第32話不死身青年と旅人童女の追憶XIV

「若桐」


 通話を切った後、海辺を歩く若桐に近づいて、僕は彼女を呼び止める。


 そして呼び止められた若桐は、小さく進めていた歩みを止めて、静かにコチラを振り返る。


「......」


「......若桐、お前......」


 けれど振り返る彼女の瞳には、戸惑いや不安や焦りという類のモノはなくて、代わりに、何かを決めた様な......そういう類のモノがあった。


 そしてその瞳のまま、彼女は言う。


「荒木さん、もう......やめましょう......こんなこと......」


「えっ......」


 こちらを見つめる彼女の瞳には、薄っすらと涙膜るいまくが張られていて、けれどそれを、決して僕の前では溢していけない様にしている彼女は、僕から視線を逸らして、言葉を紡ぐ。


「ごめんなさい。こんなに付き合わせてしまって......勝手なことを言っている自覚はあります。でもこれ以上......こんなことをしても、もう意味がないんだって......わかってしまって......」


 そう言いながら、今まで見たことがない様な、強く自らの拳を強く握りしめている彼女のその姿は、その小さな姿には似つかわしくないほどの、静かな苛立ちを孕ませていた。


 そしてそうなると、やはりここに来ても、此処まで来ても、彼女は何も思い出すことが出来なかったのだろう。


 そう思いながら、僕は言葉を選びながら、彼女に言う。


「そんな......また違う場所に行けば、今度こそは何か思い出せるかもしれないだろ?まだ行けていない所があるなら、そこを訪れてから結論を出してもいいんじゃないのか?」


「......」


「......それに今更、そんな気を遣わないでくれ。僕だって乗りかかった船だ。ちゃんと最後まで若桐に付き合うつもりで......」


「違うんです!!」


「えっ......?」


 言い掛けた僕の言葉に対して、彼女は顔を横に振って、僕の言葉をハッキリと、食い気味に否定した。


 そしてそんな彼女の言葉に、彼女の様子に、少しばかり驚いていると、若桐は静かに、言葉を続けた。


「......違うんです。荒木さん......思い出せなくて、こんなことを言っているんじゃないんです。むしろ逆なんです......」


「逆って......?」


「全部、思い出したんです......」


 そう言いながら、溜めていた涙は、とうとう若桐の瞳から零れ出した。


 しかしそれでも、彼女はもうその顔を俯かせることなく、真っ直ぐに僕の方を見る。


 そしてそんな彼女の髪を、海辺の風は少しだけ、強く靡かせるのだ。



 海辺近くの喫茶店に入って、相対する様に座って、店の中の静けさに、少しばかりのバツの悪さを覚える僕と、配膳されたお茶を少しづつ口にして、落ち着きを取り戻していく若桐の姿が、そこにはあった。


 そして外が暗くなり始めた頃に、落ち着きを取り戻した若桐が、静かな口調で......けれど、たしかな声色で、話し出す。


「思い出したのは、最後の部分です。最後の......あの人との別れの景色です。暗かった......早朝で、兄があの人に付き添って......あの人は船で何処かへ行くために、港に居たんです」


 そう言いながら彼女は外を眺める。


 彼女が眺める視線の先には、さっき僕と話していた海辺ではなく、そのさらに先にある港があった。


 思えば、さっき若桐が僕に対して、振り返りながら話したとき、彼女の両足は、小さく震えていた。


 そしてそんな彼女の姿を見て、僕は彼女の『思い出したんです』という言葉の裏が、その言葉の重さが、彼女が思い出したその部分の、彼女の人生にとっての重要性が、なんとなく、わかってしまったのだ。


 そんな部分に対して、僕は彼女に尋ねる。


「それで......若桐はどうしたの......?」


 その僕の尋ねた言葉に対して、若桐は静かに、言葉を返す。


「私は......さよならを......言うつもりだったんです」


「うん......」


「でも......言えませんでした。あの人の言葉に対して、ただ頷くばかりで......俯くばかりで......何も言えなかった......」


 そう言いながら、目の前にあるお茶をまた手に取って、口にする。


 そういえば夢の中の彼女が、その人には何も言えないまま見送ったと、そういう風に言っていた。


 夢の中の......


