第6話 エーアイシンプトン
週末が近付きサトルがハヤトとレアに連絡を入れようかと考えていた時にレアの方から連絡が来た。
内容は予想通り週末の御誘いだった。
特に断る理由もないので誘いに乗る事にした。
集合時間は夜の十時。
前回会ったクラブへ行くと同じ場所に二人はいた。
前に居た男女はどうしたのか聞くと些か驚く答えが返ってきた。
二人以外の人間はあの日全員初顔合わせだったのだ。
ハヤトの隣にいた彼女と覚しき肩に腕を回されていた女の子もナンパをして一日限りの付き合いだったとあっけらかんとハヤトは言った。
それを隣で聞いていたレアもそんなハヤトの言葉に驚きもせず当然といった表情をしている。
タイキいや、サトルの中で友達の定義や男女の付き合いの定義が少し変わった。
そう考えるとこの目の前の二人は凄く不思議な関係だ。
特に恋愛感情をお互い持っているようでもないし、兄妹という訳でもないが仲は良い。
疑問が浮かんでタイキは二人に質問した。
「レアとハヤトは付き合わないの?」
唐突な質問に一瞬二人は固まったが、次の瞬間笑い声と共に二人同時に
「ない、ない。」
と言う答えがシンクロする。
こと恋愛に関してはリアルで全く経験のないサトルの頭の中には珍しく『?』マークが飛び交う。
なので次いで口から出た質問は
「じゃあ、二人の関係性は?」
だった。
「やだなぁ、タイキ君。変な事気にするんだねー。」
笑いながら言うレアと
「えっ?俺らの関係性?そうだなぁー、言ってなかったな。俺らは幼馴染みなんだよ。元々俺の母親とレアの母親が友達同士でさ。」
ハヤトが答えをくれた。
幼馴染み……。
初めて聞く言葉だ。
頭の中で辞書を探る。
なるほど、平たく言えばこの二人は生まれながらにして長年の友人同士というものなのだ。
当然サトルにはあり得ない現実をこの目の前の二人は経験してきたという訳だ。
「ふーん、そうなのか…。」
その日タイキはこの二人の行動を良く観察した。
レアはタイキにベッタリで前回のような単独行動を取らない代わりにハヤトは何度もフロアと二階席を行ったり来たりしている。
たまにレアがタイキから離れてドリンクバーに行った時に偶然ハヤトと遭遇するのだが、この時二人は特に会話をする訳でもなくお互い何かを合図するかのように目とジェスチャーだけで会話をしている。
それだけで会話が成立しているなんてサトルに言わせれば超能力のレベルだ。
暫くするとハヤトが見知らぬ女の子を連れてこちらへ戻って来た。
「こんばんはー。」
レアが女の子に挨拶する。
つられてタイキも会釈をする。
目の前のソファーに女の子と二人で座るとハヤトがその子を紹介してきた。
ニコニコしながらレアが少し緊張気味な女の子に話し掛ける。
まるで先週の自分を見ているようだ。
暫くして会話も弾み出すとハヤトは目の前で携帯電話を取り出して女の子と連絡先を交換している。
ハヤトの携帯電話には一体何人の連絡先が登録されているのだろうか。
また先週のように取り止めのない会話が繰り広げられて終電近くなると女の子は帰って行った。
女の子をエレベーター前まで送ってハヤトがこちらに戻って来たので気になっていた事を聞いてみる。
「さっきの女の子とは友達になったの?」
するとハヤトはこう言った。
「うーん、わかんないな…。あんまし感触が良くなかったしなぁ。」
「感触?」
「あぁ。何て言うかさ、次はもうない的な?」
「???」
「そんな驚く事でもないだろ?ナンパが失敗するなんて俺にとっては日常だよ。」
「そっか。でも失敗って?友達になったんじゃな…。」
そこまで言うとハヤトに言葉を遮られた。
「そんなの聞くなよー、タイキにはわかんないだろうなー。お前、背も高いし綺麗な顔してるしさ。」
今の会話の情報を色々と整理する。
ハヤトがタイキの質問に半分も答えていなかったからだ。
結論としては男女間での友達という関係性の構築は非常に稀なのかもしれないという事だ。
ならばレアとハヤトの関係性は面白い。
この二人をもっと知りたいとサトルは思った。
何度か週末にクラブに顔を出すようになってから、ハヤトとレアには色々な人を紹介された。
タイキも毎回紹介された人間と連絡先を交換して携帯電話には四十人くらいの名前が登録された。
でもこれら全ての人間が友達になった訳ではない事も学習した。
何度かここで顔を合わせて会話が出来る相手もいれば、連絡先を交換したきりでここへは二度と現れない者もいる。
また、この知り合い達から友達にランクアップさせるには自分から働きかける必要がある。
ただ、特に自分から無理に働きかけなくても毎週末ここに来れば以前紹介された誰かが必ずいて、話し相手にはなってくれた。
これは友達と呼んで良いのだろうか?
