第31話不死身青年と旅人童女の追憶XIII

 その日の夜、寝床に着いてからしばらくして見た夢は、悲痛なモノだった。


 身体中が、まるで鉛で出来ている様に重く、炎で焼かれている様に熱く、それでいて、そんな自分を見届ける者は、きっと家族なのだろう。


 多くは居るけれど、その中に一番傍に居て欲しかった人間が居ない現実が、堪らなく悔しくて、悲しい。


 けれどそんな心境を知る由もない、傍に居てくれる誰かが、自分の手を取って、何か話す。


 けれど音は、少しづつ擦れて、まるで水の中に居る様な、そんな感覚で......薄れていく感覚は、だんだんと、その体温を奪う様に冷たくなって......


 夢の中にしては、あまりにもその生な感覚と心境が、僕をどうしょうもない程に、理解させた。


 あぁ......そうか......


 ほんとうに死ぬ間際というのは、こういうモノなのか......


 不死身の異人である僕は、幾度となく殺されはしたけれど、死ぬことは出来ない僕が、恐らく今のままでは一生、こんな一生が続く限りは永遠に、縁がない様な、そんな感覚。


 重苦しさと、熱さと、悔しさと、怖さと、冷たさと......


 そんなモノ達がまるで、渦を巻いて一つの化け物に姿を変えて、自分のことを食い荒らしている様な......


 そんな感覚だった。



 朝、目が覚めると、見知らぬ天井に視線を向ける。


 布団から身体を起こして、正面に視線を向けると、もう身支度を整え終えた若桐の姿が、そこにはあった。


 布団から身体を起こした僕に気が付き、彼女は言う。


「あぁ、おはようございます。荒木さん」


「......」


「荒木......さん......?」


 そう言いながら、俯く僕の顔を覗き込む彼女を、僕は何も言わずに、静かに抱き寄せた。


「えっ、どうしたんですか......」


「......」


「......荒木さん、震えてますよ......?」


「あぁ......大丈夫......大丈夫だよ......」


「えぇ......あんまり大丈夫そうじゃない様に見えますけれど......何か怖い夢でも見ましたか?」


 そう言いながら、小さな身体の彼女のことを抱き寄せる僕の背中を、まるで大人が子供をあやす様に、トントンと叩く。


 そして叩きながら、「もう大丈夫ですよ」と、彼女は言う。


 あんなことを経験したはずの彼女が、あんな夢を僕に見せた筈の彼女が、こうして情けない姿を晒している僕のことを、慰める。


 そんな彼女に対して、抱き寄せていた身体を静かに戻して、僕は言う。


「いきなり、ゴメン......おはよう......」


 身体には、彼女の冷たさが、たしかに残っていた......



 朝の身支度もそこそこに、若桐には少しだけ時間を貰って、僕は部屋を出て一人、廊下の隅っこに突っ立って、大いに気は進まないけれど、ある人に電話を掛けていた。


「やぁやぁ、おはよう。元気かい?」


「......えぇ、おはようございます」


 ワンコールで出やがった......


「なんだい?珍しく君から電話してくれたと思ったら......その様子だと、あまり元気そうではないようだね~」


「えぇ......まぁ......あの、相模さん、訊きたいことがあって電話したんですけれど、今大丈夫ですか?」


 そう僕が言うと、その僕の言動に、多少なりとも戸惑ったのだろうか、少しばかり不思議な間を置いて、彼は言った。


「あぁ.....いいよ。こんな朝早くに何かあったのかい?」


「いいえ......何かあったっていう訳では無いんですけれど.....」


 そんな風な言葉を皮切りに、僕は昨日の夢の話と、それを見せているであろう若桐本人には、おそらくその自覚がないことを、彼に説明した。


「あぁ......そうかい。もうそこまで状況は進んでいるのかい......あー思ったより早かったなぁ......」


「どういう、意味ですか......?」


 その僕の問いに対して、電話口の向こうに居る相模さんは、また少しばかり、しかしさっきとはまるで、違う意味合いの間を置いた後に、彼は言う。


「前にも話したと思うけれど、旅人の異人の特徴は、その存在だ。人の形をしているけれど、元は人間ではない。姿形がそれなら、そうなるってことだ」


「はい......それは前にも聞きました......」


「うん......けれどその後は、謂わばケースバイケースなんだ」


 そう言うと、相模さんは少しだけ考えた後に、言葉を続ける。


「つまり......それを自覚できる場合と、自覚できない場合。その二通りになるんだけれど......荒木君から聞いた話によれば、残念ながら後者だろうね......周りにそこまで影響が出ているのに、彼女はそれに気付いてすらいない」


