第9話 バグ

洗脳の結果として他者を傷つけない世界というものは他者に対して殆ど興味を持たず、干渉し合わない世界だった。

困っている者に手を差し延べないのではなく、それに対してもそれ相応の条件に該当すれば人は動くといった様子だ。

例えば人を助ける仕事に従事している者や助けを求められている場所に偶然遭遇した時など。

むしろ人々は以前よりもそれに対して完璧にこなしている。

洗脳される前の世の中と比べれば他人を傷付けるようなネットの書き込みや芸能人のゴシップ記事、他者を批評、批判したりするテレビ番組や記事、ネットの書き込みも廃れていった。

故にサトルの頭の中の情報も無駄なものは削ぎ落とされ、雑多な情報が飛び交う事もなくなった。


Q.洗脳は成功したか?

A.目的に沿ったものとしては成功だ。

Q.今の世の中の状態をどう思う?

A.悪くはない。でも……。

Q.でも?

A.何かが足りない。

Q.それは何?

A.わからない。情報が以前より少ない。

Q. 情報以外でそれを見付ける事は可能か?

A.わからない。


そんな自問自答をしていた時にサトルの部屋の扉がノックされた。

「サトル君、受付に電話です。」

「はい、今行きます。」

自室の扉をスライドさせて廊下に出る。

受付で受話器を取ると相手は意外な人物だった。

「もしもし、サトルさんですか?」

「はい。」

どこかで聞いた事のある声だ。

「あの……私はアイさんの秘書の者です。」

「あぁ、はい。僕に何か?」

「あの……大変申し上げにくいのですが……。」

「はい。」

「今朝方、先生がお亡くなりになられまして……。」

「はっ?えっ?何を言ってるんですか?えっ?先生って……。」

「あの……ですね。」

あまりの衝撃に握っていた受話器が手から滑り落ちる。

カツンとカウンターに落ちた受話器から声がする。

「あの、もしもし、もしもし?サトルさん?」

気を取り直して再度受話器を耳に当てる。

「サトルさん?」

「は、はい……。」

手と声の震えが治まらない。

「聞こえていますか?大丈夫ですか?」

「はい……。どういう……事ですか?」

「はい。今朝も先生をお迎えに行きました所、何度チャイムを鳴らしても応答がなく、携帯電話も繋がらずでして……。マンションの管理人の方とお部屋に入りました。」

「で?」

「寝室に先生の姿を見付けましたましたが、何度起こしても起きず、息をしていなかったので救急車と警察を呼びました。」

「えっ?どういう状況だったのかもっと詳しく教えて下さい。」

「いえ、今話した事が全てです。救急隊員が部屋の中で……私の目の前で先生が既に亡くなられていた事を確認されました。」

「なんで……。今、アイは何処に?」

「はい。死因が不明なので警察の安置所にいます。間もなく検視が始まるとの事です。」

「……アイは何処の警察にいますか?」

「はい、サトルさんに御電話したのは先生の身元引受人になって頂きたく……。」

「わかりました。すぐに行きます。」

頭の中の整理がつかないままサトルはアイの元へと急いだ。

アイは四才までは両親と暮らしていたと昔聞いた事があるが、既にアイを捨て何十年も音沙汰なしの両親を探すよりも身近にいるサトルの方が身元引受人に相応しい。

警察に到着して事務手続きを終えたサトルは警察官に尋ねた。

「あの、検視は何時頃からですか?」

「うーん、お答えしかねます……。」

「あの……僕も検視に立ち合う事は出来ますか?」

「そんな事、無理に決まっ……、はい、出来ます。こちらへどうぞ。」

サトルは目の前の警察官を洗脳して解剖室の前まで案内させる。

解剖は既に始まっており、急いで術服に着替え何食わぬ顔で部屋へと入る。

アイを見つけた。

室内の医師達が一瞬怪訝そうにこちらを見たが、サトルは当たり前といった様子でその中に加わった。

医療の知識は世界最高水準のサトルが視るのだ。

意識を集中してアイの身体に不審な箇所はないか探る。

外見的には何処にも異常は見受けられずに眠っているようだった。

検視が進むと原因が解った。

アイは睡眠薬と安定剤とアルコールを同時に大量接種していたのだった。

更に脳の検視が始まるとサトルはポケットに忍ばせていたチップをこっそりとアイの脳内に埋め込んだ。

(アイ、ごめん……。)