サトルにはその曖昧さがいまだによく分からない。
暗がりの中で踊る人間をぼんやり眺めながらそんな事を考えているとレアがにタイキに聞いてきた。
「タイキ君ってどんな女の子がタイプなの?」
その質問の内容と意図するものがよく分からない。
「タイプ?」
「うん、色々あるでしょ?」
そんな事は今まで考えた事もなかった。
今のサトルには数億人分の顔や体型のデータがある。
その中からタイプを探そうとしてもこれといった自分の好みが分からない。
但し、人間には表面的な肌の色や髪の毛の色や顔のパーツを除いたとしても美しいと感じられるバランスがあるのは知っている。
それら全てを決めるのは骨だ。
全ての各関節パーツのリーチが比較的に長く、その全身の骨組みの上に小さな頭蓋骨が乗っている人間。
また、頭蓋骨にもパターンがいくつかあって頬骨の高さや顎の骨の形、目の配置等のバランスが比率的に美しいとされる者。
そのような姿をした人間にサトルも美しさを感じる。
人間の体型にはいくつかパターンがあって単純に手の平を見ても人は長方形と正方形に分かれるとサトルは思っている。
まぁ、細かい事を言うと単に骨格だけではなく、脂肪や筋肉量でもこの形は変わってくるのだが…。
これらの考えをまとめてそれをタイプと言うのであればサトルは自身もそうだが、長方形のフォルムをした体型がタイプという事になる。
それを踏まえて一瞬で頭の中を整理してから逆に聞いてみる。
「外見?それとも中身?」
「うーん、両方!」
暫く考えたが、やはり長方形のフォルム以外特にそのようなものがない自分に気付く。
内面のタイプなんて尚更考えもつかない。
でも、ないと言えば会話が続かないだろうし、タイキの印象もあまり良くはないだろう。
なので少し間を置いてから
「うーん、僕は外見的には骨格が綺麗な子がタイプかな…。中身は……そうだなぁ。大人しい子がいいかな。」
半分は本当、半分は適当に答えた。
「ふーん、そうなんだー。骨格って…なんか面白いね。あとタイキ君、ノリのいい子が好きかと思ったよ。でもここで大人しい子探すのは難しいかもねー。」
そもそもタイキがここに来た理由は彼女が欲しくてではない。
友達をつくりに来たのだ。
でも、それをノリの良いレアに言うと失笑されてしまいそうでそれは言わない事にした。
会話を続けるコツとしては質問に答えた後に同じような質問を相手に返す事が有効だとサトルは知っている。
なのでレアにも
「レアはどんな人がタイプ?」
聞き返すとレアは嬉しそうに
「えーっ、内緒だよー!でもタイキ君もタイプかなー。」
照れながらそう言った。
『も』と言うことは他にも色々なタイプが彼女の中にはあるのだろう。
好きなタイプが多いというのは幸せな事だ。
そう思えば、レアはいつも会う度に楽しそうにしている。
「ねぇ、タイキ君はさ、彼女居ないの?」
「あぁ、うん。」
「タイキ君、気付いてないと思うけど…。今このクラブ内でタイキ君の事狙ってる子が結構いてね。あたし、色々聞かれるんだー。」
「狙う?聞かれる?どういう事?」
「もうー、鈍いなぁ。あのね、今タイキ君の事を気に掛けている女の子が沢山いるってこと。」
「ふーん。」
「なんか、興味なさそうだね。」
「あぁ、うん。」
「ねぇ、じゃあさ、試しに私と付き合ってみる?」
「?……レアと僕は友達だろ?」
「あーっ、やっぱねー、そうだよねぇー。でも友達って言って貰えて嬉しいよ。少なくとも彼女達よりアタマひとつリードしてる訳だしね!」
レアが勝手に何を納得して何と競い合っているのかがよく分からない。
今日の会話はいつも以上に難解だ。
「あっ!待って!この曲…!」
レアが急に立ち上がる。
ブワッと香水の匂いが鼻を直撃する。
「ねっ!タイキ君!踊りに行こう!」
「あぁ、うん。」
何度もここへ来るうちにサトルは踊る事を覚えた。