 そう言われた後に、けれど僕は、自分の引っ掛かっている疑問を、相模さんに投げ掛ける。


「えぇ......でもそれだと、変なんですよ......だって僕と若桐は、一度夢の中で話しているんです。しかもその後現実で会って、今こうして行動を共にしている。何の前置きも無しにです」


 そう、若桐と夢の中で会って、その後に現実で会ってから、僕と彼女はこうして行動を共にしている。


 しかもそれ以前に現実で、今回のこの旅の彼女の目的を、彼女と共有はしていない。


 それなら彼女が、僕に夢を見せていることに自覚的でないのは、矛盾が生じることになる。


 そう思いながら、電話口の向こうに居る、相模さんの言葉を待つと、彼は考えているのだろうか、ゆっくりと僕に言う。


「たしかに、あの朝食の時に、そんなこと言ってたよね。そうか......それに関しては、その子も覚えているんだね......」


「はい......そうだと、思います」


「でもそうなると、もしかすると話は、より厄介な方に転んでいるのかもね」


「厄介な方って......?」


 そう僕が尋ねた後に、相模さんは僕に問う。


「つまりさ、その夢で会った女の子って、ほんとうに若桐ちゃんなのかい?」



 相模さんから尋ねられたその言葉に、僕は答えを持ち合わせているはずだった。


 だってあの時交わした言葉は、他の誰でもない、彼女自身のそれだったと、そう確信していたから......


 けれどいざ、あんな風に訊かれてしまうと、ほんとうにそうだったのだろうかと、そんな風に、疑心暗鬼に陥ってしまう。


 疑心暗鬼......


 もう既に、暗い場所で吸血鬼に出くわしたことのある僕が、こういう事態に対して、こんな風に疑いの目を向けるのは、これから先に起こる事の予防線として、悪くはないことなんだろうけれど......


 でも、なんだろう......


 少しばかり、前の二件に比べて今回は、琴音や柊の時と比べて今回は、やたらと惑わされている様な、そんな気がする。


 そんな風に思いながら、僕は前を歩く若桐を、ジッと見つめる。


 昨日同様、彼女が行かなくてはいけないと、そう感じているところに、何の疑いも持たずに、僕は付いて行く。


 そうすることを、昨日の段階でもう既に決めているから、それに関しては一向に構わない。


 現時点で恐らく、あり得ないくらいの距離を歩いていると思うけれど、それでもやはり、僕は彼女に付いて行くことを決めている。


 不死身故に、人間だった時より少しだけ、疲れにくい気もするし......


 でも、構わないわけにはいかなくなってしまったことがあるのは、事実だ。


 今朝の電話の終わり掛けに、相模さんは口にした。


『昨晩、荒木君が見たという夢の話、それは正直に言ってしまうと、かなりまずい。なんせ、本人にその自覚が無いのに、他人に影響を与えてしまっているからね......今その影響を受けているのは、不死身の異人である君だけだから、わからないかもしれないけれど、放っておくと、何にも関係ない一般人にも、無意識にその影響を与えてしまうことになるだろう。そうなるとどうなるか......最悪の場合、その影響を受けた者は、その現象を切っ掛けに、異人に成り果ててしまうかもしれないねぇ......』


 そう言った後、わざとらしく笑いを含んだ声で、彼は続ける。


『まったく......そうなって来ると恐ろしい話だよね。悪夢を見て、朝目覚めたら、人間ではなくなっていた......なんて......』


 そう最後に言い残して、彼は電話を切った。


 性格がやはり悪い相模さんは、そういう言葉を残して、切りやがるのだ。


 そしてそんな彼の、最後の言葉に対して、僕も思う。


 まったく、悪い夢であってくれ......と......