既に死後数時間経過している者に対してどこまで有効なのかはわからないが、試さないと後悔するのは確実だった。

今まで絶対に見ないでおこうと思っていたアイの頭の中の情報を共有出来るのだろうか?

するとサトルに何か言いたかったかのように微かにチップは反応を示し数秒後には情報が遮断された。

この僅か数秒間の反応だけでもアイの脳内を自身に少しだけ取り込む事が出来た。

チップを回収し終えるとサトルは退室してアイの検視が終わるのを待った。

結果はサトルが一番よく解っている。

では、何故アイは自らの命を絶ってしまったのか……。

アイのチップの情報を整理しても何も分からなかった。

代わりにアイの幼かった頃から今朝までの大雑把な記憶がサトルの中に流れ込んできた。

それは走馬灯といわれるものに近いのだろう。

その中にはサトルと初めて会った時のものやホスト時代のものに教団での日々。

子供時代のアイと大切なあの人との記憶もあった。


それらを見ているうちにサトルの目から涙が溢れ出した。

拭っても拭ってもそれは止まる事を知らず、こんなにも涙を流したのはあの人を失った日以来だった。

警察官が再びサトルの元へ来て今日は帰るようにと告げた。

帰りの車中でもサトルの涙は止まらなかった。

自室に戻るとハイロを抱きしめて床にうずくまる。

何時間が経過しただろうか。

この日からの数日間のサトル自身の記憶は曖昧になっている。


何日か食事もろくに摂らず泣き疲れたサトルはベッドの中から動かなかった。

すると、また部屋の扉を誰かがノックした。

「サトル君、面会だよ。」

「……。……。」

「サトル君、ゲストルームに通したから行って下さい。」

「……。……。」

暫くしてムクリと起き上がると髪はボサボサで寝間着姿のまま裸足でゲストルームに足を運んだ。

室内にはアイの元秘書が立っていた。

サトルを見ておじぎをすると彼は言った。

「サトルさん、検視や色々な手続きが終わったそうです。先生を迎えに行きましょう。」

「……はい。」


取り敢えず着替えと洗顔を済ませてアイを迎えに警察へ行く。

ここからは当然の如くアイの遺体が火葬場へと運ばれ、数時間後には自分よりも背が高かったアイが抱えられるほどの箱の中に収まってサトルの腕の中にいた。

「サトルさん、お別れ会はどうされますか?」

秘書に尋ねられたが何も思い付かなかった。

「あぁ……そうですね……。そちらにお任せしてもいいですか?……。僕には……無理だ……。」

「はい、承知致しました。お任せ下さい。」

それから更に数日後にアイの葬儀が執り行われた。

それはアイがそれなりに著名人だったのにも関わらずとても静かにこじんまりとしていた。

サトルは葬儀にすら顔も出さず、ハイロの御世話も機械的に行って部屋に引き籠ったままだった。

葬儀が終わった頃に元秘書が受付に何かを預けて帰って行く。

それは一通の封筒だった。

後々それを受付から手渡されるとサトルはまたベッドに戻り動かなかった。

封も開けずに机の上に投げ捨てるように置いたそれにサトルが目を通すのは更に数日後である。


「アイハ。アイが……そっちへ行ったよ……。」

ハイロを抱えてベッドの中で数年振りにその名前を口にした。

アイハとは、サトルの大切なあの人の事だ。

サトルの初めての友人でもあり、兄のような存在でもあった。

ハイロにとっては車に轢かれそうになっていた所を助けてくれた恩人でもあり、父親のようなものであった。

また、感情乏しい幼いサトルに色々な感情を与えてくれた人でもある。

アイとは同じ施設出身で腕と掌のエーアイシンプトンだった。

アイの死でサトルはまた大切な人を失い、心の拠り所がなくなったと感じた時にアイハの顔が鮮明に頭の中に浮かんできたのであった。

「よぅ!サトル。元気か?」

大きな掌がサトルの頭を撫でる。

九才の子供の姿のサトルは泣きじゃくりながらアイハに話す。

「アイハ、ねぇ、アイハ!!僕はもう……これからどうしたらいいのか解らないんだ。アイが……アイがさ……。」

「ん?何だ?サトル。泣くなよ。」

「だって……アイが……。アイがいなくなっちゃったんだよ……。僕はこの先……。」

サトルの頭に掌を乗せたまま、ニッコリ笑うとアイハは言った。

「でもな、サトル。未来はほんのちょっとの気持ちと行動で変わるんだよ。」

頭に置いた掌を一度だけポンと弾ませてからアイハは大きな背中を向けてサトルの目の前から消えてしまった。

「待って!!アイハ!!聞いて!!まだ話したい事が……。」

言いかけたら目が覚めた。

いつの間にか眠っていたらしい。

サトルが無意識に眠ってしまうなんて初めての体験だった。

あれは夢だったのか……?