タイキの身体は非常に扱いやすく、脳から発する指令に対し即座に反応、実行可能だ。
音楽に合わせて踊るという事を頭の中で理解はしていたが、実際に踊るとなるとかなりの運動能力を要し、尚且つ脳の指令と身体の動きをリンクさせる反応の早さが必要になる。
おまけに筋肉や関節の柔軟さや肺活量等も関係してくる。
それからリズムや音に合わせるセンスも必要だ。
産まれてからすぐに物を飲み込むことすら満足に出来なかったサトルと比べるとタイキの身体能力は奇跡にすら感じる。
それが今はサトルが頭の中で学習したものをタイキが身体で表現してくれる。
練習もなしに思うように自在に身体が動いてくれるという事は、なんて素晴らしく楽しいのだろうか。
タイキの目の前に立って踊りながらレアが言う。
「凄いね、タイキ君。元々上手だったけど、会う度に踊りが上手くなっているみたい!」
タイキはその言葉に笑顔を返す。
暫く踊った後に喉が乾いたのでドリンクをバーに取りに行き、二階席へ戻った。
すると今日はハヤトの横に男が座っている。
近付くとこちらに気付いたハヤトが手招きしながら言う。
「よぅ!タイキ!あ、コイツ紹介するわ。あれ?レアは?」
「レアはもう少し踊ってから戻るって。」
そう言いながら男と目が合った瞬間にサトルは気付いた。
この男はアンチエボリューターだ。
以前リストを書き換えた時に見た顔で、今ここにいるという事は仲間同士の潰し合いの被害に遭わなかったのだろう。
「はじめまして。」
「こんばんは、はじめまして。」
当然だがタイキは何も知らない振りをして挨拶をした。
ノーマルの知り合いは最近複数人出来たが、皆大半はタイキやサトルにとって害のない人間ばかりだ。
では、この男はどうなのだろうか?
話しをすれば何かが解るかもしれない。
ハヤトが男に向かって言った。
「な、久し振りだよな。ここで一緒に飲むのもさ。紹介するよ、コイツはタイキ。ここ数ヵ月くらい毎週末ここに来ているよ。」
「どうも。」
「んで、こっちの彼は少し前までは毎週末ここで一緒に遊んでたんだ。なんか、最近急に忙しくなってたみたいでホント、久し振りだよな!」
タイキは男の真正面より少しずれて斜め前に向かい合うように座った。
そしてさりげなく男に質問してみる。
「へぇ、そうなんだ。忙しかったって仕事か何か?あ、それとも学生?」
男がタイキに言った。
「いや、俺は学生じゃないよ。ついこの前まで一応社会人だったけど……。」
「だったって?」
「今はニートだよ。」
苦笑いしながら男は続けた。
「なんかさ、変な事に巻き込まれてさ。そんでそれが会社にバレて…。まぁ、今に至るってとこ。」
「ふーん。」
それを聞いていたハヤトが言った。
「まぁさ、お前も災難だったよな。」
タイキが尋ねる。
「えっ?災難って?」
その質問に男が答えた。
「俺さ、最近ニュースにもなってたエボリューター反対デモに参加しちゃったんだよ。」
「しちゃったって……?自分の意思ではなくて?」
「うーん、なんかさ…。あの日俺は、たまたまあそこにいたんだよな……。」
「たまたま?」
「そうなんだ。そしたら道の向こうがなんか賑やかだなぁって思っていたら、どんどんこっちに集団が近付いて来たんだよ。音楽ガンガン鳴らして太鼓とか叩いてさ。そんで、そいつらを見ていたらなんかパレードみたいで楽しそうでさ…。そしたら知らない奴が近付いて来て、ガヤでいいから参加しないか?って…。」
「で?参加したの?」
「だってさ、ガヤでいいって言うからさ。俺もそんなのただのノリだと思って…。」
「ただのノリって……。」
「だって、ただのガヤだぜ?俺は何にもしてないのと同じだろ?ただ、その場の人数合わせっていうかさ…。そこにいただけなのに。それなのに何だよ、街の防犯カメラに俺の顔が写っちゃってて、それで逮捕だよ。酷くね?」
タイキはその言葉を聞いて怒りを覚えた。