 時刻経過......


 相模さんとの通話を終えた後、泊まっていた宿を出て、僕と若桐はただひたすらに、見渡す限りの自然の中を歩いている道中この頃。


 見透かされていたのだろうか、相模さんは予約時に、今日も宿泊出来るようにしてくれていたらしいから、荷物は宿に置いたまま、必要最低限のモノだけを身に着けて、僕は若桐の後を追っている。


 けれどもう、一体どれほど歩いたのだろうか......


 時間にしたら、宿を出たのは朝の八時頃で、今が十時。


 二時間くらいは休憩も無しに、ぶっ続けで歩いているんだけれど、どういうわけなのか、全くと言っていいほどに、疲れない。


 まぁ体質的に不死身になってしまっている今の僕だから、もしかしたらそれは、それほど不思議なことではないのかもしれないけれど......


 しかしそれを差し引いても、慣れない道を立て続けに、二時間以上も歩いて、全く疲労感を感じないというのは、やはり些か、奇妙な感覚になってしまうのだ。


 しかも周りはどんなに歩けど、見渡す限りの大自然で、ほとんど景色が変わらないモノだから、やはり疑ってしまうのだ。


 今この状況が、実は全く現実ではなくて、実は僕も、若桐と同じように幽霊になっていて、本体の方は今もなお、宿の中で眠っている......みたいな......


 そこまで考えて、流石にそれはないと、思い直す。


 だってもしもそうなら、僕は今現在、死んでいることになるじゃないか。


 大前提とするのは本来おかしな話だけれど、僕が不死身の体質である以上、死ぬことが出来ない以上、それはあり得ない。


 死ねないのだから、幽霊に成り様がないのだ。

 

 けれどそこまで考えて、生き霊という説もあるのかと、そんな風に思い返す。


「あの、荒木さん......あの......」


「えっ......」


 そんなことを考えている途中、前を歩いていた若桐が振り返り、僕のことを呼んでいた。


 物思いに耽っていたからか、少しばかり反応が遅れてしまう。


「ごめん、考え事していた......何かあった?」


「えぇ......その......もうすぐ目的の場所に到着するんですけれど......その......」


 そう言いながら、歩みを止めて俯く彼女に、僕は静かに尋ねる。


「......どうしたんだよ、そんな浮かない顔して......」


「なんだか、恐いんです......昨日みたいに、思い出したくても思い出せないことが......何かがわかりそうで、結局何もわからくなってしまう様なあの感覚が......恐い......」


 そう言いながら、もう少しで着く筈の目的地の目の前で、その先を踏み出せないでいる彼女の姿は、幽霊にしてはあまりにも、人のそれだった。



 そんな彼女に対して、昨日と同じように『大丈夫だよ』と言うのはなんだか......あんな夢を見た後に、昨日と同じ言葉を彼女に掛けるのは、それはなんだか違うような気がした。


 だからだろうか......僕は彼女の頭を撫でで、けれど昨日とは違った言葉を、なるべく優しい声色を意識して、彼女に言う。


「でも......ここで立ち止まっていても、何も始まらないだろ?それにもしかしたら、何かわかるかもしれない。ダメだった時のことを考えて前に進まないのは、今までのことに対しても、慰めにすらならないよ」


「......それは......そうですけれど......」


「大丈夫、きっと何かわかるよ......」


 そう言いながら、たじろいでいる彼女の手を取って、僕はその先に歩みを進める。


 結局最後は、昨日と同じ台詞を言ってしまったけれど、しかしそれでも、昨日よりかは幾分、中身の伴っているモノだと、僕は自覚している。


 彼女のことを何も知らないままに、「大丈夫」という言葉を彼女に向けるのは、とても建設的な言葉とは思えない。


 まぁでも、僕も夢で見た以上のことを、あの時に若桐が教えてくれたい以上のことを、僕は彼女について、まだ知らないのだけれど......


