第3話 善人の世界

サトルがアメーバとのいたちごっこに夢中になっている最中に世の中は少しだけ変化を見せていた。

それはニュースになるとかそういう類いのものではなく、世の中全体で起こり始めた事である。

サトルが善人悪人関係なしにただアメーバに寄生された人間全てに寄生した為に起こった現象だ。


ストレスを感じた後に取る行動をサトルが選択する事により寄生された人間達が平和的な選択肢を選び続けた結果、善人と呼ばれる人間が増え小さな善行が世の中に蔓延したのである。

また、過去に犯罪を犯した者でもサトルの選択肢に沿って生活をするようになった為に周りからは

「アメーバに取り憑かれてから人が変わったようだ。」

などと言われるようになったのである。

ストレスを感じた後に取る行動が以前と変われば、それは当然の結果かもしれない。

例えばストレスが溜まりに溜まり、爆発してしまったとしよう。

ストレスの上手な解消法を知っている人間はともかくとして、その術を知らない大概の人間は怒りや悲しみ、モヤモヤする気持ちに任せて他人を傷つけるか自分を傷つけるか物に当たるか…といった行動に出るだろう。

または、それでも我慢を続けて自分の心身を壊すかだ。

しかし、サトルに寄生された人々はそのようなストレスを感じた後に一瞬で落ち着きを取り戻し、頭の中からストレスが何処かへ消えてしまう。

つまりバットエンドを迎えなくて済むという事だ。

これを繰り返していた為にチップを埋め込まれた人々の心に余裕のようなものが出来て今までならば決してしなかった些細な人助けをするようになったり、ある者は自然破壊を止めようとしたり、またある者は動物虐待を阻止したりと今まで見て見ぬ振りをしていた自らの周辺にある悪と呼ばれるものと向き合うようになったのだ。


一方でチップを埋め込まれていない人間も大多数いる。

彼等もまた、自身の周りに善人と化した人間がいれば少なくともその人間に感化されて見習うようになったりする。

そうする事でチップを埋め込まれていない人間達も少なからず変わりつつあった。

しかし、人間の中には純粋な悪の気質を持った類いの者もいる。

理由はどうあれ日常的な選択肢が結果として悪と認識されるものに繋がる選択しか出来ない者達だ。

彼等の共通点は自分の欲に忠実過ぎるくらい忠実で自身の欲を満たす為には他の存在は皆無だと考えている事とそれをやったらどれだけ他者や周囲が被害を被るといった予測と計算が出来ない者だ。

仮にこのような人間にチップが埋め込まれると残念な事に拒否反応が起きて植物状態どころか即死する。

万が一にそれを免れて目覚めたとしても、後に他者を蹴落としてまでして欲求を満たしたいという強い欲や瞬間的に自制が効かない状態が反発してチップその物がショートしてしまい、結果死に至る。

では、チップを埋め込まれていない悪人はどうするのかと問われてもそれはサトルの知った事ではない。

あくまでもサトルはアメーバ達と闘っているのだ。


拒否反応の件はかなりの人数にチップが埋め込まれてから判明した事実で、世界中の医師や研究者達もどのような人間が拒否反応を示すのかまでは未だに解明出来ていない。

そしてこれからも出来ないだろう。

「新種の病に新しい治療法」

そういったものにそのようなリスクは付き物だと冷ややかに見ている彼等をサトルは知っている。

サトル本人も拒否反応を示す人間が現れるとは予想外だった為に些か驚きはしたが、ようはサトルの選択肢を受け入れられない根本的にサトルとは合わない人間にこのような反応が出るのだと解った時には単純に「へぇ、そうなのか。」としか思わなかった。


Q.自分を拒否されるのはどんな気分?

A.たいした問題じゃない。

Q.拒否反応が出ないチップをつくり直す?

A.必要ない。

Q.拒否反応が出る人間はいらない人間?

A.解らない。

Q.いらない人間が本当にこの世の中に存在する?