「あのさ、初対面でこんな事言っていいか分からないけど、僕はそのガヤってやつが一番卑怯で怖い気がするよ。その集団の中にいて、集団から仲間外れにならないようにそれらしい行動を取っているくせにいざとなったら責任も取らずに後々自分は関係なかったって言って逃げるやつ。」
明らかにムッとした表情になった男を見てハヤトが間に割って入る。
「まぁさ、もう済んだ事だろ?お前だって前みたいにここに来れてるんだしさ。せっかくお互い知り合いになったんだし、仲良くしようぜ。」
すると男は立ち上がり、タイキを見下ろしながらこう言った。
「いや……俺今日は帰るわ。なんか楽しめそうにないわ。」
出口に向かう男をハヤトが追い掛けていった。
ソファーに一人残されたサトルは考えていた。
ああいう類いの人間がいるからこの世の中の悪が増長するのだ、と。
暫くするとハヤトが戻って来てこう言った。
「なぁ、タイキ。どうしたんだよ?お前、あんなキャラじゃないだろ?」
そう言われて少し冷静になる。
「あぁ、ごめん。昔ちょっとした事があって……。それを少し思い出したんだ。」
「そっか……。それってどんな事だったか俺に話せるか?」
「あぁ、いいよ。」
サトルの口からこの事を他人に話すのは初めてだ。
「僕はさ、十歳の時に大切な人をなくしたんだ。僕の兄のような人でね……。その人が亡くなった時もさっきの彼みたいな事を考えている人間が沢山絡んでいてね…。殺人事件だったのに結局、真相は曖昧になったままなんだ。」
「それってどういう事?」
「うん。結局、人が一人亡くなったのにその事件にはこれといった犯人がいなかったというか……。いや、いたんだけど結局は法で裁ききれなかったというか……。その事件に関わった人間は細部まで調べると五十人近くにもなるんだ。皆が軽い気持ちで少しづつ関わっているから、本人達も罪の意識が薄いどころか関係ないとさえ思っている……。そんな奴らに僕は大切な人を奪われたんだ……。」
「そっか……。タイキにそんな過去があったんだな。そんな大切な事を俺に話してくれてありがとうな。」
ハヤトに打ち明けているうちにあの頃の自分がフラッシュバックする。
いや、もう仇は討ったのだ。
頭を左右に振り、気を取り直す。
そして、話題を切り替えようとした時にそれは起きた。
ドカンという何かが爆発したような音がしたかと思ったらフロア全体が大きく揺れたように感じた。
下のフロアから一気に煙が流れてきて二階フロアにもあっという間に煙が充満して視界が遮られる。
「な、何だ?ヤバい!タイキ!外に出るぞ!」
ハヤトに腕を引っ張られ出口付近まで来たが、エレベーターの前には既に黒山の人だかりが出来ていてパニック状態になっている。
「タイキ!こっちだ!」
ハヤトがタイキの腕を掴んで非常階段の扉へ向かって走る。
思いの外、ハヤトの足が速い事に少し驚く。
何が起きたのか頭の中で整理しながらタイキもそれに追従する。
あの音……。
恐らく一階フロア奥の裏の厨房辺りからだ。
何かが爆発したのだろう。
事故か故意なのかは分からない。
非常階段の出口付近まで来るとハヤトが言った。
「タイキ、ここから一人で下まで行けるよな?俺はレアを探してくる。下で待っててくれ!あ、でも危ないと思ったら逃げるんだぞ?いいな?」
「待ってよ!ハヤト!危ないだろ?!」
「解ってるよ!でもレアを見付けないと…。とにかく俺は行く!下で会おうな!」
そう言って煙の中にハヤトは消えていった。
タイキの身体能力ならばハヤトよりも早くレアを見付けられるかも知れない。
タイキも再び姿勢を低くして煙の中へ入って行く。
一階フロアは既に半分近く火が廻っていて、あちらこちらから助けを求める人の声が聞こえる。
目を凝らして人影を探し出し、掴まえては出口付近まで連れて行く。
これを数人繰り返しているうちに呼吸が苦しくなってきた。
一旦非常階段へ戻り呼吸を整えてまた戻る。
ハヤトとレアの姿はまだ見ていない。