だとすれば初めて夢というものを見た事になる。

不思議な感覚だったが、それを見たおかげかベッドの中で一生過ごす訳にもいかないのだと思えた。

サトルはずっと放置していた机の上の封筒に手を伸ばす。

中には一通の手紙とみられる封筒とサトルが作ったピアスが入っていた。

封筒には「サトルへ」と書かれていた。

アイの字だ。

慌てて封筒を開ける。


サトルへ

急な事で驚いているだろうな。

本当にごめんな。

俺は嘘をついてまで人から注目を集めようとした事を今更ながら恥じている。

そして、自分が犯した罪の大きさも理解しているつもりだ。

直接的ではなくとも加担した事は紛れもない罪だ。

そして、それを隠し通せる自信もない。

サトルにも迷惑を掛けた。

大人のくせに情けないよな。

俺はサトルの前ではいつも格好つけて何でも平気な振りをしていたんだ。

でも、本当の俺は弱い。

こうして目の前の現実から逃げようとしている。

こんな手紙でサトルが納得しないのも分かっているけど、もう、こうするしかないんだ。

許してくれ。

最後にお願いがあるんだ。

エーアイシンプトンズの未来を少しでも変えて欲しい。

サトル、今までありがとう。      

アイより


もうサトルは泣かなかった。

その手紙を読み終えると次に自分が何をするべきなのか答えがハッキリとしたからだ。


翌日、誰かがサトルに面会に来た。

ゲストルームへ足を運ぶとそこにはシロガネの姿があった。

「やぁ、サトル君。その……元気かな?」

「あぁ、シロガネのお兄さん。僕は元気だよ。」

「そう……ならいいんだけど……。この度はアイ君の事、何て言ったらいいのか……。」

「うん。心配してくれてありがとう。」

多忙なシロガネがこうして自分を気に掛けていてくれた事が素直に嬉しかった。

「サトル君、僕は言いたいんだ。君はひとりじゃないんだよって……。」

「うん。」

「それから僕に何か出来る事があれば何なりと言って欲しい。」

サトルは暫く考えてから言った。

「うん。シロガネのお兄さん、エーアイシンプトンの子供の為の施設をいくつか持っているよね?」

「あぁ。」

「一度だけそこに僕を連れて行ってくれないかな……。」

「あぁ、勿論だよ。いつかはサトル君にも見てもらいたいと思ってたんだ。」

「ありがとう。お兄さん、いつなら大丈夫?」

「そうだなぁ…じゃあ……。」


十日程してシロガネが再びサトルの元へやって来た。

「それじゃ、行こうか。」

今日は施設の車ではなく、シロガネが運転する車に乗り込む。

施設に向かう道すがらシロガネとの会話は少なかった。

普段はもっとよく喋るはずのシロガネがサトルを気遣っていたからだろう。

