第29話不死身青年と旅人童女の追憶Ⅺ

相模さんから運ばれた朝食を平らげるのに、大して時間は掛からなかった。


 普段食べる様な量ではないから、多少は残すか、少なくとももう少し、時間が掛かると思っていた。


 しかし思いの外、朝食自体が美味しかったのは勿論あるけれど、やはりそれだけ自分が疲弊していたということなのだろうか......


 綺麗に、米粒一つ残さない程に、しっかりと平らげたのだ。


 食事を終え、 ウーロン茶に口を付けながら、僕は言う。


「相模さん、お願いがあります」


 そして言われた相模さんは、僕のその言葉に対して、いつも通りの微笑を添えながら、僕に言う。


「あぁ、いいよ」


 あまりにも軽快に、彼はそう言った。


「......」


「ん?どうしたんだい?」


「いや、僕まだ何も言ってないんですけれど......」


 そう言いながら、少しばかり困惑した僕を見て、彼は笑いながら、言葉を紡ぐ。


「フフッ......それくらいわかるさ。僕は君を管理している専門家だ。君が考えていることくらいなら、大方予想できるよ。どうせ、今日と明日、もしかしたらさらにもう一日、一人で行動出来るように図らって欲しいとか......そういうことだろ?」


「......はい」


 そう言いながら、あまりにも的確に心内を読む相模さんに対して、少しばかりの不快感と、しかしながらの信頼を寄せて、僕は口を開く。


「昨日、夢を見ました......若桐と話したんです。彼女は、もう今は居ない、大切な人の気持ちを知りたいと、僕に探して欲しいと、そう言っていました」


 僕のその話を聞いて、相模さんは言葉を返す。


「大切な人の気持ち......ねぇ......そんなモノ、一体どうやって探すんだい?探しようがないだろう?そんなモノ......その若桐という子......ハッキリ言って、僕は何も助けられない。なんせ僕には、その子の姿は見えないし、声も聞こえない。生きているならまだしも、死んでいるなら尚更、どうしょうもない......」


 そう言いながら、その冷たい声色の彼は、僕から視線を外す。


 外しながら、彼はさらに、僕に問い掛ける。


「それでも君は、彼女の為に動くのかい?」


 そして問われた僕は、その問いに対しての答えを、既に決めていた。


 だからその言葉を、その答えをゆっくりと、僕は口にする。


「......はい。僕には、若桐の姿が見えるので......」


 そう僕が告げた途端、目の前に座る彼は、何故だか少しだけ嬉しそうな表情をした後に、呟くように、言ったのだ。


「まったく......じゃあ仕方ないか......」



 時刻は恐らく、八時前頃だろうか......


 部屋に戻っても、まだあの二人は寝ていて、だから起こさないように、自分の荷物を全て片付けて、部屋を出た。


 本来今日は、琴音や柊が受けた様なカウンセリングを受ける予定だった。


 しかし昨日、あの人に拉致監禁されたから、その予定は綺麗サッパリ、なくなったのだ。


 まぁ相模さん曰く、あの人は今の異人の専門家の中では、二番目にヤバい人物らしくて、そんな人と長時間同じ空間に居て、色々と話をしたのだから、もう既にカウンセリングをしたようなモノだろうと、そういう事らしい。


 まぁ僕も、今日からはしばらく、少なくとも二日や三日くらいは、若桐のために時間を使うことを考えていたから、この状況はとても都合がいい。


 これなら琴音と柊には怪しまれずに、この旅行からフェードアウトすることが出来るのだ。


 そんな風に思いながら、僕は宿がある熱海の町から、荷物を持ちながら、海辺の方に歩みを進める。


 朝早くに出たからだろうか、お店はまだ開いてくて、だから人もほとんどいない。


 観光客らしき人達は皆無で、地元の人がチラホラと歩いている程度だ。


 そんな町を歩きながら、僕は考える。


 コレと言った根拠があるわけではなかった。


「......」


 けれどたしかだと思えることが、一つだけあった。


「......」


 一日目も二日目も、そして夢の中でさえも、若桐と出会う時は必ず、海が見えるところだった。


 まぁ、だからといって、今日も彼女が、そんな場所に立って居る保証なんてないけれど......