A.解らない。

Q.なぜ解らない?

A.自分と合わないだけで、その人達を大切に想う誰かがいるかも知れないから。

また、本当にいらない人間という者も存在するかも知れないから。

Q.では何故、チップを改良しない?

A.アメーバを殲滅する目的としては十分だから。

Q.欲の強過ぎる人間は悪か?

A.解らない。時に欲は向上心にも繋がる。

Q.純粋な悪がなくなった世界を見てみたいか?

A.悪の定義は決まっていないが見てみたい。

Q.他者の欲をコントロールする気はあるか?

A.いいえ。ストレスを解放するだけで十分だ。


自問自答の最中に何でも知っているはずの自身から解らないという答えが出るのは少し不思議な気分だったが何はともあれ、暫くはこの世の中の状況を静観しよう。

今のサトルはすべての人を救いたいのではなく奇病をもたらすアメーバをこの世から消したいと思っているだけなのだ。

まだ巷にはサトルにアラームを送ってくる人間が沢山いるし、そもそもサトルには正義も悪もないのだから。


なんとなく世の中に善行と認識されるものが蔓延るようになってきた頃にこの国ではひとつ、時代が変わるような事が起ころうとしていた。

近く選挙が行われて新しい政府が誕生する。

今この国に於いて公務員のエーアイシンプトンは数年前からチラチラと出始めてはいるが、そろそろエーアイシンプトンの議員が生まれてもいい頃だ。

サトルは自身が教祖の座に就いている教団から身を引く事を考えていた。

何故、それとこれに関連性があるのかは後に記す。


唯一の外出日である宗教団体の集会の日、サトルはこの教団のナンバー2とも言える女性に相談を持ち掛けた。

彼女はこの教団の創設メンバーでもあり、初代教祖の母親だ。

この教団が創設された頃は、今以上に世の中はエーアイシンプトンに対する偏見や差別が蔓延していたので自身の息子がこの先、生きてゆく上で少しでも辛い立場に立たせないようにと創ったものだった。

熱狂的にエーアイシンプトンズに憧れている彼等を束ねて少しでもエーアイシンプトンズが肩身の狭い生き方を強いられている現実を変えたいと思ったのがきっかけだ。

因みに彼女の息子は耳のエーアイシンプトンで、今となっては差別の対象になるどころか生まれ持っての才能を活かして世界的にも名の知れた人気ミュージシャンになっていた。

本来ならば息子がアーティストとしてデビューが決まった時にこの教団を解散させても良かったのだが、せっかく集めて団結しているこの集団をここで解散させるのは勿体ないだろうと彼女の夫がそれにストップをかけたのだ。

元々この夫婦はこの国のとある財閥の一族の者達で人こそがパワーの源である事を熟知していた為にこれだけの集団はいずれ何かの役に立つと踏まえて自分達が運営する研究施設にいた十歳のサトルを二代目教祖に祭り上げたのだった。

サトルは幼くとも教祖としては申し分ない程の能力を信者達に見せ付けて彼等を魅了し続けてきた。


さて、話を戻そう。

ナンバー2の彼女にサトルが言いたかった事とは、

この宗教団体の団体名を変える提案と自身が教祖の座を降りるという事だ。

サトルの提案に驚いた彼女だったが十歳から今までのサトルを見てきた結果、サトルの選択が常に自分と夫の理想を叶えてくれるものだという確信を持っていた為に今回のサトルの提案を快く受け入れたのであった。

