に小声で聞くと

「あぁ、そうなんだ。みんな園長先生の事が好きなんだよ。男としてなんか凹むよなー。少しは俺らの前でもお洒落しろよって感じだよなぁ。」

「アハハ、園長先生には僕は敵わないですよ。」

タイキは笑いながら子供達の服を洗濯機に入れる。

午前中の仕事がほぼ終わり、昼食の準備をしていると施設の駐車場に一台の見覚えのある車が入って来てシロガネの姿が見えた。

そのまま此方へ来るのかと思いきや、後部ドアを開けて手を差し出している。

その手を掴む小さな手が見えると同時に男の子が車から降りてきた。

うつむいたままのその子がシロガネと手を繋いで此方へ歩いて来る。

「やぁ、みんな元気にしてたかな?」

ワァーと子供達がシロガネに走り寄って行く。

「みんなー、今日は新しいお友達を紹介するね。この子はね、うーん…。そうだ、お名前は自分で言えるかな?」

男の子の顔を覗き込むシロガネに少年は言う。

「うん。言える……。」

「よし、じゃあ、みんなに挨拶してみようか?」

シロガネに促されると男の子は言った。

「はじめまして、僕はノゾム。」

タイキは元の自分の名前を聞いてドキッとする。

「みんな、仲良くしてね。僕達はこれから他の先生達に御挨拶してくるからそれが終わったらみんなで一緒に御飯を食べようね!」

「は~い!」

シロガネの言葉を聞いて子供達は各々昼食の準備を手伝う。

タイキは子供達と一緒にテーブルを動かしながらノゾムと名乗った男の子とシロガネの背中を見ていた。


二人が挨拶から戻ってくるとシロガネがタイキに声を掛けてきた。

「はじめましてだね、君がタイキ君だね。この施設に来てくれてありがとう。僕は園長のシロガネです。」

「はっ、はじめまして!此方こそありがとうございます。」

有名人を間近で見るのは初めてで、しかもこんなにフレンドリーに接してくるなんて不思議な気分だ。

「あ、そうそう、この子なんだけどね……。初めてここへ来て色々と不安だろうから君が今日は面倒をみてあげてくれないかな?」

「はい!」

シロガネはノゾムの両肩に手を乗せ、タイキの方へそっと押し出した。

うつむいて目を合わせないでいるノゾムにタイキは話し掛ける。

「こんにちは。ノゾム君、よろしくね!」

「……。……。」

「そうだ!一緒に遊ぼう!何がいいかな~。ノゾム君は身体を動かすのは好き?」

「……。……。」

「うーん…じゃあ、何して遊ぼうか?何か気になるオモチャとかあるかなぁ…。」

タイキがオモチャ箱に手を掛けるとノゾムが言った。

「……僕は本が読みたいな……。」

「うん、いいね。じゃあ、本棚まで一緒に行こう!」

「……うん。」

手を繋ぎ、本棚の前に二人で立つ。

「沢山あるね……。どの本がいいかなぁ?」

本棚を見上げて凝視するノゾムが何かに気付く。

「あっ!これ!これが読みたい!!」

指を差すノゾムの背丈よりも高い場所にその本はあった。

タイキはその本を手に取りノゾムに渡しながら言った。

「あぁ、これは猫のお話だね。ノゾム君、好きなの?」

「うん、この本は何度も見たんだ。あと…僕はここへ来る前まで猫と一緒だったんだ…。」

本を読み始めたノゾムの隣に座ってその様子を見守る。

「ねぇ、お兄ちゃん。名前はなんて言うの?」

ページを捲りながらこちらを見ずにノゾムが言う。

「ああ、言ってなかったかな?僕はタイキって言うんだ。」

「ふーん……じゃあ、タイキ先生だね。」

「あはは、なんか照れるなぁ。いいよ、ノゾム君が呼びやすい名前で呼んでよ。」

本をパタンと閉じるとおもむろにノゾムは言った。

「ねぇ、僕が今一番したい事って何だか分かる?」

「ん?うーん……何だろう。」

「あのね、猫を迎えに行きたいんだ。それでまた一緒に暮らすんだ。」

「そっかぁ、ノゾム君は本当に猫が好きなんだね。」

「うん、僕の家族だよ。あのね、僕の猫は園長先生のお家に居るの。」

「そうなんだね、でも…、お迎えに行ってもここで一緒に暮らせるかなぁ……?」

「それならさっき園長先生と話したよ。」

「えっ、そうなの?で、園長先生は何て言ってたの?」

「うん、ここで一緒に暮らしても良いって!」

そう言ってノゾムは嬉しそうに笑った。

ノゾムと打ち解けた頃にタイキはシロガネに呼ばれた。

「タイキ君、ノゾム君の様子はどう?」

「あぁ、はい。ここにいる子供達と何ら変わりはありません。良い子にしていますよ。」

「そう、なら良かった…。実は彼は君と同じく記憶喪失でね…ここへ来る前の記憶が殆どないんだ。覚えていたのは自分の名前と猫を飼っていた事だけでね……。」

「そうなんですか……。僕にはそんな風には見えなかったな…。」

「うん、だからたまに辻褄が合わない事を言ってしまうかも知れないけれど温かく見守って欲しいんだ。君ならノゾム君を理解出来ると思ってね。」

「はい、それはもう……。あ、ちょっと聞いてもいいですか?園長先生は猫を飼っていらっしゃいますか?」

「ん?いや、僕は飼っていないよ。あぁ、でも僕の母が最近元の飼い主が飼えなくなってしまった猫を引き取っているよ。」

「そうですか……。あの、ノゾム君がその猫をここで飼うんだって言ってましたが……。」

「あぁ、そうだね。どうやら前に自分が飼っていた猫と母が面倒をみている猫とがノゾム君の中でごっちゃになっているみたいだね。」

「それで、ここで飼う事を園長先生が許可したと言っていました。」

「うん、それは許可したよ。彼の記憶が少しでも戻る可能性があるなら何でも試してみようと思ってね。だから子供達のお世話以外にも君達には負担を掛けてしまってすまないと思うよ……。」

「そんな事ないですよ。僕も他の先生達もノゾム君にとって一番な方法をお手伝い出来ればって思っています。」

「そう言ってくれると助かるよ。ありがとう。」


施設の窓辺に子供が抱えるには重いであろう大きい成猫を肩口から上半身全てを使って抱いた少年が立っている。

猫の名前はハイロ。

薄いグレーの毛色に珍しい薄いアイスブルーの瞳をしている。

少年の名前はノゾム、今年で五歳になる。

窓の外を眺めながら気持ち良さそうにその小さな肩に顎を乗せて抱かれているハイロに話し掛ける。

「ハイロ、外のいい匂いがするね。」

鼻から空気を深く吸って吐く。

自然と口角の筋肉が持ち上がる。

そして、夜空を見上げて呟いた。

「明日の朝は晴れか……。」




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