第30話不死身青年と旅人童女の追憶Ⅻ
時刻経過......
伊豆での一日目の行動を終えようとした頃、僕の携帯電話が鳴った。
「はい......」
「やぁやぁ、荒木君。その後、調子はどうだい?何か進展はあった?」
「えぇ......まぁ......それなりに......」
そう言いながら僕は、何処かも分からない道路の道すがら、バス停のベンチに、若桐と二人、並んで座っていた。
電話口の向こう側は、笑いを含んだ声で、言葉を返す。
「あまり芳しくなかったようだねぇ......まぁでも、そんなに気を落とすことはないよ。難しいことをしようとしているんだ。焦らない方がいい......」
「......そうですね、そうします」
「それはそうと、今日の宿はもうお決まりかな?」
「えっ......あっ、いいえ。これからバスで街に出て、今夜の宿を......」
そう言い掛けた所で、電話口の向こうは僕の言葉を遮る様にして、再び笑いを含んだ言葉を返す。
「おいおい、それはいくらなんでも無謀だよ。伊豆は観光地だろ?」
「観光地でも、ネカフェとかあるじゃないですか。最悪そういう所でも......」
「君はそれでいいのかもしれないけれど、彼女は違うだろ?」
「えっ......」
その言葉で、僕は隣に座る若桐に視線を向ける。
そしてそんな僕を見透かしている様にして、電話口の向こうは、言葉続ける。
「君一人なら、僕だってそんなこと言わないさ。でも君の隣には、居るんだろ?」
「はい......居ますよ」
「それなら、そんなことはしない方がいい。ちゃんとした所で、ちゃんとした食事と寝床がある場所で過ごすべきだ。そうだろ?」
そう言いながら、僕のことを見透かした声色は、僕の言葉を待っていた。
「......そうですね、その通りです」
言いながら僕は、隣に座る彼女から視線を外す。
彼の言葉が、嬉しかった。
だって彼の言葉は、まるで僕や若桐のことを、ちゃんと一人の人間として考えている様な、そういう言葉に思えたから。
けれど油断してしまうと、涙が流れてしまいそうになるから......
だから僕は、彼女から視線を外したのだ。
そんな僕に対して、彼は言葉を続ける。
「大丈夫、ちょうど後五分ほどかな、バスが来るだろうから、終点まで乗って行っちゃってよ。それでそこからまた五分ほど歩いた所に、少し古いけれどいい宿があるから、そこに泊まるといい。大丈夫、もう予約はしてあるから」
「......相模さん」
「なんだい?」
「やっぱり、ちょっとキモいです」
その言葉を最後に、僕は通話を切った。
その後すぐに、本当にバスが来たのだから、やっぱりそう思うのだ。
通話を終えた後に乗り込んだバスには、乗客は誰も居なかった。
まぁ恐らくここら辺では、この時間帯に乗り込んで来る客の方が、珍しいのかもしれない。
だって周りには、ほとんどと言っていい程に何もなく、少しだけ遠い所に、チラチラと灯りが見える程度だ。
こんな所に、本当にあるのだろうか......
わざわざ電話を掛けてきた相模さんを、疑うわけではないけれど、しかしやはりそんな不安は、心の隅に、拭い切れずに在るのだ。
そんな風に思いながら、窓から流れる景色に視線を向けていると、隣に座っている若桐が、ポツリと、言葉を紡ぐ。
「あの......さっきは、すみませんでした。取り乱して......」
そう言いながら、僕の方を見る彼女の瞳は、やはり年相応のそれだった。
そしてそんな彼女に対して、何も適切な言葉が浮かばない僕は、ただこの少女には、もうこれ以上負担をかけてはいけないと、そう思う一心で、彼女の頭を優しく撫でる。
そして撫でながら、しばらくして浮かんできた言葉は、「大丈夫だよ、気にするな」と、やはりありきたりなそれらしか、この浴衣姿の少女に対して、僕という奴からの口からは......
僕という、中途半端な奴の口からは、出て来ないのだ。
そんな風にしながらバスに揺られている間に、いつの間にか終点へ到着していた僕等は、更にそこから歩いて五分ほど、僕と若桐は、相模さんが言っていたであろう宿に、到着した。
「ココかな......?」
「ココ......じゃないですかね......他には、建物すらありませんし......」
そんな風に話しながら、僕と若桐は、少しばかり辺りを見渡す。
「......」
「......」
目の前にある宿以外、若桐が言う様に本当に何も無く、それこそ、建物どころか街灯すら見当たらない、代わりに多くの樹木が並ぶその場所は、そしてその宿は、些か不気味だったのだ。
けれど......
けれどこのままココで、ただ立ち尽くしていても仕方ないのは、何も言わなくても明白だった。
そしてそれは、そこからは何も会話がなかった僕と若桐の間でも、共通の認識だったのだろう。
だから徐に、僕等二人は、その宿の扉に手を掛けたのだ。
そしてその扉を開けた先、要は宿の中はというと......