 アレ......?


 そこでなんだか、変な感覚が僕を襲う。


 変な感覚というか、違和感というべきだろうか......


 そういえば今日の朝、相模さんが何か言っていた様な......


 そんな風に、唐突に降って湧いた様な違和感を拭いきれずに、鈍い思考を巡らせていると、僕の目の前に座る彼女の表情に、少しだけ光が灯る。


 すると途端に、彼女は外の景色に目を奪われて、ポツリと呟く。


「すごい......キレイ......」


 その彼女の呟きに、僕も釣られて視線を動かす。


「あぁ、ほんとだね......」


 そう言いながら、僕の視線も彼女と同様、外の景色に奪われるのだ。


 夏の夜空を彩る花々が、ガラス越しに咲いていた。



 店を出て、夜道を歩いて、宿に着いて、寝床に着く前に、通話する。


 時間は、もうかなり夜が深い頃だけれど......


 しかし正直こんな時間だろうと、これからする通話の相手には、そこら辺のことを気にしなくてもいい。


 どうせ向こうも、そういうことを気にする様な人ではないし、そもそも向こうは、僕に対してそういうこと以上のことを、気にしていない。


 ほんとうに、ムカつくほどに......


「まったく君は......昨日の今日ならぬ今日の今日で、しかもこんな夜更けに連絡を寄越すなんて、時間帯が少しばかり極端じゃないかい?」


 今朝と同様、ワンコールで通話に応答したその人物は、電話越しでもわかる程の微笑を含んだ声色で、さながらこちら側の情報を、僕が話す前にある程度知っていて、それらを全てからかう様な声色で、そうわざとらしく、嘯いた。


 そして僕は、それに対して些か辛辣に、しかしこれから彼に相談するのだから、あまり感じが悪い様にはならないように、言葉を返す。


「......いきなり、真人間みたいなことを言わないで下さいよ、相模さん。どうせこうなることも、全部知っていたんでしょう?」


 そう言いながら僕は、目の前の、力なく横たわる若桐の方を見る。


 いくら幽霊であろうと、今の彼女なら、流石に疲れたのだろう。


 あれだけの距離を往復して、自分が忘れていた記憶と向き合って、あれだけ感情豊かに今日一日を振舞えば、消耗するのも仕方がない。


 そんなことを考えながら、彼の返答を待っていると、少しばかりの間を置いた後に、鼻で笑いながら彼は言う。


「......まぁ、その通りだけれどね。どうしたんだよ、荒木君。まるで何かに気付いたかの様な、そんな風に聞こえるぜ?」


 その言葉の後に彼は、僕の返答を待っている。


 やはりそんな彼の言い回しは、そんな彼の、僕に対しての間合いは......


 すべてを知っているが故の、そういうモノなのだろう。


 だから僕は、きっと彼からしたら期待通りの言葉を、そのまま吐き出す。


「えぇ.....その通りですよ。でもそれが妥当な答えなのかは、やっぱり僕としても自信が無いので......その僕の見解が、僕の解答が正解なのか、それを相模さんに判断して欲しくて、こうしてこんな時間に連絡を寄越したんです」


 そう言うと、やはり彼は笑いながら、こう返すのだ。


「ハハッ......そうかい。謂わば答え合わせだ。いいよ、聞いてあげる。でもその君の見解が正解なのか、たぶん僕は保証出来ないよ?」



 相模さんとの通話を終えて、しばらくしてから僕も寝た。


 けれど、布団に入ってもまだ、すぐには眠れない。


 当たり前か......