そしてサトルには提案がもう一つあった。

自身が教団から退くと同時に新しい団体になるこの集団のリーダーを教団幹部である目のエーアイシンプトンのアイに任せたいというものだ。

「アイ君には少し荷が重くないかしら?」

彼女にそう言われたが、それに対しサトルは

「いえ、そんな事はありません。アイには僕が付いていますから。」

と答えた。

確かにアイはリーダータイプの人間ではなく、どちらかというと二番手、三番手に身を置いて能力を発揮するタイプだ。

でも今後のエーアイシンプトンズの未来を考えたらこのタイミングでこの選択をするのが最適だとサトルは考えた。

「次の選挙でアイをこのエリアの議員にしましょう。」

「えっ?アイ君を?」

「はい、その為に僕は教団から身を引くんです。アイが議員になると同時に事実上この教団を宗教的な団体ではなく、もっと社会的に力のある団体にします。元々この団体が創られた理由を考えたらその方が願望実現の近道ですから。」

サトルの急な提案にナンバー2の彼女は更なる驚きを隠せなかったが、

「そう、分かったわ。サトル君には何か考えがあるのね?夫にも協力してもらいましょう。」

そして選挙当日、アイは他の候補者よりも郡を抜いてトップ当選を果たした。

元教団員と財閥の力が働いた結果だ。

開票のニュースと共に国内初のエーアイシンプトンの地方議員が誕生した。

まだまだ先は長いが、これでサトルもこの国の中枢に一歩近づいた訳だ。


Q.サトルの目的は何?

A.何の目的?

Q.サトルの生きる目的は?

A.考えた事もない。

Q.生きる目的を知りたい?

A.何でも知っている……はずだ。いや、でも生きる目的を知りたいのか……今はわからない。

Q.エーアイシンプトンズの未来は?

A.良くしたいに決まっている。

Q.それが生きる目的というのではないか?

A.違う。僕の人生はもっと違う目的があってもいいはずだ。

Q.では、質問を変えよう。今後、国の中枢に近付いて何がしたい?

A.エーアイシンプトンズの未来の為に……色々な人間を知りたい。

Q.色々な人間を知ってどうする?

A.人間を好きになりたい。

Q.本当にそれだけか?では今現在、人間が嫌いか?

A.わからない。情報が少な過ぎる。

Q.人間を好きになったとして何がしたい?

A.人間を進化させたい。

Q.何故そう思う?

A.今の人間は不完全でマイナスな感情が多すぎるから。

Q.人間に進化は必要か?

A.常に必要だ。恐らく昔から自然と進化はしている。但しそのスピードはとてつもなく遅い。きっと急な進化は混乱を招くから…。

Q.混乱を招く事なく人間を進化させる事は可能か?

A.少なくともチップを埋め込んだ人間に限っては可能だ。


Q.&A.に対してサトルは自身の心中の対話なのにたまに嘘をついて綺麗事を並べている事を知っている。

本心としてはもっと何かを誰かに出来ないのかと考えてはいるが、薄暗いこれは自分自身でも上手く説明出来ない。


エーアイシンプトン初の議員になったアイは急に忙しい日々を送る事になった。

エーアイシンプトンズの施設育ちでその能力の性質上ろくな就職先も見付からず、ルックスの良さだけで街中でスカウトをされてホストをしていたあの頃の自分には想像も出来なかった現実が今ここにある。

目のエーアイシンプトンであるアイの能力は云わずもがなエーアイ搭載型のカメラ機能と同じだ。

望遠ズームや、一度見た物を一瞬で留めるだけではなく多数のカメラを連動させて多方向の映像を同時に見るだけではなく追跡予測や映像をコンピューターにダウンロードする事も出来る。