「あら、もしかしてご予約の、荒木さまですか?お待ちしておりました」
「......えっ、あぁ、はい......」
拍子抜けするほどに、本当に普通の宿だったのだ。
予約されていた宿が普通なら、通された部屋も普通だった。
畳の和室で、小さなテレビと冷蔵庫、トイレ、お風呂、洗面台、テーブルと座布団と......
とにかく、コレと言って変わった物は一切なく、ただただ普通の、和室の部屋だった。
しかもちゃんと、部屋の物全てが、二人分用意されていたのだ。
「......」
なんてことのない、普通のそういう対応。
しかしそれらは、今までの若桐の状況を思い返すと......
彼女の存在を、彼女の在り方を思い返すと......
やはりそれらは少しだけ、普通とは異なるのだ。
そんな部屋で、若桐には先にシャワーを浴びてもらっている最中、僕の携帯に再び着信が入る。
「......」
知らない番号からだったが、何故かこの時、僕はそれに応答したのだ。
「はい......もしもし......」
「もしもし、荒木君......元気かしら......?」
「......」
「なるほど、元気そうね」
「まだ何も言ってねぇよ......」
そう言いながら、僕は電話口の向こう側に居る人物に、思いを馳せる。
声の主は、柊だった。
「どうして知っている?」
「なによ......連絡を取るくらいは、前にもあったでしょ?」
そう言いながら、電話口の向こう側は、わざとらしく声色を変える。
「それは通話アプリでだろ......番号を教えた覚えはない......」
「そんなの、私があの専門家から、無理矢理訊き出したからに決まっているでしょう?」
「相模さんにも教えてねぇよ......」
そう言いながら、しかしそれなら、辻褄が合ってしまうことを、なんとなく理解できてしまう。
理解できて、滅入ってしまう。
管理することを得意とするあの専門家なら、持ち主の僕ですら記憶していない携帯電話の番号を把握することくらいは、おそらく造作もない。
そしてそうなると、やはり僕のプライバシーは、ことごとくあの専門家に、筒抜けということになる。
まったく、惨い話だ......
けれど今更、そんな当たり前のことに対して、気を落としていても、仕方ないのだろう。
そんな風に思っていると、電話口の向こうに居る柊が、僕に言う。
「それにしても、あんなに朝早くに、荷物一式まとめて出て行くなんて......さすがに驚いたわ......」
「あぁ......それは悪かった。謝るよ......ゴメン......」
「べつに、謝罪は求めてないわ......ところで荒木君」
「ん?」
「貴方今、何処に居るの?」
「......」
「荒木君......聞こえているかしら......?」
「あぁ......ごめん、聞こえているよ......今は......」
そんな風に僕は、今の自分の状況を、電話口の向こう側に居る柊に、大雑把に、説明した。
説明している途中に、僕は思う。
「何処に居るの?」という柊の言葉に、少しだけなんて答えていいのか、わからなくなってしまったこと自体が......
それがなんだかもう......どうしようもない程に、今の状況を物語ってしまっているような......もちろん初めから、普通のことをしているなんて、思ってはいないけれど......
でもやっぱり、異常なことをしていると......
異常で異質な中に、今僕は在るのだと......
こんな普通な宿の部屋の中でさえも、それを自覚してしまうのだ。
話の切れ目で、柊は言う。
「でもまぁ、よかったじゃない。普通の宿なら、それなりにゆっくりと出来るんでしょう?それに伊豆には、熱海にはない様な空気感で、趣のある観光地があるわよ」
「へぇーそうなのか。それは知らなかった。なんかオススメの場所とかあるのか?」
そう尋ねる僕に対して、彼女は驚くべきことを口にする。
「知らないわよそんなの、行ったことないし......」
行ったことないのかよ......
「......それなら、空気感とか趣とか、そんなのわからないだろ?」
「でもその場所、私が好きな小説の舞台なのよ.....それなら趣があって当然でしょ?まぁ、文学作品に疎い荒木君は、きっと知らないでしょうけれどね」
「どういう理屈なんだ、それは......ってか、僕が文学作品に疎いなんて、なんでそんなことを知っているんだよ。もしかしたらとてつもない程の読書家かもしれないだろ?年間数百冊の小説を読破しているかもしれないだろ?」
「それはそれで気持ち悪いわ......ごめんなさい」
「無闇に僕を傷付けるな......それで、その本のタイトルは何なんだ?」
「あら、興味があるの?まぁ、教えてあげなくわないけれど......でもたぶん荒木君も、本の中身は知らなくとも、タイトルくらいは聞いたことがあるんじゃないかしら?それなりに有名な作品だと思うから」
そう言いながら一拍、間を取って彼女が口にした作品のタイトルは、たしかにあまりにも有名で、流石の僕でも知っていた。
しかし柊の言う通り、その本の中身までは、僕は知らなかったのだ。
タイトルは『伊豆の踊子』
若桐と交代で風呂場へ行き、湯雨に身体を当てながら、先程まで通話していた、柊との会話を思い出す。
さっきまでの、あの会話。
ただ単に柊は、自分が好きな小説の話題を、それらの教養がまるでない僕に対して、特にコレといった意図はなく、振ったに過ぎない。
それにその本が、あまりにもあの少女を示唆している様な、そんなタイトルだとしても......