 これはたぶん、少しだけ興奮しているのだ。 


 なんせ僕が、相模さんに話した僕の見解は、相模さん曰く、概ね正解だろうと、少なくとも妥当であると、そう保証してくれたからだ。


 これで、ずぶの素人の見解は、専門家のお墨付きという進化を遂げた。


 でもそうなると、正直それだと......


 やはり今回のこの一件は、面倒なコトこの上ない。


 もしも自分がその立場なら、恐らく憤怒するだろうし、もしかしたら危うく、殺してしまうかもしれない。


 なんせ若桐は......


 この隣で小さな寝息を立てている少女は、やはり可愛いのだから......


 そんな風に思いながら、僕もいい加減、目をつぶる。


 そうすればきっと、なんだかんだ言いながら、すぐに眠りにつくだろう。


 いいや、正しくは、引き込まれると、そう言うべきだろうか......



「......」


 案の定、目をつぶって少しして、意識が遠くなる感覚に身を任せていると、目の前には見覚えも、身に覚えもある様な、綺麗な砂浜が映っていた。


 あぁ、やっぱりか......


 そんな風に思いながら、少しだけ砂浜を歩いて、僕は彼女の声を待っていた。


 そしてそれは、割とすぐに、僕の耳に届くのだ。


「荒木......さん......?」


 声のする方へ振り返ると、そこにはやはり、浴衣姿の若桐が、立っていたのだ。


 けれどその彼女の姿に、僕はなるべく落ち着いて、言葉を返す。


「やぁ、若桐......また会えたね......」


 そう僕が言うと、彼女は少しだけ戸惑って、しかしその後すぐに、いつも通りの彼女の表情で、僕に言葉を返す。


「ほんと......まさかまた会えるなんて、思いませんでした......」


 そう口にして、コチラをジッと見つめる彼女の顔は、やはりとても綺麗で、こんな景色と相俟ってしまうから尚更、目もくらんでしまうのだ。


 だから僕は今日まで、気が付かなかったのだろう。


 だから僕は、今目の前にいる若桐が、現実で僕と行動を共にしている、若桐薫と、まったくの同一人物であると、そう思い込んでいたのだ。


 そんな風に、自分の今までの行動を振り返りながら、反省しながら、僕は言葉を、目の前の彼女に返す。


「そうかい.....でも僕は、今日なら君と、また会えると思っていたよ......だって......」


 そう言いながら、僕は目の前の彼女に、言い放つ。


「だって君は、僕の知っている、若桐 薫(わかきり かおる)では、ないんだから......」


 そしてその言葉の後に、僕は目の前の彼女に問う。


「君は、一体誰なんだい......?」


 その僕の言葉の後に、目の前の彼女は静かに、けれどたしかに、不気味に口角を上げるのだ。


 まるでそう問われることを、望んでいたかの様に......



 不気味な笑みの後は、普通の対応だった。


 とりあえず、座って話が出来る場所を探そうと、そういう事になったから、少しだけ歩いて、腰を落ち着ける場所を選んだ。


 まぁ夢の中だから、疲れたりはしないんだろうけれど......


 そして座れる場所に、隣同士で双方腰を下ろした後に、その話は口火を切った。


「それで......いつから気付いていたの?」


 そう言いながら、姿は変わらず若桐のまま、しかしそいつは、僕の知る若桐ではないそいつは、もう何も繕う気がないのだろう。


 言動や仕草が、まるで違うそいつが、姿はそのままに、僕にそう尋ねる。


 そして僕も、そいつとは初めて話す訳ではないけれど、そう意識して話すのは今が初めてだから、他人行儀な言葉に変えて、その問いに答える。


「気付いたのはまさに今日です。最後に立ち寄った喫茶店で、若桐が言ったんですよ。全部思い出した。自分は大切なあの人に、最後何も言えなかったって......でもその内容って、もしも現実の若桐と、今僕の目の前に居るアナタが同一人物なら、本当はもう既に、思い出していないとおかしいんです......だってそれは......」