早く二人と合流しなくては……。
戻ってまた何人か誘導して間もなく、壁や天井からピシピシと変な音が鳴り始めた。
マズイ!また何かが爆発するかも知れない。
レアとハヤトを見付けられないまま、タイキは外に出ざるを得なくなった。
タイキが非常階段を駆け下りていると、ドカンと再び先程より大きな音が背中越しに聞こえた。
爆発の衝撃で鉄で造られた螺旋状の階段がグラリと揺れた。
急いでビルの外に出て上を見上げるとパチパチという音と共に何かが燃えて沢山の火の粉が空気に触れて煤になりフワフワと目の前を浮遊する。
そして、黒煙と共に濃いオレンジ色の火柱が空に登っていくのが見えた。
煙のせいで街灯が遮られて辺りが薄暗い。
ようやく遠くの方からサイレンが聞こえる。
ハヤトとレアは?
我に返り、人混みの中を掻き分けて走る。
ビルの周辺を探し回ると少し離れたコンビニの前にしゃがみ込んでいるレアと心配そうにその背に手を置いているハヤトの姿を見付けた。
急いでそちらに走って行き、声を掛ける。
「二人とも、大丈夫?!」
こちらに気付いたハヤトが言う。
「タイキ!!お前こそ平気か?!」
「うん、僕は何ともない。」
駆け寄ってふと見るとハヤトのジーンズの右膝から下が焦げて無くなっている。
しかし、運良く火傷は負ってはいないようだ。
しゃがみ込んで泣いているレアは煤だらけだが、どこかに怪我をしている様子はない。
タイキは訊ねる。
「ね、二人とも呼吸は苦しくない?どこか痛い所は?目眩はしない?」
「あぁ、俺は大丈夫だ。」
「……。」
「レア?」
「……。……。」
泣きながらこちらに顔を向けたレアから声が発せられていない事に気付いた。
「レア、ゆっくりでいいからちよっと口を開けられる?」
コンビニの煌々とした光に口を向けてレアの口の中を診る。
やはり、所々に煤が付いていて火傷を負っている。
このまま放っておくと気道が狭まる可能性がある。
開けた口に耳を近付けると微かにヒューヒューと音が聞こえる。
これはかなり危険な状態だ。
「レア、少し苦しいだろうけど頑張って!すぐに救急車が来て楽になるから!」
そう話し掛けてからタイキは街中に向かって叫んだ。
「救急車!!救急車はどこだ?!」
レアの姿を見て呆然としていたハヤトがその声を聞いて我に返り、慌てて携帯電話を取り出すも明らかに取り乱している。
既にこちらへ救急車は向かっているはずなのだ。
サトルはハヤトに指示を出す。
「ハヤト、落ち着いて。救急車がこっちに向かってるはずだから急いでレアをそこまで連れて行こう。」
レアの意識が朦朧としてきた。
急いで酸素吸入等の処置をしないと命に関わる。
レアを担ぎ上げようとしたタイキにハヤトが言う。
「タイキ、レアは俺が担ぐよ。その方が早い。」
「……わかった、頼む。」
サトルはこちらへ向かってくる複数台の救急車の中でも一番近い車両を頭の中で見つけ出してハヤトを誘導する。
救急車が目視出来る辺りまで来るとサトルは驚きの光景を目にした。
ハヤトが物凄いスピードでレアを救急車まで運んだのだ。
時速はおよそ七十キロ以上は出ていただろう。
ハヤトは足のエーアイシンプトンだったのだ。
どうりでさっき見た時にハヤトのジーンズは右膝から下が焦げて無くなっていたのにそこから見えた煤だらけの足には傷ひとつ付いていなかった訳だ。
救急車にレアを乗せ終えると一緒に乗り込みながらハヤトがタイキに言った。
「タイキ、ごめんな!詳しい事は次に会った時に話すよ、レアの事は俺に任せてくれ!」
そう言われてタイキは二人が乗る救急車を見送った。
帰り道サトルにはひとつ疑問に思う事があった。
エーアイシンプトンのリストは既に自身の頭の中にあるというのに何故ハヤトがエーアイシンプトンだと知らなかったのだろうか。
ハヤトの能力ならばSランク、もしくはAランクは確実だ。
急にハヤトがエーアイシンプトンとして覚醒したとか?