良くも悪くも歩く防犯カメラのようなものである。

能力の告知義務がある以上、自身の能力を他者に告げるとたちまち警戒されて距離を取られてしまう。

なので十八歳で施設を出た後も就職先が見付からずに苦労をした経験があるのだ。

そんな自分が議員として何が出来るかを考えた時に様々な答えが湧いて出てきた。

それはエーアイシンプトンの自分ならではのものだ。

まずは今現在エーアイシンプトンズに義務付けられている多額の保証金の支払いと年に数回定期的にある強制的な身体検査の撤廃。

それからエーアイシンプトンである事の告知義務とエーアイシンプトンである子供達の為の施設の環境改善や彼等の教育に就職支援……等々。

考え始めるとエーアイシンプトンズが今までどれだけ不自由で迫害されてきたのかが浮き彫りになる。

仕方がないと諦めて考えもしなかった自分に腹が立つくらいだ。

近くサトルに会う予定のアイはこれらの問題点を相談して解決策を仰ぐつもりだ。

サトルならば完璧な答えをくれるだろう。


久し振りに駅から少し離れた場所にある白い建物へと向かう。

施設入口の前に一台の黒塗りの車が停まった。

スラリと背が高く長い髪を後ろで一つに纏めた黒いスーツの男が車から出て来た。

建物の入口で思わずため息が出る。

厳重な警備体制は相変わらずだ。

気を取り直すように襟を整えると受付でサトルへ事前に面談許可を取っている旨を伝えてゲストルーム前まで案内される。

扉をノックすると聞き覚えのある声がした。

「はい、どうぞ。」

扉を開けるとハイロを抱えたサトルが立っている。

いつもの光景だ。

「やぁ、サトル。久し振りだね、ハイロも久し振り。」

笑顔で挨拶をすると、まるで親戚のお兄ちゃんにでも会ったかのように嬉しそうな笑顔のサトルが言う。

「アイ!久し振りだね。元気そうで良かった!」

初めてサトルに会った時の事をふと思い出す。

あの無表情な子供がこんな笑顔で挨拶してくるなんて……何か感慨深いものがある。

「今日はサトルに相談があるんだ。」

「うん。」

「気晴らしに庭でも散歩しながらはどう?ハイロも連れてさ。」

「うん、そうだね。ハイロも連れて行こう!」

たかだか敷地内の散歩なのにサトルは嬉しそうだ。

そしてアイと話すサトルは何処か子供っぽい。

建物の外に出ると抱いていたハイロを当たり前のようにアイに託す。

真夏の日差しがサトルを照らす。

青白い肌に太陽の光が反射してその姿は光を纏ったように見える。

グーっと両手を真上に上げて伸びをしながらサトルは言った。

「今日ここにアイが来た理由は知っているよ。」

「そっか、なら話しは早いね。」

片腕でハイロを抱いてその頭と背中をゆっくり撫でながらサトルの後ろを歩く。

サトルは振り返って強い日差しに目を細めながらアイに尋ねる。

「それで?どこから手を着けていきたいの?」

「うーん、そうだなぁ……。今の俺が手始めにするならエーアイシンプトンズの子供達の為の施設の改善ってとこかな。」

「うん、いいね。あっ、そうだ!アイに渡そうと思っていた物があるんだ。」

「ん?何?」

サトルの手のひらに小さく光る物が見える。

「何?ピアス?」

「うん。アイ、前は付けてたでしょ?」

「あぁ、ホストの時はね。でも何で今俺に?」

「これはさ、議員になったお祝い。それに普通のピアスじゃないよ。これを付けていてくれたらいつでも僕と繋がるんだ。」

「どういう事?」

「仕組みを説明するのは難しいんだ。でも、すごく簡単に言えばアイが僕に何かを伝えたい時とか、何かの答えが欲しいって思った時に僕を強く意識して頭の中で呼び掛けてくれたらすぐに僕に繋がる装置って感じかな。」