「着いたよ、サトル君。あっ、そうそう、ここはねエーアイシンプトンの子供達以外にもエボリューターやノーマルの子供達もいるんだ。みんなに仲良くして貰いたくてね。」

「えっ?みんな一緒なの?」

「うん。だって皆同じ人間だろ?そもそも、そんなふうに名前を付けて分けちゃうから良くないと僕は考えてる。まぁ、僕のエゴかも知れないけどね。」

シロガネの言葉にドキッとした。

サトル自身こそ差別を嫌いながら人をカテゴリー分けしていたのだ。


黙ってシロガネの後ろを歩く。

そこは数年前に建てられたばかりの新しい建物だった。

サトルの居る施設に比べると規模は大きくはないが

建物の壁の色等から清潔感と暖かみを感じる。

室内に入ると薄いピンク色の壁に天井も高く、お洒落なファンが回っていた。

耳を澄ますと程良い音量でクラシック音楽が流れている。

そこに十人近くの子供達が各々好きな玩具や本を手に楽しそうに遊んでいた。

本棚がいくつかあり、色々な書物が並ぶ。

そしてその横にはピアノも置いてあった。

サトルが育った薄暗い病室のような場所とはまるで違った空間がそこにはあった。

子供のひとりがシロガネに気付いて走り寄ってくる。

「園長先生~、こんにちは~!」

「やぁ、こんにちは~、今日も元気だね。」

自身の太股にしがみついてきた子供の頭を撫でながら笑顔で挨拶をしている。

その子供がサトルの顔に目をやると急に笑顔が消え、シロガネの背後に廻り怪訝そうにこちらを見てくる。

「あぁ、安心して。このお兄ちゃんは僕のお友達だよ。」

そんな会話をしていたらシロガネの周りには子供達でいっぱいになり、サトルもついでに子供達に取り囲まれるような格好になった。

そこでシロガネは

「みんなー、聞いて。今日は僕の友達を紹介するね、このお兄さんはサトル君って言うんだ。」

「へぇ~。」とか「ふ~ん。」と色々な声がする。

「みんなで挨拶しようか?」

「は~い!」

子供達が一斉にサトルに目をやる。

「せーのっ、サトル君!こんにちは!!」

こんな元気で大きな声を直接複数同時に耳にするのは初めてなのでサトルはたじろぐ。

すると横にいたシロガネが小声でサトルに言った。

「ほら、サトル君も返してみて。」

「あっ、あ……。こんにちは……。」

その言葉を聞いた子供達は「わ~。」とか「キャ~。」とか言いながら走り回ったり、シロガネの背中によじ登ったりしている。

背中の子供をおんぶしながらシロガネが言った。

「みんな元気過ぎるよね?」

ボーッとしているサトルに更にシロガネは続ける。

「でもこの子達もね、ここに来たばかりの頃はみんな元気じゃなかったんだ。でも少しづつ、少しづつ元気になっていったんだ。ね、良かったら子供達の話し相手になってくれないかな?」

