追憶

 あれは小学校に入学して間もなくのこと。甲斐が友人たちとワイワイ騒ぎながら下校していた時だ。通学路の途中、道路の隅でしゃがみこみ、何かに話しかける小さな背中。自分たちと同じ、黄色いカバーがかかったランドセル。同じクラスの……名前は萩野 律だったか。


 優しい眼差しと声。整った面差しは色素の薄さもあいまって、浮き世離れした雰囲気をかもし出している。


(すごくきれいだ……)


 犬か猫でもいるのだろうか。自分たちに対しては困ったように微笑むだけで薄い反応しか返してこないのに。


「気持ち悪ぃ」


 面白くない気持ちがぽつりと言葉になって、誰に言うともなく零れてしまった。


「だよな~。あいつ何と話してるんだろ」


「いつも黙ってて何考えてるかわかんねーし」


 棘を持つ言葉が次々と連鎖して、小さな悪意をかきたてていく。いつの間にか律は「いじめていいキモイ奴」のレッテルを貼られてしまっていた。道具箱の中身は抜き取られ、机には糊がぶちまけられる。下駄箱は泥まみれ、上履きは切り刻まれ......


 そんな嫌がらせを受けても律は声を荒げるでもなく、泣くこともなく、ただ淡々と日々を過ごしていた。「こんな連中、目に留める価値もない」と言わんばかりに。


 ある日の下校中、甲斐たちがワイワイ騒ぎながら歩道橋を登ると、ちょうど律が階段を降り始めるところだった。


「あ、ゴミがいる。掃除しよー」


 お調子者が駆け寄って、律のランドセルを思い切り蹴った。不意を打たれた律はそのまま階段の下まで為すすべもなく転がり落ちる。足を捻ったのか、立ち上がることもできない律を悪ガキどもは嘲笑った。甲斐はあまりのことに呆然と立ち尽くすだけで言葉も出ない。


「ふぅん、君たちはこういうことをするのが愉しいんだ」


 はやし立てる悪ガキどもに、皮肉すらこめずに淡々と放たれた言葉はその場の空気を凍りつかせた。


「なんか白けた。こんなやつほっといて帰ろーぜ」


 逃げるように去る悪ガキどもには見向きもせず、律は歩道橋の上で立ち尽くしたままの甲斐を無感情に見た。


(違う、俺はそんなつもりじゃなかった)


 何か言わなければと思うが、舌が凍り付いたように声が出ない。甲斐はくるりと踵を返して無我夢中で走り去った。

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