いや、それはあり得ない。
エーアイシンプトンは先天的なもので急にどうこうなるものではないからだ。
それに足のエーアイシンプトンともなれば産まれた直後に判明するし、歩行訓練も必要な為に必ず何処かの施設か病院へ通う必要があるはずだ。
それにデータを見る限りハヤトは一般家庭で育っている。
もし、エーアイシンプトンとして登録されたならばハヤトの両親の資産状況では間違いなく施設送りになっているはずだ。
では何故サトルのデータにハヤトが居なかったのだろう。
少し調べたらその疑問の答えはすぐに判明した。
それはレアにあった。
いや、正確にはレアの家族だ。
レアの家は所謂町医者というやつで規模は大きくはないが診療所を営んでいる。
母親が産婦人科医で父親は内科医だ。
子供はレア一人。
ここからはデータにはないのでサトルの憶測だが、恐らくハヤトが産まれた時に彼を取り上げたのはレアの母親だったのだろう。
元々二人の母親同士が友達だとハヤトが言っていた。
ハヤトが足のエーアイシンプトンだと判れば本来ならば役所に通達の義務があるのだが、ハヤトの母親に頼まれたのであろう、その事実を隠蔽したとみられる。
なのでハヤトは施設に入る事もなく普通の暮らしを営んでこられたのだ。
しかし、どのようなエーアイ機器に触れさせたのか、歩行訓練はどうやったのか等は推測でしか分からない。
そしてその能力の性質を考えるとむしろエーアイシンプトンである事を隠しながら生活する事の方が困難だったのではないかとサトルは思った。
きっとハヤトのようなエーアイシンプトンは、この国内にはまだいるのだろう。
またひとつ、サトルの知らなかった現実を垣間見た一日だった。
タイキは部屋に戻ると煙や煤で汚れた服をゴミ箱に捨ててからいつものようにシャワーを浴びた。
タイキも少し煙を吸ってしまったが、取り立てて身体の異常箇所は見付からなかった。
しかし、耳の中や髪の毛に付いた煤と煙の匂いがなかなか取れずに何度かシャンプーをしてその日はベッドに入った。
翌日、昨日の繁華街での火事はニュースで大きく取り上げられていた。
出火原因は未だに不明だが、厨房付近が一番燃えていた事からここが火元となった事は間違いないと伝えていた。
また重軽傷者が複数名出たものの、火事の規模の大きさの割には死者が一人もいなかった事は奇跡的だと報じていた。
レアは大丈夫だろうか?
サトルが見た限りでは適切な処置さえ受けていれば大事に至る事はないとは思うが、心配なのは声を発せられないでいた事だ。
恐らくあれはメンタルケアにかなりの時間を費やす必要があるだろう。
また、レアはハヤトに助けられるまでに煙をかなり吸ってしまっていて喉や気道に火傷を負っていた。
少なくとも今日明日、長ければ一週間は確実に医療施設からは出られないだろう。
そう言えばレアはハヤトがエーアイシンプトンだという事を知っているのだろうか?