もしも本当に、それと若桐が関係するというのなら、彼女はこんなにも長い間、彷徨う必要はないのでないだろうか......
こんな風に、それらの教養が無い僕ですら、タイトルを他人から聞いたただけで、そう考えてしまうくらい。
そうだ......もしもそうなら、気付かない筈がないのだ。
そう考えながら、シャワーの湯を止めて、備え付けのリンスインシャンプーを適量取り出して、頭に押し当てながら、泡立たせる。
頭で泡立たせながら、僕は思う。
まぁ......気長にやるしかないんだろうなぁ......
手掛かりに近しい話があったからといって、それに安易に飛びついてしまうのは、危険な気がするのだ。
だから今日、僕は何も収穫がないと、そんな風に思っていたけれど、しかし若桐自身に少しだけ、良いか悪いかは別にして、変化があったのはたしかだ。
あのトンネルで、一体彼女が何を見たのか、何を思い出そうとしたのかは、外側から見ただけでは、皆目見当もつかないけれど......
しかしそれでも、彼女の中に何かが起こったのは明らかで、そしてそれが、たしかな手掛かりであることは変わりない。
柊から聞いた話は、まぁ......空いた時間に検索するくらいにしといて、明日からはもっと、若桐の心の機微を、見落としさないよう、注意する必要がある。
そんな風に考えていながら、粗方湯浴みを済ませ、用意していた備え付けの浴衣に着替えると、鏡越しに映る自分の姿が、些かぼんやりとしている様な、そんな風に見えた。
なんだろう......疲れているのかな......
そう思いながら襖を開けると、そこには部屋にあるテレビを、食い入るように見ている若桐の姿があった。
「あっ、荒木さん」
そして僕に気付き、少しばかり興奮気味にコチラを振り返る彼女の姿は、やはりどこか、異質なまでに、綺麗な程に、浮世離れしていた。
その姿を見て、やはり少しだけ、さっきの柊との会話が蘇る。
なぜならそんな彼女の姿は、まるで何かの御話に出て来る様な、そんな少女の様に、僕には見えたから。
「なんだよ、そんなに夢中になって......何か面白い番組でもやってたのか?」
そう言いながら、コチラに視線を向ける若桐の隣に、僕も腰を落ち着かせる。
すると少しだけ恥ずかしそうにしながら、彼女は言う。
「いいえ......その、初めて見ましたから......」
「えっ、初めてって......テレビをか?」
そう尋ねると、若桐は逆に、僕に訊き返す。
「テレビって言うんですか......コレ......」
「あぁ、うん。色々な番組が見られる優れモノ。今の時間だと、ドラマやバラエティーがやっているのかな......まぁ、僕は最近見ていないけれど......」
そう僕が説明する言葉の中に、聞き慣れない単語であるのだろう、「番組」や「ドラマ」、「バラエティー」という言葉を、ポツポツと口にする。
そんな彼女の姿を見て、僕はただ、疑問に思ったことを口にする。
「でもテレビなんて、街中にいくらでもあるだろ?お店や駅や......あぁ外にも、テレビとは違うけれど、モニターがある所はあるんじゃないのか?」
すると若桐は、少しだけ間を置いて、僕に話す。
「そう......なのかもしれません......でも私、実は色々なことが、この数日間で初めてだったんです。最初に荒木さん達と出会った時の、食事やロープウェイなんかも、実はあの時が初めてで......」
「そうだったのか......てっきり若桐は、行ったことがあるのかと思ってたけれど......」
「すみません。緊張して......つい見栄を張ってしまいました」
そう言って、その後一瞬考えて、しかし彼女は、それを口にする。
「私は、他人からは見えません。どんな風に居ても、認識されないんです。当然です。幽霊なんですから......」
「......」
「それに私は、ずっとあの町から動けませんでした。ずっと......だから今こうして、他の場所に訪れることが出来るのは、色々な所に行けるのは、実は荒木さんのおかげなんです」
そう言いながら、僕の方を見て微笑む彼女の表情は、死んでいるにしては、あまりにも煌びやかで、不死身である僕から見ても、羨ましい程にココに居た。
けれどその後、僕が「それって......」と、言葉を言い掛けた所で、若桐は「もう、寝ましょうか......」と口にして、近くに敷いてあった布団の中に、その身を潜らせた。
そんな彼女を見て、言い掛けた言葉を飲み込んで、僕も寝床に着いた。
もちろん、別々の......
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