 何はともあれ、こうして進んだ先の景色は、今までの山林は何だったのかと思う程に広がる、大きな海岸だった。


 海......か......


 あぁ、そういえばそうか、若桐と会う時はいつも、傍らに海が見えていた。


 そうなるとこれも、偶然ではなく、必然だのだろう。


 彼女が探しているモノが、こういう場所にあることは、それらを思い返してみれば、当たり前のことなのだ。


 そう思いながら、潮風が靡く景色に視線を奪われていると、傍らに立つ若桐が、ポツリと呟く。


「ココ......知っています......」


 そう言いながら、僕の手から離れて、海岸沿いの道路に向けて、ゆっくりと歩く彼女の姿は、さっきまでの怯えていた様子とは打って変わって、次第に足早に、歩く速度は早める。


 けれどその先は、さっきまでとは違って、もう目と鼻の先程度のモノだから、僕は慌てることなく、彼女の後をゆっくりと追う。


 天気が良かったのは、幸いだった。


 もしも雨が降っていたら、ココにこうして辿り着くのも大変だっただろうけれど、着いてからも苦労しただろうから。


 そう思いながら、僕も海岸へと近づいて、彼女の後を追う。


 するとその場所に着きそうなタイミングで、朝以降動きを静止していた端末が、震え出したのだ。


 あまりにも、良いタイミングで......



「......なんか呆れたわ......ほんとうに......」


「......」


 震えていた端末の向こう側から、近況を報告した後に浴びせられた言葉は、想像していたそれらよりも幾分、冷たさと鋭さを孕んでいた。


 まぁ画面に柊の名前が出ていた時から、それはある程度覚悟していた。


 でも意外だと思ったのは、このタイミングで電話を掛けて来た相手が、柊だったことだ。


 こんなにも見計らった様なタイミング......

 

 相模さんでなくても、実は僕の行動を監視していた専門家の類とか、そういうのではないかと、一瞬警戒してしまった。


 それならまだ、例え冷たくとも柊の方が、幾分どころか随分とマシである。


 そんな風に、少しだけ安堵していると、変わらずの口調で柊が言う。


「貴方が宿泊している所、あの人から聞いているから、尚更ね......」


「どういう意味だよ?」


「その宿から、今貴方が居る場所って、普通歩いて行くような距離じゃないのよ。車か、それに準ずる交通手段で行くような所なの......それを、いくら不死身だからと言っても、歩いて行けるなんて、なんかもう、恐ろしさを通りこして呆れたわ......」


「......恐ろしさの先に呆れが実在するのかは置いといて、まぁ遠くまで歩いている自覚はあったんだけれどなぁ......でも不思議と疲れてはいないんだよ」


 そう言うと、電話の向こう側に居る柊が、ため息交じりに言葉を返す。


「疲れてはいなくても、憑かれてはいるでしょう。そんな行動をしている時点で、もうだいぶ異常よ......まぁ、貴方が正常だったことなんて、出会った時からなかったけれど......」


「......」


「相模さんから、伝言。もういい加減、決着をつけないとマズいそうよ」


「......それは、どうマズいんだよ......?」


「貴方が今朝、あの人に話したんでしょ?その状況が、本来ならもうかなり危ないのよ。無自覚に他者に影響を与えている時点で、いつ本当に無関係な人を巻き込んでもおかしくないって......だから今日中、遅くとも明日中には、決着を着けて欲しいらしいわよ......?」


「明日中にって......そんな......」


 そう言いながら僕は、視線の先に、浜辺を歩く若桐を写して、どうすればいいのかを考える。


 しかしそんな僕に対して、柊はまた呆れながら言うのだ。


「今日中という選択肢はないのね......まぁそれならとりあえず、今日は夜までそこに居るといいわ......」


「えっ、夜まで?なんで......?」


 そう言いながら耳を澄ますと、鋭い言葉が、冷たく返される。


「知らないの?夜の海って、恐いのよ......」


 その言葉を最後に、電話は切られる。


 いや、お前が怖いよ......ほんとうに......




 


 





 


 


 

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