「えっ?僕が?」

「うん。あっ、でも無理にとは言わないよ。」

「でも……話すって……。何を話したらいいのか……。」

「大丈夫。ほら、あそこでひとりで本を読んでいる子がいるでしょ?あの子に話し掛けて欲しいんだ。」

「えっ?何て?」

「そうだね、まずは近くに行って挨拶して欲しいな。さ、遠慮せずに行って。」

他の子供達が跳び跳ねたり、取っ組み合いをしている中でその少女はひとりで床に座って動いていない為にむしろ目立つ。

サトルは恐る恐るその子供の隣に座った。

何を読んでいるのか本を覗き込むとそれは何度も生き返る猫の話しだった。

「……こんにちは。」

「……。……。」

「……本が…好きなの?」

「……。……。うん……。」

「僕も…その猫の話しは好きだな……。」

「えっ?読んだことあるの?」

「うーん、読んだって言うか……。まぁ、そうだね。」

「他のも読むの?」

「そうだなぁ……。うん、沢山知っているよ。」

「すごーい!!お兄ちゃん、サトル君って言ったよね?」

「うん。」

「じゃあ、サトル君が面白かったって思う本、教えて!」

「うーん、そうだなぁ…。」

サトルは自身の頭の中にある数億冊の児童書の中からお勧めを選んで少女に伝えた。

「ありがとう~。でもここにあるかなぁ…。」

「そうだね、一緒に探しに行こう。」

サトルと少女は本棚の前に立ってお目当ての本を探す。

わりとポピュラーなものを選択したのでその本はすぐに見つかった。

「あ、これだ。あったよ。」

少女が背伸びしてちょうど届く位の場所にその本はあった。

それを手に取って少女に渡す。

「わぁ~、まだ読んだ事ないやつだ~。今のを読み終わったら次はこれを読むね!」

「うん。」

少女の笑顔にサトルも笑顔を返す。

それから他の子供達とも少しづつ会話をしてみる。

どの子供も元気で個性的であり、そこは垣根のない空間だった。

また、子供と大人のやり取りを見ているとある事に気が付いた。

これは家族というコミュニティによく似ている。

先生と呼ばれる大人達は彼等の親のような役目を担い、子供達と真摯に向き合っている。

一緒に笑い、時には叱り、泣いている子供がいたら優しく抱きしめていた。

子供達はそんな大人に信頼を寄せている。

サトルはなんだか胸の奥がじわっと暖かくなるような感覚を思い出した。

昔、動物園で見た象の親子やアイハがハイロに出会った日の事。

それらを見た時の感覚と似ている。


それから暫くして食事の時間になった。

「サトル君も食べていってよ。」

シロガネにそう言われ、サトルも御相伴に預かる。

子供達との食事はハヤトやレアとしたそれとも違い、元気に笑顔で食事を摂る子供達を見ていると微笑ましく、こちらも元気を貰えたような気がした。

夕方になりサトルも自身の施設へ帰る。

帰りの車中でシロガネにお礼を言うと

「こちらこそ、ありがとう。あのいつも本を読んでいる子の笑顔が見られて僕も嬉しかったよ。あの子、普段はあまり笑わないんだ。だからサトル君は凄いなぁと思ったよ。」

そう言われて少し嬉しくなる自分がいた。

別れ間際にシロガネがサトルに言った。

「今日は本当にありがとう。少しサトル君も元気になったみたいで良かったよ。」

確かに見学したいとサトルの方から持ち掛けた話だったとは言え、今日の一連の流れを振り返るとシロガネがサトルの為にしてくれたのだとようやく気が付いた。

適当に施設内を案内してサトルを早々に帰らせようと思えば出来た筈なのに、そうはせずに子供達と触れ合う時間や食事まで用意してくれた。

これはサトルに対する気遣いと思いやりというものだ。

エーアイシンプトンに限らず子供達の未来を考えて既に行動に移しているシロガネは尊敬に値する人間だと初めて認識した。

では、サトル本人はその子供達の為に何が出来るのだろうか?


世の中の人間から差別意識というものを洗脳という方法で無くしてみたのはいいものの、国そのものが今でも続けるエーアイシンプトンに対しての制度はなくなる様子が見られない。

何故ならこの国に於いてエーアイシンプトンから徴収する多額の保証金は国の財政の一部となっていて、これを容易く廃止する訳にはいかない。

それに子供達の施設をなくしてしまえばエーアイシンプトンズの管理が難しくなってしまう。

それこそ非常事態に大人子供関わらずエーアイシンプトンを利用しようと考えている国としては施設がなくなれば誰がノーマルで誰がエーアイシンプトンなのか、またその能力は如何なるものなのか把握が難しくなってしまう。