 そう言い掛けたところで、目の前の若桐は、まるでその後の僕の言葉を見透かしていたかの様に、その言葉を口にする。


「それは俺が、この前ココで、そう話したから?」


「......」


 寸分違わない、一人称すら繕わなくなった若桐のその言葉で、とうとうそれは確実になった。


 だから僕は、その彼の言葉に対して、少々戸惑いながらも、肯定する。


「えぇ......そうです......」


「やっぱりなぁ......喋り過ぎたと思ったんだ、あの時......」


 そう言いながら彼の、悔しそうに頭を掻くその姿に、少しだけ笑いそうに

なりながら、僕はそのまま彼に言う。


「でも、その状況を知っている人間が、実は三人居たことを......そんな事実を、僕は今日初めて知りました。それにアナタなら、細かい若桐の仕草や言葉遣いを知っていても不思議じゃないって、そう思ったんです。だって、家族なんですから......」


 そう言った後に僕は、隣に座る彼に対して、視線を向けながら、最後に確認の意味を込めて、彼に尋ねる。


「そうなんですよね、お兄さん......」


 そう言いながら僕は、隣の彼の目を、ジッと見る。


 すると彼は、僕から視線を逸らして、こう応えるのだ。


「お前にお兄さんと言われる筋合いはない......」


 なるほど、どうやら本当に、そうらしい......



 頭を抱えて、ため息を吐きながら、彼は言う。


「俺だって嫌だったんだ......妹のあんな辛そうな姿を見るのは......しかもあの後、流行り病で死んで、結局奴には会えず仕舞いさ......そんな可哀想な話無いじゃねぇか......」


 そんな風に、妹のことを想う彼の言葉は、悲痛に満ちていた。


 けれどそんな彼に対して、僕は少しだけ怒りながら、彼に言う。


「だから若桐を、熱海に閉じ込めたんですか......」


 その僕の言葉に対して、彼は少しだけ、バツが悪そうにしながら、目の前に広がる海を見つめて言う。


「あぁ......そうだよ。そうしないと、アイツはまた泣くことになる。妹はあんな風に見えて、決めたことはやり切る頑固な奴だ。でもその時、傍に誰も居てやれない。死んだ後、どういう訳かアイツだけ、ずっとそのまま、取り残されたみたいになっちまってて......俺も傍に居てやれない。だからそうしたんだ......」


 その彼の言葉に、僕は少しだけ驚いた。


 彼はきっと、知らないのだ。


 若桐が異人化したことを、そしてそうなった理由が、自分のその行動が、要因の一部であることを......


 浮遊霊となった若桐を、もしも閉じ込めなかったら......


 一人でも、その記憶を思い出させてやれば......


 泣くことになるかもしれないけれど、でもそれで、こんな長い間、彼女が彷徨うことにはならなかった筈だ。


 そう思いながら、僕はそのまま、彼に問う。


「じゃあ、どうして僕に、あんなことを......?」


 そう言うと、彼は僕の方を見ながら、淡々と言う。


「お前は、どういう訳か薫のことを認識できるからな......あまり認めたくはないが、仲も良さそうだった。だからアイツが泣いた後に、お前なら何とかしてくれると、そう思ったんだ」


 そう言いながら、彼は僕のことを見る。


 けれどその後に、睨みを利かせて、言葉を続ける。


「まぁ、その後は結構、仲が良過ぎるくらいだったけれどなぁ......」


「......まさか、ずっと見ていたんですか?」


「さぁ......どうだろうなぁ......」


「......」


 ここは、いっそのこともう、土下座でもするべきだろうか......


 そう思って黙っていると、彼は僕に聴いてくる。


「俺の妹、かわいいだろ?」


「......」


「......おい、なんとか言えよ?」


「......はい、可愛いです」


「......」


「......」


 なんなんだ、この地獄の空気は......


 悪い夢なら覚めてくれ、ほんとうに......










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