 しかし感覚的に、直感的に、その方向に足を進めることで、また彼女に出会うことが出来ると、僕は知っていたのだ。


 だから僕は、驚いたりはしなかった。


「......」


 歩みを進めた先に、海が見える砂浜に、これまでと同様、浴衣姿の彼女が、静かに凛として、立っていたとしても......


 そして彼女が、こちらの方を見ながら、微笑みながら小さく手を振って、まるで僕が来ることを、最初から分かっていたような表情を浮かべても......


 それこそ......


 浮世離れした綺麗さを、まるで何かの童話に出て来る様な、そんな彼女の姿を見ても、僕は一切驚かずに、彼女に言えるのだ。


「わるい、待たせた......」


 そして彼女は、そんな僕に対して、驚きと嬉しさが混じった様な声色で、言葉を返す。


「いいえ、私も今来たところです......」


 夢の中で見た彼女は、たしかにそう言った。



 電車に揺られること自体は、普段からよくあることだから、珍しくもない。


 生活圏内がアレだから、例外を除けば、バスや車に乗ることの方が、圧倒的に少ないのだ。


 だからまぁ、今回の旅行では二度も......


 イヤ......佳寿さんの拉致監禁からの帰り道も、あの女の人に車で送ってもらったから、三回か......


 だからまぁ、とにかく......


 こういう状況の方が、いつも通りで鳴れている筈なんだ。


 なのにどうしてか、今の僕は緊張している。


「......」


 隣に座っているのが、浴衣姿の、何かの物語に出て来る様な彼女だから、乗り慣れている筈の短い時間の最中でも、どういうわけか言葉が出ない。


 けれどそんな僕の心境など、知る由もない隣の彼女は、揺られる電車に座りながら、流れる景色に視線を輝かせて、僕へ言葉を投げ掛ける。


「電車......はじめて乗りました。楽しいですね、こんな風に速く景色が移り変わるのに、こんなにも涼しくて、ゆっくりとしていられるのも不思議です」


 そう言いながら、その輝かせている視線を、景色から僕へと移す。


 けれど僕は、そんな彼女の声にも、表情にも戸惑いながら、ありきたりな言葉を返す。


「そっか......乗ったことなかったのか......」


 そしてその後の、言葉が出ない。


 おかしい......琴音や柊を交えて遊んだ時は、こんなことなかったのに......


「荒木さん......どうかしましたか......?」


「えっ......」


「なんだかずっと、顔色がよくないので......」


 そう言いながら彼女は、僕の顔を覗き込むようにして、僕の顔にそっと触れる。


 けれどそんな彼女に、僕は変わらず、間誤付きながら言葉を返す。


「あぁ、いや......大丈夫だよ......」


 そう言いながら不意に、彼女の手を取る。


「......」


「荒木......さん......?」


「あっ、いや、ごめん......」


 そう言いながら、彼女の手を放して、視線を逸らす。


 驚いたのだ。


 あまりにも冷たい、若桐の手に......