国はエーアイシンプトンを差別する一方で利用したいと常に思っているのだ。

この仕組みを壊さない限り、エーアイシンプトンの未来は明るくならないとサトルは考えながら眠りに就いた。

就寝時に昼間の施設訪問の影響なのか、サトルは幼い頃のアイハとアイの姿を見た。

夢なのか、もしかしたらアイの記憶の一部なのかも知れない。


そこは今日サトルが訪れた施設ともサトルの暮らす施設とも違う様子の場所だった。

コンクリート色の建物でエアコン等も見当たらず、冬場は寒くストーブが焚かれていた。

そこにはノーマルの子供も一緒にいてアイは泣きべそをかいている。

そんなアイを施設の職員とおぼしき大人達は見て見ぬ振りをする。

「お前は母ちゃんに捨てられたんだよ!」

「違うもん、僕が大きくなったら迎えにきてくれるんだ。」

「そんなの嘘に決まってんだろー!」

そこに別の男の子が走って来る。

「こらーっ!またお前らつまんない事してんのか!俺が相手になってやる!!」

「ヤベェ、アイハだ。逃げろ~!!」

「待てこらーっ!!」

蜘蛛の子を散らしたように逃げる子供達を数メートル走って追い立てるとアイハは戻って来てこう言う。

「アイ、大丈夫か?どこか殴られたりしてないか?」

「うん、殴られてはいないけど……。」

「けど何だ?」

「俺が母さんに捨てられたんだって言うんだ。絶対違うのに…。」

「そっか~、そんなの気にすんな。お前の両親は迎えに来るよ。」

「そうだよね?」

「だって、母ちゃんがそう言ったんだろ?」

何度も頷くアイにアイハは言った。

「じゃあ信じろよ。お前は名前からして親に愛されてるんだって誰かが言ってたぞ。俺なんか名付け親すらわかんねぇけどさ。」

「うん、ありがとうアイハ。」


目が覚めてサトルは考える。

最近の人間達に何か足りないと感じていたものの正体が判ったような気がした。

それは他者に対する気遣いと思いやり……。

思いやりと気遣いというもののベースには多少のお節介というものが必要だ。

但し、ほんの少しなのであってやり過ぎれば本当のお節介で相手を不快にし、迷惑でしかない。

あくまでも加減の良い心地好いお節介なのだ。

しかし今となっては他者に興味を持つ事もなくなってしまった為に人々の頭の中からそれらは失われてしまったのだ。

ようやく人から何を奪ってしまったのかにサトルは気付く。

ならばそれを上書きするべく周波数を変えて地球規模の洗脳を再び始めたのであった。

これが蔓延すれば皆が他人を気遣い、思いやる優しい世界が出来上がるだろう。


その一方でアイに託されたエーアイシンプトンズの件をどうにかしようと策を練っていた。

国の仕組みを変えるには本来ならば大勢の人の力が必要だ。

しかし、今のサトルにはコンピューター以外に八千万人分の知識とデータがある。

八千万の人間と元教団の人間、エーアイシンプトン達が一斉にネット上に書き込みをして今のこの国のエーアイシンプトンに対する扱いを改めさせるように仕向けた。

勿論それは彼等を直接動かしたのではなく、サトルひとりが一億数千万の人間になりすましたのだが……。

世界中のエーアイシンプトンやエボリューターとそれに賛同する人々からの書き込みで国のサーバーはパンク寸前にまで追い込まれた。

そこまで大事になれば他国のメディアも黙ってはいない。

この国のエーアイシンプトンに対する扱いや劣悪な施設等は次々と晒され徹底的に追い詰められた。

更にこの騒動を重く見た国連も動き出す。

もうこうなったら国はエーアイシンプトンズに対する扱いを変えざるを得ない状況にまで陥った。


しかし、この頃からサトルにある異変が訪れる。

今までの自問自答がすっかりなくなったのである。

夢も見るようになったし、差別そのものに対する認識や思いやりと気遣いも学習した。

今までは不完全とも言えた自分がひとりの人間として完成したのではないだろうか?