「へぇ、便利な物を考えたね。」

「アイ、これからどんどん忙しくなるだろうし、僕と頻繁に会っていたらアイの立場が危うくなっちゃうからね。」

サトルは自身が危険人物認定されている事を知っている。

「そんな寂しい事言わないでくれよ。それに俺の事考えてくれてありがとう。でもサトル、そんな風にエーアイシンプトンを差別する奴らと俺はこれから闘うよ。」

サトルからピアスを受け取り、数年振りに耳に着けた。

「ありがとう。これでいいかな?で、どうやって使うの?」

「うん、頭の中で僕に強く話し掛けてみて。」

「うーん……、……。」

「オーケーだよ。じゃあ、次は僕が応えるね。」

「……、……。お?……なんだ?今のサトルか?」

「そうだよ。繋がったみたいだね。」

「これって、どれだけ離れていてもサトルに繋がる?」

「うん。頭の中で強く僕の事を呼んでくれたらね。それ以外は特に繋がらないから安心して。聞きたい事とか何か困った事があったらいつでも呼び掛けてよ。」

「へぇ、すごいな…。よく分からないけどテレパシーとかってこんな感じなのかな?」

「うーん…それとも少し違うんじゃないかな。超能力の仕組みは僕も良くは分からないし…。」

ピアスを着けたアイをまじまじと見ながらサトルは言った。

「なんか、最初にアイに会った時みたいだね。」

「よせよ。俺、もうオッサンだぞ?」

十年前を思い出しながら二人で笑う。

ハイロを胸元で抱えているアイの姿を見て、ふと大切な人を思い出す。

あの人が今のアイを見たら「すげぇなぁ!」って驚きながら喜ぶだろうな……。


チップを応用して作ったピアスは材料を揃える為に些か苦労はしたが、なんとか思った通りに完成させる事が出来た。

これはアイからのアクセスをサトルがいつでもキャッチし、それのみに反応出来るものでサトルからアイには自在にアクセス出来ないようにした。

大切な友人であるアイのプライベートを守りたいと思ったからだ。

それにアイの脳内へは易々と入り込みたくないと思っている。

アイの頭の中を勝手に覗き見するなんて悪趣味だし、サトルとアイの記憶の中に生きる今はもう会えない大切なあの人が出て来たらサトルはどうしたらいいのか分からなくなる。


一時間程のサトルとの面会を終えるとアイは帰って行った。

さて、あと数日したら事実上の教団最後の集会の日がやって来る。

解散という形を取ったとしてもそれは名前を変えてアイをリーダーとしてこの先も更に大きな集団になっていくだろう。

「エーアイシンプトンズが住み良い世の中へ…。」

アイやその他のエーアイシンプトンズの願いが叶うのもそう時間は掛からないだろう。

サトルにとっては週に一度の大切な外出日がなくなってしまう訳だが、手続きさえ踏めば昔とは違って外出可能なのだからそれでいい。

それに今のサトルは数秒と掛からずに地球上のあちらこちらへと行けるのだ。


サトルが寄生した人間の数が四千万人を越えた辺りから世間ではアメーバに取り付かれたいという奇妙な人間達が現れ始めた。

植物状態に陥るのにも関わらず、それをも厭わないというのだ。

彼等の殆どは所謂セレブと呼ばれる上流階級の者が多く、この国でも上級国民と呼ばれる類いの人間達だった。

基本的に恵まれている彼等はストレスも一般人よりも圧倒的に少なく、とてもアメーバの餌食になるとは思えない。

人間の悩みとして色々なパターンがあるが大抵は時間が解決してくれる。

どんなに辛くても時間が経てばその辛さは徐々に薄れていく。

しかし、時間だけではどうしても解決してくれない悩みもある。

それは重い病気と金銭に関わる悩みだ。

この二つは対処をせずに時間を掛ければ掛けるほど更に悪化するもので一般人はこれらの悩みに遭遇すると強度のストレスを発しやすい。

アメーバに取り付かれた人間が全てこの悩みによるストレスが原因だったかと聞かれたら大きな間違いであるのは事実だが、上級国民である彼等がこのような悩みを殆ど抱える事はない。

つまり、比較的アメーバ達に素通りされる人間という訳だ。

単なる無い物ねだりにしてはリスクも高いのに何故、それを望むのか?