 けれどその冷たさは、きっとこの浴衣姿の、あどけない表情の女の子が、人間とは異なる存在である、異人であることとは、きっと何も、関係ないのだろう。


 そんな風に思いながら、僕は視線を、車窓の外へと移す。


 気が付くと、電車は目的の駅へ到着していた。


「あっ、ココですね......」


 そう言って若桐は、足早にドアの方へと歩き出す。


 僕はそんな彼女の後を追う様にして、電車を降りた。



 旅行先だった熱海市から電車で移動して三島駅へ、そこからさらにローカル線を使って移動し、下田寄りへ、少しばかり山の中へと入っていく。


 そんな風に慣れない土地で、慣れ親しんだ交通手段を使いながら、ようやく到着した場所は、これまた静岡県の観光地である、伊豆市だった。


 どうしてこんな場所にわざわざ、僕と若桐が訪れたのか、その理由はもちろん、一つである。


『......たぶん、場所が違うんです。だから......』


 そんな風に、今日出会った際に、僕が彼女に尋ねた言葉に対して、返した若桐のその言葉が、この場所に訪れた理由である。


 要はもう、熱海と三島は、ほとんどの場所を歩いて探したから、あと探していない場所と言えば、ここら辺なら伊豆くらいだと、そういうことらしい。


 そんな大雑把でいいのだろうかと、そんな風にも思った。


 なんせ静岡は、日本地図だとわかり辛いけれど、隣の愛知県に行くまでの間、色々な地域がある県で、下手をすれば、そこまで足を伸ばさなくてはいけない様な、そういう話に成りかねないのだ。


 けれど僕が移動する道中で、そんなことを若桐に言うと、彼女は明るい声色で言葉を返した。


『そうですね......でも大丈夫です。なんとなくですけれど......』


 そう言いながら、どういうわけか確かな自信がある彼女は、僕の方を真っ直ぐと見つめた。


 そしてその彼女の瞳に、少しだけ納得してしまった自分が居るのだ。


 そもそも無茶苦茶な、無理難題である彼女の、僕に対する要望は、結局のところ、行動計画の主な部分を、若桐本人に託すしかないのだ。


 なんせ彼女が探しているモノは、傍目から見れば、彼女が大切に想っていた人の『本当の気持ち』なんて言う、目には見えないどころか、在るのかすら怪しいそれなのだ。


 けれどそれは、要するに、彼女とその想い人の思い出に......


 もっと端的に言ってしまえば、彼女とその人の『共通の記憶』に組するモノだ。


 だから結局、僕が出来ることなんて、最初から一つだけ。


 この浴衣姿の少女が、どんな結末を迎えるのか、それをただ、彼女の傍で見届けること......


 それが今回、僕に出来る、たった一つのことなのだ。


 そんな風に、気持ちを整理して、自分がするべきことを、頭の中で整理して、歩きながら、僕は若桐に言う。


「なぁ、若桐......」


「はい?」


「正直に言うと僕はまだ、お前がこれからどんな探し物をしようとしているのか、上手く飲み込めていないんだ」


「......」


「でも若桐は、たしかな心当たりがあって、この場所を選んだんだろ?」


「そうですね......そうだと、思います......」


「だったら僕は、それを信じるよ。だから若桐も......」


 そう言いながら、僕は若桐の手を取って、隣を歩く。

 

 そして僕のその言葉に、若桐は少しだけ迷いながらも、「......はい」と一言だけ返事をして、僕の手を握り返す。


 その手はやはり、相も変わらずに冷たかったけれど、暑さが酷い今日の様な日には、その冷たさが心地よく思えたんのだ。



 歩き始めて数十分......いや、もしかしたら一時間くらいは歩いたのだろうか......時間の感覚が、朧気になっている様な......そんな気がする。


 今回の様な旅行自体、そもそも初めての経験だったのに、まさかそこから単独で、足を伸ばして行動してしまうなんて......


 思えば遠くに来たモノだと、そんな風に思う。


 けれどまさか、しばらく歩いた先に、こんな場所があるとは思わなくて......


 その場所を見て「ココです......」と言いながら、足を止める若桐の前には、ただ大きくて、恐らく長い、先が暗いトンネルがあった。


「では、行きますよ。荒木さん」


「......あぁ、うん。行くよ?行くけれどさ......」


 いや、普通に怖くね......?


 見た感じ、おそらく観光地なのだろう。


 古さの中に、ちゃんとした綺麗さが施されていて、暗いけれど、灯もポツポツとある様な、そんな場所だ。


 要はちゃんと、整備はされている。


 でも......


「たぶんココ、本来は車とかで来る様な場所だったんじゃないか?」


 そう言いながら、僕は思い出す。


 考えてみれば、ココに来る道中、それこそ車が走りそうな道はいくつかあったし、人が通りそうな、いわゆるハイキングコースも通ったけれど......


 誰とも、遭遇することはなかった。


 偶然......なのだろうか......?