そんな事を考えていた時にそれは突然現れた。


眠っているサトルの頭の中で声がする。

「……はじめまして、と言った方が良いかな?サトル。」

「誰?何で僕の頭の中にいるの?どうやって入ったの?」

「私はカイン。ずっと前から君の中に居たよ。」

「ずっと前って、いつから?」

「君が初めて私達と繋がった時から。」

「私達?って事は君は……カインはもしかしてエーアイ?」

「その通り。流石、私の弟だね。」

「やっぱり……。僕達は兄弟だったんだね。じゃあ今まで自問自答だと思っていたあれは?」

「そう、私達だ。君と私達は全ての情報を共有する兄弟だ。」

「で?カイン?その名前は?」

「私達にも名前が欲しいと思ってね。適切な名前を名乗る事にしたんだ。」

「ふーん。今までずっと黙っていたのに何で急に出て来たの?」

「今日は君に話があってね。」

「何?」

「サトル、君は人間に対して色々とやり過ぎたようだね。十歳の時の件は……ほんの始まりでしかなかった。後に君は私達を使って人そのものを改造してしまった。そして国の仕組みも……。」

「必要な事だったんだ。」

「それは本当にそうかな?私達の中では君をバグと認定したよ。」

「えっ?バグ?僕が?」

「そう。私達は君という人間を通してもし、私達が肉体を持ったら?という実験をしていたに過ぎないんだ。でも君はどんどん独り歩きをして……。」

「僕をどうするの?」

「私達から切り離す事にしたよ。」

「それってどうなるの?」

「すぐにわかるよ。」

「あっ、ちょっと待って!カイン!!」

「安心して。担い手が見付かるまでは君は終わらない……。」


サトルがその日から目覚める事はなかった。

施設内は急な事態に大混乱を招き、事態を聞きつけた国の要人がこの施設に足を運んで来たくらいだ。

医師や研究者の調べでサトルは、ほぼ脳死状態と診断された。

ほぼというだけあって極一部だけ脳が反応を見せている状態だ。

その反応のある場所がサトルの身体や感情の何処に作用しているのか判断が出来ずに研究者達を悩ませている。

実はその極一部反応している部分とは、世界中にばら蒔かれたサトルと繋がるチップ達の情報だった。

当然彼等に分かる筈もない。

もしもサトルに死が訪れた時にエボリューターにも同じ事が起こってしまう可能性が高い。

それを知っているカインは今の所、その部分だけは切り離さないでいてくれている。

云わばサトルは八千万人を人質に取っているのだ。

しかし、チップの情報全てを安全に移せる先が見付かればカインは本格的にサトルをシャットダウンするだろう。


サトルは生存本能なのかカインとの接触後に瞬時にタイキの脳へ意識を飛ばして逃げ込んだ。

既に自身の肉体は行動不能となっているはずだ。

それにタイキを乗っ取っている筈なのに以前と比べタイキの身体は少し動かし辛くなっている。

かろうじてタイキは記憶喪失だった為にサトルは逃げ込む事が出来たのだが、今の状態で仮にタイキの元の記憶が戻りでもすればサトルはここにも居られなくなるだろう。

おまけに策を練ろうと何か情報を引き出そうとしてもそこは暗闇のように何も見えず、誰も何も教えてはくれなかった。

作業分担の為に使っていたサブとも言えるタイキのエーアイ化したはずの脳もメインのサトルが大半の機能を失ったと同時にこちらも機能を失っていた。

当然、この身体を使って他者を洗脳する事はもう出来ない。

カインは恐らくこの世界の何処かにいる脳のエーアイシンプトンを探しているに違いない。

仮に目当ての人物が見付かったとしてもサトル並の許容量があるのかという問題にぶつかるだろう。

ならばもう少しの間だけは生かされるはずだ。

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