その答えは意外なものだった。

何処からそんな噂を聞いたのか、アメーバに寄生された後に目覚める人間達はある種の進化した人間だとか、チップを埋め込むとチート級の能力が身に付くとか、彼等には未来が見えているのだと信じ込んでいる。

そして自分達もそうなりたいと望んでいるという訳だ。

まぁ、実際は進化というよりも単に脳の数パーセントをサトルに明け渡しているに過ぎないのだが…。

更にチップの拒否反応の事も軽く考えているようだ。

合わなければ命がないというのに、自分はその極少数に該当する訳がないと思っているらしい。


そもそもチップはアメーバに寄生され、植物状態に陥ってしまった人達の為のものであって健康な人間に普及出来る程大量生産可能な物ではない。

それなのに彼等はお金の力でどうにかチップを手に入れようとしているのだ。

こんな人間が出て来ると必ずそれに便乗しようとする人間も出て来る。

最近はチップの複製品と呼ばれる粗悪品が巷で密かに出回るようになった。

当然、その模倣品にサトルは関与していないので、脳の使われていない部分に無駄な異物を入れるだけで何も起こりはしない。

だが本人達は噂話を信じ込んでチップを入れた後の自分に期待を寄せている。

高い手術代を払ってまでして実におめでたい話しだ。

模倣品を作る製造元にそれを売るブローカーと脳に移植する闇医者。

お陰でこれらに関わった者達はボロ儲けをしている。

だが、本物のチップを埋め込んで万が一にも死ぬよりはいいだろう。

粗悪品を作って商売している人間もある種の人助けをしているという現実が非常に滑稽だ。


暫くしてから本物のチップを何処からか手に入れて脳に移植した健康な人間が複数名いたが、残念ながら自身の欲の強さとチップの選択肢が噛み合わずに案の定チップがショートし亡くなった。

それでも未だに健康体にも関わらずチップを欲しがる人間が大勢いる。

ニュースで一連の流れを知ったサトルは、あまりの馬鹿馬鹿しさに部屋の中で一人で笑い転げてしまった。

現在はアメーバもひと通り寄生出来る人間に寄生し尽くし、当初の予測より遥かに下回って終息を見せ始めている。

サトルの勝ちだ。

結果として本物のチップを埋め込まれた人間の数は約八千万人。

地球規模で考えたら少ない人数だ。

また、チップの拒否反応で亡くなった人間の数は数万人。

さて、サトルは一体どれだけの人間を救い、この数字を見て何を思うのだろう。


チップを欲しがる人間達の一件を機に、サトルは以前から思っていた人間の進化について前よりもよく考えるようになった。

もし、本当にチップを埋め込まれた人間を進化させたとしたら?

本人や彼等を取り巻く周りの人間達に違和感を与えないように尚且つスピーディーに進化させるにはどのような方法が最善なのだろうか?

ひとつ、考えているのはその人間が生来持っている才能を開花させるというもの。

人間誰しも何らかの才能を持っている。

それを使わずに生涯を終えるのは可哀想だ。

残念な事に今の世の中では自らの才能に気付かない、または気付いていてもそれを上手に発揮出来ていない人間が大勢いる。

サトルにはチップを介してその人間の脳の情報が全て分かる。

彼等の他者にはない、もしくは他者より優れている能力が潜んでいる脳の回路を少し刺激してやるだけでその人間は自身の持つ才能に目覚めるだろう。

誰かが以前に噂した通り、進化した人間として才能に目覚める人間達はエーアイシンプトンズと差程変わりがないくらい有能だとサトルは予測している。

但し、これはやろうと思えば一日で出来る事ではあるが混乱を招かない為にもそんなに急激に変化させてはならない。

本人の周囲の人間達の心情を考慮して数ヶ月掛ける必要がある。

ある者は物凄いスピードで計算が出来るようになったり、別の者は運動能力が更に向上したり、特殊な音を聞き取れるようになる者や記憶力が向上する者、色彩感覚が変化する者、言葉を操る能力が向上する者に電気に強い者や炎に強い者と人の数だけ多種多様な才能が世の中に溢れるだろう。

そして、様々な分野での過去の記録が塗り替えられて人間達はグレードアップするのだ。

なんて素晴らしい。

八千万人を進化させるのが楽しみだ。

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