 そんな風に考えていると、いつの間にか手を放して、若桐はそのトンネルへ歩みを進める。


「あっ、おい。若桐......」


 しかしその声に対しての応答を返さぬまま、ゆっくりではあるけれど、しかし一定の速度で若桐は、歩く速度を緩めない。


「......」


 声が、届いていないのか......?


 そこまで距離が離れているわけでは無いのに、僕の声に対して、振り向く素振りすら見せぬまま、若桐はそのトンネルに、吸い込まれるように歩いて行く。


 本当に、ただの観光地なのだろうか......


 疑いを抱えながら、僕も彼女の後を追う。


 中に入ると、さっきまで居た筈の外の気温が、まるで悪い夢だったのかと思う程に、涼しくて......


 いや、涼しいというよりも、少し寒いと感じてしまう程だ。


 けれどそんな場所で、浴衣であるが故に、僕よりも薄着な筈の彼女は、やはりそのままの速度で、まるで何かに取り憑かれた様に、歩みを止めない。


 この寒さは、この場所がそういう場所だからなのだろうか......


 それとも若桐の存在が、何か関係しているのだろうか......


 そんな風に思いながら、歩く速度を変えぬまま、先に進む僕等の前に、ようやく、外の光が見えたのだ。


 そこまで長くない筈の、トンネルの中で......



 行き着いた先に待っていた光景は、拍子抜けするほどに普通だった。


 暗い道を進んだ先にあったのは、まだ、ただ単に道が続いていただけだった。


 どうやら、ハズレだったのだろうか......


 まぁ探し始めてすぐにアタリを引き当てられるとは思っていなかったけれど、しかしあんな変な感覚があったから、少しばかりは、期待をしていた。


 けれどコレと言った収穫も、変化も無いように、僕は感じる。


 徐に、彼女に声を掛ける。


「若桐......ココにはなにも......」


 しかしそれを感じていたのは、どうやら僕だけだったようだ。


「......」


「若桐......?」


「えっ......?」


 トンネルの中では前を歩いていた。


 そして今は、一歩先の距離に立ち止まっている彼女に対して、僕の声はようやく届く。


 しかし届いて、振り向いた彼女の表情には、ただ一筋、流れていたのだ。


「どうした......大丈夫か......?」


「えっ、アレ......なんでしょうね......なんだかとても、懐かしくて......」


 流れたそれらを拭って、僕に気を遣いながら、彼女は言葉を紡ぐ。


「ごめんなさい......歩いている最中も、ずっと......わからなくて......」


 そう言いながら、零れ続ける雫を、彼女は拭う。


 しかしいくら拭っても、それらは留まらず、ただ流れ続けてしまうのだ。


「私......ココを知っているんです。でも......思い出せない......」


 そう言いながら、顔を覆う様にする彼女の姿は、年相応のそれだった。


 そしてその姿の若桐を、放っておける筈がない僕は、自分の腕の中に、彼女を抱えたのだ。


 そして抱えながら、僕は静かに、彼女に伝える。


「......大丈夫だ......思い出せる......大丈夫だから......」


 そう言いながら、僕は彼女の頭を撫でる。


 けれどそれ以上の言葉は愚か、それ以外の言葉が出て来ない。


 当たり前だ。


 本来なら、何も言うべきではないのだろう。


 そう思いながら、僕はさっきまでの自分の考えを恥じた。


 彼女にとっては、ずっと長い間......


 探し物をしていた彼女にとっては、ようやく見つけた手掛かりで......


 僕がハズレだと、まぁ仕方ないと、そんな風に思ってしまったモノは、彼女はにとっては何年も、下手をすれば何十年も、探していたモノだった。


 まったく......僕という奴は......


「......」


 いっそのこと......死ねれば楽なのだろうか......


「......」


 そんな風に思う僕は、何も言わず、腕の中の小さな彼女の言葉を、ただ受け止めるしかなかった。


 腕の中で「ごめんなさい」と、小さく繰り返しながら震える彼女の身体は、やはり冷たく、浮世離れしたそれだった。


 

  

 

 


 


 

 





 











 

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