火事から二週間が経ち、タイキに乗り移ったサトルはハヤトに連絡を入れてみた。
いつもの集合場所が無くなってしまったし、ハヤトには聞きたい事や話したい事が沢山ある。
携帯電話を手に取りハヤトの番号をタップする。
「……、……。あ、もしもし?ハヤト?」
「あぁ、タイキか?」
「うん。」
「悪かったな、この前は…。タイキ、あの後大丈夫だったか?」
「うん、僕は大丈夫。ハヤトの方こそ大丈夫?」
「あぁ、俺は何ともないよ。」
「レアは?」
「あぁ、その事なんだけど……。今日これからレアの所に行こうと思うんだけど、お前も来る?」
「あぁ、行くよ。」
「じゃあさ、二時に駅前で待ち合わせしよう。」
「うん。じゃあ、後で。」
二時まではまだ少し時間がある。
タイキは駅に行く道すがら花屋に寄って小さな花束を買った。
駅前に付くとハヤトが待っていた。
「よぅ、久し振り。」
いつも通りのハヤトの顔を見てホッとする。
二週間振りなんてそんなに前でもないのになんだか今日は凄く久し振りのような気がする。
「タイキ、色々と俺に聞きたい事もあるだろ?」
「うん。あと、僕も色々話したい事があるよ。」
「そっか、それも含めてまずはレアだな。」
「うん。レアはどうなの?」
「そうだな……。やっぱり俺からどうのこうの話すより、まずは会ってやってくれよ。」
「うん。」
二人で電車に乗り込むと揺られながらハヤトが言う。
「あのさ。俺、今までタイキの私生活の事、あんまし聞いてなかったけどさ、この前の事で思ったんだよな。お前、もしかして医学生か?」
「そうじゃないよ。でも知り合いに医者は多いかな……。」
「そっか。実はレアの家も両親が医者なんだよ。今日はこれからレアの家に行くけどいいか?」
「うん。」
目的の駅からレアの家までは徒歩で向かう。
歩きながらサトルが聞きたかった事をハヤトの方から話してきた。
「この前はさ、なんつーか…。驚いただろ?俺の足の事。黙っててなんか…ごめんな。騙していた訳じゃないんだ。」
「大丈夫だよ。人間誰しも秘密の一つや二つはあるからね。」
「そっか、タイキがそう言ってくれて安心したよ。」
「僕だってハヤトに言ってない事があるよ。」
「ん?」
「僕も何を隠そうエーアイシンプトンなんだ。」
「えっ?マジで?何処の?」
あまりの突然の告白にハヤトが驚く。
タイキは少し躊躇いながらも話した。
「あぁ、でもなぁ…。僕の場合、エーアイシンプトンとしては全く役立たずのハズレくじを引いたみたいな……。笑わないでくれよ?僕は右手の薬指と小指だけのエーアイシンプトンなんだ。」
「へぇ、初めて聞いたよ。珍しいんじゃないか?」
「まぁね。だから何の役にも立たないっていうかさ……。」
「そうか?俺は逆に羨ましいけどな。だって、限りなく人に近いって事だろ?」
「ハヤトだって人だろ?」
「まぁ……そうだけど、そうじゃないよ。」
「えっ?」
「うちの親はさ、エーアイシンプトンは人じゃないって言うんだよ。だから俺をあくまでも一般的な人間として育てたいっていう想いが強くてな。だからエーアイシンプトンだって事をひたすら隠すように言われてきたし、そう育てられたんだ。でも、事ある度にそれを隠すのに苦労してさー。運動会とか体育の授業なんて大変だったんだぜ?ガキの頃なんて能力の調整がホント難しくってさ。」
今となっては笑い話だと笑顔で話すハヤトにサトルは何かは分からないが、強さのようなものを感じた。
サトルの大切なあの人にハヤトは何処か似ている。
「そっか……。ハヤト、大変だったんだな。」
「そうでもないよ。物心ついた時からそんなもんだって育つとさ、意外とそれが当たり前になるもんだろ?」
「そっか……。僕は施設育ちだからよく分からないな…。そう言えばレアはハヤトがエーアイシンプトンって事を知ってるの?」
「いや、知らないよ。今まではせいぜいサッカーが上手いとか足の早い奴くらいにしか思ってなかったと思うけど…。この前の件でいい加減バレたかもな。」
苦笑いしているハヤトにタイキは言った。
「それなら多分、大丈夫だと思うよ。ハヤトが救急車にレアを運ぶ少し前にレアの意識は飛んでいたからね…。」
「そっか、それは不幸中の幸いだな。」
「ずっとレアには隠しておくつもり?」
「まぁな。その方が平和だろ?」
「そう、ハヤトはそう思うんだね。」
「あっ、タイキ。あそこの青い屋根の家、見えるだろ?あそこがレアの家だよ。」
「あぁ、うん。」
歩きながらサトルは思った。
アンチエーアイシンプトンの親に生粋のエーアイシンプトンが育てられるケースもあるのだと。
両親のいない自分には分からない事だが、ハヤトのようにあくまでもノーマルの振りをして生きるよう強いられてまでも肉親の側から離れずに育つ方が幸せなのだろうか?
また、エーアイシンプトンを快く思っていない人間がエーアイシンプトンを育てるというのは、どのような心境なのだろう。
ハヤトがどう思っているかは別としてエーアイシンプトンは間違いなく人間だ。
何でも知っているはずなのに月日を重ねるに連れてサトルの知らない事は増えていく。
青い屋根の家の前まで来るとハヤトが言った。
「タイキ、レアを元気づけてやってくれな。」
「あぁ、わかった。」
インターフォンを鳴らすと小柄な女性が出てきた。
「あら、ハヤト君。いらっしゃい。」
「こんちはー。」
タイキも会釈をする。
「お友達?」
優しそうなこの女性はレアの母親だろう。
雰囲気が少しレアに似ている。
「あぁ、タイキって言うんだ。レアの御見舞いで来てくれたんだ。」
「そうなの?ありがとうね。さ、どうぞ上がって下さい。」
「お邪魔しまーす。」
「お邪魔します。」
慣れた様子のハヤトの後ろを付いて行く。
掃除の行き届いた綺麗な玄関から廊下を少し歩いて二階への階段を登り、奥の部屋の扉の前まで来ると母親が言った。
「娘に会いに来てくれてありがとうね。飲み物用意するわね。」
「ありがとうございます。」
「いいよ。おばさん、そんな気を使わないで。」
「いいのよ。ハヤト君だけだったら何も出さないわよ、なんてね。」
笑いながら冗談を言う母親はレアとそっくりだ。
レアの母親背中が見えなくなると笑顔のハヤトが急に真顔になって小さな声で言った。
「おばさんな、ああやって明るく振る舞っているんだけどよ……。」
「……。」
「まっ、取り敢えずレアに会ってやってくれよ。」
ハヤトがノックをして扉をあける。
「よぅ!レア。タイキが御見舞いに来てくれたぞ!」
ベッドの上でこちらに背中を向けて寝ていたレアがゆっくりと反転して起き上がる。
見た限りは何処にも火傷等もなく、いつも通りのレアだ。
タイキは声をかける。
「レア、久し振りだね。」
ニコッと笑うレアだが、何処か悲しそうな顔をしている。
ピンときたサトルはレアに言った。
「レア、まだ声が出ないんだね?」
笑っていた口元がだんだんと下がると共に下唇をグッと噛んで何度も頷くレアの目からは涙がボロボロとこぼれた。
その姿を見たハヤトがすかさず言った。
「レア、心配すんなよ。親父さんだって言ってただろ?一時的なもんだって。」
するとレアは枕元に置いてあったノートとペンを持ち、何かを書き始めた。
『タイキ君、来てくれてありがとう。急に泣いてごめんなさい。』
それを見たタイキは持ってきた小さな花束を渡しながら言う。
「謝らないでよ、レア。これ、御見舞いの花なんだけど…何処かに飾ってもらえるかな?」
レアは小さな花束を抱えてニッコリと微笑んだ。
その後すぐにレアの母親がお茶とお菓子を持って部屋に現れた。
「これ、どうぞ召し上がってね。あら~、レア。お花頂いたの?良かったわね。ありがとうございます。何処に飾ろうかしらね?」
「ゆっくりして行ってね。」とレアの母親には言われたが、レアの身体の負担を考えたら長居は無用だ。
お菓子を頂きながら少しの時間雑談をしてハヤトとタイキはレアの家を後にした。
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